解決したくない探偵

てこ/ひかり

問題編

「あぁ……終わっちゃった」


 文庫本の最後の頁を捲りながら、黒田長長くろだながながが哀しそうに目を伏せた。


「このミステリー、面白いんだけど、最後に終わっちゃうんだよね」

「当たり前だろ」


 向かいのソファでくつろいでいたセーラー服の少女が、呆れたように応えた。


「ミステリーが終わらなかったら、いつまでも殺人事件が続いちゃうだろ。どんだけ殺せば気が済むんだ、その作家」

「終わらなきゃいいのに」


 セーラー服の少女は、三ツ藤みつふじトモエである。黒田の方はというと、この男は探偵をしていた。だが今日日イマドキ探偵などあまり儲かるものでもなく、金もなく住む家もなく、親戚であるトモエの両親に頼み込んで、居候をしていたのだった。


「だってそうじゃん。探偵だって、いつまでも事件が終わらなきゃ……その分依頼主から追加料金踏んだくれるじゃないか」

「お前は金の話しかしないな……」


 10歳年下のトモエに心底軽蔑した目で詰られ、さすがに黒田もしゅんとなった。ほうぼうに伸びた黒髪をクシャクシャと搔き上げる。


「ち、違うって……。トモエちゃんには分からないかなぁ、好きな物語が終わって欲しくないって、この気持ち。いつまでもその世界に浸っていたいって……何なら犯人をもう一人捏造したって良いから、続きが読みたいって」

「良いわけないだろ。それじゃ完全に冤罪じゃねえか。それより、もうそろそろ時間じゃねえの?」

 白髪の少女が天井を仰ぐ。視線の先には、壁掛け時計があった。


「そろそろ依頼人が来るんだろ? 久しぶりの依頼」

「そうなんだけど……なんていうかさ、正直解決したくないんだよね」

 黒田がため息をついた。


「だって解決しちゃったらさ、それで終わりじゃん。アンニュイだよ。探偵というのは、こんなにもアンニュイな気持ちを抱えながら生業に向かい合わなきゃならないものかと、僕ァ」

「解決してから言え!!」


 トモエに怒鳴られ、黒田は慌てて起き上がった。



 よく晴れた、茹だるような暑さの、とある夏の日の午後だった。家の外では蝉の音が、止むことのない五月雨のように降り注ぐ。雲はなく、アスファルトでは陽炎が今が我が世とばかりに踊っている。冷房が効いた部屋にいるとはいえ、壁際で揺れる風鈴も、畳の上で揺蕩う蚊取り線香の煙も、全てが夏を物語っていて、嗚呼今年もこの季節がやって来たのだなぁと


「いつまでグダグダ説明してんだテメー!!」

 隣にいたトモエが業を煮やし、黒田は情景描写テープレコーダーを止めた。


「だって……状況説明は大事だろ」

「『暑い』の一言で済むものを長々と!!」

「これで五頁は埋めるつもりだから」


 どうやら黒田は本気だった。解決した事件を後に出版社に持ち込み、あわよくば書籍化してもらい一儲けしよう……と言うのである。トモエは、黒田が握りしめていたテープレコーダーを取り上げ、粉々に踏み潰した。


「あぁっ!?」

「良いから現場に行くぞ! 解決してねーのにオープニング録ってんじゃねえ!」

「せっかく、三日三晩寝ずに考えた、渾身の情景描写だったのに……」


 足早に先を急ぐトモエの後ろを、未練たらしい顔で、黒田がのろのろとついていく。


 依頼は、殺人事件だった。都内某所で起きた密室殺人である。


 現場は黄色いテープで封鎖され、黒田たちは知り合いの警部に頼み込んで、ようやく入り口だけ見ることを許可された。そこはマンションの三階で、特段変わったところもない、普通のドアである。


「また密室かぁ」

 黒田ががっかりと肩を落とした。


「密室って、こないだドラマで出来の良いのがやってたからさ。これじゃ応募してもちょっと新鮮味ないよね……」

「何の話をしてんだテメーは」

 トモエが、この男が探偵なのか本気で疑い始めた頃、

「あれは……!」


 突然黒田が殺人現場のドアノブをジロジロと眺めると、顔を近づけて観察し始めた。


「どうした? 何かあったのか!?」

「いや、これは……」

 黒田が顔を上げ、首を振った。


「これは来週見つける分だった」

「来週!?」

「あまり先走るのも良くない。さぁ、次は関係者に聞き込みに行こう」

「見つけたんだな!? 証拠を! 証拠を放っておく探偵が何処にいんだよ!!」


 黒田は心底嫌そうな顔をして、渋々ドアノブの異変を指摘した。


「これで二話分は引っ張れるのに……」

「さっきから何の心配をしてんだよ。事件が解決するなら万々歳じゃねえか」

「しかしね、募集要項では10万字以上なんだよ。これじゃまだ2000字にも達していないぞ。此処で解決してしまったら、あと9万8000字、何を語れば良いんだ……」


 頭を抱える黒田を放置して、トモエは警部に事情を話し、関係者を集めてもらった。


 やがて容疑者たちが現場に勢揃いする。被害者の家族。友人。同じマンションの住人。職場の同僚、管理人、警察関係者、散歩中の老人、犬、郵便局のおじさん、宅配ピザのバイト、野良猫、鳩、総理大臣、大統領、王妃、皇帝、神、神を超えし者……。


「良いから早く始めろ!」

「ひぃ……っ!?」


 トモエにドヤされ、黒田が慌ててみんなの方に向き直る。


「え〜……皆さんに集まってもらったのはぁ……他でも、ありません……」

 集まった人々の前で。探偵が、牛歩戦術よろしく、ゆったりゆったりと語りかける。トモエが隣でイライラと踵を鳴らした。


「えぇ〜……犯人が、分かりまし、た……」

「何だって!?」

「何で嫌そうなんだ?」

「本当に解決したの? 証拠を見せてよ!」

「証拠は……そのぉ〜、見つけたと言うか、見つけなかったと言うか……」

「は!?」

「どっちなんだ!?」

「つまりですね、今のを英語で言い直すと……」

「言い直さなくて良い! 尺を稼ぐな!」


 トモエに急かされ、探偵が観念したように証拠を取り出す。それから右手をゆっくりと上げ、


「犯人は……あなたです!」


 関係者の中にいた、マンションの管理人を指差した。思わぬ人物の指摘に全員が息を飲む中、黒田がゆっくりと宣言した。


「犯人は、見開きで行きます」

「見開きで……!?」

「彼の頭の中では、一体何が開いているんだ?」

「どう言うことなの!? ちゃんと説明して!」

「こう、頁を捲った時に、二頁に渡って……」

「見開きじゃなくて! 事件の方!」


 それから何を思ったのか、黒田がウンともスンとも言わない地蔵になってしまったので、警部が管理人に詰め寄り、追い込まれた犯人はとうとう自白した。


「そんな……」

「どうして殺人なんて……」

「説明してください……9万8000字かけて」

「どんな構成だ」


 パトカーに乗せられ連行されていく犯人を見ながら、黒田は肩を落とした。


「あぁ……事件が解決してしまった……」

「それがお前の役目だろ」

「仕方ない。残りの頁は、総集編で水増ししておこう」

「第一話から総集編に入る奴があるか。どんな構成だ」


 沈む夕陽を眺めながら。黒田が目を細めた。


「だけど、これで決して終わりじゃない。この事件が解決しても、これから第二、第三の事件が僕らを襲うだろう!」

「お前は何を期待してるんだ」

「それに、この事件だって……もう一度最初から考え直す必要があるかもしれない!」

「ねぇよ。この状況で話をまぜっ返すな」

「犯人の動機だけじゃない……犯人じゃなかった人の話、聞いてみたいと思わないか?」

「どんだけ横道に逸れるつもりだ! 良いから終われ!」


 黒田が嬉しそうな顔をしてトモエを振り返った。


「あぁ、ようやく今回のタイトルが決まったよ」

「タイトル?」

「タイトルは……『犯人じゃなかった私たち』」

「誰が読むかそんなの。せめて犯人であれ」


 それから黒田が持ち込んだ『犯人じゃなかった私たち』は、箸にも棒にもかからずゴミ箱に捨てられた。逆に、犯人が独房の中で書いた告白本は、飛ぶように売れたと言う。


 〜終〜

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