【18】ヒドニック・ヴァイオレンス

 黒きベールの先。

 そこにはある意味、予想外の光景が広がっていた。


 最初に食事をしたレストランよりも高級そうな洋風の店内には、壁一面に何らかの絵画が飾られており、どれも一目見ただけで記憶に残るようなアートばかり。

 教会のような冷たい空気は心身を落ち着かせ、緊張感が嘘みたいに溶けていく。

 部屋の灯は各テーブルに置かれたキャンドルのみで、その何とも言えない暗さが店の雰囲気を物語っていた。


 ……これが、死んでしまう店?

 カウンターテーブルもあれば、バーテンダーもいる。

 ここ一帯、普通の店となんら変わらない──


 と思っていたけど、そうでもないみたいだったのでアイリの双眸を覆った。

 死ぬのはもうだろうが、教育上よろしくなさすぎる接客や客人はアイリの眼に入れるには汚すぎる。


「……? どうしたんですか? バニーさん?」

「ん~? んあぁ、まぁ……アレだ。座るとこ探そか。店の人来ないし」

「で、でも、これじゃ歩きにく」

「お姉さんがエスコートしてやんよ」


 レディの相手として一曲踊り狂う殿方の様に、出来る限りアイリが別の席を見られないように安全な所へと誘導していく。

 その間、私が視てしまった客席たちは最悪なものばかりで、一瞬吐瀉物が口の中まで押し寄せてきたがなんとか飲み戻した。

 これはたまに来る生理現象のようなものだから、関係ない。

 

 一に、全身が湿っている魚の様な者たちが一人の女の股座を裂き、子宮を取り出すと伸長させたりして遊んでいる光景。

 二に、凌辱。それも黒スーツの男たちに囲まれて、全員に首を絞められながら女は笑みを浮かべ男に溺れている。

 三に、爪の鋭い怪物が女の乳房を引き千切り、そのまま齧りついている。──しかし女は天井へ向かい、笑みを浮かべている。きっと、薬漬けなんだ。


 こんなのを見てしまったら、アイリの性癖が狂ってしまう。とくに三つめ。

 私の予想では、アイリは豊満な女が好きだ。──みたいな。

 私みたいな可愛い豊満バニーガールを見た夜には、スカートの中の“穢れ無き純潔乙女異物”が高ぶりのあまり曝け出し、慰めてしまうだろう。


 ──というバニーガールジョークはさておき、この店には違和感しか匂ってこない。

 邪神の店には行ったことはあるが、それとは全く別物の雰囲気だ。

 何せ、生き物で無くなっていく女たちの喘ぎや断末摩が鼓膜に響いてこないのだ。

 先程から耳に入って来るのは、いつの時代のものかもわからない古臭いクラシック曲ばかり。

 昔のロックじゃない曲はゆったり過ぎてムカついてくる。高速を10分続けろ。

 それに生物独特の匂いである、血や死臭もないときた。

 聞きなれ、匂い慣れた私の常識が完全に途絶されている。


 ちょうど角度的に周りが見えにくい二人用のソファを見つけるとそこへ座り、彼の視界両目を解放してあげた。

 私の手からようやく離れ、やっと見れた光景にアイリはキョロキョロと目を回す。


「……あぁ……良いですね、このソファ。ふかふか」


 最初の感想は予想外なもので、静かな声と共に私の隣で少し跳ねてみせたのだ。

 美々、可愛い。

 これがおとことか、本当に詐欺では?


「……あれ何でしょう? 女性の足……でしょうか、ピーンとなってます」


 視線の先に双眸を走らせると、言葉そのままに女性の裸足が引っ張られているかのように伸びているのが見えた。

 まずい。脚だけならまだしも、これ以上見えたら。


「さぁ、なんだろうね……お酒でも飲んで酔っちゃったのかな」


 耳元で呟き、アイリの肩を掴むと互いの身を寄せ合わせた。

 そして、サイズ88のご自慢を“見た目美少女イケメン”にわざと当ててみた。

 どうせ性癖が狂うのなら、私で狂いおかしくなって狂って、私だけで頭がいっぱいになってもらった方が良い。

 はてさて、どういう表情をしているのだろう。と期待しながら眦を下げた。

 しかし予想とは外れて、澄ました紅い眼の中には戸惑いも恐れも見受けられなかった。

 ──私の胸より、目の前の死、ですか。


 味気なさを感じつつも眼球をぐるりと回すと、今度はキャンドルに視線を置いた。

 血染めの暗闇を紫色の硝子と蝋に纏われた蒼いが微小ながらも、狂乱を露出させている。

 どうも何かおかしい。先程も言ったが、音と匂いが存在しないと言っても過言ではないのだ。


「ん」


 唐突な憶測だけど、一つだけ浮かんだ。

 一瞬視えた未知正体を確かめるために体を寄せ、キャンドルを手に取った。

 その際、アイリの顔に胸を押し付けてみたが何の反応も無い。慌てるなり、硬くするなりしろ、思春期。

 手に持ったキャンドルを天井へ翳し、上や右と様々な角度で凝視した。

 やはり……キャンドル、というよりは、灯っている火の方に何らかの仕掛けがある。

 視覚以外の音や匂いのみを外部から遮断する、自動式結界なのだろう。

 生憎、魔法の知識はおじじから聞いたものしかないから、断定はできない。しかし、ほぼ確定みたいなものだろう。


 灯が手の動きに合わせ揺れ動いていると、アイリの顔に蠟が垂れそうになり手の甲で抑えた。


「……バニーさん! 手、大丈夫ですか?」

「え」


 咄嗟に間抜けな声が出た。

 私の様子を見ていたことに気付かなかったのだ。


「女の子がそのような事をしては、お肌に火傷の跡が付いてしまいます。──えぇっと、何か、冷たい物は……」


 アイリはテーブルの上を見渡したが、物一つ有りはしなかった。


「しょうがない……ウェイターさん、こちらに……あれ」


 アイリは自分の掌を見つめだし、不思議そうな顔をした。


「どしたん?」

「僕……いつからハンドタオルを」

「……?」


 彼の掌を横目で一瞥すると、一枚のがアイリの小さな手の中に納まっていた。

 しかも、よく見ると濡れているときた。

 アイリはハンドタオルを拡げてみたが、特に何かある訳でもない普通の物だった。

 不思議そうな表情を浮かべ数秒ほど彼の時は止まっている様に見えたが、平然とした顔へと戻った。

 この一夜で、こういうことに関しては順応的になってきるな。てか、私のせい?

 

 「失礼します」と私の手を持ち、彼は蝋の垂れた甲を優しく拭いてくれた。

 指も掌も小さく細い、こう見ると本当に男の子なのか疑わしい物だ。


 しかし、“女の子”か、さっきそんな事を言われたな。

 もうそんな年じゃないのだけれど。

 嬉しいものだ。


 それにしても、店員は誰も来ないな。

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