第30話 水処理用WPCの開発とその余波

 僕は、京都に来てK大衛星工学第3研究室に来ている。黒田茂樹と諸屋かずみの、ドクター2年のカップルに、研究の進捗状況を聞いているのだ。彼らは、様々な物質用に作った水フィルタリングWPCの機能を確認しているところだ。


 今は水を流すパイプに取り付けると、特定の物質を通さないようになるWPCが10種類ほど出来ている。これらについて、通水量、除去率などの基礎実験を黒田茂樹と諸屋かずみの2人でしているところだ。こういうデータがないと、装置化ができないわけなので、地道な実験研究であるが必須の研究である。


 そして、現在問題になっているのは、パイプに取り付けたWPCの後では、例えばカルシウムは100%除去されるが、除去されたカルシウムはその手前に残ってどんどん濃度が上昇していく。


 そして、WPCの手前の濃度が上がりすぎていずれ除去がされなくなってしまうのだ。まあ、濾過膜に水を通していると膜表面に汚染分が濃縮されて水を通さなくなるようなものだね。


 だから、そこをT字型にして、片方に処理した水を通して片方には分離された物質を含む水を通して、その水は元のところに返す。このシステムは、池のような大きな水域から水を汲み上げて浄化するには良いが、池などは生活用水や藻類で汚れている場合が多い。


 そしてこの種のWPCは、有機物など高分子の物質の除去には向いてないのだ。一方で、地下水を取る井戸の水は特定の物質、ヒ素、鉄やマンガン、高濃度のカルシウムなどを含み、人が使うには不適な場合も多い。

 しかし、その場合には元のところに水を返すこのシステムは使いづらい。だから、どうやってこれらのWPCを使うのが効率が良いか、悩んでいるところだった。


 ただ、研究対象としては特定の物質を水から除去するWPCは十分なもので、黒田茂樹と諸屋かずみのドクター論文には十分なテーマである。元々、こうした研究が実用化されるケースはほとんどないのが実情だ。


 そして、先日の野上社長との話で、あれこれ作ったWPCの中に、塩分をまとめて除去するものもあったのを思いだしたのだ。つまり、海から引き込んだ池の中に塩分除去のWPCを仕掛けたポンプを設置すれば、塩分除去した水が得られるという仕組みだ。


 そして、その池の水は海水とどんどん入れ替えれば、除去された塩分は海に帰っていき、その海域の塩分濃度の上昇は無視し得る程度に収まる。このようにすれば、海水淡水化は簡単であり、必要な経費は膜などを使った淡水化装置に比べると非常に小さいはずだ。


 僕は、黒田らの研究室の峯田さなえ助教授を呼んでもらって野上社長との話をした。

「なるほど、海水淡水化ですか。すみませんね。作ってもらったWPCのリストは見ていたのだけど、塩分除去のものは見逃しましたわ。というより、有害物でないために意識にひっかからなかったということだな」


 彼女は、水処理専門学者の中でも、途上国に行ってヒ素なんかの除去の研究をしていた人だ。だから、塩分ということに余り意識が回らなかったのだろう。


「いえ、それは僕も一緒ですよ。考えたら、海水淡水化は有力なターゲットです。海岸沿いのところだったら、処理場を作り放題だし、内陸でも塩分濃度の高い湖なども多いですからね。それに、水の不足は洒落にならないほどシリアスになりつつあります」


「でも、これらのWPCは有機物による汚染には弱いですから、下水なんかで汚れた海水は使えませんね。うん、だから基本的には膜処理の水処理整備と直列に接続すれば、都市用水に使えます。でも、必要量の多い農業の灌漑用水には塩分除去だけで十分です」

 黒田が言うが、峯田助教授が反論する。


「だけど、農業用水にするとなると、単価を上げられないから費用がよほど小さくないと無理だよ。上水道を含む都市用水だったら㎥当たり数百円かけてもいいんだけどね。現に、福岡とか沖縄の海水淡水化施設は単価が2千円を超えているでしょう」

 そこに僕が口を挟んだ。


「まあ、もう少しキャパが大きいWPCを作りますから、どこかに実験設備を作ってやってみましょう」


「うん、そうね。そういえば、S社が沖縄に名波市と組んで、海水淡水化の実験設備を作って実験をしていると聞いているわ。それに乗っかれば簡単かも。S社には卒業生もいるんで、聞いてみましょう」


 峯田助教授はスマホを取りだして、相手を探して話し始める。

「もしもし、ああ、室井君、元気でやっています?ちょっといいかな………。(しばらく近況のやりとり)それでね。海水から塩分を抜けるWPCがあるのよ。海水淡水化というのは結構大きなターゲットになるでしょう?

 うん、うん、会社でも力を入れて取り組んでいるって?ふーん、それでね、そのWPCの実験をしたいのよ。お宅は今沖縄で実験をしているでしょう?それに乗せてくれないかな。え、ええ……、こっちに来るって?ええ?明日?」


 俺の顔を見るので頷くと、

「いいよ、明日でも、まあ具体的なスケジュールを教えてね。それじゃあ」

 そう言ってスマホを切り言う。


「食いついてきた。結構沖縄の方も難航しているようね。明日上司を連れて来るってさ」

 それから、作るWPCのことを話していると峯田のスマホに着信音が鳴る。


「もしもし。ええ、室井君か、どうしたの?へえ、今から出る?上司を含めて3人で来るのね。3時ごろには着くと。いいよ、まあ、その方が都合がいいわ。待ってるよ」

 そう言って彼女はスマホを切って肩をすくめる。

 待つ間に、僕は持ってきたパソコンで塩分除去のWPCの回路を描く。今までのものは実験室レベルのものだったが、今度は小型実用レベルで通過水量は毎分1㎥/分であり、日にすれば1440㎥だ。僕がCADを使って回路を描いている画面を3人が熱心に見る。


「ほら、ここで塩化ナトリウム、それからマグネシウム、カルシウム、カリウムなどにひっくるめて総体としての塩分をターゲットにして、このところでシャットアウトするわけだ。成分をそれなりに指定するので、結構複雑な回路になるね。

 それと、量を指定するのはこの部分で、まあ速度を毎秒1m、通過パイプの直径は1m程度までは上げられるかな。今回はごく小さく、直径100㎜の管で毎分1㎥の量にするので、実験装置は簡単だね。

 さて、これで回路はO.Kだ。では、これをWPC製造㈱にメールで送ってと。2日あればできるだろう」


 僕が作る試作WPCの素材は、エッチングを含めてWPC製造㈱が無償でやってくれる。現在では、ほとんどの素材はアルミニウムを使っている。僕はその作ってくれた素材を活性化することでWPCが出来上がる。

 今日来るS社の人には、実験用に作った塩分除去のWPCで実験して見せれば良いだろう。


 約束した時間に、S社の3人が訪れた。RO開発グループの主任という40歳代の木島氏、30歳代の村崎という女性、それにK大の卒業生の室井である。

ROというのはReverse Osmosis の略であり、日本語で言うと逆浸透のことで、RO膜を使うと塩分などの低分子の物質の除去ができる。ただ、この膜通すのは非常に高い圧力が必要で、さらには膜を頻繁に洗う必要があり、膜の寿命も短い。なかなか厄介な設備だ。


 だから、設備費の償却・運転費まで含めると、浄水1㎥当たり3千円くらいの費用になる。普通の水道水は日本でも100~200円なので段違いに高い。とはいえ、水がないと人は暮らしていけないのでコストがかかってもやむを得ないのだ。


 だから、日本のみならずRO膜を使って海水または潅水(海水ほどではないが塩分の濃度の高い水:海岸の井戸などから取れる)を処理して、水道水にすることは世界的に近年では増えている。ただ、どのように言ってもコストが高いというのは欠点であり、最後まで付きまとう問題だ。


 だから、その種の仕事をしている会社なら、海水淡水化のWPCがあると言えば飛びつくのは当然だろう。僕が見ていると、木島が峯田に言って、実験用のWPCを見せてもらっている。そして、黒田、諸田の手も借りてそのWPCをセットして、小型ポンプを動かして人工塩水を処理し始める。


 それは10リットルほどの塩水の入ったバケツに小さなポンプが沈められ、それから直径が1㎝ほどの透明ホースがつけられて塩ビのT字管の1本に接続されている。残り2本のうち1本は塩ビ管が別のバケツに繋がっているが、そっちが脱塩した水になると説明されている。最後の1本は塩ビ管でポンプの設置されているバケツに繋がっていて、脱塩された塩が交じって元に帰るという。


「ではポンプを起動します」

 黒木が言って、手元のスイッチを入れると、処理水の出口から直径1㎝ほどの太さの水が出始める。また、ポンプの設置された塩水のバケツには同じ程度の量の水が出始める。


 木島が、吹き出している水の両方に指を突っ込んで舐める。その動作に全くためらいがなく、流石に水処理のプロだ。そして2度ほどそれを繰り返して、じっくり味わうような顔をしているが、やがて大きく頷く。


「間違いない。こっちの処理水は塩分が完全に除去されている。少なくとも水道水質基準内だな。そして、こっちは塩分が確かに濃い。間違いなく、このWPCで塩分が分離されている。こんな簡単なで設備で脱塩ができるなら、これは画期的なことだ」


 流石に鍛えられた技術者は分析するまでもなく、水の中の塩分濃度を感じることができる。そう言って彼は峯田助教授に歩み寄り頭を下げて言う。


「峯田先生、このノウハウは是非当社にお願いします。これは売れます、世界に売れますよ!」


 さらに、このようにすぐさま技術を抑えにかかるとは木島は商売の感覚も鋭い。

「うん、と言いたいけど、私からは言えないわよ。この技術はうちの研究室も少し手伝ってはいるけど、大部分はそこにいる浅香修君からよ」

 彼女が僕を示すと、木島が僕の方を向いて言う。


「ああ、君があの有名なオサム君かい。ということはWPC製造㈱が絡んでいるわけだね?」


「ええ、少なくとも僕が関わるWPCは全てですね。その方が面倒がないものね。下手に作ったWPCを産業化して失業した人達から個人として恨まれたくはないもの」 

 僕が応じたところで、峯田助教授が声をかける。


「まあ、皆座ろうよ」

 そう言って、実験台の周りに置いてある椅子に、一同を招いて落ち着いた所で話を始める。


「実は、S社さんに声をかけたのは、貴社が沖縄でやっている実験に、作ったWPCを入れてもらえないかということです。そのためのWPCはオサム君がもう準備をしているわよ」


「おお、それは……。実は当社は日本では沖縄、さらに海外に3か所に海水淡水化のRO膜装置を入れる予定でいます。まあ、契約ができているのは海外の2か所ですがね。今有力な引き合いがあるのは世界で15か所になります。

 でも、今見せていただいたようなWPCで実際に脱塩することができるなら、これは多分1年以内に百か所、いや千か所以上に増えるでしょう。島嶼で、水に困っていないところはないと言っていいくらいですし、内陸でも塩分交じりの水しか得られないところは多いのです。


 ただ、導入が進まないのはコストなんですよ。ODAの援助で設備を入れることは簡単ですが、水1㎥に対し数千円のコストがかかったのでは維持できません。今見せていただいたレベルの設備で脱塩ができるなら、普通の浄水処理と同じ程度のコストになります。だから、これは世界で爆発的に売れますよ。


 ただ、商売という意味では少々困った点はありますがね。RO膜設備というのは高価なものですが、その設備費が劇的に下がるわけですから。しかし、このWPCを使った脱塩設備は絶対的な競争力がありますから、これを組み込んだ浄水施設は絶対に採用されます。

 一つの施設の建設費は半分くらいになるかも知れませんが、トータルとしての受注額は何倍にもなります。なにより、作った後にちゃんとお守りができるかなと心配する必要がなくなるのが有難いです。だから、当面沖縄の実験に入れましょう。顧客は間違いなく歓迎します。その作られたというWPCはどの程度の能力ですか?」


 木島氏の中々示唆に富んだ言葉に僕は答えた。

「WPCを取り付ける管を100㎜程度いしてということで、1㎥/分程度の能力ですよ」


「日量1440㎥ですか。流石に半端じゃないですね。沖縄の実験装置の処理量は日量10㎥ですよ。でも、いいですね。その位だと、すぐにでも実機でほしいというところが沢山ありますよ。ただ、RO膜はその処理の前に濾過なんかで前処理をする必要がありますが、処理水はすぐに浄水として使えます。


 でもWPC処理の場合は、海水の汚染の度合いによっても違いますが、脱塩の後に濾過とかある程度の処理をする必要がありますね。実験ではそこまでしませんが、この場合は散水とかに使うことになるでしょう。いずれにせよ、すぐに実験に掛かりたいのですが、WPCは何時用意できますか?」


 木島氏が聞くのに再度答える。

「うーん。さっき回路図を送ったので、2日後に回路をエッチングした素材ができますので、3日後にはどこででも受け取れます。活性化は当面僕じゃないとできないでしょう。だから、最短だと沖縄で受け取るのが早いけど、そこまで急がないでしょう」

 僕が笑いながら言うと、木島氏が真剣な顔で言う。


「いえ、ぜひ最短でお願いします。今フィリピンのプロジェクトの詳細設計が進んでいます。これに組み込みたいのですよ。そのために、1日も早く結果が欲しいのです」

 さらに、僕と峯田助教授に頭を下げて言う。

「ぜひ、先生と浅香さんは沖縄の実験装置まで一緒に行っていただけませんか。旅費は出しますから。実験結果の検証には是非とも峯田先生の研究室のお力をお借りしたいのです」

 実験などに大学が絡むと、信ぴょう性が高まるので顧客に説明するのに有利なのだ。


「うーん。まあスケジュールは空いてはいるけど。ちょっと急だし、これは黒田君と諸屋君の研究だしねえ」

 峯田助教授の言葉に、木島はためらう。まあ、民間企業でそう簡単に経費をホイホイ出すとは言えないだろう。だから僕が助太刀して言ったよ。


「沖縄いいね、観光もしようよ。自由にしたいから自分の旅費は自分で出しますから。黒田さんと諸屋さんの旅費は僕が出しますよ」

「おお、ラッキー。沖縄最高!オサム様、太っ腹!」

屋嬢が喜んで応じる。


 彼らと夕食を共にすることも多いが、平気で僕に払わせて自分らは酒をがばがば飲む。僕はまだ飲めないのにね。黒田は最初こそ少し気が引けているようだが、飲兵衛の彼は飲むとすぐに平気になる。僕には余り金の使い道もないからいいんだけどね。行くのはいつも安いチェーン店だし。


「ええ!浅香さんいいんですか?」

 木島が後ろめたそうに言うのに、諸屋が口を挟む。

「平気、平気。なんたってオサム様はお金持ちやし、高収入やし。たまには使わなきゃ」


 奢られる身でそういうことを言うのはどうかと思うけど、不思議と彼女が言うと腹が立たない。僕は苦笑して言った。

「いいですよ。沖縄は行ったことがないですから。それに僕は護衛の人も連れていきますからね」

 その日は細かい打ち合わせをして、彼ら3人は帰って行った。

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