第9話 食事

「あああああああああああああああああああああああああああ!」


 獣のような叫び声を上げて、月姫さんが僕に襲いかかってきた。

 僕を押し倒し、そのまま僕の喉にかみつこうとして……ぎりぎりのところで、ピタリと動きを止める。

 完全に理性を失っているように見えたけれど、その挙動には葛藤がうかがえる。微かに残された月姫の理性が、人を喰うことに抵抗しているようだ。

 月姫の呼吸が荒い。よく見えないが、ぽたぽたと落ちてきているのは月姫の涎だろう。彼女の指が僕の両肩に食い込んで、血が滲む気配。


「うううううううううううううううううううううううううっ!」


 自分をどうにか制御しているのか、必死に唸り声を上げている。

 学校で見る、穏やかな表情の月姫さんを思い浮かべる。いつも朗らかで、クラスの中心にいる人で、入学当初には憧れもしたんだっけ。

 その頬を、両手でそっと包む。


「……大丈夫だよ、月姫さん。我慢しないで僕を食べて。僕は死なないから、月姫さんは化け物にも殺人犯にもならないよ」


 僕の声は届いていないのかもしれない。月姫はただひたすら唸っている。葛藤している。

 月姫さんを楽にしてやりたい。苦しんでいる月姫さんなんて見たくない。

 おそらく、何かしらのきっかけさえあればいいのだろう。右手の親指、その付け根辺りを自分で思い切り噛んだ。血の味がする。そして、できた傷口を月姫さんの口元に差し出した。


「お食べ。我慢しなくていいから」


 僕の声が聞こえたわけじゃないだろう。月姫さんは、最後に残っていた理性を振り切り、僕の右手の一部を食いちぎった。

 くちゃくちゃと美味しそうに僕の肉を喰らい、悦楽に浸る笑みを浮かべた。

 あの顔、完全に絶頂中のそれである。


「あははははははははははははははははははははははははは!」


 今度は愉快そうに笑い出した。

 そこから、月姫は一切の遠慮なく僕を貪った。

 骨をも用意に砕く強靱な歯で、僕の体を丸ごとくっちゃくっちゃと喰い続ける。

 心臓を引きずり出される。僕が死んですぐに体が復活すると、月姫は実に嬉しそうにまた一から僕を食べ始めた。いや、心臓が美味しいのか、心臓を食べることが多いかな。

 それにしても、この華奢な体にどれだけの肉を取り込めるのだろうか? 明らかに体の容積よりも、取り込んだ肉の量が多い。

 まぁ、細かいことは気にしない。ダンジョンが現れた世界で、それ以前の物理法則は意味をなさなくなっている。


「黒咬君……大丈夫ですか? 苦しければ言ってくださいね? もう月姫さんも十分食欲を満たしたと思います。いつでも止めますよ?」


 鳳仙花さんが泣きそうな声で僕に呼びかけている。僕がしばらく喰われ続けているから、心配になったのだろう。

 痛いなぁ、とは思う。でも、脳もバグりすぎているので、痛みを変な快感と捉えている節さえある。

 鳳仙花さんの方を向き、にこりと微笑んで見る。上手く笑えたかな? なんか、鳳仙花さんがさらに泣きそうになっている気もするけれど。

 そして。

 月姫さんの食事は、ほどなくして終わった。絶頂状態だった月姫が理性を取り戻し、血塗れで噛み傷だらけの僕を見下ろして、呆然とする。


「え……? な、なんで黒咬君がいるの? 私……私……なんてことを……!」


 ああ、タイミングが悪いな。ちょうど僕が死んだタイミングで理性を取り戻してくれれば良かったのに、半端に傷だらけのときに月姫が目を覚ましてしまった。

 これでは、月姫が僕をひたすら貪り、死に至らしめようとしている状態にしか見えない。


「黒咬君! ごめんなさい! 私が……私が化け物になってしまったばっかりに……! ごめんなさい……! ごめんなさい……!」


 月姫がぼろぼろと涙を流す。ああ、僕、早く死んでくれ。そうすれば声をかけることができるのに、今はひゅーひゅーと呼吸音を漏らすことしかできない。


「案ずるな。こいつは死んでも死なん男だ」


 ザク。

 いつの間にか近づいていた闇咲が、僕の心臓に短剣を突き立ててくれた。引き抜くと同時に、鮮血が飛び散った。


「な、なんてことを!?」

「落ち着け、月姫華狩。こいつにはこれでいいんだ」

「いいわけないでしょう!?」

「いいんだよ。黙って見てろ」


 体から血が抜けて、僕はまた死んだ。

 それから、体が復活。痛みもまるっきりなくなって、健康そのものだ。……服は破れてしまったけれど。


「やぁ、月姫さん。変なジョブを開眼させちゃって、とんだ災難だったね」

「黒咬君……? あれ? 傷が、ない……どうして……?」

「心配しないで。僕のジョブは『不死人』。寿命以外では死なない体なんだ」

「『不死人』……?」


 月姫が怪訝そうに首を傾げる。とてもシンプルなジョブなのだけれど、納得するのは難しいよね。


「とにかく、僕は大丈夫。そして、月姫さんは誰のことも殺めていない。……これから、色々と思い悩むこともあるかもしれないけれど、僕がついてる。大丈夫だよ」


 ぽかんとする月姫。僕の言葉がきちんと伝わるまで、もう少し時間がかかるかな。

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