第二十話 船はペガサスと変態を乗せて

「オタフクソースだよなぁ」


『ソース・オタフークーだって言ってるじゃ……んぷっ』


「何度、見てもコショウじゃなくてオタフクソースだよなぁ」


『だから、ソース・オタフークーだって言って……うぷっ』


「……ベガ、大丈夫?」


 船のへりにほおづえをついて海を眺めていたクリスが心配そうな顔で尋ねた。船のへりにあごを乗っけていた僕は首を横にふる。

 ギュンターさん率いる調査団の船は荷物を積み込み終え、今朝方、港を出た。大きな波に揺られて船は大きく揺れて、船に乗ってる僕たちも大きく揺れる。

 結果――。


「ペガサスも船酔いするんだね」


『うん、ペガサスも船酔いするみたい……んぷっ』


 ペガサスな僕は船酔いでげっそり、げんなりとしているというわけだ。


「船酔いするなら飛んでついてきたら?」


『クリスにしては真っ当な意見。結構、限界だしそうしよっかなー』


 なんて言いながら真っ白な羽をばさりと広げたところでギュンターさんが大股でやってきた。


「坊主、絶対にペガ公を飛ばすなよ」


 怖い顔でそう言うギュンターさんにクリスと僕はそろって首をかしげた。


「ベガは鳥みたいにどっかに行っちゃったりしないですよ」


『なにせクリスの子守りをしなくちゃいけないからね……っぷ』


「違う、違う。そんな心配をしてるんじゃない」


 首を横にふるギュンターさんを見てクリスと僕は再び首をかしげた。


「船の速度に追いつけないなんてことも多分ないですよ」


『絶対ないね。空を駆ける僕たちペガサスの本気をなめないでよ……っぷ』


「ペガサスが速いのはよく知ってる。風の扱いに長けてることもな。だがな、海風は別格だ」


 ギュンターさんに言われて僕は白い雲がふよふよと浮かんでいる青い空を見上げた。ちょっとひんやりしてるけど穏やかな風が吹いてる。〝別格〟なんて言われても全然、ピンと来ない。


「海面近くの風と空の上の方の風とじゃあ、全然違う吹き方をしてることがある。休む場所もなけりゃあ水も食料もない海のど真ん中で船とはぐれてみろ。疲れて海に落ちて溺れ死んで魚のエサだ」


 ぐるりとあたりを見まわす。もう陸は見えない。ただただ海が広がっているだけ。そんな光景に僕はぶるりと身震いした。疲れて海に落ちるのも溺れ死んで魚のエサになるのもイヤ過ぎる!

 大人しく広げた真っ白な羽を閉じた僕は船のへりにあごを乗せて目を閉じた。船酔いが辛い。揺れる景色をみているのが辛い。あーもーーー早くどこかの港に着かないかなぁ。


「でも、いざってときはペガ公の背中に乗って空の上に逃げろ」


『いざ?』


「いざ?」


 絶対に飛ぶなって言ってたのに〝いざってときは飛べ〟ってどういうことさ。薄目を開ける僕と首をかしげるクリスを見返してギュンターさんは大きくうなずく。


「そう、いざっていうとき。この船が〝海の怪物〟に襲われたときだ」


『〝海の怪物〟?』


 そういえば王様なおじいちゃんも言ってた。早くしないと〝海の怪物〟に邪魔されてユーグフ海峡を渡れなくなっちゃうって。

 そもそも〝海の怪物〟ってなんなんだろう。


「な、なんなんだろう……〝海の怪物〟……なんなんだろう、ハァハァ……!」


 うん、そうだね。多分、きっと、高確率でクリスが変態型になる何かだとは思うんだけどなんだかわからないうちから変態型になるのはちょっと気が早いんじゃないかなぁ。


「人魚……幽霊船……海坊主……ヒュドラとかヨルムンガンドの可能性もあるよね! あー、ふわふわもふもふとは全然違う触り心地なんだろうなー。は、早く……なでなで、もみもみ、ぺろぺろ……ハァハァ……!」


 だいぶ気が早いんじゃないかなぁ!


「大した楽しみもない海の上でなんだか楽しそうにしてる坊主の楽しみを奪うようで悪いが……」


『遠慮なくやっちゃってください、ギュンターさん』


「あいつらは船を沈めて乗組員をエサにする悪魔みたいなヤツらだ。見た目も悪魔みたいだしな」


 話しながら〝海の怪物〟の姿を思い浮かべたのだろう。ギュンターさんは顔をしかめてガリガリとえり首をかいた。


「もし、ヤツらに襲われたときは迷わずペガ公に乗って空の高いところに逃げろ。さすがのヤツらも空高くを飛ぶペガサスにはご自慢の吸盤付きの手も出せないからな」


「吸盤付きの手!」


『クリス、ギュンターさんの話、聞いてた? 船を沈めて乗組員をエサにする怖い生き物なんだよ』


「でも、ヤツらの体はとんでもなくでかいし手も長い。この船の帆より高いところまで逃げろよ、坊主」

5

「わかりました! 気を付けて〝海の怪物〟たんのご自慢の吸盤付きの手をなでなで、もみもみ、ぺろぺろします!」


『クリス、ギュンターさんの話、聞いてた?』


「坊主、俺の話、聞いてたか?」


「はい、聞いてました! 〝海の怪物〟たんはツンデレのツン強め、言葉じゃなく手が出るタイプってことですよね! 〝海の怪物〟たんにツンツンされたい……デ、デレデレもされたい! ツンツン……デレデレ……ハァハァ……!」


『あー、うん、聞いてないよね』


「あー、うん、聞いてないんだな」


 呆れ顔で言ったあと、ギュンターさんは僕の首をそっとなでた。そして、それはそれは真剣な顔で言った。


「ペガ公、もしものときには坊主をロープでグルグル巻きにするから頼んだぞ!」


『もちろんだよ! むしろ、うちのクリスがご迷惑を……ってロープ? グルグル巻き?』


 聞きなじみのある単語に首をかしげる僕を見て、というわけではないだろうけどギュンターさんはしみじみと言った。


「陛下からの知らせといっしょに届いたフーベルトの走り書きを読んだときには何言ってんだ、仕事のしすぎてついにとち狂ったかって思ったが」


『フーベルトって……獣騎士団の団長さんの?』


「この三日間、坊主のようすを見てよくわかった! アイツのアドバイスはきっと正しい! 高名な動物画家だけど同時にど変態でもあるからもしものときには容赦なくグルグル巻きにするようにっていうアイツのアドバイスはきっと正しい!」


『団長さんだ! まちがいなく団長さんだー!』


 ギュンターさんとどういう関係なのかはわかんないけど団長さん、ごめんなさい! またもや生真面目な団長さんにど変態とか言わせちゃってごめんなさい! そして、ありがとう! ものすごく助かります!


「そうとわかったらこうしちゃいられねえ! フーベルトが教えてくれたロープの縛り方を練習しとかねえと!」


『団長さん、ロープの縛り方まで手紙に書いてくれたの!?』


 団長さん、ありがとう! ものすごーく助かります!


「騎士団式の縛り方と船乗り式の縛り方はちょっと違うからなぁ。ユーグフ海峡に着く前に覚えちまわないと」


 そしてギュンターさんもありがとう! ものすっごーーーく助かります!

 感動と船酔いで涙目になりながら僕はギュンターさんを鼻面でグイグイと押した。


「礼でも言ってんのか、ペガ公」


『言ってる、言ってる! ものすっごーーーく言ってる!』


「なあに、気にすんな。乗組員と積み荷を守るのは船長の俺の役目だからな!」


 ペガサスな僕の言葉はわからないギュンターさんだけど言わんとすることはわかってくれたらしい。よーしよしと僕の鼻面をなでくりまわす。

 と――。


「お、もう昼飯の時間か」


 カンカンカーン! と船中に響き渡る金属音にギュンターさんが顔をあげた。大きな音にクリスも僕も目を丸くする。どうやらお玉でフライパンを打ち鳴らしているらしい。ペガサスの耳は人間の耳よりもいいのだ。


「食事の準備ができるとこうやって知らせるから自分で厨房まで取りに行けよ。育ち盛りなんだ。食いっぱぐれないようにな、坊主」


「……は、はい」


 筋肉モリモリのギュンターさんにバシンバシンと背中を叩かれてさすがのクリスも変態型から人型に戻ると苦笑いした。


「ペガ公の食事は積み荷といっしょに積んであるから適当に持っていけよ。場所がわからなかったらその辺のヤツらに聞け。この船のことならみんな、大体わかってるからな」


『はーい……っぷ』


 誇らしげに胸を張るギュンターさんに返事をして僕は再び船のへりにあごを乗せると目を閉じた。まだまだ船酔いが治まる気配はない。船に乗ってるあいだ中、ずっと気持ち悪かったらどうしよう。

 なんて心配していると――。


「大した楽しみもない海の上だし食事くらいはウマいものを……と言いたいところなんだが」


 そう言ってギュンターさんが深々とため息をついた。


「まぁ、なんていうか……その……期待はすんなよ」

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