第十一話 貴方の言うとおりだ1ー過去の邂逅


 幼い頃の記憶は遙か時を超える。アルテミスの最初の記憶は、中世の頃だった。

 アルテミスは森に赤子の頃に棄てられ、この頃はちゃんと首がある。食い扶持へらしのためにそのまま餓死寸前だった。

 不思議なもので野犬がアルテミスを守るように番人をしていて、一人の女性を連れてくる。

 アルテミスの恩師である魔女、オルタナという赤い外套に黒いワンピースの女性だった。

 魔女は金髪を揺らし、真っ青な瞳で赤子に興味を示し拾うと、アルテミスは指を掴んだ。放さないでほしかったのだ。一人にされたくなかった。

 オルタナは驚いたように瞠目したのちに、ふふ、と穏やかに笑い。そうっと赤子を抱えて、連れ帰る。

 オルタナは母乳は出なかったが、魔女というのは医術や薬学に詳しく、赤子の世話の仕方も知識の深さで何とか出来た様子だった。

 事実アルテミスはすくすく育ち。綺麗な銀髪を活かすための薬剤も教わったし、生きる術としてオルタナから魔術も教わる。

 ただ魔術自体は人間の状態であると力は引き出せず、知識だけが手に入る。

 オルタナは悪魔と契約をしていて、その為に欲望から生み出す術を魔法と呼んでいた。

 オルタナの願いは不老不死だったのだ。オルタナは何歳になっても若々しく、美しい女性であった。

 アルテミスは恩師でありながら、初恋をオルタナに捧げてしまう。アルテミスにとって、オルタナとの日々はとても大事だった。幸せな日々だったのだ。

 齢十八の頃に人魚姫の話題が有名になる。巷ではアンデルセンが人魚姫の物語を画いていて、オルタナやオルタナの仲間達はあれにはモデルがいると囁いていた。

 アルテミス自体は興味をもっていなかったが、海辺にはいい薬剤の材料があるので、時折海辺に下りてきていた。

 海辺に幾度か下りている頃に、一人の女性を見つけた。女性は噂の人魚姫そのもので、華美な見た目をしていた。胸元にある宝石だけでも異様な魅力であるのに、それを上回る美貌があった。泥棒でさえ宝石より女性を気にするだろう見目だったのだ。

「しっかりしてください、大丈夫ですか」

「あ……水……水を、くだ、さい」

 海辺とはいえ、海水が浅い砂浜にいたので下半身の尾びれはすっかり乾ききっている。アルテミスは慌てて女性を抱えて、海の中にざぶざぶ深く進んでいく。首の辺りまで、海に浸かると女性は息を吹き返した。

「……有難う、貴方の、顔。とても、綺麗」

「照れますね、もう大丈夫ですか」

「ううん、何だか……不思議。胸が苦しくなる貴方を見ていると。ねえ、お名前教えて」

「オレはアルテミス、西の森にいる魔女オルタナの弟子です」

「あるてみす、月の女神ね。貴方にぴったり……私は葉月。人魚の葉月。東方から来たの」

「東方? 人魚ってこのへんの生き物じゃないんですか」

「住まいを季節で変えているの。四季折々に移動している渡り鳥みたいなもの。ねえ、アルテミス、また貴方と会いたいわ。どうやったら会える?」

「それなら時々遊びに行きますよ、美人の頼みには絶対的権力があるんです、逆らえない。もっと小首傾げて目を潤ませてご覧なさい、断れる人はいなくなる」

「ふふ、真面目そうなのにユーモアある人ね」

「ユーモアセンスはお師匠からも推薦されてる自慢の一品です」


 その日からアルテミスと葉月は海辺での逢瀬を楽しんだ。作家が目撃すれば美しい恋愛劇として画くだろう。それくらいに急速な親密度だった。アルテミスはオルタナにも葉月の話をすると、楽しげに聞いてくれた。オルタナはアルテミスが恋をしているのだと勘違いした。アルテミスはオルタナが好きだったというのに、誤解が生じていたのを後に知る。

 アルテミスは自慢の魔女を連れて行こうとオルタナを案内し、海辺へ連れてくる。オルタナが葉月を見つけると、葉月は怪訝そうな顔をした。

「だあれあなた、アルテミス、だれこのひと」

「オルタナです、オレのお師匠様です! どうです、貴方も綺麗ですが負けないくらい美人でしょう!」

 笑顔を向けたというのに葉月は悲しげにしていたので、このとき葉月が何を思っていたか、アルテミスには一切判らなかった。オルタナは葉月を見て、小首傾げた。

「いつでもアルテミスに会えるようにしてあげようかね」

「本当? どうやって」

「望むなら、時間が限定されるが足をあげるよ。魔法を使えるんだ私は」

 オルタナの提案を葉月は噛みしめていたが、受け入れ魔法をかけて貰った。オルタナとの出会いによって、葉月は毎日森へ出かける行為が増えていく。

 アルテミスはオルタナと家のことや、薬草学を叩き込まれてから葉月と遊ぶ。葉月にはそれが不満だとアルテミスは気付かなかったのだ。

 アルテミスはオルタナと面識が出来た葉月へ、毎日オルタナの話をしていく。葉月は最初は楽しそうに聞いてくれたが、徐々に表情が曇っていく日々が増えた。

 やがて、事件が起きる。アルテミスが森で薪を作っていれば、歌が聞こえる。綺麗な歌に眠気が酷く誘われる。くらりくらりとしたままどさりと、体を地面に放てば側には葉月の興奮した顔。葉月は酷く悦んでいた。


 それが最後の首を持っていた時のアルテミスの記憶だ。



 夜分、ベランダに出て月を眺めていれば、存が台所に来た気配がする。家の中に戻り、存が飲み物を飲む姿を待ってみる。台所で声無く、場に控えていれば存は驚いてからアルテミスを見やる。

「存さん、少しだけ。話を聞いてくれませんか」

「なんだ、家出の相談か」

「違いますよ、判ってるんでしょう? オレは師匠……オレの育ての親、魔女のオルタナが悪魔と契約して出来た存在です。オルタナは失いすぎました。人間に戻れなくなりました。何もかもが欠けたのです、オレのせいで」

「だから早く首が欲しいのか」

「貴方にはほんとのことを話します。オレはオルタナが好きです、オルタナの隣に似合う人でありたい。失いすぎたオルタナの欠けた心を支えたいんです」

 真摯に話すアルテミスは、存へ懸命に訴える。存は言葉を選び、何かを考えている様子だ。

 このままいけば説得できそうな気がしたアルテミスは言葉をかけようとした刹那、多重の笑い声が聞こえた。

「そいつの言葉を信じて良いのかね坊や」

「……夜は化け物の時間だもんな。悪魔か」

 悪魔が冷蔵庫と電子レンジの隙間から、ぬらりと現れる。いつもより小柄なサイズで現れた悪魔は、電子レンジの上に載るとゆらゆらと足を揺らして葉巻を咥える。

「アルテミスは君を沢山売ってくれた奴だ。信じて良い物かね」

「……ッ、あく、ま」

「悪いねアルテミス。唆すのが悪魔の本業だ。疑わせて産まれた気持ちが餌になるんだ」

「……存、さん」

「……この話はまた今度にしよう」

「存さんっ!」


 アルテミスへ振り返らず存はそのまま、おやすみ、と部屋へ戻ってしまった。

 残されたアルテミスはぎゅっと拳を握り。そのまま立ちすくんで、悪魔がいなくなっても朝になってもその場に立って悔しさを飲んでいた。


 朝に一番最初に出会ったのは弓だった。弓はうとうととしながら、家のカーテンを開けに来ていて。カーテンを開けてから、リビングでスマホを弄ろうとする。固まって動かないアルテミスに弓は気付くと不思議そうに見やる。


「アルテミスさん、どうしたの」

「……自分の最低さを、振り返っていただけです」

「ということは自分は悪くない、って思いに耽っていたってこと?」

 いつもの父親の言葉の通りに反応するとアルテミスは益々項垂れた。弓はソシャゲを起動しっぱなしにBGMが室内に微かに満たされ。そのままアルテミスの側に近づく。

 アルテミスの側でちょこんと座りながら日課のログインボーナスを済ませようとする。


「愚痴ぐらいなら聞いてあげる」

「お優しいですね、弓さん。ちょっと、自分の要求だけ通そうとしていただけです」

「首が見つかったんですって? 探しに行きたいのね、アルテミスさんは」

「そう、です。でも……また自分本位になってるんです」

「いいんじゃない? 自分本位で集まって生きてる人だらけじゃない、ここに居るひと。ボクだって、狙いがあるからだもの」

「弓さんの狙いってなんですか、存さんに甘えることですか?」

「えへへ、惜しい。父様の無事を最後まで守る行為かな。今は特に危ないから」

 悪魔なんてものと契約もして、君たちもいる、と弓は父親の危うさを主張すれば、全てのログインボーナスを受け取り。スマホの画面を暗くする。

 スマホの画面が暗くなれば、室内に入る太陽光で二人は照らされ、弓はじっとアルテミスを見上げる。

「ボクはね、自分本位で怒られる謂われは誰にもないと思うの。自分のこと大事で何が悪いの? ボクがボクを大事にしなければ、誰も大事にしないでしょう?」

「……年の割に大人びてるんですね、弓さんはオレより大人だ。大先輩だ」

「大先輩の助言聞きたい? 気が済まなかったらお詫びの品でも買っていきましょ、店で買い物できないなら一緒に行ってあげる」

「どうして手伝ってくれるんですか。貴方のお父さんを危ない眼に合わせたんですよ」

「そうよ、だからボクが手伝えば罪悪感で次は暴走しないでしょ?」

 弓がにこーっと笑うと、アルテミスはなるほど、としゃがみこみゆっくりと指を絡めて約束をする。

「午後に花屋に行きたいです、買い物、させてください」

「いいよ、お礼はキャロメイティのキャンディ指輪ね」

「欲しい物が子供用の玩具指輪なあたり、考え方との年齢ギャップやべえっすね先輩」


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