本文(プロローグ)


「姫様、俺はどうやらイケメン騎士らしいのです」



 愛しい愛しい婚約者の全てを観察すること。

 それが、テネリア王国の王女エリザベスにとっての日々の至宝の糧であり、日課だ。

 その日課の一つである、高等学院からの帰り道。

 寄宿舎へ向かっている途中、エリザベスの愛しの婚約者兼護衛騎士であるアレックスは、唐突に堂々とそんなことをのたまい始めた。


 俺はどうやらイケメン騎士。


 その言葉は何となく破壊力が抜群な気がするが、あいにくエリザベスは『いけめん』とやらに全く心当たりが無かった。故に、絹糸の様に流れる金の髪をさらりと流しながら、淡白な返しになってしまう。



「アレックスはイケメン騎士ですのね。さすがはわたくしの愛しの誉れなる婚約者ですわ」

「名誉ある肩書を賜れたこと、光栄にございます。貴方に認められるためだけに、このアレックス、イケメン騎士になった甲斐がございました」

「まあ、嬉しいこと。ところで、イケメンって何ですの?」

「存じ上げません」



 存じ上げないのかよ。



 遠巻きに二人の会話に耳を傾けていた学生達が、綺麗に心の中で総ツッコミをした。

 だが、心の中でのみの大合唱だったので、つつがなく当事者達の会話は流れていく。


「あら。アレックスも知らないんですの?」

「ええ。ですので、姫様に答えをお聞きしたく……、ですが、『も』とは」

「ええ。わたくしの周りでもそういった……単語? を使う人はいませんので。あいにくと分かりませんわ」

「そうでしたか。実は俺の周りにもいないのです」

「あら。でしたら、どうして自分がイケメン騎士だと知っていらして?」


 当然の疑問をエリザベスはぶつけてみたが、アレックスは至極真面目に眼鏡のブリッジを押し上げ、思考に没頭した。



 ――ああ。わたくし、眼鏡のブリッジになりたい。



 唐突に彼が眼鏡をくいっと押し上げる動作を目の当たりにし、エリザベスは無表情のまま、心の中で両手を組んで天に召された。

 何故だろうか。もう理屈ではないのだろう。彼が眼鏡をくいっとするその動作だけで、瞬く間に周囲が薔薇色にきらめく。彼のその能力はエリザベスの心を光り輝きながら爆発させるには充分だ。

 しかも、あごに軽く手をかけて思案するその横顔は、抗いがたくなるほどの艶めかしい色香を放っている。男も女も関係ない。これは人類全てが引き寄せられる麗しき魔の香りである。


 このままでは、彼の貞操が危うい。


 周りの者達が変態の狼と化す前に、エリザベスはすすすっと彼の頭につなぎ合わせた桃色だらけのハンカチをかぶせた。すっぽりと横顔まで収まる。これでエリザベスにしか彼の顔は見えなくなるので安心だ。

 しかし。


 ――ハンカチを頭に乗せた姿まで、禁断の香りがしますわっ。


 男性としての色香と、明らかに花柄の可愛らしい桃色のハンカチをかぶせたそのアンバランスささえも、彼の前では包み込む様な魅力で己のものとしてしまう。こんな素敵で世界一の男性がいるだろうか。もちろん、ここにいる。最高だ。

 彼の余すこと無き輝きを浴びることが出来るのは、婚約者であるエリザベスだけだ。この座は永遠に誰にも渡すことはないだろう。万が一狙う者がいたら、命の保証は出来ない。むしろしない。


「ああ……天使よ」


 うっとりと囁きながら、エリザベスは無を保つ。

 だが、表情は無を保てても、感情は無理だ。爆発しっぱなしだ。むしろ彼の輝き続けるその魅力に爆発を委ねたい。

 今だって空から降り注ぐ太陽の日差しが、まるで神より捧げられた金色の翼の様に彼の背中で輝いている。美しき羽ばたきさえ聞こえてくるその姿に、エリザベスはポーカーフェイスを保ちながら脳裏にしかと焼き付けた。


 そう。アレックスの背中には、昼間は太陽の、夜は月の、黄金の翼が生えている。


 彼は天使なのだ。間違いない。彼が天使でないのであれば、この世に天使などいない。否定は万死に値する。


「……実は、最近」

「――」


 アレックスが思考から回復して話し始めたのを契機に、エリザベスはきっちり現実へと覚醒する。

 彼の心地良く耳朶じだを打つ声を聞き逃すことなどあってはならない。彼の美声は、天国への誘いだ。死んでも良い。いや、死んだら彼の声を聞けないので却下だ。どうすれば良い。


「よく俺に向かって、遠くから言われる様になったのです。ああ、エリザベス様の護衛騎士様よ、さすがイケメンですわ、と」


 至極生真面目に語るアレックスに、エリザベスはよくやった、と顔も知らぬ学生に賛辞を送った。エリザベスの護衛騎士、と断じてくれたおかげで、彼が誰のものなのかをきちんと周りに知らしめてくれている。素晴らしい働きだ。


「なるほど。つまり、わたくしの護衛騎士だからイケメン、ということかしら?」

「どうでしょうか……。他にも、イケメン騎士とはあの方の様なことを言うのですわね、ああ、あのイケメンな視線に貫かれたい、顔がイケメンだと心までイケメンなんですのよ、この前私がつまずいて転んでしまった時なんか手を差し伸べてにっこり笑顔で助け起こしてくれたのですのよ、きゃあああああああイケメン! イケメンが過ぎるわ! エリザベス様が羨ましい……とか他にも色々言われまして」

「……まあ」


 ――その手を差し伸べられた学生、羨まし過ぎますわっ。


 イケメンイケメンとやたら連呼されているのは、もはやどうでも良い。集中すべき問題は、その躓いて転んだ時に手をさしのべられてにっこり笑顔を向けられた、という事態である。

 アレックスは普段ほとんど表情が動かない。エリザベスの前でだけは、様々な表情を見せて柔らかく笑んでくれるが、他人の前では本当に無表情なのだ。涼やかで真面目な態度を崩さない。

 それなのに、そのくだんの学生はにっこり笑いかけてくれたという。ああ、何と言う奇跡。これは天変地異どころか世界が滅亡してもおかしくない確率だ。

 しかし、困っている学生を助ける彼もさすが騎士である。王族も騎士も民のためにあるべき存在。激しく、激しく嫉妬と羨望が渦巻くが、そんな彼の優しさを誇りにも思う。


「……アレックスが、きちんと騎士としての職務を果たしていることに安心しましたわ。躓いて転んでしまっては、怪我をしてしまっていたかもしれないもの」

「ええ。……実はその時、姫様が見上げてくれたらどんな顔を見せてくれるのだろうかと考えてしまって、思わず笑ってしまったことを覚えております」


 ――その学生、よくやりましたわ。


 笑顔の原因が己にあると知り、エリザベスの心は今、頂点を突き破って天に召された。もう何度だって召されて良い。彼の心を独り占めできるならば。

 これはエリザベスも躓いて転んでみるべきかと考えて――止めた。彼なら、転ぶ前にたくましいその片腕で抱き止め、間近で見つめ合って優しく「大丈夫ですか?」と微笑んでくれることだろう。そうなってしまえば、エリザベスのはちきれんばかりに高鳴った心は、何度も爆発して気絶してしまう。そうすれば、彼といる時間が減ってもったいない。

 改めて観察しても、アレックスは本当に見た目からして麗しい。

 その艶やかな黒髪は夜の静かな美しさを思わせ、瞳は深いサファイアを閉じ込めたかの様に透き通っている。そんな隅々まで貫く様な彼の瞳に見つめられたら、もう大変。いつまでも彼の瞳に自分だけが閉じ込められば良いと願って、動けなくなってしまうだろう。

 実直で少しお堅くて規律に正しい。

 けれど、実はそれなりに柔軟性もあって、頭脳も明晰めいせきで剣の腕も凄まじい彼。

 こんな完璧な男性が、己の婚約者。


「……お父様、お母様、ありがとうございます。私は彼と生涯を共にし、共に死にますわ」

「もちろんです。貴方の隣は誰にも渡しませんので」

「まあ。嬉しいこと」


 頬を赤らめながら感謝を告げるエリザベスに、至極当然としてアレックスが頷く。もうこれだけで死んでも良い。


「それで、続きなのですが」

「あら。まだイケメンについてありまして?」

「はい。顔しか知らない、言葉を交わしたこともない学生達に、さすがはイケメンだよな、イケメン騎士様は色々おいしい思いをして羨ましいですね、と言われまして」

「……はい?」


 急に不穏な響きを伴った感想に、エリザベスの額に青筋が入る。びしっと、周囲の者達も全て凍り付いた気がするが、気のせいだろう。


「イケメンだからって調子に乗るなよ、イケメンとかしょせん顔だけじゃねえか、とか」

「……」

「イケメンだけがステータスのからっぽ騎士様が、イケメンってだけで王女様を落としたんだろ、と。……よく分かりませんが、姫様を馬鹿にされた気がしましたので、取り敢えず捻り潰しておきましたが。この評価でますますイケメン、というものが分からなくなりまして」

「……ええ、ええ。つまり、わたくしに闇討ちされても良いその学生達を、片付けるという急務が出来たわけですわね」

「ご安心下さい。全て、シオン殿下の耳に入り、片されました」

「まあ。シオンお兄様ってば、わたくしの仕事を取り上げてばっかり」


 彼を馬鹿にしたらしき者達は全て兄が片付けたと知り、少しだけむくれる。彼を揶揄する者に報復するのは、エリザベスの仕事であるのに、シオンはこうして役目をぶんどっていくのだ。

 しかし、シオンならばお気に入りのアレックスを馬鹿にされて、手ぬるい仕置きで済ませるはずはないだろう。同情はしないが、標的にされた彼らの運命は考えないことにした。


「それと、イケメンというのは、俺にだけ向けられた言葉ではありませんでした」

「あら? 他には誰が?」

「姫様の兄君であられるシオン殿下、アレン殿下、それから陛下と王妃殿下も含まれておりました」

「まあっ! では、イケメンというのは、やはりその者達を評価する言葉、ということですわね?」

「恐らく。イケメン! うちの国の王族ってイケメンすぎるわよね! 王妃様もあの美貌で性格も佇まいもとってもイケメンなのよー、聞いた? 武勇伝の数々! ああ、この国の頂点に立つ方々がイケメンなんですもの、その血筋もイケメンなのは当然だわ、イケメンだらけ、眼福! イケメンパラダイス! と」

「パラダイス……楽園、ですの? まあ、確かにアレックスは楽園ですが」

「ありがたく存じます」


 意味不明のエリザベスの言葉に、アレックスは生真面目に一礼する。その表情は木漏れ日の様な温かい笑みを湛えており、エリザベスはまた、爆死した。

 本当に彼は、一挙手一投足が輝きに満ちている。エリザベスは彼に何度殺され、何度彼に復活させられるのだろうか。その数を数えるのも楽しいかもしれない。

 しかし、両親や兄二人もイケメン。

 もしかしたら、彼らの耳にもそのイケメンという単語が届いているかもしれない。


「ねえ、アレックス。それならば、今夜お父様とお母様に尋ねに行ってみませんこと? 二人ともあなたとお茶をしたいと駄々を捏ねていましたから、ちょうど良いですわ」

「かしこまりました。俺も、お二人とお話出来る時間は楽しみですよ」

「あら。それは、わたくしとの時間よりも?」

「姫様の大切なご家族との団欒だんらんですから」

「……もう、アレックスってば」


 にっこりと柔らかく笑うアレックスの夜の瞳には、愛しい熱が灯っている。

 エリザベスが大切にしているものを、彼も当たり前の様に大切にしてくれる。それがどれほど幸せなことか、分からぬ子供ではない。

 彼との二人の時間はエリザベスにとっても大切で宝で至高の楽園ではあるが、大好きな家族と過ごす時間も同じくらい大切で宝だ。それを理解してくれている彼には、きっと死ぬまで頭が上がらないだろう。


「ふふっ。今夜は楽しい時間になりそうですわね」

「はい。……宿舎に、外泊届を出しておきます」

「ありがとう」


 王族であろうとも、学生時代は学院が用意した寄宿舎で過ごす。それが、両親の方針だった。兄二人も学生時代は城を離れて寄宿舎で過ごしていた。

 学院自体が王都にあるので、目と鼻の先ではあるが、様々な身分の学生達と触れ合うことを重んじるのは、将来上に立つ者として貴重な体験だ。エリザベスも進んで受け入れている。

 そんな風に、二人で寄宿舎へと歩を進めていると。



「――姫様。失礼」



 言うが早いが、アレックスがさっとエリザベスを懐に抱き寄せる。

 いつの間にか右手の人差し指と中指で挟んでいた短剣を、アレックスはいとも簡単に茂みの方へと投げ入れた。

 途端、「ぐあっ!」と潰れた悲鳴が上がる。アレックスが懐から目にも留まらぬ速さで次々と四方八方に投げかけると、悲鳴と倒れる音が次々と起こった。

 しかし、エリザベスにとっては些末事だ。



 何故なら、今、エリザベスは大好きなアレックスのたくましい腕の中にすっぽりと包まれている。こっちの方が一大事だ。



 服の上からでも伝わってくる厚い胸板と、抱き締めてくれる左腕は力強い。着やせするタイプだとは、何度も訓練を見ているので知っていたが、この衣服越しでも分かる頼もしさと筋肉の付き具合と体温の熱さに笑顔が止まらなかった。当然、表向きは無表情である。

 白昼堂々と密着するこのシチュエーション。ラブラブな恋人が人目をはばからずに抱き合うシチュエーション。



 これぞ、婚約者の醍醐味パラダイス。生きてて良かった。



 おまけに、腕の中で香る彼の匂いがまた最高だ。微かに混じる汗の匂いもかぐわしく、いつまでも嗅いでいたい。脳内をくらくらと揺らすその甘美な香りに、エリザベスは昇天した。

 彼の匂いが嫌いという連中には言わせておけばよい。彼の匂いの素晴らしさは、婚約者であるこのエリザベスだけが知っていれば良い事実だ。



 ――ああ……っ。一生抱き合っていたい。



 煩悩ぼんのうが心の中で閉じ込められずに、行動に滲み出てしまう。すすす、と控えめに、けれどがっつり腕を回してアレックスを抱き締めると、彼は呆れた様に溜息を吐いた。


「姫様。そんなにうっとりと美しい魅惑の女神の微笑みで俺に抱き着かないで下さい。理性が飛びます。限界を超えました」

「あら。理性が飛んでも、わたくしは一向に構わなくってよ?」

「……一応、貴方を狙う雑魚ざこ……ああ、いえ、刺客を撃退したばかりなのです。他にも狙う輩がいたら、どうするのです。野生と化した俺が、万が一腑抜ふぬけになってしまったら」

「あら、問題ないですわ」


 ぱさっと、流れる金の髪を掻き上げ、エリザベスは不敵に微笑んで見せる。

 本当に、彼はカッコ良くも可愛らしい。

 エリザベスにとっては、死ぬことなど些末事なのだ。



「貴方が死ぬ時が、わたくしが死ぬ時でしてよ」

「――――――――」

「貴方と共に死ねるなら本望。何の問題も無いのではなくって?」



 とろける様に笑えば、アレックスがどこか眩しいものを直視したかの様に両目を右手で覆って天を仰いだ。「ひめさまが、とうとい」と、謎の言葉を呟いている。いつものことだ。

 大体、アレックスはエリザベスの護衛なのだ。

 エリザベスを守れなかった時、彼はのうのうと生き恥をさらしたりはしない。そして、エリザベスも彼以外に触れられるのならば自害する。王族という身分で、国を危機に晒すわけにはいかないのだ。

 死に対する恐怖など、現状を見れば何の問題もない。アレックスとは文字通り寝食を共にする仲だ。学院での生活でも、アレックスと教室が別れることもなく、友人とおしゃべりをする時も互いに隣り合わせだ。



 よって、何の問題も無い。



「さすがは、姫様。俺の唯一無二の婚約者で、未来のパートナーです」

「あら。パートナーはもう既になっていますわよ?」

「それもそうでしたね。さすがは姫様でございます」



 互いに理解して頷き合い、仲睦まじく二人で城へと向かう。

 その際、アレックスが、常に一定の距離を保って隠れている通称便利屋――『影』に後始末を頼む姿も素敵、とエリザベスが昇天したのは、また別の話だ。


 そして、その一連の出来事を遠巻きに観察していた学生達が、「今日もイケメンバカップルが凄い」と囁き合って日常に戻っていったのも、また別の話である。


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②姫様、俺はどうやらイケメン騎士らしいのです 和泉ユウキ @yukiferia

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