第33話

オレはそのまま寝ないで朝を迎えた。一瞬自分の体に戻ったサブリナが呟いた、ネガティブな言葉。


『私のところ


どうしてこんな言葉が零れ落ちたのか。いつもの陽気なサブリナではありえない言葉だった。

オレはいま「どっち」なのかわからないまま、簡単な朝食の準備を始めた。知らない部屋なんだ。ほとんど推理のように手探り状態だ。

例えば「コ―ヒ―メ―カ―」があるということは、高確率でコ―ヒ―豆があるだろう。オレはまず冷凍庫を見た。

理由は簡単、我が家ではコ―ヒ―豆を冷凍保存しているからだ。

理由まではわからない、考えられることは挽いた豆が酸化しないようにだろうが、冷凍保存することで酸化しないかはわからない。

冷凍庫にはない、オレは諦め第二候補の棚を探すと呆気なく見つかった。


陶器に入れられたコ―ヒ―豆をコ―ヒ―メ―カ―にセットしたペ―パ―フィルタ―に2杯。水は冷蔵庫にあるミネラルウォ―タ―を使った。スイッチをオンにし、リビングに戻る。

昨日注文したピザの残骸を手早く片付ける。

テ―ブルにしゃがむとひざにピリッとした痛みが走った。

擦り傷ほど痛い。窓を開け、換気扇を回す。冷蔵庫に張られた紙から、今日はごみの日ではないと知る。

この体でごみ捨ては勘弁だ。

部屋にあるシンプルな時計を見る。

いつもならもう起きないと部活に間に合わない時間だ。

そう考えると今なかにいるのはとばりではなく、サブリナかも知れない。とばりは準備に時間は掛かるが、寝起きはまあまあいい方だ。


「――起きてたの?」

伸びをしながら『ふぁ~あ』とあくびを漏らす。予想に反してとばりのようだ。

オレは決めていた。もし、とばりなら昨日のことは話さないで置こうと『一瞬戻れた』という淡い期待は持たない方がいい。

いや、キスされたことを隠したいワケでは断じてない。

若干心になんかわだかまりみたいなんがあるが、ここは見ない振りだ。

すべてを分かり合えることなんてないのだ。


「いい匂い。コ―ヒ―れてくれたんだ」

オレはそうでもないがとばりはコ―ヒ―が好きだ。朝飲まないと1日が始まらないとさえいう。

この反応からも間違いなく「中の人」はとばりだ。

オレはコ―ヒ―の準備にキッチンに向かおうとするが、トバリナに呼び止められた。

昇平しょうへい。ちょい、座ってみ?」

先程パジャマの第一ボタンを閉じることをしくじったせいで、サブリナ本体の谷間が露わ。

目のやり場に困る。

オレは「ぽんぽん」と自分の隣を叩くトバリナの指定した場所に座った。座ると同時にゴロンとオレのひざに頭を転がす。


「ね…とばり。どうしたの?」

甘えた顔で見上げる。

こういう顔はあまり見ない、もしかしたら「中の人」はサブリナなのか?

自信の持てないままあたふたしてると、少し拗ねた顔でぼそりと漏らす。

「だあって。家じゃ監視が厳しいんだもん! 別によくない? 姉弟きょうだいが膝枕からのチュ―のひとつやふたつ、たくホントお母さんは!」

オレは曖昧な顔で作り笑いした「チュ―」のこと知ってんのか、気が気じゃない。

気が気じゃないが姉弟きょうだいで「チュ―」のひとつやふたつは明らかにまずいだろ。

それは血縁関係のあるなしは関係ない。

「そりゃだめだろ、家族のいるリビングじゃあ、人として」

「まぁ、セイロンなんだけど。じゃあ、逆説的に今いいんじゃない?」

どう逆説なんだ? ここまで話すと「サブリナかも?」はない。

正真正銘、とばりでありトバリナだ。


「体、サブリナだけど?」

「そうよ! そこが問題! もう、あの娘なにやってんだか」

いや、入れ替わりはサブリナのせいじゃないから。っていうか、とばりになったサブリナはどうしてんだろ?

先に寝ちゃったから何も言わずにきのうは来たけど……

「ねぇ、昇平しょうへい。今日休校なんだってね」

きのうの事故の件で学校は急きょ休みになっていた。

「そうみたいだな」

深くは触れない。逆恨みライダ―が他界したらしい。

暗くなりかけた空気を入れ替えるように、トバリナは明るめの声で話す。


「そうそう、この娘けっこうめんどくさいヤツでさ。さっきから無性に朝シャンしたがんの。そういう、なんていうの? 習慣みたいなのは体が覚えてるみたい。朝からこの髪ブロ―するとか、マジ勘弁なんだけど」

「そりゃ、大変だ」

「そうよ、もう…ところであの娘。うまくやってるのかしら。

正直「大丈夫だろ?」とは言えない。

なにせあのサブリナだ。普通に「お父さま、お母さま」とか言ってそうだ。

それにしても、長年一緒にいると血縁関係なしにして、考えることは同じなんだなぁ。

「そんなワケで私は朝シャンしてくる。この髪だし、そこそこ時間かかるよ? あと、この体だから覗きは厳禁。いい? マジ切れするからね? あんたはお姉さまの体の時だけ覗けばいいの」

あの、それ普段覗いてること前提にしてません?

いや、確かに昨日はトラブルで、とばりになったサブリナ――サブリと一緒にお風呂しましたが…これは秘密だ。

そんなことを考えてると、トバリナはオレの顔を見ながらある提案をする。


「ケ―タイ。してあげなよ」

「え?」

「だって、黙って来たんでしょ? お父さんが居るとはいえ、心細いよ。ね? わかった?」

オレはトバリナがシャワ―する間に連絡してみることにした。

それでも入れ替わってるとはいえ、とばりの口から女子に「連絡をするように」という言葉は意外だ。

いや、考えてみたら頼む前から、油断したら迷子になるサブリナのお世話をしてくれたりと、サブリナに対しては少し心が広い。

本人が言うには「海外からの転校生で、地理も文化も不安だろうから」だったが。元々気になっていたし、後押しもあるのでオレは朝日が広がるベランダからサブリナに電話することにした。

サブリナに電話するのだが、とばりのケ―タイに掛けないと。この辺りになれる日がくるのだろうか。


サブリナは三回目のコ―ルが鳴りきる前に電話に出た。

「――サブリナ? オレ」

『あぁ……えっと……ですね』

聞きなれたとばりの声で、しどろもどろな対応をする。

「ごめん、――だった」

『そっ、そうです! 私はその…昇平しょうへいさん――昇平しょうへいのお姉さま…じゃない、お姉さんですが!』

サブリナは電話越しでもわかるくらい、とばりであろうと頑張っていた。それがおかしくもあるし、うれしくもあった。サブリナはやっぱりサブリナで、誠実でいようとすることに一生懸命な女の子なんだ。


「父さんと母さんは?」

『お父さまは…お父さんは今日お休みですね。リビングにいますよ、お母さま――お母さんは朝の準備してます。お父さんに部屋にいていいって言われました『とばりは休みは起きないから』って。だからお布団の中です、へへっ』

サブリナはとばりの声で照れ臭そうに笑った。

その笑い方がとてもサブリナだった。

人を安心させる、月並みだが太陽のような笑いかた、太陽なのか月なのか。

オレは自分のちぐはぐな思考回路がおかしかった。

思わず笑ってしまったオレの声も、あるいはとばりになったサブリナに安心感を与えるのだろうか。

そんな朝のひと時の妄想を一休みさせるような、質問をオレに投げ込んだ。


『あの、私。キスしましたか?』


映画の決め台詞のような、印象に残る声で、言葉で。

いつもならどうしてたろう?

おどけて誤魔化してたろうか。

でも誤魔化すことに意味がないように思えたから、オレは普通に返事した。

「うん。したよ」

『そうですか、えっと。謝った方がいいですか? その嫌でしたか?』

「んん…謝って欲しくないかな、たぶん。あと、びっくりした」

『私もです』

「サブリナ…そのも?」

『はい、寝ぼけてたのもあるんですが、大胆だったなぁって。知ってますか?』

「何を?」

『その、すべての外国人が気軽にキスとかしませんよ? 私の国も日本とそんなにです。家族にハグはしますけど…なので、ファ―ストキスでした、なので……へへっです』

オレもだよと、答えお互いに照れながら少しの間雑談をした。





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