【26】好きな人の為に、食器は傷を塞ぐ。

 初恋相手が頭を失い立ち尽くした黒服を静かに見据えている。

 その大きな瞳で傷ついた私を見てほしい、と言う欲があったが、アイリの性格上それを望むのは酷だ。

 あんなに優しかった子、人ではないとはいえあんな形で殺してしまったのだ。

 どうしてなのだろう、なぜ自分を追い詰めてまでして私を守ろうとするの?

 そこまで、友達というものに飢えているの?


「バニーさん」


 彼の言葉に驚き、体が震える。


「な……なに」

「治療したいのはやまやまですが、今はたぶん、脱出する方が優先かと考えます。

 ですから、辛いかもしれませんが耐えてください」

「……あぁ」


 淡々と状況を語る彼に、頷く以外の選択肢が浮かばなかった。


「では、いったん外──」


 ズル、ズルルルル。

 とつぜん、アイリの体が斜めに落ち、床に転がり込む。

 私を支える形で倒れ込み、その床には繊細な針のような右脚が一つだけ転がっている。


「アイリ……‼」


 ようやく声が出たというのに、切なさも悲しさも、心が全部壊れてしまいそうな気持は先の比にならない。

 これが初恋か、痛いだけで邪魔に思えてくる。頭がクリーンにならない。

 胃腸が出ないようにお腹を抑えつつ、アイリの手を掴んだ。

 まだ暖かい掌とは逆に、美少年女の双眸はある方角を睨みつけている。

 振り返ると、私も同じくそいつらを睨み返してしまう。

 あんな恐ろしいものが待ち構えていたら、こうもなる。


「真砂藍萊様の体を操ることは、今現在不可能と断定します」

「では、そちらの御嬢様の体を再度乗っ取り、おとなしくしてもらうのは?」

「いいえ、このから推測するに、こちらがやられる可能性があります」

「この際、御嬢様を殺すというのもアリなのでは」

「いいえ、店が破壊されかねません。それでは他のお客様たちの快楽にご迷惑をおかけしてしまう」

「そうですか」

「そうです」


 客人の態度に腹が立ったのか、殺そう退店させようと二人へ集まってくる。

 なぁに、同じ顔して同じ声をした黒服連中がベラベラ話してんだ。

 黒服の死体は放置されたままで、別に再生して増殖したとかそういう気持ち悪い話じゃない。

 仲間の死を感じ取って、余っていた四名が集まって来たって感じかな。目の前で堂々と作戦会議しやがって。

 私の好きな人の脚をよくも、可愛い脚、可哀そう。


 …………アレ、可哀そうなもの、どこ行った。

 あ、ああ、またそんなところで。


 敵は今ので、と考えるべきだろう。

 不意を突かれたのか、油断していたのか、隙だらけだったからしょうがない。

 右から二番目の黒服の左胸がぽっかりと開いている。

 後ろの残虐さまで視える空っぽの中にはハートすらない。私とアイリには熱い心臓があるというのに。

 残り三人の黒服たちは左胸が開いたお仲間よりも体を貫いた狙撃者へ、視線を向けている。


 そこにいたのは、細長くも美しい口を血で染めた白蛇である。

 海を泳ぐかのように自由に蠢くと、急いで自分のへ帰って行く。

 華奢だった蛇は太くなっていき、されど人としては細く、女に見間違える形へ収まる。

 接続面に蛇の鱗が生えると、アイリは痛みに耐えつつ起き上がる。接続面からは鱗越しに血が流れだしているというのに。


「アイリ! 動かないで!」


 何故だ、私。いつもの強気はどうした。お腹裂かれて腸の一部が好きな人の血肉になったからなんだ、顔面蹴り飛ばしに行くくらいしろ。

 初恋とやらの、金縛りにあっているのか?


「……バニーさん」


 弱々しく可愛かわゆ聲色こわいろで、私の名を小さな肩が呼ぶ。


「待ってて、ください」


 ──瞬間、目の前からいなくなった。

 否、場所は解る。断じて人とは言えない速さで動いているだけだった。

 それは、速さに自信のある私程度であれば観測できるもので、上から目線ではあるが私の方が速い。

 残りの敵を打つ気かと思ったが目的は違っていた。

 アイリを捉える三人の黒服たちは無論彼を狙う。その全ての攻撃を我武者羅ガムシャラながら、スレスレの角度で避けていく。

 隙間をまたも蛇のように駆け抜け、彼は跳んだ。

 跳んだ矢先に待つは、ハートのない黒服。

 突っ立ったままで自分の惨状を確認している彼の顔は見えない。されど、視界には小さなメイドが侵入してくる。


 アイリは宙の中で、黒服の腹部へ右脚を突き出した。

 恨みか、追撃か、完全無力化しないと気が済まないのか。

 しかし、彼の脚にそんな力があるはずがない。ちょっと後ろから押してしまえば転んでしまうほど細いのだぞ。

 されど妙、それは針のように体へと入っていく。

 そして、当たり前のように黒服の背から小さな五つの指を持つ脚部がネイルを帯び、顔を出す。

 ──脚先の一部を蛇に変え、燃し貫いたか。

 そのまま勢いよく引き抜くと臓物と骨の一部が体から飛び出し、二つの空洞を持った黒服は二度と動かなくなる。


 左脚は血に濡れた絆創膏が薄ら見える白タイツ、右脚は黒服の汚い血で塗れ蒸気を放ち空気に溶け込ませている赫い裸足。

 紅白の両脚で立ちて敗北者を見上げる少年の背が、何処どこか物寂しそう。


 されど、童子の悲しさも察してやれぬ黒のモノは一斉に襲い掛かる。

 アイリはそれを避け、疾走を続ける。

 攻撃は当たりなりそうになれど、当たらない。少しでも速度を落とせば、小さな身は串刺しになる。


 ──アレじゃダメだ。死ぬ。

 右脚の動きがおかしい、左脚とタイミングが全く合っていない。まだ怪我が完治していないのだ。

 弾丸のように放たれる三方向からの攻撃を被弾の瀬戸際を走るが、メイド服の一部が破れ、白い右腕に刺さり、「あ」と小さな悲鳴を上げる。

 好きな人が傷ついていく。


 というのに、何故動かない。

 恐怖か痛みか? 痛みなら散々与えられて殺していく度に乗り越えてきたろ。

 あんた、いつから守られてばかりのヒロイン面するようになった。そんなタイプじゃないじゃん。

 初恋がこんな形で終わるかもしれないんだよ? 一人傷つく様を見て高みの見物?

 そうじゃないだろ。


 こんな奴ら、一人じゃ無理かもしれない。だけど、二人ならどうよ?

 一人で出たらまた体を操られる可能性がある。しかし、アイツら意外にも隙が多い。

 その隙を突いて、アシストか止めを刺すくらいはできるだろう。

 私の方が運動能力は高いのだ。アイリとそういう関係になったらベッドの上で滅茶苦茶リードして、可愛い私だけの切ないアイリを拝める。

 ──よし、じゃあ行くぞ。


 出そうになる臓物を抑えつつテーブルに手を突き、体を起き上がらせる。

 まるで自分の物じゃないみたい。

 意識を集中しつつ歯を噛み締めると──


 鎖骨に刺さったナイフとフォークに触れ、『痛みは一瞬』、心の掛け声と共に引き抜く。


「……ッ!」


 なんのなんの、こんなの脚の裏に刺さった硝子の破片をピンセットで引き抜いた時みたいなもんでしょ。

 そう考えれば、痛みは日常に或る。

 私の汚い血で濡れた食器を投げるのも良いなと考えたが、長期戦になることも考えればそれは莫迦。

 二人で三人なんて、短期決戦ならまだしも、ね。


 私は二つ食器の先を切り裂かれた腹の肉の端へ突き刺した。

 針で縫い部位を塞ぐように、フォークを断切された腹肉の端から端へと刺し塞ぎ。ナイフも同様断切された腹肉の端から端へ刺し塞ぐ。


 体を動かすと、予想通りの痛みが伝わり血がこぼれていく。

 まぁ、中身が出ないのだから問題はない。


 痛みなど、とうに日常。

 人を愛するということは苦しみも痛みも分かち合うこと。


 と、お母様も言っていた。殺しちゃったけど。

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