第12話 試練も二人なら (3,800文字)

 ショーンが戻ってきた。

 帽子をどうやって取り戻したのか聞いてみたら、


「看守を買ってやったんだ!」


 と自慢げにウィンクされた。

 捕まった時に持っていた全財産をワイロにしたらしい。没収した衣服は通常、虫とかばい菌だらけとみなされて燃やされるんだって。


 男たるもの、帽子はかぶっていないと恰好がつかないものだけど、ショーンの場合は帽子が唯一、親が残してくれたものだった。

 すこし大きいその帽子は、深緑色で、靴磨きの少年たちがかぶっているのに似ている。でもね、ショーンの方がかっこいいんだ。


 これでまた二人で仕事ができる。

 でも、その前に乗り越えなきゃいけない試練があった。

 ハンナに会いに行く。

 僕がこの一か月、先延ばしにしていたこと。

 監獄に入っていたのがなかったことになるくらい落ち着いてから、しれっと会いに行こうかなんて考えていた。


「ルイ。女ってやつぁ爆弾だぜ? 心配に着火すると、いずれ怒りが爆発するんだ!」


 どや顔で言うけどさ。ショーンだって、妹放置してるじゃん。




「……知ってるわよ」


「えっ?」


 ハンナのひと言に、そりゃあもう背筋が凍ったよ。

 パブをのぞいてハンナを手招きし、店の前に呼び出したんだ。


 やぁハンナ久しぶり調子はどう? あ、そうそうこいつがショーンだよ。ほら、歯が欠けてるでしょ? ちょっと色々あって来れなくってさ。でもほら元気だし。ハードトラックってやつだよ。ちょっとした勘違いでさ、監獄? みたいなところにさ、ちょっと入れられちゃってさぁ。

 まいったよね、とショーンと半笑いでうなずき合い、訪れた沈黙のあと。

 腕を組み、終始ジト目で僕をにらんでいたハンナの唇が開いた。

 硬直する僕、しかしショーンは空気が読めなかった。


「ちょい、マジ!? だったら話が早ぇ! ストランド周辺のごろつきグループを潰したんだ、大手柄だろ!? なぁ! あいつらがどうなったか知らねぇか? 監獄内で石鹸食って死ぬ奴もでたって噂が出回ってるが、てんで当てにならねぇ。あんたにルイの活躍もみせたかったぜ! そりゃあスゴかったん――ァヴェ!!」


 パァン!

 ハンナの平手打ちがショーンに炸裂。そのままどすんと尻を着くショーン。


「まっ! 待ってハンナ! ショーンは悪くなくて! 俺が――」


 バチン!!


「ィダィ!!」


 おかしい。見えなかったよ。


「うるさい! マーガレットおばさんから聞いたわよ! 一歩間違えれば絞首刑だったのよ! へらへらしてんじゃないわよ、ムカつく!!」


 だってそれはヤードの理不尽のせいで。おばさんを助けただけなのに。

 じんじんする頬をおさえながら反論しようとした僕は、ハンナの顔を見て、心底自分が悪かったと思った。


「監獄に入るようなことはしないで、って言ったじゃない……」


 ぐずる赤ん坊みたいにしわくちゃで、おでこと頬が真っ赤になってる。

 本気で怒ってる。そんなに心配していたなんて、思わなかった。


「ごめん、なさい」


「一度監獄に入った人間はね! また牢獄へ戻るようなことをするの! 後戻りなんてできないんだから! 神様に見放されて、絞首台から吊られるのはね! 全部、自分の責任なの!!」


 まずい。ハンナの犯罪嫌いに火をつけてしまったみたい。お父さんの影響なのかな。ハンナはなんというか、曲がったことが大嫌いなんだ。


「おお、ハンナ。神様がどうしたって?」


 ハンナの背後の扉がぎぃと開いて、現れた客らしき男がハンナの肩に手を置いて言った。

 ワークキャップをかぶった、いかにも労働者階級な中年。煙草たばこの臭いが染みついているタイプのおっさんだ。


「ガイ……。ううん、なんでもないの」


「いってぇ……んん? なんだ、ホラ吹きガイのおっさんじゃねぇか! こんな小さいパブで情報収集してんのかぁ?」


 首をもみながらショーンが立ち上がる。ハンナがきっ、と目を細める。


「小さくて悪かったわね。もう一発叩かれたい?」


「ちょい、ストップ! すまん! そういうつもりじゃねぇ!」


「ふっ。どこの監獄帰りの小僧かと思えばショーンか。ついに社交界デビューしたか?」


「まぁな! ちょっと裏世界見てきたぜ! そうだガイ。期待しないで聞くけどよう。二か月くらい前に、ストランドの通りで発砲事件があったろ?」


 ガイと呼ばれたおっさんがうなずく。


「ああ、小僧グループの乱闘騒ぎか。もちろん知っているぞ。大将がなかなかの大物だったからな」


「さすがだね! で、捕まった奴らがどうなったか知らねぇか?」


 おっさんはにやり、と唇の片端を上げる。堀の深い顔と相まって、なんだか凄みがでる。何者なのかな。


「ふっ、ショーンよ。俺もプロだぞ。タダで情報をくれとは、笑わせる!」


 ごくり、と僕はつばを飲んだ。たぶんこの男は金で情報を売る商売人なんだ。


 僕も、あの少年グループの奴らがどうなったのか気になっていた。特に、あのリーダー格の黒髪の少年。コヴェントガーデンで銀貨を盗られたことは思い出すたびに腹が立つし、あんな奴ら、死んじゃえばいいとさえ思ってた。


 だけど。関わってしまった。あの少年は僕が監獄へ送ったようなものだ。

 ――いや。

 絞首台かもしれない。


 奴が最後に見せた笑みが、ずっと頭から離れないんだ。

 きっと奴は、着飾ることもなく絞首台へと上がる。そしてあの笑みを浮かべるんだろう。見ているか、って。

 想像するとぞっとする。石鹸食ってくれてた方がマシだ。


 僕はポケットにある硬貨を頭の中で数えてみる。情報って、いくらするんだろう。


「捕まったのは大将の少年と、仲間の半数だ。頭を失くした残党はさらに分かれて、一部はイーストエンド東側の方へ向かったようだ」


 あれ、しゃべるんだ!?


「判事はずいぶん慈悲深かったようだな。下っ端はみな長期服役にとどまった。大将についてはあやふやだ。これは特別に仕入れた情報だが――聞いて驚くな」

 

 もったいぶるように周囲を見回し、顔を寄せて、低めた声でこうささやいた。


「奴は空腹のあまり、石鹸をむさぼり食って死んだ」


 あ。だめだこの人。


 三人の反応がないのを驚愕していると受け取ったのか、おっさんは満足げにうなずいている。ホラ吹き、って、そういうことか。


「だが面白い説もある。奴はあまりに凶悪なんで、悪魔憑きと恐れられて流罪となった、という話だ。民衆の好みそうなお話じゃないか」


 船の上で海の向こうをにらむ姿が目に浮かんだ。

 あいつなら、どこであっても生き延びそうだ。


「ねぇ、おじさん。清とイングランドはいつから戦争してるの?」


 不思議と気が晴れた僕はこんな質問をしてみた。


「うん?……ほほう」


 男は僕を見ると目を細め、意味ありげに鼻で笑った。なんかこのおっさん、イラっとするかも。


「見る限りでは、清の血が交じっている風だな。ふっ、わけありか。挨拶代わりに答えてやろう。

 一般的には一八四十年のイングランドの攻撃が開戦といわれる。だがこの攻撃のきっかけとなったのが、一八三四年の事件だ。貿易の交渉にやってきたイングランド代表の一団を、清が陸地で包囲しちまった。彼らを助けるために海に待機していた者たちが攻撃。この時の海戦からといえるな」


 ええっと、僕が救貧院に入ったのが一八四九年。誕生日をショーンと出会ってすぐに迎えて、僕は今九歳。だから今は……。


「今は一八五二年。十八年前からというのが答えだ」


 指を折る僕をおっさんが見下ろしながら言った。


「へぇ! でもよ、貿易って、国同士の商売だろ? 清って国は、なんで交渉を台無しにするようなことしたんだ?」


 ショーンの問いに、おっさんは煙草たばこをふかす仕草をした。


「アヘンだ。イングランドが売りつけようとしたのは人を半夢状態にするアヘンだったのさ。

 こんな伝説があるぞ。アヘンの原材料のケシ。これを植えるときは、相思相愛の若い男女を裸にして縛りつける。さて、何が起こるか? 二人の情熱が最高潮に達したとき、それぞれの心臓をナイフで貫く。流れ出た血を養分として吸わせるんだそうだ。

 ふっ! ろくなもんではないな!」


 うわぁ。

 顔が熱くなるのを自覚する。ちらりとうかがい見たショーンと目が合う。ショーンは帽子を目深に下げた。なにこれ恥ずかしい。


「ガイ! 子供に変な話しないで!」


 そういうハンナはショーンと同い年だよ。



 ガイという変なおっさんの登場で調子が狂ったけど、まぁなんとかハンナは怒りを静めてくれたし、色々と知ることができた。……色々と。


「ルイ、俺思うんだ。これからは情報が必要だって。ガイみたいなのに騙されないためにも、新聞くらい読めるようにならなきゃな!」


 路上で配られる無料のまずいスープを二人で胃に流しこんでいるとき、ショーンが言った。


「うん」


 僕も賛成だった。清のこと、海軍のこと。お母さんのことをもっと知りたいと思った。


「俺らみたいなもんのための無料学校があるからよ、明日から通おうぜ!」


「うん。あ、でも毎日は無理かも。……ちょっと新しい仕事ができて」


 不定期極まりない、夕方からのボディーガード業。


「あ、勘違いしないでよ。悪いことはしてないからね!」


 何か言いたげにじっと見てくるショーンの疑惑を振り払おうとしつつ、なぜかマリアの名前は出せなかった。


「ははは! いいじゃねぇか。稼げ稼げ!」


 ショーンは笑って、空になったスープのおわんを見下ろした。そして、周囲で同じスープにありつく、ぼろ服を着た貧乏人たちを見回す。


「まっとうに働くだけじゃ、だめなのかもな」


 そうつぶやいたショーンの低い声。

 もうずいぶんと冷たくなった夜の風が、なんだか寂しかった。




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