第7話 言語変換

 もう一度彼の杖に乗って、町の上を飛んでいく。


 ヨーロッパのように赤茶色の屋根が多い。上に尖っていて、ここから落ちて当たったら即死しそう。突き刺さりそうな形状の塔もある。

 メルヘンで可愛らしい町並みかもしれないけれど……杖に乗っている状態ではかなり怖い。


「ねぇ……なんで空飛ぶ杖なの。空飛ぶソファじゃ駄目なの。いや……それも落ちるか。空飛ぶベッドの方が安定感があるかな。柵付きの空飛ぶベッドがいいんだけど」

「……斬新だね。どっちも自分の一部のように感じなくて扱いづらいよ」


 そういうものなのか。


「ねぇ、幼児すら頑張れば魔法が使えるんでしょ。なんで他に飛んでいる人がいないの」

「たくさんの人が飛んでいたら事故も多くなる。コントロールのきかない子供が真っ逆さまに落ちても困るしね。子供は学校の授業や限られた時間、限られたエリアでのみ条件付きで練習できる。他の人は一応申告制。飛ぶ前後のどちらかに簡単な書類を出してもらう。落ちたら事故になるくらいに、一定以上大きく飛んだらだけどね」


 魔法があるならあるで、制約も発生するのか。

 

「面倒だし、あんまり飛ばないかな。安定して飛べる人も多くない。君の世界の一輪車みたいなものだ。自由に飛べるのは俺や両親や仕事中の騎士団くらいだよ。特定の配達業者もかな。限定的なんだ」


 一輪車って……どれだけ私の世界を覗き見していたの。


「あれが俺の住んでいるところだよ。降りるね」


 丘の上に建てられている堅牢な壁に囲まれた城の門の前で、スタッと降りる。


 え……デカいんだけど……っていうか城なの、マジ……? 最初から城って言ってよ……修学旅行で行った国会議事堂よりデカくない?


 門の入口で警備をしている衛兵が、胸に手を当てて礼をした。


「お帰りなさいませ、レイモンド様」

「ああ、彼女はアリス・バーネット。これからここで暮らすよ」

「お待ちしておりました、アリス様」


 何、この話は通ってます感……。


「よろしくお願いします」


 どう返したらいいのか分からない。

 おどおどしながら、レイモンドと中へ入る。


 広い庭を歩きながら、これから彼の使用人に会うのだろうなと心の準備をする。


 私はどんな感じでいればいいんだろう。

 記憶喪失で……魔女さんからレイモンドに受け渡されて……。


 怖い。いきなり怖くなってきた。


「ね、私は魔女さんに会ったことがないんだけど。聞かれたらどうするの」

「明日会わせるよ。もう夜になるしね。何もそのことについては聞かれないよ。両親は全ての事情を知っているから大丈夫だ」

「なんでレイモンドに私は受け渡されたってことにするの?」

「魔法の素質がものすごぉぉぉくある記憶喪失の子を魔女さんが拾って、俺にどうかって話があったってことにしておく。仲よしだからね、魔女さんと」


 なんで魔女にさん付けなんだろう……。


「魔女さんは魔女さんなの? 名前は?」

「名前は誰も知らないよ。名前のある存在でもない」


 どういう意味だろう……明日会えば分かるのかな。……いやいや、夢が覚めてくれるのが一番だけどね?


「魔女さんは何歳なの?」

「女性の見た目をしている相手に年齢なんて聞けないよ。それに、年齢は途方も無さすぎて本人も覚えていないと思うよ。いいの? 魔女さんの話ばっかりで。着いちゃうよ? 何も知らない子がどんなことに不安になるかとか分かんないからさ。魔女さん以外のことで聞きたいことはない?」


 何も知らない子って……あんたが連れてきたくせに失礼な……。あ、でも一つさっき聞きたいと思っていたんだった。


「あんたのことは、なんて呼べばいいの」

「え!?」


 なんでウキウキした顔をしているの。


「やっぱり結婚するわけだからね! レイでいいよ。あ、くんづけも捨て難いよね。レイくんとか二人きりの時は呼んでもらっても……な、何その顔……」


 可哀想な子や、このお人……。


「あんたの両親の前で呼び捨ては駄目でしょ。辺境伯って貴族だよね。他の人の前では、やっぱりレイモンド様?」

「なーんだ。んー、まぁ畏まった相手にはそれが普通かなぁ。基本的には呼び捨てでいいよ。両親にも話は通してあるし、使用人も君を連れてくることは分かっている」


 様とかくんとか……こっちにも普通にあるんだ。

 

「様とか……こっちの言葉でもあるの? 日本語だって思いながら私は話しているんだけど」

「あー……いや、再構成されてしまっている。この世界でのそれに近い言語を覚えたことになって日本語だと思いながら、もうこっちの言語を使っているんだ。あっちでメロンだと思っていたものが、こっちでそっくりなものがあればそれがメロンになり、該当するものがなければ初めて聞く言葉となる。逆に君の世界にしかないスマホって言葉はここでは誰にも通じない。俺にだけだ。こっちの発音でのスマホになっている。知識や記憶はそのままで、置き換わっているんだ」


 置き換わり……そういえば、文法の知識はあっても、その授業を受けていた黒板の文字や先生の言葉がはっきりと思い出せない。覚えたはずのプリント類の映像も……思い起こせない。


「……ただし、この世界でも違う言語が使われている大陸もある。召喚されただけでは身につかない。召喚された地域と同じ言語に変換できるようにはしたけど……後天的な部分の再構成だから定着は難しい。だから、いっぱいキスしよーね、アリスちゃん!」

「しない、ウザい」


 その部分、絶対なんか怪しいよね。

 

「たくさん話したのに、返事が短いと寂しいよね……」


 シクシクしているレイモンドは無視して、今の話を整理する。

 こっちの言語に再構成……。


「今、私が元の世界に召喚されたら、誰とも話が通じないってこと?」

「そうなるね。君の世界に召喚できるような人はいないから無理だけど……そうなるよ」


 それは寂しいな……。

 両親や弟たちとたくさんの話をしたのに……記憶の中の言葉すらもう置き換わっているんだ……。


「ごめんね。君の世界にはなかった色んな言葉を、こっちでも覚えていこう。この世界を好きになってもらえるなら、なんだってするよ」


 少し……レイモンドの言葉に絆されてしまう。

 召喚したのはコイツなのに。


「向こうの言葉……ここでは通じないのいっぱいあるんだ」

「うん、俺も君の世界を覗き見して勉強したけど、全部はさすがにね」

「徳川十五代将軍とか、言えても誰もすごいって言ってくれないんだ」

「ご、ごめん……それは俺も分からないな。すごいとは言ってあげるけど」

「ムカつくから全部覚えて、レイモンド」

「え、なんのために!?」

「腹いせのため。結婚したいんだよね、私と。それなら頑張って。今から十五人分の名前唱えるから全部覚えて」

「こ、断りたいー!」


 こうして広い広い庭を一緒に歩いているのに、このあとは身になることをほとんど話さないまま建物へと着いてしまった。

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