第26話 人柱

 翌朝、勝蔵は「出かける」とだけ告げて雉女と別れた。蔵之介と爽太を連れて、国見峠に向かう。


「あれが防塁か……。確かに兄者の言う通り、とてつもないものだな」


 防塁の工事現場を遠くに見て蔵之介が言った。


「完成したら、あそこでの戦いは苛烈かれつなものになるだろう。沢山の死者が出る」


「勝蔵は、鎌倉側を助けたいのか?」


 爽太が訊いた。


「俺はどちらの味方でもない。ただ、戦で人が死ぬのは面白くない」


「しかし、間道を調べて教えるということは、関東の武士が楽勝することだろう?」


「鎌倉、奥州藤原……。どちらが勝つにしろ、戦が早く終わるにこしたことはない。そうすれば百姓町人が助かる。我々もな」


「兄者は、まともにぶつかったら鎌倉が勝つとみているのだろう? だから間道を教え、戦が早く終わるよう工夫している」


「長者が公文所の中原殿と約束したからだ。そうしてしまった以上、出来るだけのことはすべきだろう。それが誠意というものだ」


 勝蔵は説明し、石母田の集落に続く小道に折れた。


 3人は集落で別れた。蔵之介が厚樫山に近い一番東側の道を、次に勝蔵、西寄りの道を爽太が調べることにした。


「蔵之介は地侍に気をつけろ。見張りがいるかもしれない。爽太は狼に……」


 勝蔵はそう注意して山に入った。


 彼の行く道は狭く、太い木の根が露出している場所や岩が段差を作っている場所が多かった。そんな道を常人の倍の速さで歩いた。目的は道が厚樫山を迂回して奥州街道に出るかどうかを知ることだから、それ以外のことは無視することに決めていた。


 もう一つの目的があった。早く雉女の元に帰ることだ。腰でリンリンと鳴る鈴の音が心地よかった。


 しばらく行くと山菜取りの老人と出会い、道が続く先を訊いた。奥州街道の白石しろいしの集落に出ると教えられ、帳面に――至る白石――と書いた。


 その夜は、前日に立ち寄った百姓の家に泊めてもらった。気の良い一家は「また天狗様が来た」と、喜んで迎えてくれた。土産は猪だ。鈴を鳴らしているにもかかわらず、猪は逃げなかった。それどころか勝蔵めがけて突進してきたのだ。おかげで手ぶらにならずに済んだのだが……。


 翌朝、猪鍋ししなべ馳走ちそうになってから家を出た。西の空を覆う雲が、吾妻連峰から吹く風に乗って近づいてくるように見えた。


「石那坂辺りは雨か……」


 南の空に眼を向ける。雲は薄く、空は灰色をしていた。石那坂には向かわず、奥州街道を真っ直ぐ行こうと決めた。


 奥州街道に出ると、左手に逢隈川を見る。茶色の水が渦を巻く様子は昨日と同じだが、水量はわずかに減っているように見えた。


 ――チリン、チリン――


 鈴の音に気を良くして歩いていると摺上川に突きあたる。普段なら楽に渡れるのだろうが、濁った水が道まであふれていた。水に削られた道を元に戻すため、多くの百姓や牛馬が働いていた。百姓の表情は一様に暗く、皮膚も土色をしている。ただ疲れているのではなく、何かに怯えているようだった。彼らをそうした状況に追い込んだ何かに思いを巡らせながら、勝蔵は渡れるところはないかと黒い流れに眼をやった。


「おい、そこの男」


 いつの間に近づいたのか、まくり上げた直垂ひたたれの裾を荒縄で腰にくくった武士に声をかけられた。彼の背後には、配下のものらしい男たちの姿もあった。


 勝蔵は「はい」と穏やかに応じた。頭を下げると泥にまみれた足が目に止まる。武士は裸足で、膝株の上まで泥がついていた。百姓たちと共に奥州街道の修理に力を注いでいるのだろう。好感を覚えた。


「この辺りの者ではないな?」


「石那坂に逗留する旅の傀儡子です」


「石那坂だと……。こんな遠くにまで、何をしに来た?」


「食料の調達に……」


 勝蔵は弓矢を見せた。獲物を全く手にしていないのが不安だったが、今さらどうしようもない。


「そうか……。傀儡子は勝手気ままに暮らすと聞くが、生きるための糧を探さなければならないのは我々と同じだな」


 武士のおっとりとした物言いに、地形を調べていたことは気づかれないだろう、と胸をなでおろした。


「しかし、喜べ。その苦労も、今日でおしまいだ」


 その言葉に「エッ」と驚いた時には遅かった。勝蔵は配下の男たちに取り囲まれ、両腕を押さえられていた。


「いきなり何をするのです?」


「逢隈川は暴れ川でな。毎年のように流れを変えて田畑を荒らす。それを防ぐために堤があるのだが、お主が見たように破られてしまう。昨日、堤が長く持つように人柱を立てろ、と神のお告げがあった。それを誰にしようかと、朝から迷っていたところにお主が現れた」


 百姓たちが怯えていたのは、それが理由だったのだ、と悟った。


 人柱などにされてはたまらない。……勝蔵は、神妙な態度を捨てて食って掛かる。


「そんな無茶な……。俺はこの地の者ではないぞ。放せ!」


「だからこそだ。根無し草の傀儡子が来るとは、まさに神の恵みではないか。世のため人のためだ。大人しく運命に従え」


「運命などクソくらえだ」


 武士の勝手な理屈に、勝蔵は歯をむいた。身体を左右に振って脱出を試みる。が、腕を押さえた男達は、勝蔵に勝るとも劣らない腕力の持ち主だった。勝蔵がどんなに力を入れても、片腕さえ振りほどけない。


「放せ、放せ!」


 勝蔵は諦めず、肘で突き、足を蹴りあげて暴れた。――リン……、鳴った腰の鈴が落ち、武士に踏まれて泥に沈んだ。


「ヤッ!」声と同時に、武士の影が視界に飛び込んでくる。刹那、鳩尾みぞおちに焼けるような痛みが走った。刀のさやで突かれたのだ。衝撃で息がつまり、身体が二つに折れる。苦悶の中で声を聞いた。


「すまぬな。ワシは佐原平祐さはらへいすけという。恨むならワシを恨め」


 猿ぐつわをかけられた勝蔵は裸馬に乗せられ、括り付けられた。そのころになって、やっと息ができるようになった。


「皆の衆。朝から心配をかけたが、この男が人柱になる。お前たちの家族から人柱を出す必要はなくなった。礼を言え!」


 平祐の大声で、歓喜と憐憫れんびん、罪悪感をまぜこぜにした顔の百姓たちが集まった。


「ありがたい」「申し訳ねぇ」百姓たちが両手を合わせた。


 平祐が水に浸かった土手道を東に向いて歩きだす。その後を配下の男が馬の手綱を引いて従った。馬の背に括り付けられた勝蔵を方々で働く百姓が拝んだ。


「俺を拝んでも、何も変わらんぞ!」


 勝蔵は怒鳴ったが、声は猿ぐつわに遮られた。


 不思議なことがあるものだ。泥にまみれた両手を合わせる百姓たちが哀れに思えた。――子供は大人にすがり、百姓は武士に、そして神や仏にすがっている。俺は神か英雄か……、そんな気持ちになった。いつか死ぬことを思えば、彼らのために命を使うことも悪くない。そんな思いに酔った。


「おーい、柱が見つかりましたぞ」


 平祐の声で、勝蔵は現実に引き戻された。目の前には逢隈川と摺上川がぶつかる大きなうねりがあり、山から押し流されてきただろう巨木が小枝のように漂っていた。百姓たちは腰まで水に浸かって杭を打ち、土俵を積んでいる。


「ようし。間にあったな」


 応じた武士は髪の薄い中年だった。その顔に薄い笑みが浮かんでいる。足元に、ぽっかりと黒い穴が開いていた。


 地面に降ろされた勝蔵は、女たちが話していた水熊を思い出した。巨大な水熊は、自分が落ちてくるのを今か今かと待ち受けているのに違いない。


「お前は水天神になるのだ。この地の者は、永く祀るだろう」


 耳元で平祐の声がし、猿ぐつわが外された。


 ――神が、どれだけのものか……。勝蔵は百太夫を思った。その神が自分を助けることはないだろう。


「ようし、下ろせ」


 胴体に縄がぐるぐる巻きつけられると、平祐の指示で深い穴の中にズルズルと降ろされた。穴の底には胸まで届く水が溜まっていて、見上げると灰色の丸く小さな空があった。


 勝蔵は自分を下ろした縄を握った。もしかしたら、それを上ることができるかもしれない、と淡い希望が胸を過った。刹那、縄ははりを失い、勢いよく落ちてきた。その後に降って来るものがある。土塊つちくれだった。


「キジメー!」


 勝蔵は小さな空に向かって叫んだ。

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