腐れ縁

 日が暮れて涼しくなった住宅街。

 宗太郎はアンナとともに彼女の家にやってきた。

 彼女の家はごく普通の家で大して広くはないが狭くもない。4人家族にはちょうどいい家だ。


「あら、宗くん、いらっしゃい」

「お邪魔します、おばさん」


 玄関をくぐった彼らを迎えたのは、氷高クロエ。アンナの母親だ。

 フランス出身で、日本人男性とパリで出会い日本に移住、その後この国で家庭を築いている。もともと、日本好きだったこともあり、日本語が堪能である。

 アンナの茶髪や日本人離れした顔とスタイルは、彼女からの遺伝だろう。

 

「アンナったら、また宗くんを尻に敷いてるの? 嫌われるわよ」

「違うわよママ。ちょっと授業で分からないことがあったから教えてもらおうとしただけよ」

「へぇ、宗くんって頭良いんだっけ」

「そうよ。……というわけでもう部屋に行くから」


 そういって階段を上る二人。

 アンナの部屋は階段を上ってすぐのところにある。


「ちょっと待って、なんかお茶持ってくるから」

 

 そういって部屋をでるアンナ。

 宗太郎は彼女の部屋を見る。

 少し広めな彼女の部屋には整理整頓されおり、ベッドの上には彼女の好きな人形が置かれている。

 本棚にはアンナが最近ハマっているアニメの原作漫画が几帳面に1巻から順番にそろえられていた。


「宗太郎、おまたせー」


 お茶の入ったペットボトルを持ってきたアンナ。

 アンナはそれを宗太郎に投げてよこす。


「それで、不審者ってなんなの?」


 アンナは宗太郎の隣に並んで座布団に座る。

 ペットボトルに入ったお茶を一口飲むとアンナは上を向いて天井の明かりを見ながら語りだした。

 ここ最近、背後から視線を感じる。

 後ろを振り返っても誰もいない。ただ街の風景が広がるだけ。

 そういったことがここ最近増えている。

 誰なのか分からない、影も見えない。

 だけど、確かに見られていると感じる。

 音もなく、何者かに忍び寄られているような。


「それって気のせいじゃないの?」

「それはないと思いたいわね、私がこれまで何人にストーカーされてきたのか知ってるでしょ?」

「嫌な経験則だなあ」


 アンナは微笑み、宗太郎は苦笑する。


「あなたは何も感じなかった?」

「今日は何も感じなかったね」


 宗太郎は今日の帰り道を振り返るが、特に怪しい視線は感じなかった。彼は目を伏せたまま黙りこむ。その目の先では、手に持っているペットボトルの中身がゆらゆらと揺れているだけだった。


「宗太郎?」

「いや、何でもないよ。ともかく、明日も一緒に下校するってことでいんだよね」

「? ……ええ」

「じゃあ、僕はもう帰るよ。ちょっと用事があるんだ」

「わ、分かったわ」


 宗太郎は、アンナの部屋を出ていく。玄関を開けようとすると、


「あら、もう帰っちゃうの?」


 クロエに声をかけられた。


「はい、ちょっと姉に呼び出されてしまいまして」

「あら、そう。また来てね」

「はい、お邪魔しました」


 宗太郎はアンナの家をあとにする。

 夜の帳が下りた住宅街は不気味なほど静かだ。

 ふと、宗太郎は空を見上げる。

 星たちがキラキラと暗い空を彩っていた。


***


 アンナは部屋のベッドで寝そべりながら、宗太郎の出会いを思い出す。

 まるで、女子のようにかわいい顔だった。ウェーブのかかった黒髪は肩にかかるくらい長い。色白でキメの細かい肌、長いまつ毛に縁取られた優しそうな大きな目、血色のいい綺麗な唇。スッと整った目鼻立ち、やや華奢な体。それらは女子といっても通じそうなほどだ。

 しかし、制服の下はズボン。つまり、男子だ。


「初めましてだよね、僕は水戸宗太郎。よろしくね」

「宗太郎……」


 高校一年の春、初めての席替えで隣の席になったとき、彼は自分に話しかけてきた。宗太郎という名前は中性的な見た目に反してなかなか古風だ。


「よろしく、私は氷高アンナよ」


 アンナは宗太郎と話した当初、彼をかなり警戒していた。

 今まで男子に話しかけられたことは数多くあった。しかし、たいていは、下心丸出しでうんざりするような男ばかり。自分の顔と体は自然と男を引き寄せてしまうらしい。それを実感したのは中学3年生からだった。

 中学時代に男子から告白されたことはある。しかし、アンナには恋愛というものがいまいち魅力的に思えなかった。


「そこ、間違えてるよ」

「え?」


 休み時間中に歴史の予習をしているアンナ。今日は自分が教師に指される日だからだ。問題集とにらめっこをしていると、横から手が伸びてきてノートに書いた漢字を指さした。


「徳川綱吉のになってる」

「あ」


 アンナは消しゴムで文字を消して書き直す。


「日本史以前に漢字が難しいのよ」

「日本史は苦手?」

「世界史も苦手よ」


 アンナは何故か自慢するようその豊満な胸を張りながら言った。


「良かったら教えようか?」

「……お願い」


 日本史の問題集を解きながら、アンナは宗太郎から分からないところを教わる。彼女は宗太郎が教科書も読まずにすらすらと答えを出していくことに驚いた。


「アナタって歴史が得意なの?」

「うん、文系は得意かな」

「じゃあ、化学は苦手?」

「うーん、ふつうかな?」

「じゃあ、化学で分からないところがあったら私に聞いて。大抵の問題は教えられるわ」

「ありがとう」


 宗太郎は微笑みながら、礼を言った。彼の得意な科目は世界史と日本史、現代文らしい。

 しかし、彼の学業の成績は優秀ですべての教科で高得点をたたき出している。それも学年上位に入る成績だ。自分が教える余地はない。

 アンナも理系科目は優秀な部類に入るが日本史と世界史が足を引っ張ってしまっている。


「そういえば、アンナって水戸くんと同じクラスだよね。あのカワイイ顔の子」


 バレー部の更衣室で着替えていると隣から同じ一年の女子が話しかけてきた。その女子はいわゆるギャルで友達も多く社交的なタイプ。自分にも積極的に話しかけてきてくれた。


「ええ、そうね」

「あの子、ウチの剣道部でレギュラーになったらしいよ。今度の大会に出るって」

「へえ」

「すごいよね~ うちの剣道部ってめっちゃ強いことで有名なのに、一年でレギュラーになっちゃうんだから」

「バレー部だってそうでしょう」

「確かに~ でも向こうは別格って感じだよねー、うちは初心者もけっこういるけど、向こうはほとんどが県大会か全国大会に出てる超強者らしいよ」

「ふうん、なら私たちも頑張らないとね」


 そんな噂話をしながら、着替えるとアンナ達はバレー部の練習に向かった。

 気が付くと彼とそれなりに話すようになっていた。クラスでもそれなりに仲のいい感じの男子。アンナにとって宗太郎はそういう存在だった。

 変化が訪れたのはとある夕暮れの街の中のことだった。


「きみ、かわいいねー」

「彼女いる~?」

「肌きれい~」


 街中で、女子大生らしき3人組に絡まれているクラスメイト、水戸宗太郎。彼は困ったように笑っているだけでその場から動けない。どうやら逃げ出すタイミングを逃してしまったようだ。

 アンナは何もせず素通りするべきがどうか迷う。しかし、すぐに彼のもとに歩き出された。


「すみません、その人私の彼氏ですので」

「え?」


 女子大生たちだけでなく、宗太郎も困惑していたが、そんなこと関係なしにアンナは宗太郎の華奢な腕を引っ張る。宗太郎は大した抵抗もできないままだ。しかし、彼女の意図を途中で察したのか黙る。

 

「もう大丈夫だよ」


 しばらく歩いて、アンナの家近くのコンビニに来たところで宗太郎が言った。アンナもそう判断したのか大人しく宗太郎の腕を離す。そして彼女はいまだ困惑している宗太郎の目を見た。


「ああいうのはきっぱり断ったほうがいいわよ」

「え?」

「ナンパの相手は下手に出たらだめ、つけ入る隙を与えるだけよ」

「う、うん」


 宗太郎は困惑しながらも頷く。彼は、すぐ横のコンビニを一瞬見るとアンナに向き直った。


「あのさ、一緒にコンビニ行かない? 助けてくれたお礼に何か奢るよ」

「それ、ナンパじゃないわよね?」

「え?」


 宗太郎は一瞬固まる。アンナはクスりと微笑んだ。


「冗談よ、じゃあスイーツでも奢ってもらおうかしら」


 宗太郎とアンナは並んでコンビニに入った。コンビニの前でアイスとスイーツを買った彼らは、帰り道、様々なことを話した。


「アンナってハーフなんだ」

「そ、ママがフランス人よ」

「へえ、僕の知り合いにはイギリス人とのハーフがいるけど、ハーフって珍しいよね」

「今時珍しいものでもないでしょ」


 このとき、アンナは宗太郎のことを頼りない男だと思っていた。女の子みたいにかわいい顔に華奢な体。こんな男が本当に強豪剣道部のレギュラーなのかと思ってしまうほど。

 ある日、アンナは地元のスポーツショップで宗太郎とたまたま会った。アンナはバレーのためのサポーターを、宗太郎は剣道のためのアームスリーブを探していたのだ。買い物を終えた2人はそのまま一緒に帰ることになり、公園の近くを通りがかったとき、

 

「危ない!」


 公園から少年の焦った声が聞こえた。アンナは振り返ってみると、野球のボールが突如、自分に向かって飛んできたのが見える。しかも、気づいたころにはボールは目の前に迫っている。反射神経に自身のあるアンナでもこれは取れない。思わずめをつむった。

 しばらくしてもボールがぶつかった感触はしない。アンナはおそるおそる目を開けると、アンナの目の前でボールは止まっていた。宗太郎がボールを素手でキャッチしていたのだ。


「気をつけてねー」


 宗太郎は少年たちにそう言うとボールを投げた。ボールはまっすぐ少年のグローブに飛んで行った。


「大丈夫?」


 心配そうにアンナを見る宗太郎。


「う……うん」


 アンナは何故か高鳴る心臓を抑えながら、宗太郎に頷く。


「なら良かった」


 宗太郎は満足そうに言うと歩きだした。それにアンナもついていく。

 アンナはすこしずつ彼に惹かれていくのを感じていた。バレー部の面倒な先輩の愚痴を聞いてくれたり、ナンパから助けてくれたりなど、人に寄り添える優しさを持った宗太郎に想いを寄せていくのを感じていた。

 そしてこのとき、アンナは決定的に宗太郎を好きだと感じるようになった。


***


 思い出に浸るなんで自分らしくないと思う。

 それでも、あの日から異性というものを意識するようになり、恋愛をしてみたいと本気で思うようになったのだ。

 ──しかし、彼の中で私はまだ、友達という扱いね。

 実際は腐れ縁だと宗太郎に思われているのだが、そこには鈍いアンナ。

 ──まずは外堀を埋めることから。

 宗太郎と距離を縮めるプランを練っていると、スマホの着信音が鳴る。

 スマホには宗太郎の3文字。

 アンナはすぐに通話ボタンを押す。


「もしもし」

「もしもし、アンナ?」

「ええ」

「ストーカーの件だけど、もう片がついたから大丈夫。明日の放課後学校の近くのファミレスで集合ね」

「え?」

「話すと長くなるから、明日の放課後ね」

「え、ちょ……」


 宗太郎は通話を切った。

 アンナは疑問を抱えたままスマホをベッドに置くと気分転換も兼ねて風呂に入ることにした。


 

 


 

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