第41話 浮世の色

 歳を重ねた雉女は熟女の色気を身につけた。訪れる男が減ることはなく、暮らしぶりは変わらなかった。そんなある日、思いもよらない者から呼び出しがあった。雉女は家族を伴い、喜び勇んで石那坂にある屋敷を訪ねた。


 彼女ひとりが通された二十畳ほどの広間は、真新しいひのきの香りがした。


「久しぶりだな、雉女」


 現れたのは、年老いた三郎太だった。後ろに中年になった蔵之介を連れている。彼は、雉女が最初に会った時の力蔵のような風格を帯びていた。


 三郎太からの使者が来た時は喜んだものの、誰かのいたずらかもしれないと疑ってもいた。義経、勝蔵、勝之介……、雉女が愛した男は皆死んだ。三郎太だけが生きているはずがないと思った。しかし今、目の前に彼がいる。幻や幽霊ではない。三郎太は紛れもなく生きていた。懐かしさに、胸の奥から熱いものがじわりとこみ上げた。


「三郎太さまもお元気そうで……」


「うむ……。10年になるか……。懐かしいのう」


 髪が薄くなり、小さな髷をちょこんと頭にのせた三郎太が目を細めた。


「よく、御無事で……」


 奥州合戦では多くの男たちが死んだ。勝之介のように遺体の見つからない戦死者も多い。三郎太も同様、乱戦の中で命を落としたものと思っていた。雉女は予想もしなかった再会に抱き着きたい思いだったが、蔵之介の目があるのでこらえた。


 両手をそろえた床板を、こぼれた涙が濡らした。そんな彼女に三郎太は意外なことを言った。


「奥州合戦のおり、ワシは寝返ったのだ」


「えっ?」


 雉女は濡れた顔を上げた。


「力蔵殿の口利きがあってな。佐藤の血筋を残すためにワシは鎌倉方に着くと決めた。とはいえ、表立って裏切ってはその後の信夫庄統治が難しくなる。で、一旦は敗軍の将として身を退いた。この度、二階堂にかいどう殿の尽力で許しを得、ここへ戻ることができた」


 彼は眼をしょぼしょぼさせながら、嬉しそうに説明した。


「その話、まことですか?」


「どうして噓を言う必要がある。偽りではないぞ」


 雉女が蔵之介に目を向けると、彼がうなずいた。


非道ひどい!」


 その声に三郎太と蔵之介が目を丸くした。


「佐藤基治さまのために、多くの百姓が……、男達が命を落としたのです。身元の知れぬまま、焼かれたり埋められたりした者も多い。勝之介さまも……」


「ナニッ……、勝之介が……」


 反射的に膝を立てた蔵之介が、口を真一文字にして座り直した。


「それで勝之介の顔がないのか……。すまないことをした……」


 三郎太の額がわずかに動く。


「寝返ったなど、すまないでは済みませぬ!」


 雉女がまなじりをあげると、「止めろ!」と蔵之介が制した。


「雉女、それ以上語るのは、亡き長者を責めることになる。我らも奥州の国状を鎌倉に伝えたのだ。佐藤殿を責める筋合いにない。まして裏切るも何も、利を得るのに工夫するのが政治だ」


 雉女は、蔵之介の話を最後まで聞き取ることが出来なかった。いや、声は耳に届いたが、鼓膜を震わせた音を理解できなかった。


「まさか長者が……」


「そうだ。父、力蔵は鬼籍に入った。白女もだ。長者の座はワシが引き継いだ」


「まさか……」


 何者かに無理やり魂を抜かれたような気分だった。


「あれから10年経ったのだ。長者も白女もそれ相応の年齢。あの世に招かれたのが自然なのだ。雉女も間もなく三十路みそじ。誰もあの世への道から逸れることができないことぐらい、わかっているだろう」


「確かに、それは……」


 傀儡女としての旅は辛いことばかりだった。だからこそ、力蔵と白女への信頼と愛情が強くなったともいえた。年老いた2人は天寿を全うしたのだ、と理性が言っても感情がついていかなかった。


「あの世で、勝之介も長者と再会しているだろう。昨年、鎌倉殿も鬼籍に入った。今頃、皆、一緒かもしれんぞ」


 1199年、源頼朝が死んだ。重石おもしを失った鎌倉幕府は混沌としていた。


「とにかく……」三郎太が口を開く。「……かつてのように、雉女の面倒を見ようと思う。どうか?」


「どうかと言われましても……。私は自由気ままに生きる傀儡女。話がしたいと思いの節は、いつでもお越しください」


「そうか……。ワシが不在だった10年の間の事など教えてくれ」


 三郎太の顔に薄く笑みが浮く。


 雉女の憤りは治まっていなかった。


「ですが、今は伊達家の者たちが多く訪ねてまいります。鉢合わせの節は、ご遠慮いただくこともあるかと……」


 三郎太の顔を驚きと失望の影が過った。


「雉女。佐藤殿に無礼だろう。あれほど世話になっておきながら……」


 蔵之介が声を荒げた。


「恩は、勝之介がその命をもってお返ししたと思います」


 雉女がにらみつけると蔵之介は黙った。彼を守るように三郎太が話しを引き取る。


「そうよな。雉女の言うのがもっともだ。そうしよう」


「様々お世話になったこと、三郎太さまには感謝しております。……が、三郎太さまが世の流れに従って寝返ったように、傀儡女ごとき私も時の流れには抗えません。お許しください」


「流石に雉女は聡明な女だ。許すも許さないもない。武士でもない者を戦に巻き込んだ。……ワシの方こそ許してくれ」


「佐藤殿、お止め下さい……」蔵之介が口を挟む。「……我々のようなものに頭を下げるなど御無用。勝之介は、武士になりたい一心で自ら戦場におもむいたはず……」


「馬鹿な!」


 雉女は叫んだ。


「……武士が戦を行わなければ、勝之介さまも百姓も死ぬことはなかった。三郎太さま! 戦が終わった後、お玉は乙女を追いかける雑兵に殺されました。いかがいたします?」


「お玉?」


 眉間に皺を作った三郎太が首を傾げた。思い当たる者がいないらしい。


「佐藤家に出入りしていた産婆です。お忘れですか?」


 三郎太が黙し、蔵之介が代わった。


「時代は動いているのだ。その中で鎌倉と奥州藤原が対立するのは必然だった。佐藤殿に罪がないことぐらい、雉女にもわかっているだろう?」


「時代を作っているのが神か仏か、あるいは朝廷なのか幕府なのか、私は知りません。わかっているのは、信夫庄の男たちが城を守るために集められ、傷つき死んでいった。女たちは犯され、家財は奪われた。勝之介さまも、傀儡子のまま死んでいった。……そういうことなのです。傷つき、死んでいった者たちは誰に怒りをぶつけ、償いを求めればよいのでしょう?」


「雉女、無茶を言うな」


「蔵之介さまこそ、いつから武士の肩を持つようになったのです? それも時代ですか? 武士がこの世で一番偉いのだとすれば、皆、武士になるでしょう。そうしたら、誰が田を耕し、米を作るのです? 誰が木を切り、炭を焼くのです?……武士の弓矢の前に百姓は無力。人を率いる者は、そのことを理解しなければならないのです。蔵之介さまは上に立つ者として、一族一党を武士の力から、……いえ、長者という己の権力から守る覚悟はあるのですか? 傀儡子、傀儡女のために尽くす意思がないのであれば、さっさと武士になり、長者の座を別の者に譲りなさいませ」


 雉女は思いのたけを吐き出した。


「……我らと別の道を選んだ者が、生意気な口を叩くな!」


 蔵之介が顔を赤くして吠えると、トン、と床を打つ音がした。三郎太が扇子で打ったのだ。


「久しぶりに再会したというのに、ワシのために争うのは止めてくれ。……雉女、石那坂の湯に古い仲間が来ている。会ってやれ」


 三郎太の声に力はなく、苦悶の色がにじんだ顔は急に老けこんだように見えた。彼が立つと雉女は口を閉じざるを得ない。頭を低くして見送り、その後に席を立った。


「雉女も偉くなったものだな」


 その場に残った蔵之介の嫌味には応えなかった。ただ、以前の自分なら、長者の地位にある者を責めるようなことはしなかっただろうと考えた。……いや、と気付いた。勝蔵が人柱にされた時、自分は力蔵に食ってかかった。世の中が変わっても、人の本性は変わらないものらしい。胸の内で自分を笑った。


 控えの間に戻ると、待っていた太郎や子供たちを連れて屋敷を出た。子供の一人は太郎とサトが夫婦になってできた子供だ。


「太郎さま、申し訳ありませんでした」


「何のことです?」


 雉女が詫びると、太郎がきょとんとする。


 雉女は、三郎太が生きていると知った時、太郎を引きあわせて武士に戻そうと決めていた。が、三郎太が寝返ったと知って会わせることを止めた。彼に対する失望からだ。


「三郎太さまが生きていました」


「はい。数日前に風の噂で聞きました。信夫庄に戻ったと……」


 父親になった彼は、腕を折った時に失った自信を取り戻していた。それが落ち着いた態度に出ている。


「知っていたのですね」


「しかし、半信半疑だった。今日、この屋敷を見るまでは」


 太郎が塀の向こう側にあるけやきの大木を見上げた。


「会って、武士に戻してもらおうとは思わなかったのですか?」


「俺はこの身体だ。武士に戻ったところで満足に戦えない。そもそも、人を殺さなくてよくなったと喜んでくれたのは雉女殿ではないか?」


 彼が曲がった腕を持上げて見せた。


「確かにそうですが、……それでよいのですね?」


「もちろん。俺は、雉女殿やサトと暮らしている方が幸せです」


 太郎が大人びた笑みを作った。

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