第21話

 気がつくと屋外にいた。夕方の残照が辺りを赤く照らしていた。


 体育館の横には、運動部の部室が並んだ平屋の建物が併設している。その建物の一番奥が女子トイレだ。女子トイレから壁一枚はさむと屋外になる。オレたちは女子トイレの壁の外にある芝生の上に転がっていた。倒れているオレのすぐ横に女子トイレの壁があった。


 オレが横を見ると校長の加治康介が立っている。警部と夏美もようやく気がついたようだ。オレたち三人は服についた小石を払いながら、同時に立ち上がった。


 加治がオレたちを見ながら口を開いた。どこか達観したような、何もかもあきらめたような、そんな口調だ。加治の顔が夕陽に照らされて赤くなっている。


 「ついに非常口が見つかってしまいましたね」


 「非常口?・・・校長先生、それは何ですか?」


 すかさず警部が聞いた。腹を手で押さえている。さっき穴に入るときに、オレが警部の腹を蹴っとばしたのだ。


 加治がオレたち三人を見ながら、ぼそぼそと話しだした。


 「5年前、この女子トイレを改装するときに、本校の出身者の海部あまべかおりさんが建築デザインを担当したんですよ。海部さんは、当時は新進気鋭のデザイナーでした。彼女は何とか建築デザインの世界に新風を吹き込もうとして、新しい建築スタイルに懸命に取り組んでいました。それで、考えたのが『隠れた非常口』だったんです」


 警部が反復する。


 「隠れた非常口ですって? それはいったい?」


 「ええ。非常口は建物に必要だが、美観を害するので隠した方がいいというのが海部さんの考えでした。それで、母校の女子トイレが改装されるときに、新しいアイデアを実行したいと私に相談があったんです。当時、本校の校長に赴任したばかりだった私はそのアイデアを了承しました。それがこの抜け穴、つまり非常口なんです」


 「・・・」


 「この非常口は女子トイレの一番奥の個室から掃除用具入れの後ろを通って、外の芝生とつながっているんです。女子トイレの個室からは、水洗タンクについている水洗レバーを下げて、合わせて擬音装置を同時に押すと非常口が開くんです」


 そうか。さっきは女子トイレの一番奥の個室の中で、夏美が偶然水洗のレバーを押し下げて、水洗の水が流れているときに、オレが擬音装置のスイッチを押してしまったというわけだ。すなわち、水洗タンクのレバーと擬音装置を同時に操作すると、この抜け穴、つまり非常口が開くのか・・・『オレには水洗の音が二回重なって聞こえた』というのはやはり正しかったのだ。オレは納得した。


 加治が話を続ける。


 「一方、外の芝生側、つまり女子トイレの外壁には擬音装置のパネルが埋め込まれているんです」


 加治が建物の壁のどこかを操作した。すると、トイレの中にあった操作パネルと同じものが壁の表面に出てきた。擬音装置の音符のマークがある。加治がそのマークを押した。


 すると、女子トイレの壁に穴が開いた。その穴の中から水洗の水の音が聞こえていた。


 「音符のマークを押すと、女子トイレの中の一番奥の個室に通じる穴が開いて、同時に水洗の音がひびくんです。このように、外からはこの擬音装置の音符マークを押すだけで非常口が開きます。こうして、外からも女子トイレの一番奥の個室に入ることができるんです。この非常口には人の体温を感じるセンサーがついていて、非常口を通る人がいないと自動的に閉まるのです」


 オレの眼の前で壁の穴が音もなく閉まった。


 「女子トイレに・・・こんな仕掛けがあるなんて・・・全然、知らなかった・・・」


 夏美がつぶやいた。茫然とした顔だ。夏美の横顔も夕陽で赤く染まっている。オレは・・こんなときにもかかわらず・・美しいと思った。


 夏美が気を取り直して加治に聞いた。


 「でも、校長先生。こんな非常口のことは誰も知らないと思いますが・・どうして学校のみんなはこの非常口のことを知らないんですか?」


 「工事が終わった後で、一部の工事関係者から違法建築になる可能性があると不評の声が上がったんです。それで、この非常口は工事関係者だけの秘密にしようということになりました。私はそれ以後、この非常口のことは誰にも話していません。それで、ずっと、私は誰もこのことを知らないと思っていたんですが、先日、本校の警備員の梅西さんが女子トイレの一番奥の個室で発見されたり、『おくねさん』という幽霊が現われたりで・・・何が何だか分からない状態で・・・私は途方にくれてしまいました・・・私はもう、どうしていいか分からなくなってしまったんです」


 「校長先生。この非常口のことをもっと早く我々に言ってほしかったですね」


 警部が腕を組みながら加治に言った。警部の顔にも夕陽が当たって、顔に赤い陰影を造っていた。その陰影によって、警部が精悍な顔つきになっている。


 「すみません。そのうち話そうと思っていたんですが・・・言いそびれてしまって」


 加治は神妙な顔をして下を向いた。警部が推理を披露した。


 「つまり、こういうことでしょう・・・警備員の梅西さんは、おそらく偶然、仕事でこの非常口のことを知ったのだと思います。それで、一人で見回りに出たときに、試しに外の芝生から女子トイレの個室の中に入ってみたんじゃないでしょうか。そのときに持病の心臓発作に見舞われて倒れてしまった。そう考えると、梅西さんが女子トイレの個室で発見されたことの説明がつきます・・・となると、校長先生、白いワンピースの『おくねさん』はいったい誰なんです?」


 加治は頭をかいた。


 「それが私にも、さっぱり分からないんです。この非常口を造ったときには、『おくねさん』なんて幽霊はいませんでした。それがいつの間にか、生徒たちの噂になっていて・・さっきも言ったように、私には何が何だかさっぱり分からないんです」


 警部が加治に言った。


 「それでは、校長先生。この非常口のことは、しばらくこのまま内緒にしておいていただけませんか。『おくねさん』もこの非常口を使って、女子トイレに出入りしているものと思われます。つまり、『おくねさん』がこの非常口を通ってまた女子トイレに現れる可能性は高いと考えられるんですよ。だから、『おくねさん』が捕まるまでは、この非常口のことは誰にも言わないでおいてください」


 翌日、警備員の梅西さんの意識が戻ったと警部からオレと夏美に連絡があった。


 警部の推理通りだった。梅西さんは、校内を警備しているときに偶然非常口の仕掛けを知ったらしい。非常口を試してみたいと思って、先日トイレの外から非常口を操作して、一人で女子トイレの個室に入ったのだ。しかし、心臓発作が起こってそのまま個室の中に倒れてしまった。そのとき、偶然にもオレと夏美がトイレの罰掃除をしていたので、運よくオレたちが梅西さんを発見したというわけだった。


 これで女子トイレの個室に急に梅西さんが現れた謎は解けた。でも『おくねさん』は何者かという点は謎のままで残っている。事件の本質はまだまだ闇の中だ。


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