第29話 会いたくてしかたない。

「私、ドキドキしてます」

そんな宣言を姉とばりの体と声で言われるとオレの方がドキドキする。

なにせオレたちは血縁のない姉弟。

しかも生まれながらのひとみぼれ。

しかし、いま長年恋焦がれたとばりの体の中にはとばりが不在だ。


代わりという言い方は失礼かもだけど、サブリナがいた。

オレはその中の人がサブリナのとばりと湯船で背中合わせで座っていた。

「目、つぶっててください」


そう言ってとばりの中のサブリナ――サブリはお湯を揺らして立ち上った。

オレは言いつけ通り、目を閉じていたけど気配や音からシャワ―ヘッドに手を掛けていることが分かった。

少しシャワ―の温度を調整する時間が過ぎた。

シャワ―の音が激しい雨の音のように浴室に響く。


「頭洗いますよ?」

とばりの声でサブリナは言う。

不思議なことに声がとばりなのだが、まるでとばり感がない。

本物のとばりが、こんなのんびりした口調で話すのは寝起きと、眠りに落ちる寸前くらいだ。

とばりになったサブリナ――サブリは恐る恐るオレの髪にシャワ―のお湯を掛けた。


それはもう、おっかなびっくりな感じだ。

これが本物だったら、下手したら手桶で「ざぶん」とぶっかけた後「なに? なんか文句あんの?」とでも言うだろうか?

そしてその後、お約束のようにシャンプ―ではなく、ボディ―ソ―プで洗っていたに違いない。


それに引き換え、サブリナときたらその指使いは丁寧だし、優しい。

あまりに真剣なので「前」のふくらみが、背中や肩に触れてる事にも気付いてないようだ。

いつもなら、大袈裟に驚いておどけて、けむに巻くオレだけど今日に限ってはそうしない。


髪を洗ってくれながらサブリナはオレに語った言葉。

昇平しょうへいさんは私のヒ―ロ―です」

そんな大袈裟なもんか?

そう返そうとしたけどサブリナはオレの背中を抱いて「マイ・ヒ―ロ―なんですから」愛おしそうに頭に頬ずりされたら、もう何も言えない。


「あのさ」

「はい」

「前、タオルで隠して。オレもサブリナの……とばりだけど。髪洗わせて」

「でも、ケガしてますから……」

「うん。だけど、実感したいんだ。ふたりを守れたって」


「わかりました、じゃあお言葉に甘えますね?」

オレはとばりの細く白い肩を見ながら髪を洗った。

とばりの髪に触れながら、サブリナの心に触れた、そんな実感が欲しかった。

オレたちは湯船を泡だらけにしながら、今日一日の汚れを洗い流した。


オレたちは湯気に包まれながらリビングに入った。

オレととばり(サブリナ)はふたりして母さんに抱き寄せられた。

下手したら、このリビングに家族全員揃うことがなかったかも知れない。

そう思うと今更ながら恐怖に身が縮む。

母さんから明日休校になったことを聞いた。

くわしいことは言わないが、オレは保健室の先生の電話を立ち聞きしていたから知っていた。


腹いせライダ―が亡くなったのだ。

何にしても、ゆっくり休みなさい。

そう言って寝床に送り出された。

オレはとばりになったサブリナをとばりの部屋に連れて行った。

ついでに二階のトイレの場所も教えた。

体の方の記憶にあると思うが一応。


オレはサブリをとばりのベットに寝かせ、布団を肩まで被せた。

とばりの顔なのだが、しっかり甘えん坊なサブリナの表情をしていた。

オレは布団から顔だけ出したサブリの頭をそっと撫でた。

何分もしない内にサブリはあっけなく眠りに落ちた。

気を張り過ぎて疲れたのか、寝つきがいいのかわからないがオレは小さな灯りだけ消さずに自室に戻った。


自室に置いてたスマホが点滅していた。

江井ヶ島えいがしまA式蹴球部』の面々からのLINEやら着信やらだ。

オレはショコラや橘、希、六実むつみに無事の返事をした。

依子さんからはGメ―ルが届いていた。


オレはひとまず「大丈夫です」のメッセ―ジを各所に送り「詳しくは明日にでも」と区切りを付け、本命に取り掛かることにした。

サブリナからのLINEだ。

この場合、サブリナの中の人――とばりからのものだ。

十件近いト―クだ。


メッセ―ジの内容は「ケガ大丈夫なの?」とか「私がお世話しなくても平気?」だとか「頭痛くない?」「吐き気とかは?」と全部オレを心配するものだった。

だけど、それが余計オレを心配にさせる。

寂しがり屋の姉とばり


今はサブリナの中の人となって、サブリナのマンションにひとりでいるハズだ。

体の記憶があったとしても、心細くないワケない。

オレはト―クではなくサブリナに通話した。

ほんの数秒でサブリナの声の返事があった。

今はとばりなんだけど。


「その、姉さん?」

『うん……なんていうか、一応…うん』

困った時のとばりの反応、間違いなくとばりなんだけど、声はサブリナのものだ。

「無事に帰れた?」


『さっきの人――富田さんて言うんだけど。の会社の人。部屋まで送ってくれたから……昇平しょうへい、ケガどうなの?』

自分のことはいいからと、話題を強引にオレのことに変えた。

とばりらしいといえば、とばりらしい。

だけど、きっと今ベットかソファ―でひざを抱えてるんだろう。

頑張ってはいるが、声に元気がない。


「擦り傷だからなぁ…風呂とかカオスだし、着替えとかマジ勘弁って感じ」

余計な事言ってる実感はある。

こんなこと言えばきっとサブリナになったとばり――トバリナはオレの心配で仕方なくなるだろう。

じゃあ、なんで言ったのか?

簡単なことだ。


オレはとばりなしで1ミリも成立しないってことを伝えたい。

とばりがいなくても、全然平気で何とかやってるから――

よそはどうだか知らない、だけどウチは違う。

いなくても平気っていうのは安心させる言葉なんかじゃない。

下手したら居場所が、存在価値が、存在理由が揺らいでしまうかも知れない言葉だ。


だからオレは承認要求強めの姉に伝えた。

「オレ。姉ちゃんいないと全然だわぁ。情けないったらないよ」

何年かぶりにとばりを「姉ちゃん」と呼んで甘えた。

そして――


「ごめん、今から会いに行っていい?」

『ちょ、あんた、待ちなさいよ! ケガしてんのよ? だいたい時間だって遅いし、遠いでしょ……?』

言葉は否定的だけど、語尾があまりに弱々しい姉を思うと胸が痛い。

(精一杯強がってんだ)

「私鉄ふた駅なんてすぐだし、時間も遅くない。広い道だし街頭だって明るい……ダメ?」


『ダメとかじゃ……でも、ほら! 私になったサブリナの相手しないとでしょ? どこ行っちゃうかわかんないし、私の顔で迷子とかやめてよね』

なんでこんな強がんだろ?

オレの事、必要じゃないのか?

自分一人で何とか出来るってのか?


オレは大きく首を振った。

そんなワケない、あるワケない。

ビデオ通話じゃなくてよかった、でも……やっぱ、本音って必要だな、お互い。

オレはほんの少し呼吸を整える時間が欲しかった。

だけど、そのホンの少しの時間ですら、沈黙ですらとばりは不安だったのだ。


昇平しょうへい…どうした? 私なんか言っちゃった?』

オレは深呼吸をしてゆっくりと話しかけた。

「オレは、オレにはとばりが必要。さっきも言ったけど。照れ隠しで言ったからもし伝わってないなら、何回でもちゃんと言う。オレにはとばりが必要で、いまひとりでいるのが心配でしょうがない。一晩くらいってさっきは思ったけど、なんか声聞いたら無理で――」


『でも、サブリナの声だけど?』

そういうのいいって、そう言うと『ごめん、茶化してるんじゃないんだけどねぇ…』二度と会えない場所に行ったんじゃない、自転車で三十分くらいだ。

あとは、いまどうするか、どうしたいかを決めればいいだけ。


『あのね…』

そう前置きしてからの少しの沈黙。

オレはとばりの言葉を待つことにした。

催促するつもりはない。


『うん。私も心配。不安だし、寂しいし…きょうお世話出来ないなんて、考えてもなかったし。もしさぁ…』

「うん」

『私いない時に急変したらどうしよ……わたしひとりになっちゃう…怖い、怖い…昇平しょうへい、ごめん。会いたい、すぐ会いたい、ずっとそばにいたい…』


『お願い。迎えに来て――』

オレは一目散にサブリナのマンションのある、最寄り駅に自転車をこぎだした。 









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