第35話 前進に伴うものは、犠牲か裏切りか



 フォーサイス伯爵家当主のベッドルームは、その権勢を誇るかのように豪華だ。大きな体躯を包み込む、天蓋つきベッドは頑丈な作り。その上に、マルセロは横たわっていた。


【あなた、怪我の具合は……】


 黒狼の伯爵に付き添うは、その妻でガウルの母、白狼のサリタ。

 

【大、丈夫だ、それより、レーウに……国王に手紙を、ごほっ、ごほ】

【はい、手紙は託しましたわ。安心してくださいませ】


 腕にくい込んだ腕輪はようやくゆるみ、出血も止まった。だが次同じことが起きれば、腕が腐り落ちるだろうことは、容易に想像できる。


【サリタ。ガウルを頼む】


 最終手段として、マルセロの腕を切り落とす用意をしてみたものの――命を落とす可能性の方が高いと言われた。


【分かっておりますわ。それにしてもまさかガウルが、精霊の子とつがいだなんて……】

【くく、驚いたな。ごほ、ごほ。さすが、我が息子っ、ごほ、ごほ】

【ええ! あの子なら、きっと】

【ああ】


 伯爵家当主として、王国宰相の訪問を拒絶できるわけがない。掴んでいたガウルの動向を鑑みるに、地盤を崩しにかかるのはマルセロとて分かりきっていた。

 だが心優しいガウルのことだ。生半可なことでは、家を捨てるなどできないだろう――これは、マルセロなりの背水の陣だった。


【はー。これで、宰相は罷免できる。あとは、ガウルたちに任せよう】


 伯爵家当主に害をなしたやからを、国王とて野放しにはできない。ましてや、フォーサイスの財力はリュコスになくてはならないのだ。


【ええ】


 サリタは、浮かぶ涙を懸命に飲み込んでから、頷いた。




 ◇ ◇ ◇


 


【で、どうすル?】

【まずはソピアへ渡る。様子を見て情報をリュコスへ持って帰る。状況が許せば、留まってダンと共に冒険者ギルドを動かす。さらに可能なら、国王に謁見して俺の友人を探す許可をもらいたい】

【フム】

【エルフはどうする? 何人か手練てだれがついてきているだろう】

【あ、やっぱりバレてタノ?】

【当然だ。さすがに後継を単独で泳がせないだろ】

【フフ。できればソピアを見せたいヨネ】

【そうだな】


 獣人騎士団長と、エルフの次期里長が当然のように仲良く話し合う様を、アクイラは尊敬の面持ちで眺めていた。


【アッキーは、純粋だねぇ】


 クロッツが携行食である干し肉をかじりながらからかうと、新人の黒鷲はしょんぼりとこうべを垂れる。

 

【……もし世界の終わりを阻止できても、団長とリリさんは、退団するんでしょうか】

【さーね。それは生き残ってから考えよー】


 そんな中、ウネグは集団から離れ、木の根元に座り一人目を閉じていた。

 手首の腕輪は、セル・ノアから【仲間の証だ】と付けられたものだったな、とぼんやりと思いだす。

 それが、目の前でマルセロをさいなんでいるのを見て、やはりか、とどこか悟っていた自分に戸惑っていた。


 

 ――兄ちゃん……俺……


 

 ウネグは、兄のことが大好きだった。性格が明るく、騎士であることに誇りを持っていたのもそうだが――狐は、その種族のせいでなかなか信用されない。だが彼は、常にたくさんの仲間に慕われていた。国境警備も、みんなの役に立ちたい、安心して暮らしてもらいたいゆえに名乗りを上げた、と言っていた。


 複雑な文様の入った金細工の腕輪は、どうやっても取ることができない。

 つまり、後戻りはもうできない。

 


 ――決めたよ。




 ◇ ◇ ◇



 

「ん……」


 ジャスパーの回復魔法と薬湯が効いたのか、ようやく頭の割れんばかりだった痛みが収まり、身を起こすことができた杏葉。

 襲ってくる大量の記憶や、残虐な光景が時折フラッシュバックするが、それもまた自身の背負ったものだ、と懸命に心を立て直してみる。


【アズハ、大丈夫か?】


 それでも耐え切れなくなった頃、心配そうにのぞき込んでくれたガウルの首に、思わず杏葉は両腕を回した。ぎゅ、と抱き着きつつ、匂いを思いっきり吸い込む。


【っっ】


 かかっと体温の上がる銀狼の柔らかな毛が、杏葉を癒してくれた。

 頬をすり寄せ、その感触を楽しむ。


「もふもふ……」

【グルル……んん】


 されるがままのガウルは胡坐あぐらをかいて、その上に杏葉を横抱きにした。

 首に抱き着いたまま、大人しくその膝に座る杏葉を見て、周囲にいた皆は――

 

【わー妬けル~】

【ふふ、見ているこちらが恥ずかしいわね】

【だんちょ、鼻の下伸びてるにゃ】

「うわぁ。あじゅのいちゃいちゃすげえ」

「……ぐぬぬ。父親として見るのは、なかなか辛いものがあるなっ」


 視線がいたたまれなくなったガウルが、

【グルごほん、グルル。あー、アズハ。大丈夫か?】

 少し強めに語り掛けて、ようやく杏葉は

「ん……ん!? はわわ!」

 意識を取り戻したらしい。首まで真っ赤に染まった。

「ふえええ! すみませんガウルさん!」


 その言葉に、全員が杏葉であることに安心する。


【いいんだ。辛かっただろう。相当うなされていた】

「はい……あ、ランさん、フィールドお願いします」

【ん!? 起きたばかりで大丈夫ナノ!?】

「はい。話したいことがあるんです」

【ワカッタ……でも無理と思ったら止めるカラネ】

「はい!」


 きゅ、と目をつぶった杏葉に呼応するかのように、きらめく光があちこちで生まれる。

 きっとまた精霊たちが集まってきたのだろう、と悟ったダンとジャスパーが、なるべく側に寄る。


「みなさん。私は、前魔王の記憶を引き継ぎました」

「!」

「むごいです。こわいです。残酷です。……辛いです。とても、お話できるほど、その……心が耐えられないです。落ち着くまで、待ってもらえませんか」


 全員が頷く中、苦言を呈するのはクロッツだ。


「でも、必要なことは話してもらわないといけないよ」

「クロッツさん。はい、その時は頑張ります。だから、誓わせてください」


 杏葉は、ガウルの膝から降りて、ブランケットの上で正座をした。


「私は、絶対に嘘をつきません――前の世界は、ある『嘘』によって滅んだからです」


 途端に

「どういうことだ」

「あじゅ?」

 と色めき立つ面々を抑えたのは、

「待て! 落ち着け」

 ダンだ。


「きっとその時になったら、分かる。そんな気がする。今は目先のことをひとつずつやっていこう」

「ダンさん。はい、その通りです」

「アズハ。俺も誓おう。必ずアズハを信じると」


 ガウルが、横から杏葉の手を取った。

 ぎゅ、と握られたその手を見つめて、杏葉は微笑む。

 

「はい。私も信じます。何があっても」


 自然と皆がその手の上に自分の手を重ね始めた。

 ――ウネグだけが、それを遠くから見ていた。


 


 ◇ ◇ ◇




 フォーサイス伯爵家の裏庭は、庭、と言うには広大すぎる。

 伯爵邸の裏門には、はたして鍵がかけられていなかった――恐らくオウィスの手引きだろう、と全員下馬し、外柵に手綱をかけてからざくざくと入っていく。

 手入れが行き届かず、ぼうぼうと生えるにまかせた草むらは、非常に歩きづらい。

 ガウルが言うには、この先に巨大な鉄柵と門扉で囲まれた場所があり、その鍵をリリが執事から預かっているのだと言う。


 ドレス姿のブランカは、当然入ることはできないと思ったのだが

「こんなこともあろうかと」

 といきなりドレスを脱ぎだして、獣人全員が慌てて目を手で覆って、杏葉はそれを見て笑った。

「ふふふ!」

「相変わらずの、お転婆だな」


 ガウルがあきれるのも無理はない。ドレスの下にきっちりとビスチェとトラウザ、ロングブーツを着込んでいたのだから。


「どーりでなんか、手渡されたと」


 苦笑するクロッツが恭しく差し出す鞄からは、ブラウスとベストが出てきた。

 ブランカは当然のごとく、鮮やかにビスチェの上から着る。

 

「さ、これで問題ないわね」

「うわー、めちゃくちゃかっこいいです、ブランカさん!」

「あら。嬉しいわ」

 

 こげ茶のトラウザとロングブーツに白いフリルブラウス、黒いベストを着こなすブランカにキラキラとした視線を向ける杏葉。

 男勝りでエメラルドグリーンの瞳を輝かせる、白い狼は銀狼と並ぶととてもお似合いだ。

 嫉妬と憧れが混ざった複雑な心境になって、杏葉が思わず胸のあたりの服を握りしめると

「心配いらないわよ。ガウルにはさっき刷り込まれたあなたの匂いがいっぱい付いてる。獣人なら誰も近寄れないわ!」

 ブランカはそれを見透かして笑う。

「はわわ!」

 とても敵わないな、と杏葉が動揺するとガウルが

「は~。この勝気さ。相変わらず恐ろしい」

 とこれみよがしに大きな溜息をつき、

「ちょっと!?」

 ブランカが半ギレして、皆がどっと笑った。

 

 

 ――そんなこんなで、たどり着いた門扉の前で

「準備はいいにゃね?」

 リリが皆を振り返ると、全員がそれぞれ頷いた。


「んじゃ、開けるにゃよ……ん!?」

 鍵穴に鍵を差し込もうとしたリリの、動きが止まった。

 ぴん! と立ち上がった耳としっぽがぴくぴくと動く。

「下がれリリ!」


 ぐるるる、とガウルが威嚇のための喉を鳴らし、抜剣する。

 すかさずダンが杏葉を背に庇いながらナイフを抜き、ジャスパーが懐から杖を取り出す。


「……なにかいるにゃ」

 

 柵の向こうから、がさがさと音を立てて、何かが近づいてきていた。

 

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