第17話 きょうき

塞ぎたい耳の中に入ってきたのは先生の悲鳴だった。


その声に瞑っていた目を開け、先生の方を見てみると、手から血が流れているのが見えた。


先生が確かに握っていたはずのナイフの持ち手は柄から刃の方に変わっていた。


思いっきり握り、滑らせた四本の指からは手では抑えられないほどの血が出ている。


彼女は息を荒くして険しい顔をしながらもナイフを持ち直して再び美鈴ちゃんに向かって包丁を思いっきり突き刺した。


「痛ぁぁぁぁい!あぁ……!うぅ……!なんで!?」


持ち直したはずのナイフは彼女の傷を襲った。


その光景を目にしている全員が不思議に思ったことだろう。


先生自身も苦しみながらも不思議に思っているようだ。


不思議に思う余裕は無いだろうが。


今度はしっかりと持ち替えたのを自身も確認してもう一回彼女に向かって突き刺した。


しかし彼女に当たるのは柄の方ばかり。


「あぁぁぁ……!」


先生は耐えられなくなったのかもがき苦しんだ。


「今のうちよ!早く!」


この状況でいきなり声を上げた加奈子ちゃんの方を向くと、彼女のロープがほどけていることに気が付いて、僕も急いでロープをほどこうと藻掻いてみる。


すると、先ほどとは打って変わって簡単に解けるようになっていた。


僕たちは急いで荷物を持って窓を開けて保健室を飛び出した。


職員室にいる先生に見つからないように校門まで続く茂みの中に向かって走った。


そこから校門を抜け、森を走り抜け、無我夢中にアパートへと走り、鍵のかかっていない扉を開けた。


「お前ら!無事だったのか!良かった……。」


健一さんは喜んでくれた。


僕も嬉しかった。


しかし、その嬉しさよりも勝るものが皆の中にあった。


「……。」


「どうした?」


「いえ、なんでも……。」


彼と目を合わせることができる子は誰もおらず、安堵で腰が抜けた僕らはただじっとそこに座り込むしかなかった。


「今から何か買ってきてやるから!な、だから元気出せ。」


「……。」


彼は急いで部屋を出て行った。


僕たちは今にも落ちそうな橋を渡ることになるようだと覚悟した。


健一さんのことを一度信じてしまったからあの大人を簡単に信じてしまった。


それは僕の重大なミスだ。


何日もかけ、信用を得て殺そうとした先生が頭から離れるわけもなく、僕たちの心には重い天秤がかけられた。


――彼を信じるか、落とすか。


最初から優しくしてくれた彼だが、もし彼女と同じ考えだったらどうしよう。


ほかの町の者だといっても彼も出会った当初はこの町に住んで一週間経っていた。


異変にかかる方法はいくらでもある。


彼女が僕たちを殺そうとしてきたのは三日経ってからだ。


僕たちがこの部屋にいたのは二日。


もうそろそろ信用もついてきたと彼も感じているだろうし、頃合いだと思う。


でも彼が僕たちを殺そうとしている雰囲気はない。


今は疑いながらも信じるふりをするのが最優先なのだろうか。


「……どうする?」


「今は信じるしか……。」


「本気で考えなきゃいけない。」


玲音君は誰かを見ながら言った。


目線の先にいたのは美鈴ちゃんだった。


彼女は泣き崩れて、何も出来る状態ではなかった。


それもそうだろう。


この中で唯一死と直面したのだから。


「でも今は信じるしか方法は無いよ。それに学校もだめ、ここもだめなら僕達は何処に行けばいいの?いつ殺されるかも分からないのに。」


「……なるべく美鈴ちゃんの心に傷を負わせるような事はしないようにしてくれよ。」


「分かった。」


ピリついた空気に包まれた部屋に更に重くなった空気を作り出したのは早くにも数分後の事だった。


「ただいま……皆、はいこれ……。」


机に袋ごと置かれたのはお菓子や飲み物、未開封の少しの食事類だった。


「!?」


その中に入っていたのは美鈴ちゃんが昼食に食べたものも入っていた。


それを見た美鈴ちゃんは顔色を変えて呼吸を荒くし、ただじっと食事を見つめていた。


それに気付いた玲音君が咄嗟に袋を机から上げて自分の方へと持っていった。


「え?ごめん、何か嫌いなものでも入ってたか?」


「最低です。」


「え?え?」


「加奈子ちゃん、仕方ないよ。健一さんは知らなかったんだから。」


「え?俺何かしたのか?何かしたなら謝るから教えてくんねぇかな……。」


玲音君は少し考えて健一さんに学校であったことを簡潔に話した。


「……しゅうが一人で居る時に先生と遭遇しちゃったんです。それで警戒したしゅうは恐らく先生に見つからないように僕達の方に行こうと思ったんでしょうね。でも先生が後を付けてきていて僕達が見つかってしまったと。そして、保健室で過ごすことになった。三日目に食べた昼食の中に睡眠薬が入れられていて、僕達は眠らされ殺されそうになったが何とか逃げる事が出来た、という訳です。」


「……なるほど。そんなことがあったのか……。ごめんな。」


そう言って彼は、キッチンに先程買った料理類のみが入った袋を持っていった。


「で、今聞くのはおかしいが何か有力な情報はあったか?」


「……探す前に捕まってしまったので何も得られませんでした。」


「そ、そうか!俺の方はあったぞ!」


その時、皆の目が少しだけ変わったのが分かった。


「なんですか?」


「八月七日にあるお祭りの準備中だってことだ。」


「あ、もうそんな時期か。」


「所でこの祭りは一体何のための祭りなんだ?」


「普通の祭りだと思いますが……。屋台が出て恒例行事があって。」


「特に何もないよな。」


「うん。」


「じゃあその祭りが関係しているということでもないか……。」


話を聞いていた僕はある事を思い出した。


「いや、でも待って。この町のお爺ちゃんやお婆ちゃん、小父さんや小母さんは毎年最後まで残ってて、僕たちは早く帰らされてたよね?」


「それは宴会か片付けでもしてるからじゃないのか?」


「それをわざわざそういう人たちにさせるかな……。」


「しゅう、なにか裏があると思うの?」


「そうなんじゃないかなぁとは思ってる。」


時間的に僕たち子どもは手伝えなくてもせめて親は強制的に手伝いに来いと言われるのではないだろうか。


しかし、なぜ毎年決まって五十代以降の大人があの祭りの最後まで残っているのかが不思議に思えて仕方がなかった。


「祭り……何か教えられない儀式でもやってるんじゃないのか?」


「だからこの町に異変が起きたと?」


「そう。例えば儀式が失敗したとか。


何か聞いてない?異変が起きる直前、その人達におかしな点は無かったかとか。」


「いえ、そんなのは感じませんでしたが……。」


「そうかぁ、じゃあ違うのかもしれないな。でもしゅうよく思い出してくれた!有力な情報だと思うぞ。」


「そうかなぁ……。」


褒められて少し心の中で喜んだ。信用のかけらは少し欠けてしまったが、それでもまだ糸がつながっている状況にある。


これから先何も起きなければいいのだが。

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