第18話 中央アジアでの数日1

 アジャーラの母は重体で相当に悪いらしいので、空港から取り急ぎ彼女の村に向かうことになった。僕の一行はアジャーラを入れて5人、村田医師には現地スタッフの通訳の若い男がついている。だから、全員で7人になるので、日の丸の旗マークのある2台のランクルが準備されていた。


 空港は市内のはずれで、丁度目的地に向かう方向に位置するので、市内を抜ける必要がない。目的地は、国の北東端に位置するタシケントから、250㎞ほど西北西の方向で、途中まで有名な観光都市のサマルカンドへの国道を走る。

 

 最初の行程は、首都のはずれの土色の一戸建ての集まりに、アパートが混じるそれなりの市街地であった。しかし、20分も走るとほとんど家は見られなくなり、褐色の大地に灌木がぼつぼつと生えている。 


 向かう方向は、比較的水の豊富な北東部から中央の乾燥地であり、辺りに川は殆どなく水源は殆ど井戸である。その井戸も塩分濃度が高く、あるいは硬度が高い井戸が多く、なかなか飲料に適する井戸は少ないと言う。ただ、限られた川がある付近はその水を使って、農業が行なわれている。


 アジャーラの故郷のシラベもそのような村の一つであり、小麦や野菜を作ってタシケントに出荷している。しかし、本流から引き込んだ流れは細く、かつその水は上流の市内で汚染されたもので、農業には使えても到底飲用には適さない。


 だから、飲用を含む家庭用の水は地下水であり、井戸からポンプで汲み上げられた水が、村の中央の高架給水塔に揚水されて村内にパイプで給水されている。この水は、検査もされて安全な水であるが、アジャーラの家のあるあたりでは、水圧が低くて一日に数時間しか使えない。


 だから、その集落の人々が集まって井戸を掘ったのだ。それは、私的なものであり、出てくる水の見かけが清澄なものであったために、検査もせずに使っていた。だが、実は高濃度のヒ素が含まれていたというわけである


 ヒ素は自然界に比較的多くみられる有害物質で、井戸の使用に当たっては更に多い鉄やマンガンなどと違って、色などの兆候が見えないので、分らず使用されがちであるため特に危険である。


 アジャーラは一人っ子で、彼女が特に成績優秀のため首都で寄宿舎生活をし始めた。その直後、それを大いに喜んでくれた父が事故で亡くなった。心配する彼女に残った母は、細々でも農業で暮らせるからと彼女を送り出した。

 しかし、帰省もままならぬ厳しい学業の生活をしていたところ、母が倒れたという知らせに、無理やり帰省したところに、すでに手遅れという村田の診断であった。


 村田の話では、ヒ素のよる中毒患者はアジャーラの家のあるベートラ地区の25軒の住民、45人に限られている。そして、歩けないほどの重症者は6人で、うち4人はアジャーラの母ベジータを含めて手遅れの状態である。また、30人を超える者達は今後重い後遺症に苦しむことになるという。


「おさむ君、このCR-WPCがあれば身体に悪いものを排出できるのよね。癌の場合は殺して排出すると聞いているけど。ヒ素による中毒症の治療はしたことがないでしょう?」

 村田医師が車内で僕に聞く。


「ええ、ヒ素の重度の中毒なんて日本にはいませんよ。それに、CR-WPCは、癌の治療で精一杯で他に振る分ける余裕はありませんって。だけどT大で、工場で被災した人のベリリウムとアスベストの治療に成功したと聞いていますよ」


「そう、CS病院の同級生からそれを聞いたのよ。だから、ヒ素も大丈夫だと思っています。私の狙いはヒ素だけではないわ。この国はね、おさむ君、大勢の人々が毒物による被害を受けている地域があるのよ」


「ええ!そんなことが!それはどこですか?」


「アラル海よ。6万8千㎢、世界第4位の湖だったアラル海、塩湖であったけど豊かな漁場だったこの湖が消えようとしています。それはここに注ぐ国際河川であるアムダリア川の流量が減ったからよ。アラル海の水はほら、あっちに山地が見えるでしょう?」


 彼女は、振り返って車の後方を指さすと、そこにははるかに山々が見える。

「あれはまだ入口だけど、パミール高原や天山山脈などが後方に控えて、そこから豊富な雪解け水がタシケントを通って、アラル海に注いでいたのよ。

 それを、ソ連としてこの国を統治していた国がダムを造り、水路を作り、莫大な面積の綿花畑を作りました。結果、水は湖に届かなくなりました。


 そうすると、湖の水は量が減って、含まれていた塩は濃縮されて、どんな魚も済めない死の湖、いえ、もはや水たまりね、死の水たまりになってしまいました。そして、その湖だった広大な陸地には塩が堆積しています。


 綺麗な塩だったらまだ使い道がありますが、これには綿花栽培に使われた大量の農薬が含まれています。そして、その塩は風に吹かれて周辺に飛び散ります。それは当然人には非常に危険なほこりですから、当然すさまじい健康被害が起きています。


 農薬も、重金属と同じで、症状を軽減できても、治療法は今までなかったのよ。だから、政府としても蓋をする以外に打つ手が無かったのよね。それはよくわかります。だけど、このCR-WPCとIC-WPCがあれば違うはずよ、きっと治せるはず」


 村田医師は僕が渡したCR-WPCとIC-WPCを両手に持って情熱的に言った。僕はその熱情に圧倒される思いだったけど、決して不愉快ではなく、そのように語れる彼女が羨ましかったな。

 やがて、2台の車は、目的地である辺りに畑が広がり貧しい家が並ぶ集落に着いた。1㎞程離れたところに丸いタンクが載っている給水塔が見え、近所の家より数が多く密集している家々の屋根が見える。


 車が止まっている家もあるが、どれもぼろぼろで、本当に走るのか首をかしげるようなものばかりだ。貧弱な木柱があって電線が家々に繋がっているので、電気は通じているようだ。車の音に人々が集まって来るが、皆表情は暗く元気がない。


 その中に一人である中年の女性を見て、アジャーラが車を急いで降り、駆け寄ってなにやら話しかける。

「彼女は、アジャーラの親戚の方なのよ。幸い彼女の症状は軽くて、動くのにはそれほど不自由はないわ。アジャーラの母、ベジータさんの面倒を見てくれているの。では降りましょう」


 村田医師がそう言って、車から降りる。人々が彼女を見て口々に挨拶するのを見ると、村人が彼女を大いに敬っていることが見て取れる。

 彼女が通訳に英語で僕の紹介をして、通訳の若者が現地語であるウズベキ語で10人ほど集まっている人々に話かける。医師による英語の紹介は以下のような内容だ。無論、カメラマン、向後希恵はそれをハンディカメラで撮っている。


「ここにいるのは、あなた達と、寝込んでいる人々をヒ素による病気を治そうと、たった今日本から来た人々です。そして、これがたぶん皆を治せる道具です。こちらが、悪いものを体外に取り出す道具、こちらはそのために傷んだ体を治す道具です」


 通訳が、村田医師が掲げたCR-WPCとIC-WPCをそれぞれ指して道具として説明する。

「そして、これらを作ったのはこの少年、オサム・アサカです。彼はこれらを作れる世界で唯一の人ですから、日本の、そして世界の宝です。彼の年が若くても、敬意をもって接してください。日本に行って彼にお願いして、ここに連れてきたのはこのアジャーラです。

 それでは、まずアジャーラのお母さんのベジータさんの治療を試みます。ついて来てもいいけど、部屋に入るのは代表だけ、それと決して騒いではいけません」


 それを聞いていたアジャーラは、一つの家に向かって先導する。母の体調を気遣って、厳しい表情だ。

 そこは、40㎡足らずの小屋であり、粗末なドアとガラス窓があり、板壁は古ぼけている。それでも、最近までは手入れはされていたようで、辺りは片付いていてごみが散乱しているというようなことはない。


 アジャーラは、せわし気に鍵を出してドアに差し込んでそれを開く、そして中に飛び込んだ。くぐもった彼女の声が聞こえる室内に、医師に続いて僕が、護衛の川合さんと山江さんを制して中に入る。


 入った中は小さな流し、テーブルと4つの椅子がある板の間があって、傘のついた電球がぶら下がっている。奥が寝室らしく、アジャーラの声が聞こえる。

 靴を脱いで上がり奥に行くと、電球が点いていて寝台に布団を首までかけた人が横たわり、アジャーラが縋り付いている。村田医師が躊躇いなく歩み寄って、アジャーラを優しく横にやって、顔を覗き込み、顔と体を触った後、僕を振り返って言う。


「あまり、変わりはないわ、良くも悪くもなっていません。ただ、このままでは、長くはないわね」

 それから、僕に向かって持っていた、CR-WPCを持ち上げて続ける。

「こちらからでいいのね。このキーのWPCを使って……」


「いや、僕がやった方がいい。癌なら先生にやってもらうけど、ヒ素など有害物質は始めてだからね」

 僕の言葉に、村田医師は苦笑して返す。


「医師免許のない君に言われて、反論できないのは悲しいけど、まあ医師の私の指導監督の下にという建前ね。どうぞやって、でも逐一説明してね」


 そう言って僕にCR-WPCを渡す。

「うん、全力を尽くすよ。さて……」

 僕はWPを伸ばし、やせこけた体を探査にかかる。かけている薄い布団は障害にならないのでそのままだ。


「うーん、痩せているな。体の各所にただれがある。それと、肺が癌化している。…………。厄介だな、結構満遍なく蓄積されている。癌のように特定の部位に患部が集中しているといいのだけど、まあ、CR-WPCをかけてみよう」

 僕はビジータさんの体の上に活性化したCR-WPCをかざし、ゆっくりと動かした。


「ほう!ヒ素は有害物として認知され、体にとっての敵になった。ゆっくり細胞の間を浸透している。よし、少し僕のWPで加速してみよう。うん!っとね」

 僕が独り言のように言う言葉を、村田医師は真剣に聞き入っているし、無論、記録係の向後は録音、撮影をしている。


「へえ、結構早い。ヒ素は胃と腸に集まっているから、癌細胞のように便として排出されるだろう。肺にあった癌ももう死んだ。あとは液化して消化器に集めるだけだ」 

 僕の言葉は逐一英語に翻訳されて、アジャーラに伝わり、通訳の若者から室内に入ってきている5人ほどの村人に、ウズベキ語に翻訳されている。


 2時間ほどかかっただろうか。僕は「はあー!」と息を吐いて椅子にへたり込んだ。

「もう、CR-WPCの仕事は終わったよ。あとは、IC-WPCで荒らされた体の治癒を村田さんお願い」


 僕の言葉に、村田さんはこう言って、最後に僕に聞いた。

「じゃあ、男はこの部屋から出ていって、少し体を詳しく見るわ。それは問題ないわね?」


 彼女は、ベジータさんの服を脱がせて診察するつもりなのだ。またそれをして大丈夫か僕に聞いた訳だ。

「ええ、大丈夫です。その後で、IC-WPCで治癒すれば回復は早くなります」


 そう言って、僕は護衛の2人と、部屋にいた村人の男性一人と共に外に出た。すこし肌寒い外で、長時間の集中した疲れを癒すためにぼんやりしていると、それほどの時間もかからず、アジャーラが出てきた。目に大粒の涙が浮かんでいるので、僕はビジータさんがどうかなったかと思ってどきりとした。


 しかし、彼女は僕に駆け寄って抱きついて、むせび泣きながらひたすら言う。

「Thank you, Thank you so much, My mother was alive. Thank you, Osamu」


良かった。彼女のお母さんが良くなったことが確認されて、感激しての彼女の行為だ。手を下ろしていると、バランスを失いそうになるので、僕も彼女を抱き寄せたよ。本当だよ、他意はないよ。若い女性らしい何とも言えない良い匂いに包まれて、柔らかな胸の感触を存分に味わえたことは事実だけどね。


 彼女が我を取り戻して、真っ赤になって体を離した後に僕らも部屋に入る。ベジータさんは、また布団を掛けていたけどまだ眠っていた。そのベッド脇に座って、布団の上から村田医師がIC-WPCをかざしてゆっくり動かしていた。彼女は顔を上げて僕を見上げて言う。


「おさむ君、詳しくはもっと精密に調べないとわからないけど、ただれも良くなりかけているし、出ていた癌の兆候もない。呼吸は正常に戻ったし、触診で解る限りの障害は治っているようね。少なくとも、WPC以外ではありえない効果が出ていることは確かです。


 そして、このIC-WPCによって、ただれは目に見えて良くなっています。だから、内臓にあるだろう損傷も良くなって行っていると思う。話には聞いていたけど、聞きしに勝る効果だわ。本当に私がこれを貰っていいのね?」


「はい、車の中で言った通りです。それと、持ってきたCR-WPCとIC-WPCのそれぞれ5台は、置いて行きますので、村田さんの裁量に任せます」


「はあー。聞いているだろうけど、中東ではCR-WPCとIC-WPCは、闇ではそれぞれ1億円で売買されているのよ。そんなものを、5台ずつ私に任せるなんて。そこまで、信用してもいいの?」


「ええ、これは僕の私有物ですから、僕の自己満足に使っていいんですよ。あなたが信用に足りない人物であれば、単に僕の見る目が無かったということで済みます。これは、少なくとも人を傷つけるものではないですからね」


 笑って言う僕に、苦笑を返す村田医師であったが、日本語の解る2人の護衛とカメラマンは呆れた表情で、肩をすくめ空を向いた。その後、夕刻までかけて、出来るだけの人々を治療して、その夜は母の看病に残ったアジャーラを残して、村から30㎞の位置にある地方都市ジザフのホテルに泊まった。


 ホテルのレストランで、晩酌にウオッカを飲んだ村田医師に僕は大いに絡まれた。護衛の2人は、アルコールで判断を鈍らすわけにいかないとして飲まなかったけど、向後女史は村田医師の向こうを張って飲んだよ。


「おさむ君、君は意識しているかどうか知らないけれど、君は世界中の何万、いや何十万の人々の命を握っているのよ。あなたしか作れない医療用のWPCはそれだけの能力があります。あなたは、母を、父を、子供を亡くす人々の悲しみ・苦しみの涙を喜びの涙に変えることができます。

 それは、アジャーラの例でそれを実感したでしょう。もっともあなたは、彼女に抱き着かれて、やに下がっていたようだけどね」


 ニヤリと笑う医師に僕は慌てた。

「い、いや、決っしてそんなことは………」

「あるでしょう?」


「で、でもあれだけの美少女に抱き着かれたら、誰でもそうでしょうよ」

 開き直って言い返す僕に、村田医師は言う。


「まあ、私もそれを狙って彼女をあなたの元に送ったのよ。美人なのは確かだけど、若いのに彼女ほどの雰囲気を持った女性にはまだ会ったことがないわね。まあ、男の本能よね。狙い以上の結果だったわ」


 そして、向き直って僕に言う。その目は真剣だ。

「医療用のWPCを作れるということは、それほどのことなのよ。それを、君は自分で出来るのはこの程度と言い訳をしているだろうけど、それは本来助かる人を殺しているのよ。確かに、一人で出来ることには限度があります。でも、おさむ君、君ね、真剣に作れる人を見つける努力をしているの?」

 

そう言われて、イエスとは答えられなかったな。

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