第二章 忘却の地球編

第6話 そのホシ見守る月は何処に

 夢を見た。


 何度も何度も、同じ場面を見た。


 ずっとあの時の感情が、あの時の決意が、私をじわじわと蝕み続けてきた。


 だから今回も同じだと思っていたのに。


「貴女が─お父──っていた人ね────に行き──」


 狭い空間。私を見下ろすように立った少女は問う。丸い眼鏡。顎下で切りそろえた髪。この学校の中で見たことのない人。だれだろうか。


「────────」


 凛としたあの声が、上手く聞き取れない。歪む視界。彼女以外の声も聞こえる。世界がぐるぐると捻じれ、眼鏡の奥に輝く目に吸い寄せられていく。ノイズが、ゆがみが、悪化する。


「──────」

「──────!」


 彼らの話し声が聞こえる。それはまるで、何かに苛立ち、言い争っているような。意識が遠のいていく。普段の夢と混ざり合い、思考が鈍り、何もわからない。


 私は今何を見ていている。


 知らないはずの過去。

 知っているはずの過去。

 知っていたはずの過去。


 あぁ。そういえば────


アズサとは どこで 出会ったんだっけ───?











 胸を強く締め付ける違和感に私は目を覚ます。

 飛び込んでくるは大きく傾いた暗い視界。全身にのしかかる重力。窮屈な座席から滑り落ちないよう固定するベルト。キャノピー側面は割れ、その鋭い透明な牙にヘルメットが当たるたび砕けた破片がこぼれる。目覚めて早々それらの情報が飛び込み、初めて私は気を失っていたのだと理解した。

 汗ばみ朦朧とする中で記憶を弄る。たしか、降下中にデブリに接触。損傷が限界に達しコントロールを失ったところまでは覚えている。墜落前後の記憶がないが、現状を見る限りなんとか命を保持したまま不時着できたらしい。しかし、ミレイヤがいない。普段収まっている円状台座は既に空っぽであり、着陸の衝撃で私の脚を巻き込みひしゃげていた。


「う…」


 体の節々が痛みうめき声が漏れる。視界の通らないなか遭難マニュアルの手順を思い返しバイタルチェックを起動しようとしたところで、アズサの眼鏡をずっと握りしめていたことにようやく気が付く。あまりに強く握られていたせいかテンプルは歪み、レンズにも細かな傷が入ってしまっている。極限にまで華奢に作られた代物、完全に壊れていてもおかしくなかった。運なんて曖昧な存在は半信半疑だが、私もこの眼鏡も幸運な存在とやらなのかもしれない。それとも、単にミレイヤの機体コントロールが完璧だったか。大方こっちの方が真実だろう。

 両手を開けるため一度眼鏡を胸部ベルトの隙間に挟み、改めて自らの健康状態をしっかり確認する。スーツが守ったか、それともチョコレートによる身体強化の恩恵か、幸いにも台座に巻き込まれた脚に目立った外傷は無く骨も無事であった。流石に力むと鈍い痛みに襲われるが、歩行程度は難なく出来るだろう。内臓も、多分大丈夫…不思議なほど傷がない。残念ながら自爆機能を始めとするスーツの機能はいくつか止まっているみたいだが、生命維持装置周りはなんとか無事だ。あとは──


「ミレイヤ…!どこ…!」

「マスター こちらです」


 破片に気を付けながら座席ベルトを外しミレイヤの名を叫ぶと、聞きなれた合成音声がライトの白い光と共にキャノピーの外から帰ってきた。穴の開いた箇所から此方をのぞき込む見慣れた白い影に私はほっと胸をなでおろす。ミレイヤの放つ明かりに照らし出したぼろぼろの機内が、いかに困難な不時着をこなしたかを物語っている。傷はあれど致命傷になりうる破損は見受けられないミレイヤと対照的だ。

 

「良かった。無事だったんだね」

「ALICEシステムを始めとした一部機能が起動不能 ですが通常稼働に問題はありません」


 電源が消え固く閉ざしたキャノピーを手動で押し開き、ミレイヤのカメラ側面に取り付けられたライトを頼りに周囲を確認する。太陽が見えない。暗いとは思っていたが夜だったか。

 墜落地点の周りには自身の何倍もある巨大な柱上の物体が乱立し、上は無数に分岐した末端が折り重なり上方を網目状に覆っていた。人工物には見えない。たしか、地球の大地には植物という物が大量に存在するはずだ、見渡す限り伸びているこれがその植物とやらだろう。機体の後方を振り返れば件の巨大な柱がいくつもへし折れ、機体の胴部は内部機構が剥き出しになるほど損壊していた。どうやらこの巨大な棒状の植物達が不時着時に緩衝材として働いたおかげで、かろうじてコクピット周りだけが残ったらしい。

 …酸素を供給してくれる貴重な存在をいくつも薙ぎ払ってしまったが、怒られないだろうか。地球の酸素供給量に支障がないことを願う。


「ひとまず、敵はいなさそう、かな」


 地面に降りられるか見極めようとライトを向ければ様々なゴミのような物体が散乱している。薄い膜を限界まで乾燥させたようなものから、上層の分岐部分と同じような形状をした棒のようなもの。あの巨大な植物の老廃物か何かだろうが…踏みつけても大丈夫、だろうか。一抹の不安がよぎるが、それ以上にあの巨大な植物に触りたい好奇心が大きくまさった。収納ケースから取り出した拳銃を構えつつ機外へ体を滑らせ、そっと地面に降りる。

 体の痛みを堪え慎重に、一歩、また一歩とゴミの上を歩む。整然とした要塞や月面都市にも、地平の果てまで荒野が続く月面にもない雑多な世界。

 様々な音がヘルメットのバイザーを通し聞こえてくる。ゴミを踏むたび鳴るパキパキ、カサカサと乾いた音。植物が揺れるたび擦れたノイズのような、なのにどこか安らぐ音。もっとよく聞こうとバイザーを上げ──


「──冷たッ!?」


 急な冷気に視界が瞬間白黒になる。外部環境計測機能が壊れているせいで気が付かなかった。慌ててバイザーを下げスーツに冷気から身を守ってもらう。地球に降りられればこの窮屈なスーツを脱げると期待していたのだが…残念だが、太陽が現れるまでもうしばらく辛抱するしかない。

 気を取り直し巨大な植物に触れられるほどの距離まで歩み寄る。植物は皆緑色と聞いていたが、ライトに照らされたそれは想像よりずっと暗い、茶や灰色のような模様だった。少々期待外れではあったものの、そんなこと関係ないほどに私の胸は沸き立っている。なにしろ映像ですら見たことのない存在が(バイザー越しとはいえ)今目の前にこうして立っているのだ、とても信じられない。

 植物にそっと触れる。先ほどから上層が音をたてながら揺れていたのでしなやかな物体と思っていたが、予想に反し岩のように硬くざらついた触感が、スーツ越しの指でも伝わってきた。きっと身を守るためにこの岩のような皮で覆っているのだろう。近くで見れば見るほど不思議な物体だ。もっとこの巨大な植物の事を、そこかしこから聞こえるあの音の事を、この星の事を知りたい。

 しかし私は軍人、まずは友軍との合流が先だ。この星の事を私は今、何も知らないのだから。思考を切り替え背後に浮いているであろうミレイヤに指示を出す。

 

「ひとまず明るくなってから味方と合流しよう。ミレイヤ、今のうちに出来るだけ広範囲をスキャンしておいて」

「周囲スキャンは10時間前から継続中。敵性存在は確認されていません」

「わかった、ありがとう。ならそのまま索敵を続け──────?」


 相槌を打つ途中、あまりに自然に流されかけた違和感にすんでのところで気づく。


「──待って?今10時間って言った?」

「はい。墜落から10時間と22分が経過。機体が誘爆する危険性は確認されませんでしたので 気絶状態のマスターに対し応急治療用増強食を投与し 索敵と座標の特定を行いました」


 時折このドローンは優秀なのかアホなのかわからなくなる。つまり、地球という敵地のど真ん中で10時間も浪費していたと?ここに第三者がいればあまりに衝撃的な発言に対し、文字通り点になる私の目を観察できただろうに。目覚めの悪い私を完璧に起こすところまで彼女が考えていたのならば正に狙い通り、これ程完璧かつ最悪な目覚ましはない。脚の傷が浅いのも当たり前、ミレイヤが投与した治療用チョコレートには10時間もいらない。骨のひとつやふたつ、5時間も放置すれば接合できるのだからさっさと起こしてくれればいいものを…!


「問題はありません。スキャナーへのエネミアン反応 及び付近を通過した敵性兵器 どちらも認められません。周囲1km圏内の安全が確認されたので マスターの治癒を最優先事項と判断しました」

「…どうやらそれが最適解の行動らしいね」


 それでも早く起きたかった。太陽が消えてから何時間経っているかは知らないが、もう少し明るい時間帯に植物との初対面をしたかったのだ。

 ミレイヤに振り返り不服を全面的に押し出した視線を飛ばしてみるが、機械である彼女には当然通用しない。わがままを言っても仕方がないので話を元に戻す。


「それで。座標特定出来てるなら教えて。ここはどこ?友軍とはどれくらい離れているの?」

「現在地はこちらです」


 疑問符を浮かべる私の正面に球状の3Dホログラムが生成される。複数の大陸と島。宇宙から見た地球の姿だ。暇さえあれば眺めていたのだから間違いない。

 その中の大陸の端、島が列状に連なっている箇所に光点がひとつ現れる。


「東アジアに存在した国家 日本国首都 トウキョウ近郊の森林地帯であると予測しています」

「ニホン?」

「形式の古い広域放送も受信しています。非常に微弱かつデータが破損しているため詳細は不明ですが 主に日本国で使用されていた言語体系 日本語と合致しました」


 聞いたことはある。確か、アズサの──トウミョウ一族のルーツがそういう名前だったか。これ程広い海を避け、小さな島の国にピンポイントで落下していたとは。なんだかんだで優秀な相棒だ。

 ミレイヤの操縦技術に改めて感心していると、今度は三角形の大陸の根元にふたつ目の光点と、それを中心とした小さな円が現れる。それも、ひとつ目の点とは離れた位置に。

 いやな予感が背筋を走る。


「地球攻略司令部 通称イレブン・ポイントはシナイ半島 エジプト領内に存在しています。現在人類統一軍の最高進出点はイレブン・ポイントを中心に1,000km未満であり 友軍の支援を受けるには直線距離で最低8,000km以上移動する必要があります」

「8,000…!?」


 そんな馬鹿な。

 大陸を8,000km横断するなど並大抵のことではない、というか無理だ。何しろ私のソードⅣは原型をとどめないほどに壊れてしまっている。爆発していないのが不思議なほどの鉄屑になり果てたそれは、小手先の修理でどうこう出来る範疇を優に超えてしまっている。

 それにグラディエーターという兵器は元来高機動性に重きを置いており、その代償として航続距離は限界まで削られている。仮に完璧に手入れされたソードⅣが手元にあったとしてもこれ程の距離、何度か補給を挟まねば燃料切れで墜落し現状の二の舞だ。

 さらにそれを乗り越えたとしても、横断する領域は敵陣のど真ん中。遭遇戦闘になった場合援軍も無しでは容易に撃墜されるだろう。


「…どうしようも、ないじゃないか」


 非常食が数日分あるはずだからその間に──その間に8,000km歩けと?とても間に合わない。なら食料を探すか?でも、どうやって?あの食用ブロックを地球上で見つけられる気がしない。地球での生活方法なんて私は教えられていないし、ミレイヤのデータベースを頼ろうにも戦闘に関係のない情報がどこまで正確に載っているのかもわからない。いっそエネミアンの戦闘機を奪って──無茶な、奴らの拠点の位置も戦力も不明なのに、どう奪えと。どう戦えと。それに私達の戦いはアリスシステムの支援ありき。生身で戦闘?それこそ無謀の極み、愚の骨頂だ。

 頭を抱える。打つ手なし。今更事の深刻さに気が付くとは、なんともなさけない。途方に暮れた私は植物にもたれかかるも、力抜けた脚では体を支えきれずに根元にへたり込む。


「…ミレイヤ。こっちに来て」


 浮かぶミレイヤを膝上に招き、胸部ベルトに挟んでいた眼鏡を手に取る。この眼鏡が無ければ、この相棒が居なければ既に死んでいた。その方がこんな気持ちを抱えずに済んだのかもしれないけれど。

 再びバイザーを上げる。顔を覆う冷たい大気。吐き出す度白く色付く呼吸。相変わらず度の合わない眼鏡をかける。知らぬ間に凍り付いていたレンズは白く曇り、冷えたテンプルに触れた肌はひきつるように痛む。


──ふふ、似合わないわね


 何時ぞやのアズサの声が鮮明に聞こえる。今彼女は一体何を思っているのだろうか。私が戦死したと知らされ泣いているだろうか。いや、アズサの事だ。きっと静かに状況を受け入れているし、むしろ私が約束を破ったと顔色すら変えずに怒っている可能性すらある。

 視界が潤む。曇った眼鏡に隠された目からあふれ出した涙が、頬を伝いミレイヤに落ちる。

 私でも泣くんだな。拭う気にもなれない。完全に追い詰められているのに、思考はどこか他人事のよう。無気力感が奥底から溢れ、言葉にならない言葉として漏れる。寂しさという感情が、ここまで苦しいなんて。

 もう一度、アズサをひと目見たい。アズサに触れたい。アズサと言葉を交わしたい。託された眼鏡は無事だよと伝えたい。最も、こんな願い夢のまた夢、グラディエーターの貧弱な発信機では軌道上との通信すらままならないのだが。

 

 アズサ。私は、どうしたらいいの…?

 


「了解。データを再生します」



「──え?」


 俯き身を包む絶望感。

 だが。そんな私の思考を引きずり戻したのは。


「『蜿ェ繧、?埼撼蟶ク笏?縺溘う螳」??ス?ご繧イ繧イ逋コ莉、荳ュ窶ヲ?薙す窶ヲ繧ヲ繧ュ?吶え蜈ィ蝓溘↓蝓溘↓繧、繧ュ?狗キ翫く繝ウ繝・繧ヲ窶ヲ?肴ー代?逧?ァ倥??医$?ク?櫁サ阪?謖?尚荳九↓蜈・繧翫?∬ェ伜ー弱↓?シ蠕凪?ヲ繧?≧縺?≧蜿ェ繧、?埼撼蟶ク笏?笏?』」


 あまりにも耳障りで、聞くに堪えない音声の羅列であった。あまりの煩さに慌ててミレイヤを制止する。


「ちょ、ストップストップ!何これ!?何流してるの!」

「トウキョウ方面から受信した音声データを再生しました。発信源は付近の廃基地からと思われます」

「廃基地…電波…………?」


 刹那。

 何かが、頭の中で繋がった。

 冷静さを欠いていた脳は一気に冴えわたる。


「それだ!その基地なら!!」


 衝動的にミレイヤを抱き上げ叫ぶ。ミレイヤに人間のような感情があれば、私の輝きだした表情を前にその青いアイカメラを瞬いていただろう。

 地球から人類が追い出されて数十年、それほどの時が経ちながらも電波の発信を続けているのなら、まだ基地内のインフラが残っている可能性が高い。であるならば、その基地の通信機を修理し救援を呼べるかもしれない。

 それに…せっかくの地球なのだ。どうせ死ぬのなら最後まで新しい景色を目に焼き付けてからでも遅くはないだろうし。


「その廃基地の正確な場所はわかる?」

「現在地から東に20km トウキョウ方面に進む必要があります」

「それくらいなら歩けるね!よし、明るくなったら移動するよ!」


 ボヤボヤしてなどいられない。すぐさまソードⅣの残骸に戻り、残された物資を漁る。修理キット。非常食。チョコレート…そしてアズサの眼鏡。少ない荷物を袋に纏め、胸部ベルトにホルスターを取り付け拳銃を装備。バイザーを降ろし臨戦態勢を整えておく。


「ミレイヤ、上空で索敵を続けて。私はもう少し休ませてもらうよ」

「了解しました。ゆっくりおやすみください」


 ミレイヤを上空に飛ばすタイミングで、暗く閉ざされていた空が動いた。重く立ち込めていた灰色の壁が割れ、星の海が垣間見える。宇宙で散々見たあの星の世界は、ここでは生きているかのように瞬きを繰り返し、あの時とは全く違う表情を映す。まるで、自分たちの存在を主張するかのように。

 その中でもひと際大きな天体が空の壁の向こうから顔を覗かせる。残された人類が住む星。そして、アズサの待つ星。


「あれが、地球ここから見た月…」

 

 綺麗。


 あんなただの岩石の塊の反射光に、そのような感情を抱くなんて。地球に墜ちたショックで私は私で無くなってしまったようにも思える。

 もう少し。もう少しだけ見ていたい。精神疲労からか重くなる瞼に最後まで抗う。

 この忘れ去られた故郷での記憶を、1秒でも多く脳に残すために。


 大丈夫。何年、何十年かかろうとも、必ず帰るから。そして、このホシの事を沢山話すから。

 だから…待っていて。私の愛しい人。






次回 吸い殻の掠れた産声

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