恐怖の先に雪が舞う

十余一

恐怖の先に雪が舞う

 「今日、ピアスを買ったの」と親友の芽依めいちゃんが嬉しそうに教えてくれた。

 薄く青みがかった石が彼女の耳元で揺れている。曰く、貴重なブルーダイヤモンドらしいけど、本当だろうか。たまたま通りかかった街角で、露店商から格安で購入したという。でも、胡散臭いなどと野暮なことは言うまい。可愛らしい彼女が身につけたのなら、例え磨かれる前の原石だって美しく輝くだろう。


 このとき私は犬の散歩をしているときに、たまたま買い物帰りの芽依ちゃんと会って立ち話をしていたわけだけど、何故か視線を感じて何度も辺りを見回してしまった。それも一人だけではない、衆目に晒されているのではないかと思ってしまう程の違和感を感じた。しかし、どれだけ探しても野良猫の一匹も見つけられなくて、結局気のせいだったと結論付けた。



 それ以来だ、身の回りで奇妙な出来事が起こり始めたのは。しかも、それは決まって芽依ちゃんと会っているときだった。頭の中で響く何かを貪り食べるような音、薄暗くなったと思えば目の端にちらつく光、そして、どこからともなく感じる沢山の視線。まるで衆人環視の中にいるような錯覚に陥る。


 それに加えて、芽依ちゃんと会っていない時間の記憶が曖昧になっていく。早送りで見せられているような、そもそも存在しなかったかのような。私の意識はハッキリしているはずなのに、日常が抜け落ちていく。


 肝心の芽依ちゃんはというと、まるでピアスの宝石に魅入られたかのように恍惚とした表情を浮かべ、しきりに鏡で宝石を見ている。話しかけても上の空。宝石のこと以外は頭になくなってしまったようで、そのうち学校にも来なくなった。


「芽依ちゃん、芽依ちゃん、聞こえてたら返事して」


 こうして何度か部屋を訪ねているけど、私の呼びかけにも応えてくれない。芽依ちゃんのお母さんはやつれた様子で「来てくれてありがとうね」なんて薄く笑みを浮かべている。その痛ましさに思わず目を逸らさずにはいられなかった。


 ほどなくして芽依ちゃんは自室で亡くなった。死因は衰弱死。遺書はない。ただ透き通る白藍の宝石を褒め称える言葉だけがノートにぎっしりと綴られていたという。

 お葬式のあと、芽依ちゃんのお母さんから例のピアスを預かった。娘が生涯大切にしていたものを、どうか親友の私に受け取ってほしいと。私の手にピアスを握らせる彼女の目は黒く濁り、焦点が合っていない。呪いは伝染し、もうとっくに狂っていたのかもしれない。


 ピアスを譲り受けたその日から、芽依ちゃんと会っているときに感じた不気味な不快感が私につき纏う。聞こえるはずのない音、見えるはずのない光、感じるはずのない視線。気が狂いそうだ。



 芽依ちゃんの死から一週間もたたないうちに、芽依ちゃんの両親は病気で亡くなった。高熱にうなされ、全身に発疹が出て苦しみぬいた末だという。

 それからというもの、不幸はドミノ倒しのように訪れた。私の愛犬は深夜のうちに何者かに改造モデルガンで撃ち殺され、父は会社で横領の濡れ衣を着せられ自殺、母も後を追い、兄は信号無視したバイクに轢かれ帰らぬ人となった。


 きっとこれは持ち主を不幸に陥れる呪いの宝石に違いない。きっと次は私の番だ。早く誰かに譲らなければ!


 その瞬間、窓ガラスの割れるけたたましい音が響く。事故か、災害か、強盗か、それとも呪いが実体化して襲いにきたとでもいうのか。こんなところで死んでたまるかと、私は裏口から飛び出す。

 

 どんよりと曇った空からは雪が舞う。走ったせいで身体は不快な熱を帯びているというのに、肺には凍り付くような空気が突き刺さって苦しい。

 いったい何処まで逃げたらいいのだろう。いつになったらこの苦しさは終わるのだろう。そん考え始めたとき、不意に身体が動かなくなる。左足を前に出し、右足を踏み切ったまま止まっている。


 私の左足より先は真っ暗で、まるでそこで世界が終わっているかのようだ。その真っ暗闇に四角い窓が浮かんでいる。窓の中は薄暗く、椅子に座った人たちが全員こちらに視線を向けている。とにかく助かりたい一心で、私は声を出したはずだった。


「たすけけけけけけけ……」


 フィルムはそこで終わっている。私は恐怖に追い詰められ、逃れることが出来ないまま画面に張り付いている。でも、もはやそれを自覚することも出来ない。


 座っていた人たちは不思議そうな表情を浮かべたりガッカリしたり反応は様々だ。中には怒りだして、受付で買ったであろう紙製の容器を放り投げる人までいる。エンドロールに辿り着かず未完成のまま終わった映画に、スクリーンの外では雪じゃなくてポップコーンが降り積もった。

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