第29話

 「今日の段取りはこうだ」


 牧田が話し始めた。いつもの汚れた白衣を着ている。牧田の言う段取りというのは、今日の放課後に行われるスキャンティー部主催の『スキャンティー紙飛行機大会』の段取りのことだ。オレは『牧田の履いたスキャンティーショック』から先ほどようやく立ち直って、夏美と一緒に牧田の前のイスに腰かけていた。昼休みはまだ続いている。


 オレが『牧田の履いたスキャンティーショック』からようやく立ち直ったと言っても、やっと起き上れるようになったという程度だ。オレの手には牧田の履いたスキャンティーの感触がまだ残っている。口の中には、あの牧田の履いたスキャンティーのシミの味が残っているのだ・・・それを思い出すと、何とも気持ちが悪い。


 幸い、化学実験室の各実験机には、器具を洗うための水道がついている。オレは牧田の話を聞きながら、何度も、手を洗っては水道の水でゴボゴボと口をすすいだ。そんなオレを牧田と夏美が不思議そうに見つめている。当然だ。牧田と夏美はオレがあのスキャンティーのシミを口に入れたことを知らないのだ。


 牧田が、水道の水で激しく口をすすぐオレを横目で見ながら言った。


 「冷凍庫の中には、すでに充分な数のスキャンティーを凍らせてある。倉持は化学実験室に参加者がやって来たら、冷凍庫から凍ったスキャンティーを取り出して、一枚ずつ参加者に渡してくれ。そこまでが倉持の役割だ。


 そして、俺が倉持から凍ったスキャンティーを受け取った参加者を一人ずつ順番に化学実験室の窓に連れて行って、窓からスキャンティーを投げるように指示する。そして、その都度、俺が一番遠くに投げた参加者の名前をメモしていくわけだ。それが俺の仕事だ。


 ここで、一番大切なのは、多くの参加者が同時に、たくさんの凍ったスキャンティーを窓から投げないように注意することだ。そんなことをされたら、誰が一番遠くに投げたか分からなくなるからね。だから、倉持は必ず凍ったスキャンティーを一枚ずつ、参加者一人一人に手渡すように注意してくれ。そして、俺が、スキャンティーを受け取った参加者を一人ずつ確実に窓に連れて行って、順番にスキャンティーをグランドに投げるよう指示するから・・・」 


 夏美が「よく分かりました」と言うように、牧田に大きくうなずいた。

 

 牧田も「頼んだよ」と言うようにうなずくと夏美に言った。


 「化学実験室ですることはそれだけだよ」


 あれっ、それだけ? オレは? ・・・オレの名前がまだ出ていない。


 オレは水道で口をすすぎながら、牧田に聞いた。口をすすぐゴボゴボという音がオレの言葉に混ざった。


 「ゴボゴボ・・・先生・・・ゴボゴボ・・・オレは何を・・・ゴボゴボ・・・すればいいんですか?」 


 「小紫には一番重要な仕事をしてもらう。なんと言っても小紫はスキャンティー部の部長だからな」


 牧田はそう言うと、あの中古のスキャンティーが入ったダンボール箱の中に両手を入れて、なにやらごそごそしていたが・・・やがて中から真っ赤なスキャンティーを2枚取り出してオレに手渡した。オレが2枚のスキャンティーを手にとってよく見ると、真っ赤な生地の正面に白、黒、茶色を主体とした色彩で『ドジョウ』の絵が描いてある。2枚とも同じ柄だ。


 『ドジョウ』柄のスキャンティーだって! オレはびっくりして、思わず水道の水を飲みこんでしまった。牧田のシミの成分が溶け込んでいる水だ。オエ~。きたない!


 しかし、オレは考えた。あの箱の中にあったということは、この2枚のスキャンティーは中古品ということだ。つまり、誰か女性が買って、実際に履いていたということになる。


 オレの頭は混乱した。いくつもの疑問が束になって、稲妻のようにオレの頭を去来きょらいした。


 こんな『ドジョウ』の絵が正面に描かれたスキャンティーが本当に売られているのだろうか? 

 そして、そんな『ドジョウ』柄のスキャンティーを買う女性が現実にいるのだろうか? 

 さらには、そんな『ドジョウ』の絵が描かれたスキャンティーを実際に履く女性がいるのだろうか?


 牧田はオレの疑問に気づいたようだ。すかさず、こう言った。


 「実際にこの『ドジョウ』柄のスキャンティーを履いてい女性がいたんだよ。その証拠にこれらがリサイクル店で売られていたわけだ。誰かは知らないが、『ドジョウ』柄のスキャンティーを買った女性が履きふるした後で、リサイクル店に持ってきたんだよ」


 そんな女性がいたのか・・・オレはもう一度手の中のスキャンティーをながめた。『ドジョウ』の絵が描かれたスキャンティーなんて、見ているだけでも実に恥ずかしい!


 オレはさらに口をすすぎながら牧田に聞いた。


 「それで・・・ゴボゴボ・・・先生・・ゴボゴボ・・・オレはこれで・・・ゴボゴボ・・・何をするんですか?」


 「小紫にはこの『ドジョウ』柄のスキャンティーを身につけて、ドジョウすくいを踊ってもらう」


 えっ、この恥ずかしい『ドジョウ』柄のスキャンティーを履くのか?・・・そして、ドジョウすくいを踊るんだって・・・オレの頭に衝撃が走る。もう、口をすすいでいる場合ではない! 


 オレは思わず口の中の水をピュッと吐き出した。その水が牧田の顔を直撃した。牧田が「うわ~」と叫んで、イスごと後ろにひっくり返った。


 夏美が床に倒れた牧田を見ながら首をかしげた。


 「でも先生。これって、同じ柄のスキャンティーが2枚ありますよ? 2枚を重ねて履くんですか?」


 オレが顔に掛けた水を、汚れた白衣のすそできながら、牧田がゆっくりと立ち上がった。


 「いや、そうじゃない。小紫は1枚を尻に履いて、もう1枚は頭にかぶるんだよ」


 オレは絶句した。なんという格好だ。『ドジョウ』柄のスキャンティーを履いて、頭にも被るだなんて・・・何のためにこんなふざけた格好をするんだろう? 


 オレはあわてて牧田に聞いた。


 「先生。いったい何のために、オレはこんな格好をするんですか?」


 牧田が倒れたイスを直して座った。白衣で顔を拭きながらオレを一瞥いちべつすると、こんなことも分からないのかといった顔をした。


 「そんなの決まってるじゃないか。こういったイベントでは、踊ったり歌ったりする景気づけが一番大切なんだよ。踊りや歌が無くて、会場がシーンとしていたんでは、イベントが全く盛り上がらないだろう。だから、小紫にこれを頭と尻に着けて、どじょうすくいを踊ってもらうわけだ。歌はあの『スキャンティー生放送』でまた全校に流すんだよ」


 「・・・」


 すると、顔を拭き終わった牧田が、今度は化学実験室の備品倉庫から竹製のザルを持ってきた。


 「そして、これがドジョウすくい用のザルだ」


 そう言うと、牧田はそのザルをオレに渡した。ザルにはリサイクル品という表示がある。


 オレは2枚の真っ赤な『ドジョウ』柄のスキャンティーと竹製のザルを手にして、茫然とした顔で牧田を見た。


 「オ、オレは・・ドジョウすくいを、ど、どこで踊るんですか?」


 「俺と倉持は化学実験室にいる。小紫はグランドでドジョウすくいを踊ってくれ」


 オレ一人がグランドに行って踊るのか? オレは心細さを覚えた。それに何とも恥ずかしい。しかし、グランドといっても広い。いったい、グランドのどこで踊ればいいんだ?


 オレはイスから立ち上がって、化学実験室の窓のところに歩み寄った。窓からグランドが見わたせた。広々したグランドには先日と同様に数人の女子生徒の姿が散見されるだけだ。どう見てもドジョウすくいを踊るのに適した場所など、グランドのどこにもなかった。


 仕方がない。グランドの真ん中ででも踊るか?


 オレがそう思ったときだ。化学実験室のスピーカーから声が聞こえてきた。全校放送だ。女性の甲高い声が流れた。


 「安賀多高校の全女性のみなさん。私は『スキャンティー部を許さない会』の会長で、ダンス部顧問の山西裕子です。『スキャンティー部』は女性の履くスキャンティーをおもちゃにした、女性蔑視のクラブです。こんなものを神聖な学校の中で認めるわけにはいきません。今日の放課後に、スキャンティー部主催の『スキャンティー紙飛行機大会』が開かれますが、私は断固この企画に反対です。つきましては、今日の放課後、グランドで『スキャンティー部』に反対する女性集会を開きます。私に賛同する女性教師のみなさん、女子生徒のみなさん、放課後、グランドに集まってください。安賀多高校の全女性が集まって、女性の怒りの声を上げましょう。そして、女性の敵『スキャンティー部』をみんなでぶっ潰そうではありませんか!」


 ダンス部顧問の山西の声だ。


 放課後にグランドで『スキャンティー部』に反対する女性集会を開くんだって! オレはそのときグランドでどじょうすくいを踊っているわけだ・・・いったいどうなるんだ。これは大変なことになってきたぞ。


 オレは牧田と夏美を見た。夏美はさすがに不安そうな顔をしている。しかし、牧田は平然としていた。女性集会など何でもないという顔だ。


 『ドジョウ』柄のスキャンティーに女性集会だなんて・・・こ、これは、なんだか一波乱ありそうだ・・・オレの額から汗が一筋流れて、化学実験室の床にポタリと落ちた。


 

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