第7話 虚構を泳いで宇宙へ届く
それからお姉さんはヒデヨを3枚取り出して、ぼくに手渡した。ホテルの代金だってことはすぐに分かった。
ぼくはお姉さんの顔を見つめた。少し化粧が崩れていたけど、キレイな人なのは変わらなかった。
「あたしが出てから最低2時間、ここにいて。そのあとは自由」
「うん」
「あたしときみは、無関係の他人。いいね」
「……うん」
「無関係の他人」。あたりまえの事実なのに、妙に突き刺さる言葉だった。
そりゃそうだ、ぼくみたいな陰キャとトップアイドルのマヲリとか、雲泥の差があるし、月とすっぽんってやつだ。並んで立つとかとんでもない。今ここに、ラブホの一室に居合わせてることそのものが、キセキみたいなものなんだ。
「お姉さん。ぼくはお姉さんみたいには戦えないけど、……いつかお姉さんのいる宇宙に行けたらいいなと思う。
……それがぼくの夢」
デカピンさんみたいになりたい。それが最初だった。でも今は──お姉さんがいるその宇宙とやらに、ぼくも行ってみたい。怖いけど。
怖くてたまらないけど、それを乗り越えなきゃ、ダメなんだと思う。「そこ」にいくには、いろいろなものを捨てて、いろいろなものを身につけなきゃならない。ぼくには、まだ足りない。
「ぼくも宇宙人になりたい」
それを聞いてお姉さんは、ベッドに腰掛けた。足を組んで、タバコに火をつける。すっかり嗅ぎ慣れたにおいが、部屋いっぱいに充満した。
「ある日突然、世界が狂っちゃって、信じてたもの全部が崩れて。それでも生きていかなきゃなくなったとき、きみはちゃんと前に進めるかい」
ぼくは、少し考えた。考えてから、頷いた。
「……うん、頑張って進むよ」
「若いねえ」
お姉さんは紫煙を吐いた。
「……若いって羨ましい。もう、あたし限界なのかもしれない。三十路だからかなぁ。臆病になるの。晒すことにも晒されることにも、限界を感じるの。アイドルって言葉が、イタいの。……だからさ、少年。きっと君の目指す宇宙には、あたしは居ない」
ぼくは瞬きをした。涙が出そうだった。
「あたしがいなくても平気?」
ぼくは答えられなかった。
お姉さんはアイドルを辞める気なんだ。
海野マヲリはアイドルを辞める気でいるんだ。
お姉さんは立ち上がってぼくの肩を叩いた。そして小さなバッグを肩から斜めにかけて、そのままホテルのドアノブに手をかける。
「少年、きみを見つけたらあたし、必ず手を振るから」
「お、お姉さん、あの、」
「だから、それまで頑張るんだよ、必ずだよ」
「お姉さん、聞いてよ、」
「じゃあね」
去る背中に、ぼくは叫んだ。
「やめないでよ、アイドル!」
かのじょは振り向いた。そして手を小さく振ってみせた。
海野マヲリは──ぼくだけに微笑んだ。
「ばいばい、少年。愛してるよ」
〜〜〜〜〜
『アリーナ席〜ッ!愛してるよ〜!』
マイクを持ってマヲリが叫ぶ。アミナと肩を並べて手を振りたくっている。
姉貴が泣きながらコレクションを再生する隣で、ぼくは少し若い海野マヲリを見ていた。
その日ぼくは夜の10時ごろに帰宅し、父さんにこっぴどく怒られた。でも、父さんは「それまでどこに行っていたか」を聞こうとはしなかった。
むしろ姉貴が、根掘り葉掘り聞きたがった。ぼくは口を閉ざして、部屋に閉じこもった。母さんは何か聞きたそうにしていたけれど、父さんが何も聞かなかったからか、とやかく言ってこなかった。
きっと、たぶん……父さんにもなにか覚えがあったんじゃないかな。ぼくくらいの年齢の時に、家を飛び出して走るようなこと、一つや二つ。そうじゃないと、あの父さんが何も聞かないなんて、おかしいから。
そして海野マヲリは、ぼくと別れた晩──電撃引退してしまった。ニュースは、ネット炎上が原因か、と報じた。
そのインターネットは燃えるだけ燃えて、キャンプファイヤーみたいに燃え盛って、燃やすものもなくなった頃になって、ようやく静かになった。ぼくとマヲリのツーショットなんか、マヲリ引退で押し流されてどっかに消え去ってしまった──あるいは、お姉さんが魔法でも使って消したのかもしれない。真相はわからない。
でもぼくにはわかる。お姉さんは多分、ぼくらファンの知らないところで、なにかと戦っている。お姉さんはまだきっと、どこかで……。
「マヲマヲ……」
ぼくは泣いている姉貴を放置して、自室に向かいがてら、スマホから動画の反応をチェックする。今回はまあまあかな。コメントもぼちぼちだ。
今回の動画は「音痴がユナイティメドレー全力で歌ってみた」だ。カラオケボックスに篭ってひたすら練習して、一番上手く歌えたやつをつなげたもの。
ぼくはこの動画で地声を初披露した。
歴の長いリスナーさんからは「意外とイケボだね」って褒められてる。よかった。
反応を次々スクロールしていくと、厳しいコメントもついていて。『下手くそ』とか。『ひっこめ』とか。まあそんなもんだ。ぼくは歌手じゃないし。
でも決めたんだ。どうにかして、お姉さんのいた場所にいくって。そこからの景色を眺めて、……お姉さんと同じものを見たいと思ったんだ。どんなにキレイでキタナくても。
足掻いて足掻いて、登ってやるんだ。宇宙まで。
──そして最新のコメントで、ぼくはスクロールする指を止める。
『ちょいちょい音程外れてるぞ、少年』
ぼくは唇を噛んで、階段の踊り場に立ち──滲んだ涙を拭ってから、小さくガッツポーズをした。
虚構を泳ぐ舟 紫陽_凛 @syw_rin
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