第二十一話 コックのパディさん

 船内の厨房に向かうクリスのあとをふらふらになりながら着いていくペガサスな僕。絶賛船酔い中で本当は船内よりも外にいて風に当たってたいんだけど――。


「べ、ベガ! 窓からピンク色のイルカたんが見えるよ! あぁ~、青色のイルカたんも! オレンジ色、緑色……ちょ、ちょっと背中に乗せてよ、ベガ! あの虹色のイルカたんの群れのど真ん中に僕を落として!」


『ダメだよ、クリス。ふらふらと甲板に戻ろうとしないで!』


 ちょっと目を離すとこれだ。変態型クリスに変形してどこに行くかわかったもんじゃない。泳げないこともすっかり忘れてイルカの群れ目がけて飛び込みかねない勢いだ。


「イルカたんが行っちゃう~! 虹色のイルカたんがなでなで、もみもみ、ぺろぺろする前に行っちゃう~~~!」


『クーリースーーー! 窓に顔を押し付けないの! 窓を取り外そうとしないのー! ほら、厨房に行ってご飯をもらうんでしょ!?』


「イルカたんが……イルカたんがーーー!」


 クリスのえり首をくわえてズルズルと厨房へと引きずって行きながら盛大にため息をつく。

 もー! おちおち船酔いもしてらんない!


『ほら、クリス。厨房についたよ! イルカはあきらめてご飯をもらっておいで!』


 厨房の場所は聞かなくてもわかった。ペガサスの鼻は人間の鼻よりもいいのだ。


「うぅ~……イルカたーん……ご飯くださーい……」


 とかなんとか鳴き声というか泣き声というかをあげながらクリスが厨房をのぞきこむ。

 ……ねえ、クリス。その言い方だとイルカにご飯をもらおうとしてるみたいだよ。クリスのご飯をくれるのはコックさん。


「イルカじゃなくてパディですよ。パディ・リー・コックス。この船のコックです!」


 そうそう、コックのパディさん。

 ……って。


『いつの間に目の前に!?』


「少年とペガサス……この船に似つかわしくない顔ぶれですね」


 厨房の入り口から中をのぞきこんでいたクリスと僕の目の前に気配もなく現れたパディさん。そう言ってにっこりと微笑んでるパディさんだってこの船に似つかわしくない外見をしてる。

 ギュンターさんを筆頭に船員さんたちはみんな、日焼けして筋肉モリモリでザ・海の漢オトコ風のオジサン、オニイサンばかりだ。

 でも、パディさんは薄茶色の髪に白い肌、腕も足も体だってひょろりと細い。フライパンとか鍋とかまな板とか、厨房のあちこちに置いてある調理器具のどれを持っても折れるんじゃないかと心配になるくらい細い。


「海の上にいればいくらでも見られる虹色イルカにここまで喜ぶなんて……もしかして調査団に同行することになったっていう高名な動物画家さんですか? クリス・ブルックテイラーさんですか!?」


 細くて気配も消せちゃうパディさん、クリスが動物画家のクリス・ブルックテイラーだと気が付いて目をキラキラと輝かせ始めた。


「あ、はい、クリスです。あと、こっちがペガサスのベガ」


『そうです、高名な動物画家にしてただの迷惑な変態のクリスと、クリスの子守り役兼お目付け役なペガサスのベガです。ご迷惑をおかけします!』


「うわ~、光栄です! クリスさんに僕が作った料理を食べてもらえるなんて! 店を開いたときの宣伝文句にしちゃお! ……これ、食事です!」


 お皿をズズイッと差し出してパディさんはますます目をキラキラと輝かせる。そんなパディさんを見上げてクリスは困り顔で微笑んだ。自分は変態型に変形してもふもふたちにグイグイ行くくせに自分がグイグイ来られると困り顔になるのだ。

 ちょっとはグイグイ来られる僕たちもふもふの気持ちを味わうといい!


「実は次の停泊地が故郷でして。そこで船を降りて自分の店を開くつもりなんです。カフェとか小さなレストランとかを」


「ソウナンデスネ」


『クリス、パディさんの話にもうちょっと興味を持って』


 パディさんが差し出したお皿を受け取るなり、さっさときびすを返そうとするクリスの背中を巨体を駆使して押さえつける僕。いつものクリスならもう少し人の話を聞こうとするけど、今は窓の外に見えていたイルカさんたちに心奪われているのだ。

 クリスが何を考えてるかなんてお見通し。だけど、せまい船内。長い船旅。最初の印象もコミュニケーションも大事なんだよ。

 ……て、なんで人間関係のあれこれを人間のクリスじゃなくペガサスの僕が気にしなきゃならないのさー!

 

 なんて心の中で絶叫していたら――。


「本当は〝海の怪物〟どもをギッタンギッタンのバッコンバッコンにして、駆逐して、父さんや兄さんのかたきを打とうと船に乗り込んだのですが……船長に頼み込んで船に乗せてもらったのですが……〝海の怪物〟に船が襲われても真っ先に気絶しちゃって役に立たないどころか足手まといになるし……どれだけ鍛えても船長や他の船員の皆さんみたいに筋肉モリモリボディになれないし……!」


 パディさんが闇落ちし始めた。


「父さんも兄さんも筋肉モリモリでザ・海の漢オトコ風だったのにどうして僕は色白で腕も足も体もひょろりと細っこいままなのか……どうして母方の遺伝子を全力で受け継いでしまったのか……毎日、甲板で全裸になって焼いてるのに……毎日、フライパンで素振りしてるのに……!」


「ソウナンデスネ」


『パディさん、船内に男しかいないからって全裸はやめた方がいいんじゃない? あと、クリス。もうちょっと感情をこめて』


 闇落ちパディさんと心ここにあらずクリスに僕はツッコミを入れる。ペガサスの僕の言葉は人間二人には伝わらないんだけどね。


「でも、まぁ……筋肉モリモリの才能よりも料理の才能の方があるみたいですし……母ももう年ですし……家族はもう僕しかいませんし……毎回、無事に生きて帰ってきてくれたと泣かせてしまうのももうしわけなくなってきたので……敵を打つのはあきらめて船をおりようかと……」


『……パディさん』


「ソウナンデスネ」


『……クリス』


 にへらと闇落ち笑顔を浮かべるパディさんをよそに心ここにあらずクリスはやっぱり心ここにあらずな返事しかしない。パディさんの話にちょっとしんみりしてた僕はクリスの棒読みに呆れ顔になった。


「それでですね! 僕の最後の船旅に高名な動物画家であるクリスさんが乗っているのも何かの運命だと思うので……」


 お、これはまずいやつ。

 闇落ちから復活したらしいパディさんの言葉に僕はうわー……という顔になった。


「僕の店の看板を描いてもらえないでしょうか!」


『それは無理だと思うよー、パディさん』


 ビシーッ! と背筋を伸ばしていきおいよく頭をさげるパディさんのつむじを僕は同情のまなざしで見つめた。

 そして――。


「描けません! ごめんなさい!」


『だよねー。そう言うと思ってた』


 ビシーッ! と背筋を伸ばしていきおいよく頭をさげるクリスのつむじを僕はさもありなんという気持ちで見つめた。

 意地悪で言ってるわけでもお高くとまってるわけでもない。


「そ、それはつまり……クリスさんが描く絵は僕みたいな庶民が買えるような安い絵じゃないと!?」


「違います!」


『そういうことでもないんだよ、パディさん』


 ましてやお金の問題でもない。クリスと僕はそろって首を横にふった。

 たしかにクリスの絵はものすごい高値で売買されてる。でも、とんでもない桁の値札をつけたのはクリスじゃない。クリス本人は小さな子供がクレヨンでぐりぐり描いた絵をニコニコ顔でまわりの人にプレゼントするような気軽さで描いて、贈っているのだ。

 クリスがパディさんのお願いを――お店の看板を描いてほしいというお願いを断る理由はもっと単純。

 そして――。


「興味がなさすぎて動物以外の絵を描こうとしてもひっどいことになるんです!」


 もっと致命的。お金的理由でも技術的理由でもなく気持ち的理由。興味とやる気の問題。

 獣騎士団でフリスビーを投げる団長さんとそれを追いかけるフェナ、猫じゃらしをあやつる副団長さんとそれを追いかけるリーネの姿を描いてプレゼントしてたけど、あれはフェナとリーネを描くのが目的だからちゃんと描ける。描きたいものを描くためなら人も風景も、動物以外のあれやこれやも描けた。

 でも――。


「興味のないものを無理矢理に描こうとするとひどいことになるんです。描けって言われて無理矢理にうちの国王の肖像画を描かされたときもへのへのもへじにしかならなくて……うっかり御家取り潰しになりかけたんです」


 言いながらクリスは遠い目をする。


「〝へのへのもへじ〟?」


 パディさんが首をかしげた。〝へのへのもへじ〟はクリスが〝てんせい〟する前に暮らしてた〝にほん〟ってとこの文化だ。パディさんが首をかしげるのも当然だろう。

 んで、うちの・・・国王というのはクリスが生まれたエンディバーン国の王様のことだ。小さなクリスが興味がないながらもヘロヘロになりながら描いたへのへのもへじを見て〝バカにしてるのか!〟とブチギレたのだ。

 すっごい剣幕にクリスはびっくりしてたけど、同席してたクリスパパもクリスママも実は全然、焦ってなかった。僕にヒールの能力を付与したり、伝書バードのヤタガラスくんに物騒なメッセージを頼んだ〝あの人〟も、だ。

 ブルックテイラー家は爵位をもらった貴族だけど今も昔も根っからの商人。一国の王様も簡単にはどうこうできないだけの財力を持ってる。だから王様が怒ったって平然としていられるのだ。


「〝へのへのもへじ〟がなんだかはわかりませんが……そういうことならわかりました。残念ですけど看板を描いてもらうのはあきらめます」


 肩を落としながらもニッコリと笑うパディさんにほっとしたクリスと僕だったけど――。


「でも、僕の料理を食べて興味がわいたら描いてくださいね!」


 目をキラッキラさせてまたもやグイグイ来るパディさんに苦笑いした。

 この押しの強さ、根っからの商人であるクリスパパやクリスママ、ブルックテイラー家の面々に通じるものがあるかも。


『……きっと商売するのに向いてるよ、パディさん』

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