第22話 念願成就

 傀儡子たちは列をつくって八幡神社を出発した。それからも神社仏閣の境内をかりて寝泊まりし、興行を繰り返しながら奥州街道を北進した。力蔵と男の数人は小屋を張った場所場所で地勢を調べ、寺を捜しては西行法師が立ち寄らなかったかと尋ねた。


 信夫庄しのぶのしょうの南端にある黒川神社に着いたのは5月のはじめだった。五日ほど興業をしたところで天気がくずれ、土砂降りになった。それが五日間続いた。雨がひどくては神楽を演じることも旅をすることも出来ない。男たちは木や竹を切り出し、矢や笛などを作って時間を潰した。


「なんとも、手持無沙汰だ」


 力蔵が小屋を打つ雨音に耳を傾ける。布の所々から滲み出した水滴がつたって、床の毛皮を濡らしていた。


「暇なら柿渋を作っておくれよ。雨漏りがひどい」


 白女がぼやく。


「旅をしていて気づかなかったのか? 奥州には柿の木が少ない」


 力蔵が天井を見上げた。その視線を雉女は追った。白女が吊った紙人形が物憂げに揺れていた。


「せめてこの辺りの百姓が豊かだったらねぇ。畑仕事がなけりゃ、ワシらと遊べるのに……」


 白女が愚痴る。百姓も雨で畑仕事ができなければ遊ぶ時間があるはずだが、奥州藤原家が繁栄していても彼らは貧しかった。


「あぁ、絹を作っている者さえいるのに、ただ同然の額で納めているらしい。気の良い連中なのだ」


「欲がないのですね」


 雉女は会津で出合った行徳を思い出した。あそこの小坊主たちは元気にしているだろうか……。懐かしむのを、「違う」と力蔵の声が遮った。


「欲のない人間がどこにいる。この辺りの連中は物の価値を知らない馬鹿なのだ。為政者いせいしゃにとって、無知な者は操りやすい。木偶人形のようになぁ」


 彼は木偶人形に手を伸ばした。それに目鼻はあるが口はない。そのために怒っているのか笑っているのかわからない不思議な表情をしていた。語る者や見る者の気持ちが映るように、あえてそう作られているのだ。


 這うのを覚え始めた龍蔵が、ずりずりと動いて木偶人形に手を伸ばす。


「ようよう、ここに居るは龍蔵殿ではござらぬか。お主は強く賢くお育ちよ」


 力蔵は人形を操り、子供向けの今様を謡う。


 ――舞え舞え蝸牛かたつむり 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に蹴させん 踏ません 真に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん―――


 木偶人形で頭を撫でると、一瞬ぽかんとした龍蔵が声にならない声で愛らしく笑った。


「長者もすっかりじいさまだ」


 雉女の耳元で白女がささやいた。


「はい。頼もしいおじいさんです」


「それで雉女、相談だけど……」


「なんでしょう?」


「ひとつの小屋に働き盛りの女が2人というのも仕事がやりにくい。そろそろ、小屋を替えてはどうだい? 勝蔵が嫌なら伊之介でもいいんだよ。もちろん、蔵之介でもいい」


 彼女は勝蔵か伊之介、蔵之介と夫婦になれと言っているのだ。


「母親のワシがいうのもなんだが、勝蔵は賢く強い。男気もある。だけどねぇ……。色ごとにかけては奥手でね。傀儡子なのにさっぱりだ」


 始めの部分は嬉しそうに、後半は残念そうに語った。


「そうなのですか?」


「ワシの知る限り、勝蔵は夢香しか知らない。夢香がのしかかって男にしたようなものなんだよ」


 雉女は驚いて返事が出来なかった。まるで酒でも酌み交わすように男女が関係を結ぶ傀儡子の中にあって、30歳になっても1人の女しか知らない男がいるだろうか……。


「無理にとは言わないが、お腹の子のためにも、父親を決めておやりよ」


 白女はそれだけ言うと、力蔵に肩を寄せた。2人は、「もういいだろう、貸しておくれよ」「いや、もう少し」と、龍蔵を取り合った。


 翌朝、空がからりと晴れた。


「勝蔵!」


 力蔵の声が轟く。


「オウ」と応じ、勝蔵が大股でくる。


「今日1日、小屋を乾かし、明日も晴れたら出立する。そう、みなに伝えてくれ」


 胸元に腕を組み、力蔵が言った。


「大鳥城下に向かうのですか?」


「もちろんだ。避けては意味がない」


「法師もいますかな?」


「その可能性は高い。忙しくなるぞ」


 雉女は2人の声を聞きながら、夫にする男の事を考えていた。……頼れるのは勝蔵だが、彼は私を愛しているのだろうか? 愛してないまでも、添い遂げるつもりはあるのだろうか? それにひきかえ伊之介は愛してくれているし、腹の子の実の父親かもしれない。しかし彼は、軽率で力も弱い優男やさおとこだ。心から魅かれるのは……。


 勝蔵を見上げると視線が合う。ドキンと胸が鳴った。ところが彼は、雉女を無視して背中を向けた。


 その日、傀儡子たちは出立の準備で忙しく過ごした。大人たちは久しぶりの力仕事で疲れ、夜はぐっすりと寝ついた。仕事の忙しさなど子供には関係なく、雉女は夜泣きする龍蔵に起こされた。力蔵夫婦を起こさないように、泣く子を抱いて小屋を出た。


「ごらんよ。星がいっぱいだ。キラキラ、キラキラ、綺麗だねぇ」


 空には星々が煌めき、地上には獣除けの焚火がふたつ。その火勢が弱まって、今にも消えそうだった。


「坊が勢いよく泣くもので、火が消えてしまいそうだよ」


 雉女は龍蔵をあやしながら薪をくべた。


 小屋のひとつから、男がぬーっと出てくる。勝蔵だった。


「雉女、いつもすまないな。俺があやそう」


「あら、珍しい。勝蔵さまがそんなことをしたら、明日も雨になってしまいます」


 雉女は皮肉を言った。誰かが手伝いに起きて来ることがあっても、それは勝蔵ではなかったからだ。


「雉女は変わったな」


 言いながら、勝蔵が龍蔵を抱き取った。


「昔の私の方が良かったですか?」


「良いも悪いもない。傀儡女らしくなった」


「そういうことですか……」


 八カ月も旅をしている。しかも、命がけで冬山を越えれば、毎日のように男に抱かれているのだ。変わらない方がおかしいではないか……。そう胸の内で言い、火勢の衰えた焚火を棒でかき回した。パチパチと薪が爆ぜ、無数の火の子が蛍のように舞い上がった。


 ――ぅあーん――


 龍蔵の泣き声が大きくなる。


「どうした。お前の親父だぞ」


 彼が振ってあやすほど、龍蔵の声は大きくなった。


「見ていられません。私に返してください」


 勝蔵から龍蔵を取り上げ、胸元に抱きしめる。すると龍蔵は、半泣きのまま唇を尖らして乳を吸う仕草をした。


「腹が減っているのか?」


 勝蔵が眉間に皺を寄せて息子の顔を覗き込んだ。


「さぁ、そんなことは……」ないと思いながら小指を唇にあてがった。龍蔵は、雉女の指をチューチューと吸って寝てしまう。


「夢香さんを思い出しているようですね」


 実際、そんな気がした。


「まさか……」


 勝蔵が顔を歪めた。


「子供には母親が、男には妻が必要なのです」


 雉女は龍蔵の寝顔を見ながら返事を待ったが、勝蔵は何も話さなかった。焚火を映す彼の瞳を見上げる。すると彼は、くるりと背中を向けて小屋に向かった。


 待っていては何も変わりそうにないと思った。意を決して後を追い、彼の小屋に潜りこんだ。


「私が嫌いですか?」


 嫌いだと言われたら、伊之介と夫婦になろうと決めた。


「いいや」


「それなら……」


 雉女は、時々白女が夫に対してするように、帯を解いて跨った。


「私の気持ちは決まっています」


 彼の視線が膨らんだ下腹部に向く。


「腹の子が、気に障りますか?」


「いいや。これは俺の子だ」


 言いながら雉女の腹をなでた。


「勝蔵さまの心のままにしてください」


 勝蔵の腰から下りて横になると、太い腕に抱き寄せられた。


 外で梟の声と焚火の爆ぜる音がした。が、雉女には聞こえなかった。彼女の唇から、喜びに喘ぐ声がもれた。


 2人は半裸のまま朝を迎えた。布の壁は朝日を通し、小屋の中を明るくした。龍蔵がずりずりと這いまわる。その音で雉女は目覚めた。隣には穏やかな寝顔の勝蔵がいて、幸せとはこういうものかと思った。


 外がにぎやかになる。2人が慌てて小屋を出ると、幾多の視線を浴びた。雉女は恥ずかしさに頰を染めて白女の小屋に駆け込んだ。


「おやおや。勝蔵に振られたのかい?」


 からかう白女の視線が勝蔵に向けられる。


「長者」


 勝蔵の力強い声に驚いて雉女は振り返った。


「雉女を俺の妻にします」


 凜々しい声だった。


「よかろう」


 応じた力蔵の顔も満足そうだった。彼は大きく息を吸い、それから宣言する。


「勝蔵が、雉女を嫁にする!」


「オー」という同意と賞賛の拍手がわいた。


「雉女。もうここは、お前の小屋じゃないよ」


 出入り口に、笑顔の白女が立っている。


「目出度いが、祝いは後だ。出立の準備を急げ!」


 力蔵が大音で命じると、「オウ!」と傀儡子たちの声が続いた。

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