第10話 歩道のヒロイン (4,100文字)

 一か月後、僕は監獄から出された。

 振り返って石づくりの建物を見上げる。


 ショーンはまだあの中にいる。

 僕だけが先に出されたんだ。

 監獄で支給される少ない食事を、ショーンはこっそり僕に分けてくれた。

 労働中の会話は禁止されていたけど、ショーンはよく他の囚人の子供たちに声をかけていた。

 たったそれだけの理由で、ショーンはまだ牢獄にいる。


「ルイ。大人しく先に出るんだ。お前を心配してる人がいるんだろ」


 ショーンがそう言ったから、僕は黙ってうなずいた。

 悔しかった。ショーンも解放しろって、本当は暴れてやりたかった。

 それができなかったのは、暴れても無駄だってことがわかったから。


『監獄に入るようなことはしないで』

 ハンナの顔が浮かぶ。

 一か月以上会わないことはなかったから、心配はしている、かもしれない。

 でも、会ってなんと言えばいいの?

 服は没収されたまま、いかにも監獄用な黒い上下を着て、帽子もない。

 なによりこのじゃりじゃり頭。

 投獄されていたのが一目でばれる。

 持っていたお金は返してもらったけれど、服に使う勇気はない。

 叱られるのがわかっていながら、ハンナに会いに行くのは……怖い。


「マーガレットおばさんは大丈夫かな」


 ハンナに紹介してもらった、花売りの婆さん。

 生きてはいたけど、杖をついていた。からだを壊したのかもしれない。

 僕のことも、心配してくれてるかも。


「探してみるか」


 僕はあの少年グループと戦った、ストランドの通りに向かった。そのままセントポール大聖堂へと足をのばしてみるつもりだった。


「ねぇ、ちょっと! そこの坊や!」


 坊や、という言葉に反応してしまったのは情けないけど、僕を呼び止める声だと気づいて振り返った。


「坊や、この間ここで騒ぎを起こした子でしょ?」


 青い、スカートが広がった派手なドレスを着た若い女の人が僕を見下ろしていた。

 山なりの眉と、くっきりした二重瞼が華やかな雰囲気。上向きの口角が、いかにも自信たっぷりな感じでもある。

 小さな顔はふりふりしたボンネットに埋もれていて、なんだか花を見てるみたい。


「……誰?」


 貧乏人でなければ、普通、女の人は連れと歩く。でもこの人はひとりだ。

 身構える僕を女の人は鼻で笑った。


「ふふ、警戒しないの。人助けしたのにブタ箱に入れられちゃったのね。かわいそうに」


 この言いよう、僕と少年グループの争いをはじめから見ていたようだ。きれいな人だけど、嫌な感じ。だって、僕とショーンが悪くないのを知っていながら、警察に連れて行かれるのを黙って見ていたのだから。


「マーガレットが、坊やにお礼を言ってたわよ」


「え! マーガレットおばさんのこと知ってるの!?」


 女の人は肩を下げ、やれやれといった調子で微笑した。




「ここよ。この部屋がマーガレットの住んでた所。隣のこっちが、私の部屋」


 女の人に馬車に乗っけられ、連れてこられたのはセントポール大聖堂付近の一角にあるさびれた住宅地だった。ジョージ・ヤードという場所らしい。

 僕は扉に耳を近づける。中からは物音ひとつしない。


「今は別の家族が住んでるわ。さ、こっちよ、入って」


 女の人に手招きされ、僕は軋む床を鳴らしながら、隣の部屋に恐る恐る足を踏み入れた。

 薄暗い。それなりに広いけどごちゃごちゃしてる。


「お茶はないの。ジンでもいかがかしら?」


 片手に握った酒瓶をちゃぽちゃぽと振る女の人に、僕は首を振る。


「うふふ、冗談よ。街の坊やたちはビールに夢中だけど――私は飲ませないわよ?もう少し大人になってからね」


 いじわるそうに笑う顔から、ふいと目をそらす。

 自分だって、そんなに大人じゃなさそうなくせに。深い栗色の髪と瞳、くもりのない白い肌。僕よりずいぶんお姉さん、くらいだと思う。


 それに。はじめてのお酒はハンナのお店で、って決めてるんだからね。お願いされたって飲んでやるものか。なんだよジンって。ジンは悪い酔い方をする、ろくでもない代物シロモノだとショーンが言ってた。


「愛想のない子ねぇ。はい、これ。マーガレットから坊やへの贈り物よ」


「わっ! これ……キングスマンのネッカチーフ!!」


 渡された布地を見て、つい大きな声が出た。このブランドのネッカチーフは、男女問わず憧れの品なんだ。これ以外のネッカチーフは、半人前の証同然ともいえる。


「マーガレットの精一杯のお礼とお詫びよ。大事にすることね」


「おばさん……本当に救貧院に入っちゃったの?」


「あの事件で足を骨折したのよ。ただでさえ、腰を痛めていたのに。しばらく仕事を休んで、やっと少し良くなったからって、出歩いたみたいね」


 もう花売りの仕事はできないと、あきらめたんだ。


「私だって面倒事はごめんだわ。ごめんね、あの時かばってあげられなくて。あの後マーガレットから坊やのこと聞いたのよ。でも、これでおあいこね? 坊やに会うために、昼間っからストランドに毎日いたのよ? おかげで稼ぎまくったわ!」


 瞳をくるりと回す女の人から、僕は目をそらした。

 僕もこの街の事情をずいぶん知った。なんとなく察している。この人は娼婦だ。


「……なんで俺がわかったの? 服も髪型も違うのに」


 気まずさから、こんな質問をしてみる。


「うふふ、帽子もかぶってない丸刈り坊やは目立つわよ? あはは、ごめんってば! 眼よ。真っ黒な髪と眼が印象的だったから」


 髪はもうないけどね。


「別に、黒い髪と目なんていっぱいいるじゃん」


 むしろブロンドのような淡い髪色の方が珍しい。


「違うのよ! なんていうかさ」


 両手で僕の頬を掴み、ぐいと引き寄せる。


「うわ、ちょ、ちょっと!」


「真っ黒でつやつやで……そう、ジェットみたいなのよ」


「ジェ……ジェット?」


「宝石よ。人との別れを悲しむ時、身に着ける漆黒の宝石。とむらいの石」


 なんか、嬉しくないねそれ。


「髪の毛、もったいないわねぇ。坊やの髪ならきっと高く売れたわよ」


「え、売れるの!?」


「つやのある黒い髪はレディーの憧れよ。社交界の女たちのつけ毛の材料として、重宝されるの」


 僕はあることに気づいて、さぁっとからだが冷たくなった。

 ある日突然、長かった髪をばっさり切って帰って来たお母さん。

 お母さんの国では、髪は親からもらったものとしてとても大事にしていたらしい。だから僕も、お母さんにもらった髪が大切なんだ。

 ――売ったんだ。

 お母さんは、髪を売ったんだ。

 脳裏に、僕に髪飾りを握らせて笑うお母さんの顔が浮かぶ。

 お母さん、大事なものを売って得たお金は――。


「ねぇ。坊や、名前は?」


 はっとする。すぐ目の前に唇がある。僕は大きく身を引いた。


「ル……ルイ……」


 なんでか心臓がどきどきする。思えばお母さん以外の女の人とまともに話をすることなんて、滅多にない――いや、ハンナがいるよね。なんだったらマーガレットおばさんだって女性じゃないか。


「いい名前ね。ねぇルイ。仕事の当てはあるの? きれいな顔してるんだから、いくらでも紹介できるわよ?」


 紹介って、何の。


「い、いい……! いらない!」


 直感する。絶対アブない仕事だ。

 全力で首を振る僕を、目の前の女性は鼻で笑った。


「うふふ、冗談よ。甘ったれる余裕がなくなったら、いらっしゃいな。坊や」


 名前を聞いておいて坊や呼ばわりって。なんなの。


「さてと。私は仕事の約束があるから、行くわよ。行く当てないなら、ここにいてもいいわよ? でも今日だけね。じゃ」


 あっさりと向けられる背中に、僕はなぜか焦っちゃったんだ。


「なっ、名前は!?」


 振り返る横顔の、つんとした唇。


「……知りたいの?」


 その唇が笑う。


「呼べた方がいいじゃん、何かあった時!」


「ふふっ。そうね。マリアよ」


 マリア。

 僕がその名前を頭の中で繰り返す間に、マリアは部屋を出ていった。

 軋む階段をゆっくりと下りる音が聞こえる間、僕は突っ立っていた。


 ショーンは牢獄。マーガレットおばさんは救貧院。ハンナには会えない。

 甘ったれの、僕。

 外から言い争うような声が聞こえてきたのは音が聞こえなくなってすぐだった。


「よう、バイオレット! 探したぜ! やっと会えたなぁ!」


「デニス、なんでここが……!?」


 窓から下をみると、数人の男がマリアを囲んでいた。


「そりゃあ、おまえのような稼ぎ手をみすみす逃す俺たちじゃねぇさ。それに結局、やること変えずに歩道のヒロイン気取ってるんじゃ、見つけてくださいと言ってるようなもんだぜ!」


 まずい。これはまずいやつだ。

 あいつら絶対、ろくな人間じゃない。

 どくどくと、心臓の動きが早くなる。

 男たちは五人。成人で、体格もいい。長い外套の下には銃だって隠しているかもしれない。


「やめて、放しなさいよ!」


 どうする、どうする。


「おいおい、つれねーなぁ! 俺たちゃ親みたいなもんだろ?」


 どうするんだ。


「なにが親よ! 私の両親はとっくに死んだわ!!」


 僕は、自分は――。


「覚えてらっしゃい!! あんたたち、いつか地獄へ送ってやるんだから!!!!」


 ネッカチーフを握り締める。――おまえは、どうするんだ?


「この女め! おまえの居場所はあの宿以外にないと――ぶがっ!?」


 階段を駆け下りた、正面にいた男に向かって飛び上がり、鼻の下に拳をぶちこんだ。


「マリア!!」

「ル、ルイっ!?」


 男が倒れる間に、マリアの腕を掴んでいる奴の股間を蹴り上げる。

 一撃だ。一撃で行動不能にするんだ。


「なんだ、このガキ……ぐお!!」


 打ち込むべき、その一点。


「うがっ!」


 瞬間で判断し、突く。


「んの、小僧がっ……! おぼっ!!」


 息の根を止めるつもりで。


「はっ、はっ、はぁっ。マリア、大丈夫?」


「ルイ……。君、凄いじゃない! 私のボディーガード、やらない?」


「え、えぇ!?」


「ね、いいでしょ! 報酬ははずむから。ねぇ? dear my little boy私のかわいい男の子


 ――ルイちゃん。

 お母さんの声。


好夢ハオモン小睿シャオルイ――』

 ――おやすみ、私のかわいいルイ。


「やるの? やらないの?」


「えっ? あ、ああ……。いいけど、子供扱いしないでよ」


 じろりと見上げた相手は、うふふ、といじわるく笑う。


「それと! マリアって、ほんとの名前?」


 マリアはしゃがんで、僕と目線を合わせる。


「教えてあげる。いい女はね、いくつも名前を持ってるのよ」


 やっぱりこの人、すげー嫌な感じ。




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