小さな冒険者

 なんだ、この世界は。

 人間も国家も腐ってる。まるでゴミ溜めだ。

 俺は腰をかがめて、さっき自分で渡した金貨だけを拾った。

 残りの小銭はそのままにして、ここから立ち去ろうとした時。後ろで誰かが走ってくる音がした。


 ん……なんだ? さっきの女の子じゃないか。

 俺のそばまで来ると、その子は体を曲げてハアハアと息をついた。


「どうした、忘れ物でもしたのか?」


「家から武器を取ってきたんだ。これさえあれば、あいつらなんかに負けない」


「武器って……」

 よく見ると、手には木刀を持っている。

 最初から子ども用に作ったんだろう。細身で短い。実戦で使えるのかはともかく、形は立派だ。


「ソラは強いんだよ。大きい男の子にも勝ったことがあるんだ。だから今度は、ソラがお兄ちゃんを守ってあげる」


「ソラ……ソラって言うのか」


 俺は上を向いた。

 さっき空中を散歩していた時は、気持ちのいい天気だった。

 せり出した建物のせいで、やけに空が小さく感じる。でも、ここからでも確かに青空が見えた。


「あいつらはどこ?」


「逃げてったよ。きっとソラのことが怖かったんだろう」


 ソラは不思議そうな顔をした。

「このお金は?」


「俺たちにくれるってさ。俺のぶんはもらったから、その辺に落ちてるのは、みんなソラのぶんだ」


「すごい……これだけあったら、パンがいくつ買えるかな。

 ううん、でもダメ。これはお兄ちゃんの物だよ。まだ、助けてくれたお礼をしてないもの。死んだお母さんも、他人には借りを作るなって言ってた」


「それなら、それで食べ物を買って一緒に食べよう。実は俺も、お腹が空いてきたところなんだ。ソラの家に寄ってもいいかな」


 腹が減ったのは本当だ。

 それに一度、身を隠した方がいい。


 ソラの顔がパッと明るくなった。

「すぐそこだよ、ついて来て」



 それから俺たちは、何軒か先にある建物に入った。

 薄暗い急な階段を登ると、そこにはドアもない小さな部屋があった。

 部屋にはベッドがひとつあるだけで、家具らしい物はほとんどなかった。部屋の隅に大きなツボが置いてある。


 ツボをのぞくと、底の方に少しだけ水が入っていた。

 よく見ると、ゴミや小さな虫が浮いてる。

 

「昨日の朝に井戸から運んだばかりだから、腐ってないよ。コップはソラのを貸してあげる。トイレはそれ。使ったら中身は窓から捨てて」


 それって……。

 指さした場所にあったのは、ただの金属製の洗面器だった。排泄物を窓から捨てるのなら、街のあの臭さも納得できる。


 ソラが食べ物を買いに出て行くと、さっそく俺はスマホを取り出した。

「ミリア、この世界じゃこれが普通なのか」


「ハイ、スラム街の生活のことならデータがあります。表示しますか?」


「いや、別にいい。……ところで、王宮に残った連中がどうなるかわかるか」


 俺はようやく、そのことを考える余裕ができた。

 こんな場所でも身を隠す場所があるのはありがたい。ただし、あまり長い時間は無理だろう。王宮から追手が来れば、さっきの男たちが俺のことを話すに違いない。


「ハイ、前回の『勇者募集プログラム』の記録があります。

 適正テスト終了後に、まず三か月間の基礎訓練を行います。それから半年間はモンスターの討伐などの実戦訓練です。

 前回の候補生は実戦訓練で半数の死者を出しました。今回のメンバーはステータスが高いので20パーセント以下の死亡率になると予想されます」


「そんなに死ぬのか……」


「ハイ。ただしこのデータを勇者候補生が知ることはありません。

 候補生の持つ情報端末にはロックがかけられています。ショウヘイ様の場合は、制限条件を満たさなくなったので解除されました」


 つまり俺は、落ちこぼれだから教えてくれったってことだ。


「委員長……俺と一緒に来た女性は、大丈夫だと思うか?」


「ハイ、彼女のステータスは、ショウヘイ様以外では最高です。

 突発的な事故の可能性は避けられませんが、訓練期間中に死亡する可能性は1パーセント未満になると予想されます」


「その後はどうなる?」


「計画では実戦に投入されることになっています。その場合の死傷率は、現時点では計算不可能です」


「とりあえず最初の九か月間は、ほぼ安全だってことか……」



 やがて、買い物に行っていたソラが戻ってきた。

 体が傾きそうなくらい大きな荷物を持っている。そのほとんどは、俺が頼んだ着替えだ。王宮からの追手がいつ来るかわからない以上、学生服のままでは表へ出られない。だからソラに、古着屋で適当な服を買ってくるように頼んだ。


「ありがとう。重いのに悪かったな」


「上等の古着だよ。洗濯もしてあるって。あと、パンとオレンジ。リンゴも買っちゃった。早く食べよう。ソラはもう、お腹がペコペコだよ」


 パンは固く、オレンジとリンゴは少し酸っぱかった。

 それでもソラは目を輝かせながら、むさぼるように食べた。よほど空腹だったんだろう。

 食べ終わるとソラは俺に向かって座り直した。


「それで、あの……お兄ちゃん。残ったお金のことだけど」


「それはソラの物だ。そうだ。古着のお金は別に払わなくちゃな」


「ううん、それはダメだよ。でも、お願いだから、ちょっとの間だけ貸して。ここにいたって、子どもは物乞いくらいしかできないし……そのお金で、この町を出て冒険者になりたいんだ。冒険者になって働いたらゼッタイに返すから」


「そうだな、どうしようか……」

 俺は考えるふりをして、こっそりとスマホに話しかけた。


「ミリア、このままだとソラはどうなる?」


「スラム街の女性の平均寿命は28才以下です。また、70パーセントは15才までに娼婦になると言われています。……もちろん、10才以下で冒険者になった例はありません」


「ソラ……ソラは何才なんだ?」


「七つ。でも、ソラは剣も使えるよ。あの木刀もお姉ちゃんが作ってくれたんだ。お姉ちゃんは本物の冒険者なんだよ」


 ソラの輝く瞳が、俺にはまぶしすぎた。

 まあ、いいか。どうせ元の世界に戻る方法もわからないんだ。

 当面、俺のやることは決まっている。レベル上げをしながら情報を集めてチャンスを待つ。その間くらい、この子につき合ってやっても構わないだろう。


「わかった。その代わり、俺も連れて行ってくれないか。俺だって冒険者になりたいんだ。ソラは強いんだろう。一緒に旅をしてくれると助かる」


「でも、お兄ちゃんは……」


 俺は弱い。そう思われるようにと念じた。

 ソラをだますことになるが、今はその方がいい。ステータス偽装のスキルがあれば信じてくれるはずだ。


 小さな冒険者は、にっこりと笑った。

「そうだね。お兄ちゃんはソラが守ってあげる。だいじょうぶ。どんな敵だってソラが倒してあげる」


「じゃあ、ソラは俺の用心棒だ。その代わり旅費はこっちで持つ。それでいいな」


「うん、わかった」

 ソラはトン、と自分の胸をたたいた。

 俺はその言葉に勇気をもらった。冗談じゃなく、本当にそう思った。

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