武蔵野迷宮にて待つ

七雨ゆう葉

懐かしの園で、キミとまた。

 夏の終わりを告げるかのように。

 肌寒い風が、乾いた頬を横切ってゆく。

「ハア……」

 面接の帰り道にふと立ち寄った、丘陵のベンチ。

 就活スーツに身を包んだ創太は、タバコの煙を空に向け、溜め息と共に吐き出した。


 現在創太は、学生寮で一人暮らし。特別やりたいことがあるわけでもなく、ダラダラと適当に過ごしてきた大学生活も残りあと僅か。恋人がいる訳でもなく、何かに打ち込んできたわけでもない。


 世間の流れに任せる形で、手あたり次第説明会や面接に足を運ぶ日々。だがいかに取り繕うとも、面接官には本質を見抜かれてしまっているのか、一次面接から先には進むことが叶わず惨敗を重ねていた。

「また、エントリーシートからか……」

 うなだれる肩。疲労したまなこを少しでも休ませようと、目の前の緑に視界を委ねる。


「あれっ? あの看板……なつかしいな」

 遠くに見える「スタート!」と書かれた手書きの古看板。数百メートル先に広がる緑地。

 そこはかつて、小学生時代によく遊んでいた場所だった。


 むさしの扇公園――通称「武蔵野迷宮」


 当時の少年少女の間でそう呼ばれていた公園は、敷地の一角にサークル状の高い生垣が並んでいる。それは迷路のように入り組んで植えられており、小さい子どもたちにとってはまるで深緑の迷宮としてよく遊ばれていたエリアだった。


 だがそれも昔の話。今は手入れもされておらず、草木は生い茂るどころか枯れかけていて、少子化とデジタル時代に取り残された産物と化していた。

「ザッ……ザッ……」

 静寂を切り裂くように、枯草の上を踏みしめながら生垣の間を縫い歩く創太。

 だがその途中、くたびれた革靴はピタッと静止した。


「あっ」

「アッ」


 重なる声。

 反対方向から現れた女性と目が合う。

「もしかして……ソウタ?」

「って、ウソ……アヤメ?」

 創太が遭遇した女性。

 それは小学生時代の幼馴染であった彩芽だった。

「どうして、創太がここに……」

「彩芽こそ、なんで……。戻って来てたの?」

「うん――。じつは、高校卒業と同時にね。私だけ東京に上京してきたんだ」

 小学校の頃。同い年の彼女と、それともう一人の同級生であった久志という男子と三人で、よくこの公園で遊んでいた。

 だが小学五年生の時、彩芽は両親の仕事の都合で地方に引っ越してしまっていた。


「そのスーツ、もしかして就活?」

「えっ、まあ。近くで面接があったから……。彩芽は?」

「私? ああ……。じつはわたし、たま~にココ来てるんだ」

「ねえ、知ってた? この公園、なぜだかケータイの電波が通じないんだよね」

「えっ?」


 創太はケータイを開いて見る。


「ホントだ」

「田舎暮らしが長かったのもあって、まだ東京暮らしに慣れなくて。学校のみんなとは毎日チャットグループのやりとりがひっきりなしで鳴りやまないし。バイト先ではしょっちゅう合コンに誘われたりで、疲れちゃって……」

「じゃあ断るか、反応しなけりゃいいんじゃ……」

「ダメダメ! そんなことしたらどうなることか。 適度にうまく付きあっていかないと、保ってきた関係もすぐに崩れちゃうんだから」

「ここは懐かしい場所だし、緑も多くて落ち着く。ケータイが鳴ることもない。だから時間があると、つい来ちゃうんだよね」

「大変だな、女子っていうのは……。あーあ、オレもあの頃が懐かしい。できることなら戻りたいよ」

「なにそれ、ハハ」


 それから創太と彩芽は、互いに小学校を卒業後から現在に至るまでの生い立ちを語り合った。


「ねえ! そういえばさ! この迷路の中心に立っているあそこ。あの木の下にタイムカプセル埋めたの、覚えてる?」

「ああ、そういや埋めたっけ」

「そうだ、創太! そのタイムカプセル、掘り起こしてみない?」

「えっ? タイムカプセルっていっても大したもの入れてなかったと思うけど――。それに久志は?」

「そうだった。久志とは今も連絡とってたりする?」

「いや。高校からは学校も違ったし……今はもう連絡先も知らない」

「そっか……。でもまあいいんじゃない? 二人だけの秘密ってことでさ」


 二人だけの秘密。その言葉に、妙に心が躍る感覚を覚えた。


「でも私、これからバイトがあるんだよね……」

「ねえ創太。今度の金曜、空いてる? 良かったらまた落ち合わない?」

「あ、うん……。まあ、大丈夫だけど」


 そうして創太と彩芽は再び、この場所で落ち合う約束を交わした。




 数日後。

 夜の会社説明会を終えた帰り道。

 創太は道路脇で、ぐったりしている青年を見かける。

「あの……大丈夫ですか?」

「え、ああ……うう……ん」

「ちょっと飲みすぎちゃったみたいで……。――って……ん?」


「ソウタ!」

「ヒサシ……」


 二度目の偶然は、日を置かずして訪れた。




「ありがとな、創太」

「うん」

 その後、近くの公園へと移動した二人。自動販売機で購入した水を久志に差し出す創太。

「就活生ってのも大変そうだな。オレは勉強はめっぽうダメだから、高校卒業してからずっと、鳶の仕事やってるよ」

「そっか。久志はもうとっくに社会人やってんだな」

「やめてくれよ。そんな大層なモンじゃないっての」

 その夜は終電ギリギリまで。

 昔を懐かしみながら、二人は近況を語り合った。



 ◆



「創太、お待たせ! って、ウソ」

「よお、彩芽! 久しぶりぃ!」

 創太からタイムカプセルの話を聞き、一緒にやって来た久志。

 そうして集まった幼馴染の三人は、武蔵野迷宮へと入って行った。


「せーの!」


 大木の根元近くを掘り起こし、取り出した銀箱。その中には当時遊んでいたおもちゃやトレーディングカードの数々。さらに「将来の夢」と書かれた、三枚の紙が添えられていた。


『有名な小説家になる!  創太』

『玉川先生みたいな、素敵な先生になる!  彩芽』

『ヒーローになる!!  久志』


「そういや読書大好きだったもんな、創太!」

「しかもあの頃から、お堅い小説とか読んでたよね?」

「じいちゃんの影響で……小さい時、よく書斎で遊んでたから」

「彩芽は教育学部行ってるんだっけ?」

「うん、まあね」

「創太は? 文学部?」

「いや、オレは商学部。もう本すらも全然読まなくなったな……」

「で、久志のヒーローってなんなの? フフ」

「小学生なんて皆こんなもんだろ! まあ、なんも考えてなかったんだな。ハハ」


 こうして三人は当時を懐かしみ、笑いあった。

 そんな中創太は、童女のように笑みをこぼす彩芽をじっと見つめていた。




 その夜。

「もう一度、やってみるか……」

 創太は数年ぶりにペンを走らせる。


 中高生の時にすっかり消失していた夢。けれど、彼女との再会と共に湧き出した恋心が、指先を躍動させた。今の自分を主人公に投影させ、幼少期から社会人に至るまでの恋愛模様を原稿に落とし込んでゆく。




 二週間後。

「メシでもどう?」と、創太は彩芽を誘った。

 快く承諾してくれた彼女。最初は気兼ねなく行ける場所。そう思って、無難なファミレスを選んだ。


「ごめん、お待たせ!」

「ううん、大丈夫。――って、あれ……」


 遅れてやって来た彩芽。

 だが一人ではなかった。


「よお。創太!」

「そうだ、言ってなかったな……」

「――オレたち、ちょっと前から付き合うことになったんだ」

「うん……。じつは、そうなんだ」

「そっか」

「そうなんだ……」


 心の種火にそっと蓋をし、創太は二人を祝福した。



 ◆



 そして、時は過ぎ。

 開けた緑と街並みの中に、新しくできたミュージアム。


 2年後――。あの迷路があった公園跡地に建てられたその建物は、まるで地上に不時着した「ピレネーの城」のような外観をまとい、行き交う人たちの目線をさらっている。周囲には美しい噴水、憩いのフリースペース、さらに屋台も開かれ、様々な世代で外は賑わっていた。

 一方館内には、まるで魔法ファンタジーで見かけるような360度美しい本棚が並んでいる。そんな人込みの中を歩く、二人のカップル。


「すごいだろ、彩芽! ここ、オレも微力ながら建設に関わったんだ」

「うん。何ていうか、神秘的。まさかこの場所に、こんなに大きな建物ができるなんて」

「まあ図書館に美術館、博物館が合わさった複合施設だからな」

「あっ、久志見て! ほら、あったよ!」

「おっ! ホントだ!」

 訪れたフロアの一角。

 そこには、創太が書いた小説が展示されていた。



『武蔵野迷宮にて待つ』



 まさに以前のこの場所を舞台とした青春恋愛小説であるそのタイトルは、見事新人賞を受賞し、通路の目立つ場所に展示されていた。

「この本に登場する二人、オレたちをモチーフにしたなんて、創太も粋なことするよな」

「うん――。でも、素敵なお話だった」

「だから今度、ウチの生徒たちの読書感想文の推薦本に紹介しようと思って……」

 そうして二人は、仲睦まじく館内の奥へと消えていった。




 ミュージアムの外観を展望できる丘陵。

 青年は一人ベンチに佇むと、ブラックの缶コーヒーを片手に郷愁にふける。


「あ、あの……」

「えっ?」

「もしかして……入間創太さんですか?」

「この本を書いた……」


 突然現れた女性はそう言って、例の本を片手に声を掛けてきた。


「え、ええ……まあ……」

「やっぱり! じつは私、この本のカバーイラストを担当した者なんです!」

「以前一度だけ、出版社であなたのことお見かけしたんですけど……。その時は緊張して、声を掛けることができなくて……」

「私、この本の大ファンなんです!」


 その女性は、歩歌あゆかと名乗るイラストレーターだった。


「この〇〇ページにある描写、この言葉選びがもう最高に好きで」

「ああ……ありがとうございます」

「それと、あと……」

「あっ! すいません! 私ばっかり喋っちゃって……」

「いえ」

「良かったら、もっと聴かせてください」

「いいんですか? はい! えっと……」


 ベンチに並ぶ二人。

 自作の書を介し、遅れて訪れた春の風が舞い踊る。


 創太はこれまで募らせてきた恋心を、一冊の本にして昇華させた。だがそれは思いがけず、ささやかな出会いをもたらしてくれた。


 新たな未来の始まり。

 その丘から見る景色は、いつになく美しく、輝いて見えた。

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武蔵野迷宮にて待つ 七雨ゆう葉 @YuhaNaname

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