第5話 最強が出した答え


 朝のHRの間際に水上から起こされた時には気持ちが楽になっていた北条は一日の学園生活を問題なく過ごすことができた。

 途中睡魔が襲うなどあったが、学園内に設置された自動販売機で缶コーヒーなどを買って飲むなどして耐えた。

 そんな一日を通してまだ心配だと理由で思わぬラッキーイベントが訪れたのはつい数時間前のこと。


「今日お泊り行ってもいいかな?」


 その言葉は下校途中に言われた。

 眠気で半分程閉じた瞼が全開になったことは最早言うまでもなく。


「はい! 是非来てください!」


 そんなわけで眠気が吹き飛んでしまった北条は今夜水上とお泊りすることが決定した。

 今はお風呂から水上が戻ってくるのを待っている北条は部屋で一人。

 楽しみな夜に聞こえる。

 ポツポツと窓を叩く雨音。

 だけど北条のテンションは沈まないどころか寝不足で上手く働かないはずの頭が今日に限って冴えていた。


「例えばこの後服を脱げ、とか言われたらあーちゃんは私のことをそういう目で見ていたと解釈できるわけで、その時は禁断の女と女の世界にレッツゴーになるわけか……」


 もはや暴走特急と化した頭はそっち方面に全力で舵を切りアクセル全開で突き進む。


「とか、イケメンで清楚の人がここで真奈さんは俺の女だ! と言って連れ去るパターンもアリかな? むむっ、これは悩ましい」


 アドレナリンが分泌された頭はもはや恐いもの知らずになっていた。


「でも強引に迫られて俺の女になれってあーちゃんの前で言われて押しに負ける私ってのもアリアリかも~そんでもってやっぱりあーちゃんじゃないとダメな私ってパターンはとても魅力的かも知れない……ゴクリ」


 そんな彼女がさらに暴走しかけたタイミングで水上がお風呂から上がった。

 バスルームの扉が開く音がそれを教えてくれた。

 そして聞こえてくるキシキシと真っ直ぐに廊下を歩く足音。


「おっ! この音は!?」


 期待に胸を膨らませる。

 ようやく待ちに待った至福の時が訪れると北条が思った瞬間、廊下と部屋を繋ぐ扉が開かれた。


「お待たせ~、いいお湯だったよ~」


 そう言ってやって来たのは、パジャマ姿の水上。

 そのまま天使のような微笑みを浮かべる。

 どこか柔らかくてだけど見ていて落ち着くような笑みである。

 濡れた黒髪を肩に掛けたタオルで拭きながら近づいてくる。

 外が雨ということもあり、ただでさえジメジメとしている部屋に湿度が増える。

 だけどそこに不快感はない。

 濡れた髪から微かに香るシャンプーの匂いがそれを感じさせない。


「ほら、こっちにおいで」


 まるで飼い犬を呼ぶようにベッドに腰を下ろした水上が両手を広げて北条を呼ぶ。

 その言葉に見惚れていた目を緩めて我に返る北条。


「うん!」


 元気のよい返事をして北条に飛び込むと二人の体重を受けてドサッとベッドが揺れる。

 部屋の湿度を吹き飛ばすかの如く二人だけの空気が生まれる。

 お風呂上りでポカポカした水上の温度が心地よい北条は胸に顔を埋めてみる。

 ドクン、ドクン、ドクン、と聞こえてくる心音は聞いていて心地良い。


「あーちゃん?」


「なに?」


 二回目は顔を上げて、水上の顔を見上げて。


「あーちゃん!」


 んっ? となにかを期待したように下に視線を向ける水上。


「えっ、だからなに?」


 水上に負けないぐらいに満面の笑みで言う北条。


「あーちゃん!」


 急に見つめられたことで照れくさく感じてしまう水上。


「急にどうしたの? 真奈ちゃん」


 そんな水上の心情を知ってか知らずの北条は言う。


「えへへ~。私今幸せ!」


「うん。私も幸せだよ」


 たったこれだけで幸せな気持ちになれる二人は仲良しと言える。

 たわいもないただの時間で嬉しくなれるのはきっと相手のことを大切に思っているからだろう。

 雨の日はどうしても気分が沈みやすいのだが、それとは対照的な二人がそこには居る。

 北条の気持ちが大分楽になったと判断した水上が手で北条の頭を撫でながら質問する。


「それで真奈ちゃんの中で少しは答え出た?」


 昼間の質問の続きだとすぐに察した北条はゆっくりと首を縦に動かす。


「うん。なんとなくだけどね」


 表情の雲行きが怪しくなる。

 それを見て心配になった水上はお母さんのような口調でゆっくりと話す。


「人は誰だって悩む時があるよ。でもね、人はそうやって成長していくんだよ」


「……ん?」


「努力は惜しなず、失敗は恐れず、前に向かって進む、それは真奈ちゃんから学んだんだよ?」


「わ……たし?」


「そうだよ」


 そう言って微笑みを向ける水上に北条は小さく首を傾ける。

 最強を演じる北条と臆病者の北条。

 そのどちらもが北条であり、裏を返せば臆病者の北条が最強を演じているだけ、とも言える。そんな北条からすると、私が教えた? と疑問しか出てこない。

 なぜなら北条は自分が誰かに何かを教えられる程強くはないと自覚しているからである。

 だけど周りから見た彼女は『最強の北条』で、そこに両者の考えの溝が存在していた。

 どんなに強い力を手に入れてもそこに過信することなくひたむきに謙虚な姿勢を貫き通す北条はある意味では無限に努力する魔術師とも言えた。誰かに見せるでも自慢するでもなく一人コツコツと今でも頑張る姿を何年も見てきた者からすれば学ぶことは多いとも言える。眠れる才能を開花させたと言ってもいいような少女が今も時間を見つけては高みを目指す姿はあまりに美しくあまりに恐ろしいと対を成す感情が同時に生まれるほど。


「心当たりない?」


 そう言って静かに唇を重ねる水上。

 愛犬にそっとキスをするように愛情を沢山添えて。

 突然のことに北条の目が大きく見開かれる。

 だけど抵抗などはしない。

 ただそれを受け入れて目を閉じる。

 唇を通して伝わる微熱が形を変えた思いのように北条の中へと注ぎ込まれていく。

 不安な心を外からではなく内から包み込むような感覚を北条は覚える。

 脱力した体を水上が支える。

 そして引き寄せられる体。

 水上の柔らかくて弾力のある果実に水上以上に大きな北条の果実が押し当てられるぐらいに二人の体が密着しお互いの熱を共有する。

 今も重ねられている唇のせいで言葉を口にできない。

 言葉がなくても水上の気持ちが理解できる北条に言葉は最早必要ない。

 今まで無意識に考えていた――他者の未来。

 それは決して余計なことなどではない。

 でも他者のことよりもっと大事なことがあることに気付く北条。

 それは――自分だった。

 今なら水上の言いたいことがよくわかる。

 体に溶け込んでくる微熱が教えてくれるから。

 学園生活で見せる北条と今の北条との折り合い。

 それが中途半端な線引きになっているのだと。

 つまり水上が言いたい本当のことは――。


 【覚悟を決めろ】


 と言いたいのだと。

 失敗を恐れず堂々と胸を張っていつも通り最強でいて欲しい。

 そんな些細な悩みなど捨ててしまえ。


”最強なら背中で語り、魔術師を導け”


 それが水上の答えなのではないか、と北条は思った。

 不思議なことにそう思った時には確信もしていた。

 間違いない、と。

 よし、と自分に言い聞かせて唇が解放されたタイミングで北条が答える。


「ありがとう。最後の一押ししてくれて!」


 視線の先には、無言で視線を向ける水上の美しい美貌だけがあった。


「私、逢坂さんに勝つ! そして逢坂さんを利用しようとしている先輩たちにも絶対に勝つ! って決めた」


 クスッと笑う水上は「やっといつもの真奈ちゃんに戻ったね」と微笑む。

 こうして北条と水上にとって重要な話は終わりを迎えた。

 後は普段の二人に戻るだけ。

 そう思い再び甘えようとした北条に水上が、


「なら今日は交代して私が甘えるね」


 と、言ってきた。


「!?」


 急展開に驚く北条の体をサッと動かしてベッドに転がす水上。

 まだ思考が追いついていない北条の上に覆いかぶさるようにして水上が体を重ねる。


「なら、いいよね?」


「んっ?」


 声が出た時には首元に感じる熱。

 それは柔らかくて弾力のある物が放つ熱。

 それが水上の唇だと北条の頭が理解した時には、刻印が刻まれていた。

 目がとろ~んとした水上が首元から唇を離して見つめてくる。

 手元のリモコンを使い、部屋の電気を常夜灯に切り替えられ薄暗くなる。


「ずっと真奈ちゃんが欲しかった」


 お互いの顔が見えるか見えないかの距離だったためか北条は水上の甘い吐息を感じる。

 さっきのキスが既に甘い毒だったと北条は知る。

 毒は既に全身に巡り、心の奥深くまで浸透している。

 甘美な毒は脳も刺激し、もう一度欲しいと依存させる。

 後少しでもその気になればもう後戻りはできないかもしれない。

 そうなれば禁断の関係が始まってしまうかもしれない。

 北条の頭が遂に暴走する。

 恋愛脳×水上からの誘い=強引な夜のお誘い(強制イチャイチャタイム)、という方程式を創造する。


「うん。私で良ければ好きにして」


 突如首元に歯が立てられた北条は水上の愛を受け入れる。

 甘嚙み。

 それは水上の支配欲による行動の証だった。

 水上の首元に両手を伸ばし、自分の方に引き寄せる北条は積極的な行動に取る。

 足を絡め、簡単に二人の体が離れないようにして水上の耳元で囁く。


「私をあーちゃんの好きにしていいよ」


 そのまま滑るようにして北条の手が水上の下半身の方へと伸びていく。

 吐息と一緒に唾液が熱を帯びて北条の理性を刺激していく。

 そんな中、薄暗い部屋の中で悪戯な笑みを浮かべる者が一人居た。


「真奈ちゃん、真奈ちゃん、真奈ちゃん、大好き、大好き」


 僅かな感覚を頼りにする水上。

 甘嚙みに夢中になってキスマークだけじゃ足りず歯形を残す少女に天罰が下る。


「くらえ! こちょこちょ攻撃!」


 瞬間。

 薄暗い部屋の中に木霊する笑い声。

 北条のこちょこちょ攻撃にわき腹が弱い水上が笑い声をあげる。

 だけど小悪魔となった北条が止まることなく。

 必死になっては水上が北条から離れようとするが、二人の足が絡まり合い簡単には解けない。


「あははははははは」


「ほらほら」


「もうやめてよぉ、あは、あははははは~」


 小悪魔北条にその言葉は届かない。

 悪い笑みを浮かべて手の動きを止めない北条。


「あはははははははちんじゃうよ……あははははは……」


 息が苦しくギブアップを訴える水上。

 その様子を見ても北条が止まることはなく……。


「……あはは……………」


 水上が笑い疲れて呼吸困難になったタイミングでようやくこちょこちょ攻撃を止める北条。


「…………」


「あーちゃん?」


「…………」


 笑い疲れたのか反応すらない。

 まるで大きなお人形のように脱力した水上。

 試しに果実を鷲掴みにしてもみほぐしても反応がない。

 いつもなら反応があるのに今はない。

 その事実に。

 ニヤリ。

 薄暗い部屋の中で悪い笑みを浮かべる北条の姿がある。


「にししっ……あーちゃん人形の完成だね」


 そのまま大きなお人形となった水上の体をベッドの上で移動させてゆっくりと仰向けになって寝かせる。

 そのまま北条は部屋の電気を消して呟く。


「う~ん。大好きだよあーちゃん♪」


 そう言って大きなお人形ならぬ大きな抱き枕をぎゅーと力いっぱい抱きしめてクンクンと大好きな人の匂いを堪能しながら深い眠りに入っていく。

 もちもちとした頬っぺたに自分の頬っぺたを擦りつける北条は笑い過ぎて脱力した水上にいつもと違う新鮮さを感じる。

 しばらく抱きしめたことで充分に心が満たされた北条はそのまま水上を抱きしめたまま深い深い眠りへと落ちていった。



 ■■■


 心が安らぎ安定した頃――決意。

 眠る北条の瞼から落ちる一粒の涙は熱を帯びている。

 ほのかに暖かくて生温い。

 それは恐い夢を見ているからではない。

 北条は織神と夢の世界で誰かのことを思い苦しんでいたのだ。


「ねぇ、姫?」


『ん? どうしたん?』


「強くなっても弱くなっても人は誰かに利用される運命なのかな?」


 客観的に見れば腰下まで伸びたピンクのロングヘアーが印象的な少女――それが織神姫。しかし織神はこの世界に七人しかいない魔法師の一人にして第四種魔法・魔術の頂点に立つ者。

 だからこそ――北条は質問した。

 自分の答えが正しいのかを確認するため。


「人は誰かを利用しないと生きていけないのかな?」


『…………』


 織神は答えない。

 既に答えを知っていながら敢えて答えない。


「私ね、逢坂さんって凄い人だと思うの」


『…………』


 返事がなくても構わないのか、一人語り続ける北条。

 その視線は真剣で無視できる物ではなかった。


「自分より強いとされる相手に正々堂々と立ち向かおうとする姿に私は心の底から凄い!って思ったの」


『…………』


「だけどね、私がこのまま勝てば先輩たちから見た逢坂さんは用済みの第二位って存在で終わっちゃう気がするの。そんなの可哀想過ぎると思わない?」


『…………せやな』


 ただ一言。

 その言葉に僅かな気持ちを乗せて頷く織神。

 元弱者の者は知っている。

 弱者は強者の顔色を伺わないと社会で生きてはいけないこと。

 かつて自殺を考えるまでに精神的にも肉体的にも追い込まれた者はそれを経験で知っている。

 そして強者となった今。

 顔色を伺われる側だと思っていた強者が今度は弱者に利用されようとしている。

 その事実を知った時、北条は胸の奥が苦しくなった。

 なんでこの世の中はこんなにも残酷なのだと。

 純粋な気持ちで勝負を挑んできた逢坂の気持ちはきっと向上心や興味本心などから来るプラス作用から来るエネルギーによるものだと理解した北条。

 なのに、それを利用して自分たちだけ得をしようとしているマイナス作用のエネルギーを持つ者たちがいることに酷くショックを受けた。

 逢坂の気持ちには答えたい。

 だけど答えた先に逢坂の未来はあるのか?

 それも重要だが。

 もっと重要なことがある。

 それは――最強に黒星が付くかもしれない。

 と、いうことだ。

 そうなれば自分の夢が叶わなくなるかもしれない。

 それだけなら辛いけど諦めも付く。

 だけど……違うのだ。

 北条は……目の前にいる相棒の心配もしているのだ。

 言うなれば、『他者のことを誰よりも一番に考える者』であり、大切な人が傷付くなら自分が傷付くことを選ぶ優しさと言う強さを持った少女なのだ。


「酷いと思う」


『…………』


「こんな無茶振りをさせようとして」


『…………』


「姫に苦労をかけることもわかっているはずなのに。でも……」


『…………』


「お願いがあるの」


『お願い?』


「最強を証明した上で逢坂さんを救って欲しいの!」


『…………ん?』


「私が演じる最強を。だから姫も演じて弱者を。私と姫の共同作業で去年の最強を超えたい!」


 その言葉にクスッと笑う織神。

 二人で一つとはよく言ったものだ。

 まさか弱者が最強を演じ最強が弱者を演じるとは。

 実に面白い発想ではあった。

 一見無駄が多そうな感じはするが織神は今も一方的に話しを続ける北条の言葉からそれも有りだと思うのであった。

 それが一生懸命考えて出した答えなら否定をするつもりはない織神。

 なぜなら北条は織神であって織神は北条だから。

 どうやら今日の水上との時間で脳がリラックスしていい方向に事が進んだのだと一人顔には出さず織神が喜んでいると、ふとっ、頬っぺたに柔らかくて弾力のある唇が触れるのだった。


「信じているよ、姫。それとあーちゃんに嫉妬はダメだよ♪」


『…………』


 色々な意味で織神は言葉を失った。

 真面目な話だと思って真面目に聞いていただけの織神は戸惑う。

 勘違いが予期せぬラッキーハプニングを与えてくれるとは嬉しい誤算である。

 だけど今すぐに弁解をしようとする織神より先に北条の口が動く。


「私が私にキスしても浮気じゃないでしょ?」


『真奈?』


「一心同体だよね、私たち?」


『…………せ、やな?』


「ばぁ~か。全部に顔に出てたよ? ならお休み、姫。大好きだよ♪」


 そう言って誤解が解けないまま今度こそ深い眠りに付く北条の表情はとても柔らかくて見ているだけで温もりを感じるような微笑みだった。

 北条だけは気付いていた。

 織神自身ですら気付いていないであろう感情に。

 だから…………ソレを教えてあげたかった。

 そして一人になった魔法師は『おっしゃああああああああああああ!!!!』と一人叫びガッツポーズをした。


 翌朝。

 カーテン越しに太陽の陽が差し込む時間に二人は目を覚ます。

 四月の朝はまだ何処か肌寒く、夜中を経験したばかりの部屋は肌寒く感じることが多い。例えるなら春なのに冬のような朝というわけだ。

 露出した顔はこわばり、吐息が白い蒸気になる日もしばしあったりする。

 冷たい風は当然外の世界から部屋の中に侵入し、眠っている者たちに影響を与える。

 そんなわけで朝は起きるのが憂鬱になることが多いのだが、今日の朝はいつもと違った。


「うぅ~ん、もう朝か……」


 北条が重たい瞼をゆっくりと開ける。


「おはよう、真奈ちゃん」


 太陽の陽が眩しい。

 まるで水上を照らすバックライトのようにカーテンの隙間から彼女を照らしている。


「……うぅ、お、おはよう……あーちゃん」


 目覚める時はいつも一人の温もりしかない部屋に今日は別の温もりがあった。

 安らかな眠りから目覚めた北条はそのまま体をピタッと張り付けて水上の温もりを感じる。

 北条を優しく包み込む水上はまるで母親のように慈愛に満ち溢れている。

 ひんやりと冷えた冷気が漂う部屋の空気を全身で感じているからだろうか?

 北条は人の温もりとは心に作用するだけでなく、表(体)にも作用するのだと改めて思った。

 一晩眠ったことでリラックスした脳がゆっくりと目覚めていく。


「……好き」


「うん?」


「……好き」


「真奈ちゃん?」


 大きな猫を撫でるように北条の頭を撫でていた水上の手が止まる。

 そのまま、こくん、こくん、となる北条の体を揺らす。


「ち、ちょっと!?」


「…………」


「お、起きてよ真奈ちゃん! 二度寝したら遅刻しちゃうから」


 好きと言えば二度寝が許される世界などどこにも存在しない。

 そんな生活があればどれ程幸せだろうか。

 夢の世界を求めて再び夢の世界に飛び立とうとする北条が強引に起こされる。

 昨日までなら緊張や考えごとでどこか不安になり寝ている所ではなかった。

 だけど今朝は違う。

 状況が一変したことで北条は安心感から来る睡魔に早くも負けようとしていた。

 北条の中に居候する織神はまだ気持ち良さそうに寝ていて起きる気配はない。

 それを知っているからだろう。

 北条にとっては織神の存在自体も誘惑してくる睡魔の正体とも言えるわけで『姫もまだ寝てるから私ももう少しだけ』と言う気持ちがあった。


「真奈ちゃん!?」


 母親のような存在にその手の言い訳が通用するわけなく。

 パチンっ。

 何かが切り替わる。

 織神の存在を知っていなくても、学校に遅刻はいけないと危機感を覚える水上。

 まず急いで枕元にあるスマートフォンで今の時刻を確認。


「ここからだと……まだ時間があるけど、この子がこれだと遅刻しちゃうかも……」


 完全に母親目線になった水上がゆっくりと息を吸う。


「起きなさい、真奈!」


 瞬間大きな声が部屋中に響き渡る。

 すると外の電線で休憩していた雀の群れが慌てて飛び立った。

 驚いたのは小雀だけじゃなく、理由を付けてはそれを正当化して二度寝寸前だった北条と朝は出番ないしゆっくりでいいやと思い寝ていた織神を瞬く間に目覚めさせることになった。

 さっきまで重たかった瞼が急に軽くなって開かれる。


「いい加減起きないと私怒るよ?」


 しっかり者の声に思わず息を呑み込む二人――北条と織神。


「ご、ごめんなさい」


『す、すみません』


「『お、起きます』」


 素直に謝る二人を見て満足したのか水上の顔が柔らかくなる。


「なら朝ごはん作るからちゃんと着替えて身支度終わらせてね」


「うん。ありがとう」


「どういたしまして」


 そう言って部屋を出ていく水上の背中を静かに見送る。


『こ、こわっ……』


「あーちゃんは真面目さんだから……」


『思わず謝ってしまった……』


 その後二人に会話はなかった。

 余計な口を動かして、水上が戻って来た時に何も終わっていないとかになったら次があると危機感を覚えたからだ。

 そこからの北条はキビキビと動く。

 この瞬間においては家の主は北条であって違う。

 つまり従うしかないわけで。

 部屋に母親(水上)が戻ってくるまでに着替え、洗顔、髪と肌の手入れ、鞄の荷物整理などを終わらせた頃、ちょうど水上が朝ごはんを手に持って戻ってくる。


「お待たせ~。ちゃんと用意できた?」


「うん!」


 水上の問いかけに無邪気な笑みを見せつつ元気な声で答える北条。

 すると鏡写しのように水上も無邪気な笑みを見せる。


「ならゆっくり食べてね。私後片付けしてくるから~」


「ありがとう、あーちゃん!」


「どういたしまして。ちゃんとよく噛んで食べるんだよ」


 優しい言葉を言い終わると再びリビングの方に戻っていく水上の背中を静かに見送ると北条は用意された朝ご飯に口を付ける。

 しばらくして朝ご飯を食べ終わった北条は水上の支度が終わるのを静かに待ってから、二人揃って玄関を出て学園へ向かう。


 学園のパワーバランス。

 学園に存在する目に見える力関係は学年の壁を越えて存在し、弱者は強者の保護下に入ることで自分の立場を守ることができる。

 言い方を変えれば、強者は弱者を護る変わりに一種の駒として弱者を扱うことができる。

 自然の流れで物事を考えるならば何かを得ている以上、何かの見返りを求められればそれに従うしかない。

 それを断るなら、必然的に保護は終わりを迎え、多種多様な危険に身を放り投げられても仕方がないこと。

 それを恐れ、多くの者は従うしかなかった。

 下剋上の主犯は悪い笑みを浮かべ、つい先ほどまで成功すると確信していた。

 鮎川派閥の協力を得られなかったのは正直彼としては誤算だった。

 それでも派閥戦を利用すれば百の確率で北条真奈を倒せる自信があった。

 だけど夕刻その自信が揺らぎ始めるのであった。

 場所は学園の校庭。

 その中心地には二人の少女と既に手配されたレグナントの見届け人と多くの観客が集まっていた。


「改めて自己紹介をするわ。私の名前は逢坂佳奈美。個人ランキング二位で派閥には所属していないわ」


 金色の髪を揺らす逢坂は堂々とその場に立ち尽くす。

 そこに不安や恐れは感じられずあるのは勝利に対する自信のみ。

 周りが見るだけで感じられる闘志は彼女がこの日に掛ける思いの強さのよう。

 ピリピリと空気が震える空間でもう一人の少女が逢坂の視線を受け止める。


「なら私も自己紹介するね。私は北条真奈。個人ランキング一位で派閥は北条派閥だよ」


 逢坂に比べると一見弱く見え、強者の覇気のようなものは感じられない。

 低身長で童顔と言うこともあり、やはり外見だけでは強そうには見えない。

 茶色のロングヘアーが風で揺れる度に甘い香りが飛び散る。

 まるで果実の甘い誘惑。

 敵を油断させる罠のように。


「可能性の世界に何度もリンクして可能性の数だけ北条さんと手合わせをしてきた」


 逢坂の言葉はとても真剣で鋭く重い刃のよう。

 言葉だけでも他者を圧倒する何かがそこにはあった。


「そこで負ける度に何度も何度も普段の貴女と戦闘時の貴女を分析して気づいたことがあるわ」


 膨大な失敗から得た事実。

 それは時に――成功に繋がる。

 トーマス・エジソンの言葉にこんな言葉がある。

 失敗は積極的にしていきたい。なぜなら、それは成功と同じくらい貴重だからだ。失敗がなければ、何が最適なのかわからないだろう、と。

 この言葉の意味が示す通り、逢坂は失敗から既に学んでいた。


「貴女は貴女であって貴女じゃないってこと」


 瞬間、最強を演じる北条の心が一瞬揺らぐ。

 それを見逃さなかった逢坂と織神。


「…………逢坂さん」


「私に見せて! 本当の北条真奈を」


 北条と織神しか知らないはずの秘密。

 それに逢坂は自力で辿りついたかもしれない可能性に。

 北条真奈の心が不安を覚えてしまった。


『真奈変わるで』


「わかった」


『後は任せてな』


 と織神が北条を護るようにして表に姿を見せる。

 瞬間、逢坂が作り出していた二人の間に流れる空気が変わる。

 今まで一方通行だった圧(プレッシャー)の一部が逆流を始め、お互いに反発し始めたのだ。目に見えないソレは肌を通して伝染していく。

 瞬間、ある男子生徒は彼女が想像を超える存在だったかもしれないと息を呑み込む。


「第五種魔術を極めれば逢坂さんが言う通りあらゆる可能性を検証することができるのは認める。だけどそれは可能性ってだけで事実じゃないよ。だから私がこうして――」


 静かに息を吸い込む織神。

 そして吐き出す。

 一連の動作に過ぎない――深呼吸。

 だけど――異変は起きる。


 二人の間に流れていた空気が直接肌を刺激する毒になった。

 厳密には北条真奈の体を通じて織神が放った魔力の一部がここにいる全員の肌を刺激しているだけに過ぎない。

 だけどこれだけで目に見えない流れは完全に織神が掴んだと逢坂を含めた大勢が思った。


「――その気になったのをもう一つの私って言うなら、それは正解であって正解じゃないよ」


 真実に近づいた逢坂を否定した織神の言葉は最早次元が違った。


「な、なに……このプレッシャーは……」


「どこの世界の私も見せてくれなかった?」


 ずっと落ち着いていた逢坂の表情が刹那歪んだ。


「さぁ、勝負を始めようか? 金色の書庫」


 瞬間、多くの者が蹴落とされた。

 それは逢坂に最大級の警戒をさせるとともに、数で挑めば勝てると思っていた三年生の心に大きな揺らぎを与えた。


「勝負のカウントダウンをお願いします!」


 力強い言葉を聞いた見届け人が大きな声をあげる。


「それでは個人ランキング一位の北条真奈と個人ランキング二位の逢坂佳奈美の個人ランキング一位を掛けた魔術決闘のカウントダウンを開始します」


 個人ランキング一位を掛けた新入生の戦いが今始まる。

 その事実に多くの者が興味を持ち集まった。

 中にはその座を密かに狙う者たちもいるわけだが、今の二人には関係ない。

 あくまで二人は目の前の勝負にまずは集中する。

 その後のことはその後考えれば良いのだから。

 それに最強は密かに微笑む。

 感情が昂るのは目の前に立つ逢坂が見届け人の言葉を聞いて気持ちを持ち直して、鋭い眼光をこちらに向けてきたから。

 新入生の最強を狩る為に新入生で最強に最も近い者が本気で自分を狩ろうとしている事実に嬉しさを感じた肌は脳を刺激しアドレナリンを分泌させる。

 第五種魔術をここまで極めた者と闘える機会など滅多にないことから織神は既にこの戦いを楽しみ始めていた。


「破壊の女王その名に相応しい貴女の姿に私は憧れ追いかけ続けた。だけど今日ここで私は北条真奈! 貴女を超える存在になる!」


 逢坂が飛ばす殺気に臆することなく織神が答える。


「うん。可能性の私を倒したからこそ出る言葉だよね、それは。だけど可能性の先にいる私はそう簡単に負けないよ!」


「三!」


 カウントダウンが進む。


「二!」


 いつも通り肩幅に足を開いて立つ織神。


「一!」


 両者の距離はおよそ十メートル。

 魔術決闘においてそれは遠いようで近い。

 ましてや実力者同士なら尚更。

 空は晴天で雲一つない。

 太陽が眩しく輝いてこれから始まる二人の戦いを祝っている。

 よって、雨など降るわけもないのだが――。


「零! 魔術決闘開始!」


 見届け人がそう叫ぶと、突如雨雲が出現し大雨が降り始めた。


「これは魔雨(まきゅう)?」


 コンマ数秒で起きた現象に慌てることなく、落ち着いて状況を分析する織神。

 洗練された魔術は努力の結晶。


「まぁ、待ってあげるよ」


 平行世界とリンクした逢坂が動かない。

 それを良しとして動かないのは織神が勝負を舐めているわけではない。

 千人を超える観客たちでもこの真意に気づいたのは百人いないだろう。

 魔術によって降らされたこの雨は北条が良く使う魔力感知と同じような効果をもっていることに。

 相手を待つ間に内に秘めた魔力を放出させ、僅かな揺らぎを感じることでレーダー探知機のような使い方をする織神に油断や隙はない。


「雨の僅かな動きを視認して相手の動きや魔術の動きを捉える……違うか……僅かな音の変化も効果範囲内とかちょっとまずいかもしれない」


 試しに手を動かしてみた。

 そこで織神は既に気づいた。

 そして北条の心配をして魔術決闘を観戦しに来た鮎川も。


「流石今年の次席ってところか」


「鮎川?」


 隣にいる田中に説明をする鮎川。


「この雨は相手の視界を遮るために本来は使われる。だけどアイツは雨の音で恐らく目に見えないアイツの魔力弾を対処するつもりよ。その証拠にアイツが少し動いただけで目を閉じていながら身体がそれに反応していた」


「つまりこの雨自体が真奈ちゃんの魔力感知と同じ役目を果たしているってこと?」


「性質的な話しをするならそうなる」


 慣れと言えばそれで終わる。

 だけど口で言うよりそれを実行するのは数百倍難しい。

 逢坂家の令嬢がどれ程の努力をしてきたかなど本人にしかわからない。

 だけど鮎川は知っている。

 本当に強い魔術師は死ぬほど努力してそれらを手に入れていることを。

 それは努力が足りない者には決してわからない苦労であり、果実であることを。

 大木を見て地面の中に生える根を見ていないのと同じであることを。

 だから震えた。


「この魔術決闘は新入生にとって凄い物になる。二人の魔術師が死ぬほど努力して得た力と力をぶつけ合う、そんな白熱の試合になる予感がするわ」


 それを聞いた田中は言葉を失った。

 もうなんて表現していいかわからない、それが田中の心の中。

 あの日北条と出会い、自分はまだ努力が足りないと知った。

 いつも氷山の一角にいるのは天才だと思っていた。

 だけど努力せずに氷山の一角に立てる者などほんの一握りだろう。

 そこに努力し立つことが許された二人の魔術決闘に鮎川と田中の意識は吸い込まれた。


 織神は立ったまま動かない。

 相手の様子を静かに観察することに徹する。


「リンク終わったみたいだね。さて、お手並み拝見とさせてもらおうか」


 逢坂が動く。


「……正面から?」


 …………僅かな魔力の揺らぎが教えてくれる。

 なにか”ある”と。


「ごめんなさい。私考えたの。毒には毒、なら最強を倒すには最強の力がいいって」


 その言葉に、織神は嫌な予感を覚えた。

 この瞬間、逢坂の実力が学園で初めて解放される。

 そう予感した時、織神の脳が今から起こるであろうことを理解した。

 たった今から奇跡が起こり、第五種魔術の脅威をみることになる、と――。


「金色の書庫。誰が初めに言ったか知らないけど、その名を付けた魔術師はいい目を持っていたんだね。さぁ――掛かっておいで」


 雨が降る校庭に、巨大な力が顕現する。

 周囲の声が織神の声にかき消される。

 そして、空気がうねりを上げる。

 一瞬にして場を支配する圧がそこには存在した。

 例えるなら最強が持つプレッシャーと言ったところだろうか。

 二人の準備が整った所で、本当の幕が開いた。

 雨のカーテンの中、胸を張って歩く逢坂。

 織神は知っている。

 これは強者の歩みであり、警戒に値することを。

 そして油断すれば一瞬で勝負が付いてしまう可能性を。


「――魔力弾装填、発射」


 一秒にも満たない時間で、言葉によって生成された魔力弾は三発。

 それは鋭い槍のように雨のカーテンを突き破りながら一直線に進む。

 そこに迷いはない。

 ただ、目の前の敵を撃ち抜くことをだけを目的とした魔力弾は逢坂の心臓と脳を目掛けて突き進む。

 魔術決闘で魔術師が死ぬ事は時折あるのだが、大抵の場合は事故が多く故意的な物は殆ど存在しない。それでも――死ぬ確率は零ではない。事実去年は二人の帰らぬ魔術師が桜花学園からも出ている。見届け人が止めるより早く、接戦故の事故はどうしても起きる。

 だが――今回は最初から殺すつもりで魔術を突きつける織神。

 相手の力量を早くも理解した彼女には三発の銃弾の未来が見えていた。


「殺意なき銃弾。だけど喰らえば一撃死。実に貴女らしい」


 魔力弾を目で追うのではなく、雨粒の僅かな変化で軌道、速度、威力、などを確認した逢坂は足を進める。

 脅しは本気でするからこそ意味がある。

 生半可な脅しは返って逆効果になることだってある。

 どちらにも捉えられる殺意を持たないのか隠したのかわからない魔力弾は空気を切り裂く。


「だけど……毒には毒、それが最良の答え」


 次の瞬間。

 織神の手に尋常じゃない汗が湧き出てきた。

 驚いてしまった。

 可能性の問題を追及するならなにも可笑しくはない出来事ではある。

 だけど織神の想像を超えた現象に驚かないことなど不可能だった。

 雨音とは別に聞こえる音は魔力弾が放つ空気と雨粒を切り裂く音のはず。

 そのはずだった。

 事実ソレが主な音であり、逢坂が歩く足音などは副音に過ぎない。

 沢山の人が溢れた校庭ではあったが、もう織神の視界には魔術決闘に不必要な物は一切映らない。

 集中しなければ魔力弾によって自身の身を滅ぼすと悟ったから。

 織神が放った三発の魔力弾は逢坂が生成し射出した同じ魔力弾によって撃ち落とされた。


「まさか私を還元対象にしたの!?」


 さらに第五種魔術を深い意味で理解した彼女に対して織神は。


「やっぱり結果から見るに干渉も逆干渉もできたんだね」


 と、再度称賛する。


「魔力弾。それが貴女の力。一時的にだけど還元して気づいたことがある」


「なに?」


「私が感知した限りだけど貴女の魔力量は平凡より少し劣る。なのに略式詠唱によるこれを連発できるってことは、やはり洗練されているとしか言いようがないわ。まさに無駄がない魔力還元による魔術行使。まさに理想的とも言えるわね」


「それしか私には取り柄がないからね」


「たった三発還元しただけでこれだもん。だ・か・ら・ね――今度は私の番」


 逢坂の足が止まった。

 両手を大きく広げる姿はまるで羽を広げた天使のように大きく見える。

 警戒した織神は後方に大きくジャンプして距離を取る。

 が、着地と同時に死の宣告を受けることになる。


「還元術式発動――誓いの元射抜く弾は一筋の希望となり世界の架け橋となる」


「うそっ!? それ私の魔術語だよ!?」


 第五種魔術とは可能性の世界に干渉しそこで得た力や知識を一時的に自分の力として還元できる。だけど無限になんでもできるわけではない。自身の理解が及ぶ範囲かつ魔術に対する知識、魔力量、技量、形質、などの能力内でしか再現することができない。逆を言えば種を超えた魔術の完全再現はAランク魔術師でも苦労する。なのに、今織神の眼の前で起きようとしている光景はソレと同等の物のだった。


「――弾丸は魔力を糧とし生成され、魔力銃に装填される」


 完全詠唱。

 それも早い。


「一日二十回でも練習すれば半年で三千回を超える。それをひたすら続けたら私でもここまでは還元再現できるようになったの」


 練習による成果と言わんばかりに織神に突きつけられた五個の魔力銃。

 もし弾丸の威力や速度、そして精度まで同じとするなら――。


「魔力回路接続開始! 刻印発動! 封印第一層、限定解除。続いて第二層……」


 織神の足が地面に触れると、そこに刻印を刻んだ魔術の陣(魔術陣)が出現する。

 赤紫色に光輝く魔術陣はその存在を力強く見せつける。

 風が吹き始めた。

 まるで集中を始めた織神を邪魔するように妨害を始める。

 だけど集中した織神は思考に全ての意識を集中させ、敵の用意が終わるより早く迎撃態勢を素早く組み上げていく。

 そもそも刻印とは魔術師や魔法師が日常的に無意識にかけている制御装置のような物である。常日頃から百パーセントの力を出していてはすぐにガス欠になる。なのでそれをしないようにする為の、一種の制御装置のようなもの。車で例えるなら燃費をあげるために、ハイブリッドシステムを導入したり、アイドリング機能を導入したり、エアコンの出力を調整したり、と言ったところだろうか。当然パワーを出せば燃費が悪くなる。同じく魔術においてもパワーを出せば魔力燃費は悪くなるのは当然のわけで、織神もとい北条のように魔力量が少ない魔術師の一部は普段から低燃費を実現するために、日頃からパワーに制限を掛けているというわけだ。そのパワーを制限しているのが刻印。別名制御刻印術式とも呼ばれるどの種にも該当しない無種属性封印魔術の一つであり、使おうと思えばその手の知識があれば比較的に誰でも扱うことができる。


「間に合うといいのだけれど。装填完了――射程、環境認識、対象の視認、全て完了。対象の魔力反応認識――完了――」


 Aランク魔術師を早くも追い詰めるBランク魔術師。

 その光景は偶然の産物などではない。

 正体を隠していたもう一人が既にAランク魔術師の試験を合格できるにも関わらずBランク魔術師として存在していたからだ。

 年月を積み重ねた魔術は奇跡を起こす。


「三層術式展開――相対する敵を滅ぼすために枷を外す魔術刻印となって顕現せよ」


 完全なるまでの織神のコピーである。

 完全詠唱であり迅速かつ丁寧に構築されたソレは既に油断できない。

 なぜなら五個の魔力銃の前に出現した赤色の三層魔術陣は先日織神が使った目視が不可能に近い魔力弾へ通常魔力弾を昇格させるための物であり、発動を許してしまえば後はどうなるか等語るまでもない。

 それに対し織神は大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。

 唸りをあげる魔力。

 体内を高速循環する魔力。


「……限定解除。出力大幅な増加確認。魔力弾――装填――」


「「――発射」」


 略式ルートと完全詠唱ルート異なるルートでありながら、同時に完成された同じ魔術は二人の声が重なったことで同時に火を噴くこととなった。

 逢坂が連続で放った魔力弾が一斉に織神を襲うが……。


「ごめんね、今回は弱者が去年の最強を超えることを証明しないといけないから」


 ボソッと織神が呟いた。

 瞬間――雨が降り始める。

 雨粒とは別の雨が――。

 久しぶりに感じる底なしの感覚に織神が微笑む。

 凄い勢いで上昇する体温。

 魔力だけではない。

 血が高速循環と共に沸騰して、闘いを求める。

 本能が疼く。

 理性が喜ぶ。

 そして織神は言う。


「私をここから一歩でも動かせたらその時点で逢坂さんの勝ちでいいよ」


 ここまで本気にさせてくれたお礼に織神は逢坂に勝機の芽を与えた。

 だけどこれは逢坂に対する最大の敬意でもあった。


「つまり――来るのね、本当の貴女が!」


 逢坂もその言葉の意味を正しく理解した。

 本来は移動砲台でもある織神が敢えてアドバンテージを捨てて、設置砲台になった。

 それはそうした方がここから先織神にとって良くなり、逢坂にとって悪くなるからだ。


 ドドドドドドドドドドッ!!


 突如降り始めた雨は校庭に立つ二人の少女を避けるようにして、地面を削るため、先導者の雨粒を追い抜いて行く。

 魔力弾の雨は三秒程で終わりを迎えるが、音速を超えた魔力弾が齎(もたら)した三秒の雨は逢坂が完璧に作りあげた魔術を全て粉砕し地面に着弾する形で役目を終えた。


「毒には毒、だけれどこれだけじゃやっぱり足りないか」


 織神と同じようにして、追い込まれて微笑む逢坂。

 ここで止めを刺しに行かなかったのは既に両者がお互いにまだ奥の手を隠していることをどこか確信していたから。


「ホンマ……本当の力見せてよ。私の魔力弾をここまで再現するには第一種魔術や第五種魔術それもAランク魔術じゃないと不可能。つまりそういうことだよね、金色の書庫さん?」


「やっぱり気づいたのね。道理で落ち着いているわけ」


「流石にこれには私も焦ったよ?」


「よく言うわ。私は今の還元で半分以上魔力を失った。それも貴女の三分の一にも満たない魔力弾数で。この弾丸の雨は想定していたけど、やっぱり何度見てもえぐいわね」


「そう?」


「えぇ。それに対処はできる。だけどそれには同じく魔力をかなり消耗することになる」


「だろうね。私その手の防御持っているから」


「だからワザと外したの? 私に魔力が残るように」


「そうだよ。こうして手合わせしてわかった。本当は求めていたんだね」


「なにを?」


「憧れて、尊敬できて、本気を出しても勝てない相手。そんでもって常に一歩先を歩く魔術師を。魔術を通して私に伝わってきたよ、逢坂さんのとても強い思いがね。だからさ、本能をむき出しにして私に挑んできてよ」


 最強から言い渡された挑戦状に逢坂が声を出して笑う。


「あはは~いい、いい、最高にいいわ!」


 お上品な姿がどことなくあった逢坂。

 だけどそれは仮の姿で本来の姿ではない。

 今までベールに包まれていた魔術師としての才覚が表に目覚める。

 これ以上の加減は敗北に繋がると、本能が叫び、そして理性が理解した逢坂に選択肢はなかった。ずっと憧れていた魔術師からの挑戦状に心の底から喜ぶ。

 そして、この状況下でも堂々としている織神に心の底から感謝する。

 今まで相手が潰れて死んでしまうかもしれないと内心思っていただけに誰にも向けることができなかった力をぶつける許可をしてくれたことに。


 故に――令嬢逢坂佳奈美は逢坂家に伝わる秘術――魔眼『遷延』を発動させた。


 赤い眼光が織神へと向けられる。

 視界が捉えた者の『可能性を視る』ことができる眼は第五種魔術を幾重にも強化する。

 言い換えるなら第二種魔術『過去と未来の時間に干渉』に酷似しているわけで、使う少女が生れ持った天才だけに、抗う者たちの心をへし折っていく物だった。


「魔眼……それも遷延(せんえん)……なんて言う才覚。私とはとても比較にならないぐらいの……」


 魔法師となった織神を超える才能。

 これが魔術師の世界。

 平等など何処にも存在しない、残酷無慈悲な現実。

 だけど絶望するには早すぎた。


「魔術の神秘。それは使用者の力量で効果が大きく変わるのは知っていると思うわ」


「うん」


「私は中学時代この眼を手に入れた。これは逢坂家の血に眠る一種の刻印みたいな物で継承されるのだけれど、姉はこれを未だに開花させてないの」


「…………」


「大体歴史を振り返れば二十年前後で目覚めるのだけれど、私の場合はとても早かった。そのせいで姉妹の絆は完全に失われたし、両親を困らせることになったわ。このまま私が成長して、もしこの力を暴走でもさせたら誰が止められるのかってね」


 現実が織神の心を折りにくる。

 勝機は既になく闘いに意味などなく既に無意味だと、そう告げられたような気分にさせられる。

 全て錯覚だとわかっていても、逢坂が放つ言葉は相手の戦意を喪失させるだけの力を持っていた。


「一歩も動かないと仮定した場合の未来は極めて少ない。それでも一歩でも動かしたら私の勝ちでいいのかしら?」


 それは最後の確認をするような声で質問された。

 それは失望されたような声でもあった。

 既に逢坂にはこの魔術決闘の未来が視えたのかもしれない。

 そう感じる織神は一瞬答えに困った。

 魔法師。

 そんな大層な名で呼ばれたのは何百年前のことだろうか。

 もしかしたら何千年前……なんてこともあるのだろうか。

 魂で現世を漂い魔力の根源から無限の魔力を供給し、生命力に変換にすることで生き長らえてきた彼女は素直に感心した。

 まさか目の前に数千年に一人としているかいないかの本物の天才魔術師がいるとは思いにもよらなかったからだ。

 血管のように肉体に張り巡らされた魔力回路。

 そこに意識を向けると、反旗を翻すように静かに時が来るのを待っている。

 魔法師と魔術師の間には天と地ほどの差がある。

 その差を埋めるために敢えて制限を掛け魔術師レベルまで全ての能力値を落とし、肉体も平均以下の物を今は使っている。

 だからこそ気づいたことがある。


「いいよ。人間って凄いよね。好きになった人のためなら、信じられない力を発揮できる気になって本当にソレをしちゃうんだから。魔術の神秘よりよっぽどこっちの方が神秘的だよね」


「そうかもしれない」


 その言葉が逢坂からの別れの言葉となった。

 

 そして、合図にもなった。

 北条真奈との約束を果たすため。

 もっと単純で。

 ただ好きな人のために。

 織神が砲身を向ける。

 音速を超えた魔力弾が――。


「魔力弾――装填――発射」


 次々と逢坂を狙い放たれる。

 放たれた魔力弾は回転し雷撃を纏い、今までの威力とは比べ物にならない。


「幾ら速くても(予め)視えてしまえば怖くない」


 逢坂は走る。

 魔力弾が飛んでくる場所を避けるようにして、織神の思考の一歩先を行く。

 そのまま速度を上げる足に迷いはなく、憂いや躊躇いと言った負の感情、すなわち恐れなどなかった。

 雨でぬかるんだ地面に魔力弾が衝突し、整備されていた校庭は既に泥道となり、今も降り注ぐ雨がさらにぬかるんだ地面を作り出す。

 それでも足腰に力を入れて、踏ん張って走ってくる。

 そんな逢坂が簡単には近づけないように連射の速度もあげて対応する織神。

 だけど幾ら速度を上げても逢坂には当たらない。


「既に可能性の未来を視ているみたい。なんて凄いことを。でも私が最強! ペテン勝負も魔術勝負も勝つのは私!」


 ここに来て気合いの言葉を放つ織神。

 昂る感情に思いを乗せるようにして放つ。


「単調な攻撃じゃ距離が詰められるなら……雨の鎮静(レインレクイエム)」


 その言葉に逢坂の足が止まり、天からの恵みの雨粒、そのもっと上にある雨雲へと意識が向けられる。

 次の瞬間、魔力弾の雨が全てを破壊する。

 そこに迷いはなく、手加減はあってないようなものだった。

 未来が視えても避ける隙間がない。

 であれば、なにもせず滅びるか、抗い滅びるか、あるいは別の手段を用いるか。

 幾戦、幾万の戦場を疑似体験した少女は選ぶ。

 ここで自分の限界を超え勝つための道、を。


「――破壊の王にして破壊の権化、主の危機迫りし時、時空の時を超え、遥三千年の誓いの元に顕現しなさい、破壊の化身――雷龍(ライトニングドラゴン)!」


 地中から轟音と共に雷が出現する。

 意志を持った雷のムチは降り注ぐ雨から逢坂を護るようにして形を形成していき、龍の姿へと形を変えていく。

 Aランク魔術で破壊の象徴として多くの魔術師に恐れられる存在が力強い咆哮で織神を威圧する。

 威圧したのは織神だけではない。

 降り注ぐ魔力弾内の魔力を乱し、消滅させていく。

 綺麗な眼差しでありながら鋭い眼光を向ける雷龍。

 人を超えた存在は超常現象を起こす。

 雨雲に力を与え、雷雲へと奇跡を昇格させる。

 不吉な音が聞こえ始める。

 雷雲が放電を始めた音だ。

 空と地上の両方から追い込んでくる逢坂に織神の魔力が遂に時が来たと確信し目覚める。


「私の雷龍まで扱えたんだ、本当に凄いよ、逢坂さん」


 魔力が高速循環を始め、僅かな唸り声をあげる。

 普段なら平凡以下の魔術師が持つ魔力回路が耐えられる代物ではない。

 だけど織神と逢坂の耳にはソレが聞こえている。

 つまり、ソレが現実。

 魔力の生成と同時に加速させることで少量の魔力でありながら、普段の魔力の数倍から数十倍の密度に変換する技量――最早誰が見ても一級品としか言いようがなかった。


「我が勝利のために眼前の敵に天罰を与えよ――連鎖落雷の矢(チェーンサンダーアロー)!」


 雨雲から放たれる三本の落雷は織神を狙う。


「凄いよ、ここまで私の第四種魔術を還元して再現できるなんて」


 湧き上がる白い旋風。

 空気を圧縮して作られた雷が牙を向く。

 どんなに精巧に真似ても偽物(フェイカー)には超えられない壁がある。

 そのための種別分けが確かに存在するのだから。


「――顕現せよ、破壊の化身――雷龍(ライトニングドラゴン)!」


 その言葉にタイミングを見計らったようにして逢坂が叫ぶ。


「全神経集中! 私を護る盾となれ――」


 雷の衣が逢坂を包み込み、織神が今から仕掛けてくるであろう次の一手に備える。


「次の一手。それが貴女の最後になるはず……事実どの未来でもソレで魔力が尽きた……」


 対して織神はその言葉に耳を傾けようとはせず、ただ空が放った眩しい光に誘われるようにして上空に視線を移していた。

 そして、ゆっくりと息を吸い込んで。


「――魔力弾発射」


 更なる省略をして、魔術名を口にした。

 瞬間、多くの者は奇跡を目の辺りにする。

 寸分の狂いもなく、連鎖落雷の矢(チェーンサンダーアロー)がなにかによって撃ち落とされた。

 近くで見ていた逢坂ですら、なにが起きたのかわからない。


「――!?」


 百を超える魔力弾が音速で生成され光速の世界に足を踏み入れた。

 とても単純な話しで、織神からしてみればたったそれだけ。

 同じ領域に到達したものなら、撃ち落とすのはさほど難しくないからだ。


「一体なにが……」


「驚いている暇はないよ?」


 織神が手を上空にあげ、振り下ろす。

 合図を受けた魔力弾はさらに四十の弾を持って、逢坂が顕現させた雷龍の衣を撃ち抜いて行く。

 一発ごとに吹き荒れる衝撃波がその威力を物語る。

 雷龍の攻撃力と防御力はかなり高い。

 だけどすぐに悲鳴をあげる。

 速射と連射を兼ね備えた破壊の女王はその名に恥じぬ力を周囲へ見せつける。

 第四種魔法あるいは魔術。

 その根源を自ら証明するかのように。


「……きゃああああああ!!!」


 同じ魔術を使っても火力勝負では話しにならないと逢坂は認めるしかなかった。

 金色の書庫が扱うにはまだ強すぎる毒だった。

 魔力弾を受けた雷龍は既にボロボロで穴だらけ。

 雷の衣は消滅し、直接ダメージを受けた雷龍も消滅していく。


















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