第10話 ぎりっ

 月姫の気分が落ち着くまで待って、改めて僕のジョブ、スキルと、『殺され屋』という仕事について説明。

 月姫はようやく状況を理解して、人を喰ったが殺人は犯していないことに納得した。

 なお、延長で、僕の女性関係についても少々話した。特定の恋人はいないけど体の関係のある友達はたくさんいるよ、という話に、月姫は渋い顔をしていた。でも、それをわかったうえで僕と交流している子たちだと言うと、自分が何か口出しすることではないと理解してくれた。


「というわけで、月姫さん。これからは僕が月姫さんの傍にいるから、そのジョブで誰かを傷つけることはない。まぁ、多少のお金は貰うかもだけど、払える範囲で払ってくれれば十分」


 テーブルを挟み、対面に座る月姫。まだその表情は暗い。


「……で、でも、黒咬君は、すごく痛いんでしょう? 一生喰われ続けるなんて、私だったらとても耐えられない……っ」

「ああ、大丈夫大丈夫。僕、もうそういう感覚が完璧にぶっ壊れてるから。普通の痛みなら、まぁ、平気かな? 心配いらないよ」


 ハハハッ! と軽快に笑ってみたけれど、月姫は何か不憫なものを見る目をしている。


「……でもさ。黒咬君のおかげで私が人を殺さなくても良くなったとしても、やっぱり私は化け物でしょ? 何かの拍子に他の人を害するかもしれない。そもそも、自分が人を喰う化け物になったことも気持ち悪くて仕方ない。私なんて、もう死んじゃった方がいい……」

「そんなことない。月姫さんは生きなきゃダメだよ。もうどうしようもなく死ぬしかない人以外は、生きなきゃいけないんだ」


 きっぱり言いきると、月姫は意外そうに目を瞬かせる。


「……私、もう死ぬしかないって思ってるよ」

「僕がいなければ、あるいはそうだったかもしれないね。僕だって、生きているだけで他人の命を奪い続ける状況になったら、死を選ぶのかもしれない。そうするしかないって思うのかもしれない。

 でも、月姫さんには僕がいる。僕がいれば、月姫さんは他の誰も傷つけないでいられる。だったら、死ぬしかない状況なんかじゃない」

「……でも」

「世の中には、本当にもう死ぬしかないという絶望的な状況の人もいる。そういう人たちに、無責任に生きろと言うつもりはない。その苦しみを取り除くこともできず、頭ごなしの正義を振りかざしはしない。

 だけど、今、この状況の月姫さんにだけは、僕は生きろと言う資格があると思う。月姫さんは、肉体的に化け物になってしまった。

 それでも、僕がいれば、月姫さんの心を人間のままでいさせてあげられる。誰かを犠牲にすることなく、この先も生き続けられるようにしてあげられる。

 だから、もう一度言わせてもらうよ。月姫さんは、生きなきゃダメだよ。この言葉の責任はちゃんと取る。安心してくれ」

「私は……でも……」


 月姫さんが迷いを見せる。

 わかってはいたけれど、本当に死にたいわけじゃないのだ。死ぬしかないと思っているけれど、まだまだ生きて、やりたいことだってたくさんあるに決まっている。

 月姫さんはただの女子高生。ここで人生が終わっていいなんて思うわけがない。

 言葉が続かない月姫に、僕は続ける。


「……自ら死を選んでいいのは、もうどうしようもなく、そうするしかない人だけだ。

 そして、そういう人は、本当は至極稀だとも思う。

 ほんの一時、死にたいと切に思ったとしても、一ヶ月もすると案外平気になっていることさえある。死にたいなんていう気持ちほど当てにならないものはない。

 月姫さんの今の気持ちは、これから十年先、二十年先でも変わらないと確信できる? 断言できる? それができないなら、とりあえず生きてみなよ。僕と違って、月姫さんは一度死んだらそこでおしまい。やり直しはできない。

 そうだなぁ、変な例えをすると……結婚相手はどうやって決める? よく考えて、相手を見定めて、それから決めるんじゃないのかな?

 結婚よりも大事な決断を、今この場の感情だけで決めちゃいけない。結婚しても離婚でけるけど、死んだら生き返ることはない。死ぬことはどういうことなのか、じっくり考えて、それから決めないとね」


 月姫さんが苦笑した。苦笑でも、笑顔は笑顔。


「何その例え……。死ぬことを結婚に例えないでよ……」

「いやぁ、人生において重要な決断っていうのは確かだから。

 あんまり堅苦しく考えなくてもさ、月姫さん、まだやりたいことはたくさんあるでしょ?」

「それは、そうだよ……」

「例えば?」

「例えば……」


 月姫が若干顔を赤らめる。何を想像したかは問うまい。きっとやらしいことを考えたに違いない。と思っておく。


「……えっと、私、世界中を旅してみたい。画面の中でしか知らない世界を、自分の目で確認したい。この世界が本当に広いんだってこと、実感したい」

「へぇ、いいじゃないか。そんな夢があるなら、やっぱり死ぬわけにはいかないね」

「『開眼』したのも、旅をするためのお金を稼げて、一人でも生きていける強さが手に入ればと思ったから。だけど、結果として私は化け物になってしまった……」

「大丈夫。問題ない。僕がついてる。月姫さんがどこに行こうとも」

「本当に、黒咬君はついてきてくれるの? 私が世界中を旅するのにも?」

「うん。いいよ。生きなきゃダメだと言った手前、ここで月姫さんを突き放すわけにはいかない」


 遅滞なく答えると、月姫は面食らう。


「え、そ、そんなことしたら、日本にいられなくなるんだよ? 友達とか、家族とか、彼女……とか? とも会えなくなっちゃうし……」

「どうしても離れたくないと思う人は一緒に連れて行く。ついて来ない人は置いていく。それだけだよ。……あ、ちなみに、鳳仙花さんはついて来ます?」

「当然ついて行きますが何か?」


 成り行きを見守っていた鳳仙花さんが即答した。


「いえ、ただ訊いてみただけです」

「海外に行ったくらいで私から離れられると思っているんですか?」

「そういうわけじゃないですから。っていうか、発言がヤンデレっぽいですよ?」

「安心してください。病んではいません。ただ黒咬君が大好きなだけです」

「……深すぎる愛は怖いものだけど、ね。とまぁ、月姫さん。こんな風に、ついて来る人は勝手について来るから、何も心配いらないよ」

「えっと……え? とりあえず、黒咬君は、そのお姉さんと付き合ってるの? っていうか、そもそも鳳仙花さんって、何者?」

「鳳仙花さんは僕のボディーガードだよ。僕、特殊な体だからさ、変な人に拉致されたりしないように守ってくれてるわけ。でも、付き合ってはいないね。鳳仙花さんの片想い」

「へ、へぇ……?」


 月姫さんが、憮然とした表情の鳳仙花さんをちら見する。ふん、と息を吐いて、鳳仙花さんが僕の手を握ってくる。


「……今は片想いでも、必ずその気持ちを私に向けてみせますから」

「未来がどうなるかなんてわかりませんから、その可能性もゼロとは言いませんよ」

「……ふん。いずれ、その澄まし顔も崩してあげます」

「はーい。と、月姫さん。僕と鳳仙花さんはこんな感じだよ」

「……そう。わかったような、わからないような……」

「追々わかればいいよ」

「うん……」


 月姫が長く息を吐く。途中から話が変わったけれど、さて、生きる気力も少しは芽生えたかな?


「月姫さん。僕と一緒に生きてみよう。生きていけば、必ず、生きることを選択して良かったと思える日が来る。僕がそこまで連れていく。だから、生きて」


 改めて告げると、月姫が曖昧な笑みを浮かべる。


「ねぇ、黒咬君って、誰にでもそんなことを言うの?」

「誰にでもってことはないよ?」

「本当に? もうさ……私、黒咬君から熱烈なプロポーズでも受けてるような気持ちにしかなれないんだけど?」

「お、ときめいた? 結婚しちゃう?」


 ぎりっ。

 歯ぎしりの音は、隣の鳳仙花さんから。ついでに、握られた手も潰れそう。


「……こんなぽっと出の女の子と結婚を決めるなんて許しません」

「おお、怖い怖い」

「……私、ぽっと出の女の子なのか。あー……なんか、二人を見てたら、自分だけシリアスに考えてるのもバカバカしくなってきたかも」

「それは良い兆候だ。そのまま、のんきに生きることだけ考えていればいいよ」

「……もう、わかった。死ぬことは一旦忘れる。でも、約束してね。黒咬君は、ずっと私と一緒にいるって」

「わかった。約束しよう」

「……それにしても、黒咬君って学校と随分雰囲気違うね。学校では目立たない普通の男の子なのに、今は……内側に熱いものを持つ、強い人に見えるよ」

「それはたぶん気のせいさ。僕は死なないだけの普通の人。魔法も使えないし、当然ドラゴンだって倒せない」

「……そういうことにしておくよ」


 月姫が僕をどう思っているかはわからないが、生きることを決めてくれたならそれで良し。

 これから、月姫に喰われまくる日々が始まる。大変だとは思うけれど、一人の人間を救えるのなら、多少の痛みくらいは我慢しよう。

 ただ死なないだけの僕には、こんなことしかできないのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る