英雄堕ち

第7話 崩壊都市

　荒野に佇む、巨大な都市の地下に広がる底の底。そこで延々と響いていた戦闘音が巨大な爆発音を最後に、突如静寂で包まれた。一帯には黒煙が蔓延（はびこ）っていたが、あちこちに繋がる排水口から煙が流れ出たからだろう。

　それまで完全に塞がれていた視界も徐々に晴れ、うっすらと瞳を開けたロットが最初に見たのは、地底の床。戦闘中に転がり続けて、もはや見慣れた光景だったとはいえ、なぜそのような景色が映っているのか？

　その答えは顔を横に向け、ロットに覆い被さるジンを見れば一目瞭然。どうやら爆炎から庇ってくれたようだったが、炎の耐性に関しては、術者であるがゆえに彼よりも自信がある。

　だからこそ呪文をモロに受けた彼の身を案じたのも束の間。落ち窪（くぼ）んだ眼窩（がんか）に光が灯れば、ふいにジンと目が合ってしまった。しばし互いに視線を交え、胸の前で手を組むロットの姿も相まって、傍目には恋人が逢瀬を重ねているように見えた事だろう。

　長いまつげを何度も瞬（しばたた）かせ、全身を硬直させていた矢先。おもむろにジンが体を起こすや、周囲を軽く見回した。敵の気配を探っているのか、程なく歩き出した彼を見送れば、遅れてロットも起き上がろうとした。

「おい」

　立とうとするタイミングで声に振り向くと、足で杖を拾ったジンが、まるで手で放るようにロットへ蹴り飛ばしてきた。

　咄嗟に受け止める事はできたものの、大切な装備をぞんざいに扱われた怒りは、粗雑（そざつ）な行動に反して、羽根を抱き留める程度の勢いしかなかったこと。そして何よりも自身が放った魔術から、咄嗟に身を挺して庇ってくれたことで、彼の評価はプラマイゼロ。

　短い間の目まぐるしい経緯を加味し、何も言わずに立ち上がることにした。

「…相手の剣を受け止めた“足を硬化する”術。都市の入り口でハエの魔物ごとジンさんを焼き払ってなお生き延びた秘密と、何か関係があるんでしょうか？」

「天井（うえ）は晴れたが、俺らごと焼く必要はなかったろうがよ。時間かけるような魔法（もん）を使うくれぇなら、もっとお手軽なやつをぶつけろや」

「威（・）力（・）を（・）減（・）ら（・）す（・）ために時間をかけざるを得なかったんですよ」

　天井を見上げていたジンをキッと睨みつければ、落ち窪（くぼ）んだ眼窩（がんか）が気怠そうに向けられる。

「魔力で作られた雲に炎を撃ち込むんですよ？放った後に反発しあった力がボクたちにも返ってくるのは目に見えてました。だからこそ威力を調整していたのに、急ぐよう催促するから……いずれにしても敵との交戦時にジンさんが硬化する術を使えると踏んだので、手加減する理由も無くなりましたが」

「……お前、顔色が悪くなってねえか？」

「英雄（アレ）を相手に“１人で”ずっと戦っていれば疲れもしますよ。単純に魔術の使い過ぎなので、気にしないでください」

「俺が脇に抱えるまでは、そんな死にそうなツラはしてなかったぜ」

「…最後に唱えた呪文で消耗しただけですよ。それよりこんなところまで、どうやって追ってこられたんですか？まさか硬化以外にも何か呪文を会得して…」

「床やら壁やらの焦げ跡を辿ったんだよ。途中ですれ違った化け物共に殺されるところだったがな…それよかアレ、まだ動いてんぞ」

　視線がロットから外れるや、移された先があごで指し示された。相変わらずぶっきらぼうな物言いに少し怪訝になるも、渋々ジンの言葉に従えば、２人から離れた場所で転がるモノに自然と注意が向けられる。

　凝視すれば微かに動いているのも確認でき、チラッとジンを一瞥してから、恐る恐る近付いていけば、倒れていたのは他でもない、先ほどまで戦っていた敵――の残骸（ざんがい）だった。

　全身はジン同様に黒焦げ、プスプスと嫌な音を立てていたが、“肉”を纏（まと）っていた分、生焼けの赤身がちらほら目立つ。

　衣と見紛う黒髪も今や完全に消失し、瞼（まぶた）を失った眼孔（がんこう）が力なく宙を漂う間も、微かに行なわれる呼吸は、もはや痙攣も同然。肉の焦げる臭いも相まって、近づき難い空気を孕（はら）んでいたものの、それでも相手は元英雄だからか。

　警戒を怠らず、切られた蛇の頭を扱う慎重さで距離を取れば、ゆっくり杖を敵に向けた。

　念入りにトドメを。そう念じながら数々の呪文が脳裏をよぎるも、ふいに黒焦げた腕が持ち上がれば、後ろに数歩。

　そしていつの間にか背後に立っていたジンに首根っこを掴まれ、さらに距離を取った。

「さすがは英雄様ってとこか。あそこまで成れ果てても死ねねぇとはな」

　着地と同時に毒吐（どくづ）くジンをよそに、敵の腕が宙に向かって伸ばされる。恐らく最期の力を振り絞っているのだろう。指が痙攣するように震え、焼け焦げているせいで、今にも崩れてしまいそうだったが、　魔術の発動を警戒したロットが杖を構えた時だった。

「…め……が…ッ……ぃ――」

　喉を震わせるような細い声が、微かに男の口から零されるや、そのまま腕を力なく床に落とされた。その後も警戒を続けていたが、一向に動く気配のない敵にしびれを切らしたロットが呪文を唱えると、敵“だったモノ”は避けるわけでも、反応するわけでもない。ただ炎をその身に受け、焚き火同然にパチパチと燃え始めた。

　壮絶な戦闘の果ての静かな幕引きに、思わず唖然としていたものの、一帯を仄かに照らす明かりで、徐々に２人の緊張も解（ほぐ）れていく。

「…あのヤロウ、最期にメラミって言ったか？てっきり悪あがきでもすんのかと思ったぜ」

　最初に口を開いたのはジンだった。チラッと彼に視線を移せば、気怠そうな声と立ち姿が映ったが、それは同時に“周囲が安全である”合図でもある。

　だからこそ肩の力も自然と抜け、ロットもまた小さなため息を零した。

「たぶん“女神”の間違いですね。ボクも一瞬警戒しましたが、この様子なら問題が無さそう…ではなく、もっと大事なことがありますよね？」

　焚火の中に杖を突っ込み、念入りに男が動かないことを確認していた矢先。ふいにロットが振り返れば、すでに敵への興味が薄れたのか。周囲を見回していたジンの視線とかち合った。

　干からびた表情からは、もう話すことはないと言わんばかりの雰囲気が漂っていたが、それでも会話に応じてくれるのは彼らしいと言えば彼らしい。

「あの姿（ナリ）で野郎が喋れたことを言ってんなら、とっくに手遅れだったろ。忘れちまえ」

「瀕死にして正気に戻せたなら、戦力としてそ（・）れ（・）な（・）り（・）にボクたちの役に立ってくれたかもしれないじゃないですか」

「“それなり”の相手に殺されかけた奴がずいぶんデケェ口（くち）を叩いてんなぁ、おい」

「言葉を忘れて見境なく人を襲った時点でボクたち以下ですから」

　ジンの言いように少しムッとしたが、胸を張って答えを返せば、顔を逸らした彼の溜息が聞こえた気がした。普段ならそこでも苛立ちを覚えていたろうに、不思議と笑みが零れてしまったのは、カラカラのミイラになってなお、ジンが自我を保っているからだろう。

　細身ゆえにロットが通った排水口もくぐり抜けられ、例え肉が渇いて塵（ちり）と化しても、“人のまま”動き回ることができている。

　少なくとも全身が赤紫に変色した敵同様、体の半分が染まったロットからすれば、“人間性の象徴”のように思えてならなかった。

　あるいはジンと出会っていなければ、今頃は――。

「おい」

　おもむろにジンが低い声で話しかけ、ドキッとすれば慌てて“焚き火”から離れた。気付けばジッと彼を見つめていたらしく、そのことを咎（とが）められるのかと思ったが、そうではなかったらしい。

「…聞こえっか？」

　お次は返事をしなかったことを責めているような口ぶりだったが、どこか様子がおかしい。彼の表情はいつも通り険しいままだが、辺りを見回すにしては、そこはかとなく忙（せわ）しなかった。　

　ジンの言動を理解するためにも、まずは彼を真似て周囲をそれとなく観察する。それと同時に耳を澄ませるも、目の前の焚き火がバチバチ騒いで集中できない。仕方なく杖で表面を薙（な）げば、ロウソクが吹き消されたように、フッと火の気も途絶えた。

　久方ぶりの静寂と暗闇が地底に訪れ、改めて一帯に注意を向けた刹那――ピシッ、と。ふいに硬い布を裂くような、不快な音が聞こえてきた。

　そこかしこに倒れた柱が崩れてきたのかと思いきや、音が足元を伝って響いていることに気付き、咄嗟に後ずさったが、一向に音源が途絶える様子はない。

　むしろ微かな振動まで加わり始めると、とうとう床に亀裂が走りだし、脳裏によぎった嫌な予感が徐々に現実味を帯びてきた。

「敵を倒す案を出したのはボクなんですから、順当にいくなら次はジンさんの番ですよね」

「落ち着き払ってると思えば他力本願かよ。ふざけやがって」

「機動力“には”全幅（ぜんぷく）の信頼を寄せているんです。お願いしますよジンさん？」

　にっこり笑みを浮かべながら顔を合わせれば、やはりジンは怪訝そうな表情を浮かべていた。予想通りの反応に少し勝てた気分になり、優越感に浸っていたのも一瞬だけ。

　直後に亀裂が音を立てて広がり、地震と見紛う衝撃が、足先から全身にかけて駆け上がってくる。

　やがて視界をも揺るがす振動は地割れを起こし、天井にまでヒビが入るや、まるで空をくり抜いたように巨大な石塊が落ちてきた。　

　落下地点の影が徐々に濃くなれば、すかさずジンがロットを抱えて後退。それまで立っていた場所に落下した巨塊は豪快に崩れたが、同時に床はますます砕け、連鎖するように同じ光景が２人の眼前で繰り返されていく。

　天井から降り注ぐ岩の雨に、地割れで波打つ床の洪水。

　世界の終わりを彷彿させる様相に、生き埋めの未来が必然的によぎるが、不思議と焦りを覚えなかったのは、ひとえにジンが狼狽（うろた）えていなかったから。

　もっとも助かる手立てが無く、仮に彼が単純に脱出を諦めていたとしよう。それならば皮肉の１つや２つを呟くだろうに、今のところ聞こえてくるのは、地底が沈んでいく音ばかり。

　チラッと。自分を抱えるジンを一瞥すれば、いつもの険しい表情こそ浮かべているものの、その落ち窪（くぼ）んだ眼窩（がんか）は鋭く周囲を睨んでいる。気分屋の運び人を急かすことなく、自分の役目を終えたとばかりに、この世の終焉をロットが眺めていた時だった。

　迫りくる歪（いびつ）な音に見下ろせば、足元に届いたヒビが大きく裂け、上空にあるもの全てを飲み込もうとしていた。

　直前に跳びあがったジンは悠々と地割れを躱すが、その頃には一帯も“ただの災害”から“天変地異”に早変わり。堰（せき）を切ったように床も、天井も、すべてが崩れて沈んでいき、何もかもが消えようとしていた。

　ジンが着地した先も案の定崩壊（ほうかい）し、抱えられたロットでさえ浮遊感を覚えた刹那。颯爽と跳んだジンは、そのままかつて足場だったモノに乗り、それから次々と落ちてくる瓦礫の上に飛び移っていく。

　人間業とは思えない動きは、ミイラであるがゆえに可能なのかと。一瞬よぎった疑問も、恐らく彼が“英雄であった頃”からやってきたろうことは、淀みの無い移動方法からも見て取れる。

　子供の姿をしたロットでは、生前をもってしても、決して真似することはできないだろう。

「…やっぱり大人はズルいですね。不公平ですよ」

「あ゛んッ！？なんか言ったか！！」

「瓦礫の音で鼓膜が破れそうなので、早くココから抜け出してくださいって言ったんですよ！！」

「ウソこけやっっ！もっと短かったろうが！！」

「つべこべ言ってないで脱出に専念してください！！ほら、前っ。前っっ！！」

　睨んできたジンの怒号を跳ね返し、眼前に迫る瓦礫を指摘すれば、やはり彼は焦ることなく、側面を蹴って別の巨塊に飛び移った。空から次々降ってくる“足場”を――時にハエの魔物や、人の死体を器用に乗り換え、やがて上階にひょっこり姿を現すことはできたものの、崩壊は留まるところを知らない。

　一見して床だけが最初は抜けているように見えたが、亀裂は建物の壁にまで走っている。

　それらも程なく瓦礫となって底に落ちていき、地響きは階下にいた時よりも、さらに激しさを増していた。まるで建物が悲鳴を上げているようにさえ感じたが、思い返せば宮殿都市は、地平線まで続く荒野のうえに佇んでいる。

　砂漠も同然の環境に重量物が沈んでいけば、その先に待ち受けているものが何なのか。

「…っっジンさん！！」

「言われずとも分かってらぁっ！！」

　周囲をしばし眺めていたジンも、ハッとなれば壁に開いた穴へめがけて走り出し、落下物で塞がれる寸前で跳び抜けた。背後で重々しい音が響いたが、振り返っている暇など無い。

　目の前では都市が激しく震え、亀裂を入れながら崩れていく光景に、もはや長居は不要。即座にジンが疾走すれば、剥がれ落ちた壁を足場にどんどん上層階へ向かっていく。

　その間も都市は崩壊を続け、一帯を轟音が包んでいたのも束の間。ふと視界の端が光るや否や、慌ててロットが杖を振って、飛んできた矢を焼き払った。

　直後に反応したジンが拳大の石を蹴りつけ、弓を構えていた亡者の頭部へシュート。“ボール”が砕けると共に敵は落下していくも、戦闘はそれだけに留まらない。ジンの移動経路では、いまだに戦いをやめないハエの魔物と元英雄たちの姿が見え、壮大な戦景色（いくさげしき）に思わずロットが溜息をこぼした。

「はぁー…もしボクらが自我を失っていたら、あんな風に殺し合いを続けていたんでしょうかね。こんな状況なのに一体なにを考えて…あっ、いまの人たち、割れ目に引きずり込まれていきましたよ」

「失うもんが無ぇなら、それはそれで楽なんじゃねえのか。もっとも、最初（はな）っからそんな大層なもんを持ち合わせた覚えもねえがな」

「……だからこそボクたちは、意思を持った亡者として彷徨っているのかもしれませんね…ははっ」

　脇に抱えられたまま自嘲するロットに、ジンが返答することはなかった。

　希望を持たなければ絶望することも無いように、自身を英雄視していなければ、今の自分に落胆することもない。英雄でいることを諦めたからこそ荒野に降り立ったとは言え、“生前から心が死んでいた者”に捨てるものはないから。

　英雄思想の欠如。それこそが度々衝突――もといロットが一方的に吠えても、２人が背中を預け合えてきた理由なのかもしれない。

　思わぬ場所で想いに耽ったものの、すぐに意識は崩れゆく都市と、襲い掛かってくる敵たちへ引き戻される。戦況が戦況なだけに、普段であれば絶体絶命も同然の環境だったが、逃げに徹していればさほど苦にはならない。

　接近されればジンの体裁きであっさり躱し、懐に入られる前であればロットが炎で蹴散らしていく。

　バラバラに崩れる石の橋。砂上を流れゆく瓦礫。それらを飛び石の要領で足場を変えていき、やがて時間の進みすら忘れた頃だったろう。それまでの忙（せわ）しなさが突如落ち着くや、かつてない浮遊感に襲われた。

　視界も絶壁にずっと邪魔され、敵の呪文かと身構えていたが、それも最後は下から突き上げるような衝撃によって幕が降ろされる。重厚感あふれる振動に呼応した砂埃も激しく舞い、ロットがむせていたのも束の間。再び走り出した勢いで風が顔に吹きつけられ、砂塵を瞬く間に切り抜ける。

　眼下ではいまだ足元に亀裂が走り、地盤沈下が続いている状況に、足を止めている暇はない。背後で響く流砂と崩壊音を耳にしながら、やがて砂丘を何度も上り下りすることを繰り返したあとだろう。

　小高い丘の頂（いただき）でピタリとジンが止まるや、直後にロットが解放される。ぼふっと地面に顔から落とされ、口に入った砂を不味そうに吐き出すが、すぐさま相方を睨もうとした視線は、彼に向けられることは無かった。

　瞳の軌道上に映った都市がみるみる崩れていき、荒波に飲まれるように底へ底へと沈んでいく。延々響く轟音は、まるで怪物が咆哮を上げているようにさえ聞こえ、飛沫（しぶき）をあげる砂は、巨大な口にさえ見える。

　しかしそれらも最後には吹きあがる砂塵と共に、荒野の中へ消えていった。確かに訪れたはずの偉大な都市は、今や文字通り跡形もなくなり、景色も相まって蜃気楼だったのではないかと疑いたくもなってくる。

　もっとも空を永遠の夜が覆い、涼しい風が吹くだけの土地では、その可能性があり得るはずもない。地鳴りも轟音も嘘のように静まり、残ったのは自我を保った亡者の２人だけ。

　これまでの冒険も戦闘も、すべてが最初から無かったかのような真っ新（まっさら）な光景に、ただただ砂丘の上でロットが立ち尽くしていた矢先。ふと聞こえた足音に振り返れば、颯爽と歩き出したジンの後ろ姿を捉えた。

　行き先は考えるまでもなく、地平線に降り注ぐ光の柱。まるで空に浮かぶ月を掴むため、干からびた亡霊が愚直に進んでいるように感じる構図に、それでもロットがため息を零せば、渋々彼の後ろに小走りでついていった。