第五話 娘は花、花は毒1ー初対面の娘
「存はそういや恋人はいないのか」
疾風は食事の買い出しをして一緒に荷物を持ち、存と帰宅がてらに話題を出した。信号が点滅していて、もう渡るのを諦めた存が思案を巡らせ考えに耽る。存の買い物袋からは大根とネギがはみ出していて、疾風の買い物袋には調味料と米が詰め込まれていた。
車道はたまにしか車が来ないのに、丁寧に存は信号をきっちりと待っていて、信号が青になれば片手をきちんとあげて歩いた。後ろにいる男児ですらしない所作だった。
「そうだな、あまり色恋に興味なくて」
「この年で枯れてるのか」
「昔はでも、セフレとか多くてさ。一晩だけの関係とかもいたんだ」
可憐な外見でやたら生々しい話をするものだから、問いかけた本人だというのに疾風は顔を顰めて不愉快を顕わにした。
あまり親友――生まれ変わりだとしても――に関する生々しい話は聞きたくないな、と疾風は顔を顰めたまま存の話を心閉ざして聞き続けた。
「一人だけすげえ気持ちいいやついたんだよな」
「最低だな……」
「あ、そういうんじゃなくて。なんというか、体温がすげえ冷たくて触れてるだけでアイスノンみたいなやつがいてさ」
あの日真夏だったから、と更に最低な言葉を続ける存に疾風は揶揄する眼を向けて伸びをした。
信号を渡り終えれば、疾風からの長い揶揄を浴びながら帰宅しマンションの玄関に女児がいた。
女児はくるんと大きな瞳で存と疾風を見つめると、驚いた眼差しをしていた。
見覚えのある眼差しはオッドアイ。片目が紫で、片目が碧。疾風は目の色に見覚えがあった。金色の髪の毛は煌めいていて、その色にも見覚えがある。シフォンワンピースは、オフホワイトと青を基調にしていて、髪飾りは純金を使っている。見るからに令嬢といったツインテールの百三十センチほどのお嬢様だった。
つんと猫のような面影で、二人を見上げる。
「どちらが、存さんですか?」
「オレだけど……」
「あの、初めまして。ボクは加覧弓(がらんゆみ)、貴方の娘です」
花開く笑みは遠慮がちだが、存と出会えて大喜びなのだろう。
存へ振り返れば、存にそっくりの娘だ。瞳が活き活きとしている女児姿の存と思えば頷けなくもない。
疾風は弓の気持ちを考えながら弓の笑顔に力抜けて、存を見やる。
存は、まじまじと弓を見つめ。誰の子供か思い出そうとしている。
「……やっぱり最低だわ」
疾風はとりあえず弓を家にあげる決意をし、オートロックの鍵を開ける。オートロックの鍵を開ければ、中へと侵入は容易く、エレベーターで階数を推せば、その間の沈黙が疾風には気まずくて。
話題を切り出そうとするも、そういえばと思い出す。
家の中にはアルテミスがいる。常人がアルテミスを見て叫ばないわけがないし、下手したら警察を呼ばれてしまうかも知れない。
一気に青ざめた疾風に不思議そうな顔をする二人。
早く中へ入ろうと、荷物の重さに焦れた存が扉まで来れば、配慮なくさっさと扉を開ける。自分たちが異常だという事実を忘れているな、と疾風は目眩がする。
引き留めようとするも空しく、アルテミスの声が響き渡る。
「おかえりなさい! 掃除済ませておきました、洗濯も完璧です! おや、おちびさんだ。こんにちわ」
「こんにちわ」
「あれ、驚かないんですね、首なしってレア度低いんですか人間の間で」
「そういうわけじゃないけど、ボクも多分普通じゃないから」
アルテミス自身も驚いていたが、疾風も驚いた。間を開けてから気付いたのは存だった。
事情がありそうな弓ははにかんで、頬を小さくく。
普通の人間にアルテミスは会わせたらいけない、と気付くのが遅い存に疾風は小突いてから、ひとまず玄関から先へ、中へ入るよう勧める。
「お邪魔します」
「おかえりなさい、ただいま」
存のいつもの礼儀正しさが表れた、靴を揃える所作まで女児は真似した。
部屋に入ってリビングのソファーへ席を勧めると、弓はよいしょ、と丁寧に座った。
疾風はジュースを探すも見つからず、代変え品として紅茶を淹れて冷凍のベリーミックスを入れバニラアイスも乗せる。ベリーアイスティーを短時間で作り上げた。砂糖は出来るだけたっぷりにしてやり。ジュースの代わりとしてやる。
なのにそれを呑もうとしたのは存だったので、思わず小憎たらしい存の動作に叱りつける。
「お前のは麦茶だ、それは弓ちゃん用だよ」
「子供に砂糖たっぷりは歯を悪くするから」
「存が呑みたいだけだろ、あーわかった。また作ってやるから少し待ってろ、それまで話し始めるなよ」
疾風はベリーティーを入れ直すと存へ淹れて、席へ置けば存は美味しそうにアイスへ匙を差し入れた。
「お父さん、お母さんを覚えていますか。お母さんは、粉雪(こなゆき)という名前です」
「ああ、一晩だけ酔っ払って結婚したな」
「そのひとです! ボクは、その人と貴方の娘です」
「どうして此処へ?」
「お母さんが、お父さんのところで暮らした方がいいって……ずっと、ずっとボクはお父さんに会いたかった」
存の瞳が丸くなる。驚きながら、何かを警戒している。
疾風にも少し判った、大体存がそういった表情をするときは、言葉の反対の事実を相手が願っているときだ。
こんな幼い純真そうな子供が言うなんてと驚いているのだろうと、疾風は存の気持ちを察する。
何処で矛盾に気付いたか気になり、弓をよくよく観察する。
観察すればなる程と頷ける、弓は緊張している。正確に捉えれば緊張しすぎているのだと窺える。
疾風は父親と会いたかったのではなく、会わざるをえない状況になったのだと察した。
「此処は大丈夫だよ、怖いことなんてないよ」
存はゆっくりと告げれば、溶けかけのアイスを示し、ひとまずアイスを溶かすなり食べるなりしなさいと示した。
きっとそれがまた礼儀的になんたらと言う話なのだろうが、初対面の弓にとってみれば優しさに映ったのか破顔してアイスを食べ始める。
疾風は話の流れを、父親の方がスムーズにできるのだろうと存に任せるため見守った。
「何かあったんだな」
「お父さん……おとうさあん……ほんとに、ほんとに会いたかったの、嘘じゃないの」
「でも怯えている。何があったんだ」
「……ボク、とんでもない物を呼びだしちゃったんだ。悪魔を、呼んでしまった」
弓は存の声色の温かみに安堵し、しおらしく泣き始め。ぼとぼとと大きな瞳からゼリーのような涙を零れ落としていく。
「お母さんは悪魔を払うにはお父さんがいいからって。お母さんはお母さんで止めに行くから、ってそのまま……見送られて」
「……何が弓の願いだったんだ?」
「いつもボク、一人で遊んでいて。お母さん忙しくて遊んでくれなくて。他の子にお父さんもいないのか、って笑われて……」
「悔しかったんですね」
話を聞いていたアルテミスが弓の頭をよしよしと撫でれば、弓はこくんと頷いた。
愛されたくて何をどう願ったのかが判らず、存は話を聞きたがっていたがこれ以上は弓も不安さでいっぱいいっぱいに見える。
疾風は場の空気を変えようと、ぱんぱんと手を拍手で打ち鳴らし。
「弓ちゃん、お腹減ってないか。ご飯作ろう」
存へそれ以上は聞いてやるなと合図する。アルテミスも悟ると、疾風の案に乗っかっていく。
「疾風の手料理、和食最高ですよ存さんを見てる限りでは。中華はまあまあ。洋食は地獄の模様です」
「文句あるやつは食うなよ」
「スイーツのセンスはあるのに残念な人ですよ!」
アルテミスが茶化すように弓へ笑い声を向けて疾風を指させば、弓は手の中のアイスベリーティーを見つめ笑った。
「これとてもおしゃれで好き」
「アルテミス、ちょっと弓ちゃんの相手してろ。子供得意そうだ。おじさんたち話あるから」
「お兄さんってそこは言わないんですね! 判りました、行っておいで。弓さん、此方へおいでください。遊びましょう」
存はアイスベリーティーのアイスとベリーだけをさっさと食べれば、疾風に連れて行かれ別室へ向かう。
疾風は別室で、存へ問いかけようと存の様子をじっと観察した。
「悪魔の効力は絶大だ、というより。絶対的なんだ。欲の果ての願いは悪魔なら絶対叶う力がある」
「どうしてだ、願うなら神様でもいいんじゃないのか」
「神様は万人を愛してる。悪魔は個人の欲を叶える。そもそも悪魔の齎す魔法が人の欲を具現化したものだ」
「おれには弓の願いがあまり影響してないように思うんだよな。もしそうなら出会った瞬間から弓を愛していると思うが、他人の感覚だ」
「その感覚がないのか、益々もって最低だけど、理屈が判らないな」
「対価を得てから達成されるタイプじゃないかな。詳しい話を聞きたいが、あの子は多分具体的に話すのは苦手だな」
「子供の説明に多くを求めるのは残酷だし、辛い体験を思い出させる。ただ……お前は、あの子の親になるのか」
「……引き取れよって言わないんだな」
疾風にはそんな言葉向ける気持ちが沸かなかった。弓の事情は分かったし、情けも向けられる程度には可哀想だなとも思う心はある。
ただ、それでも。疾風の脳裏には、存が雨の日に墓地で大の字になっていた光景を思い出す。付き合いで判っていく話もあり、存の大半の金の出費は親の豪遊で今も続く。その状態で、気軽に存の心を気遣わずに弓を気にしていられない疾風だ。
疾風にとって、子供であれ女児であれ、存の気持ちの方が万倍も大事だった。
(また死なれたら嫌だしな)
疾風にとって、前世の親友こそが世界の全てであった。疾風はわざとおどけた。
「親は簡単になれるものじゃないデショ?」
「なれるよきっと簡単に」
それもお前の本音の裏なのか、と疾風は問いたい気持ちをぐっと堪える。
「存の契約した悪魔と同一とは限らない。悪魔にも色んな種類がある。もしかしたら低位の悪魔かもしれない」
「その場合はどうなる」
「対価だけを望んで、弓の願いを叶えない。だから存が無事なのかもしれない」
そちらのほうが可能性がありそうだな、と存も疾風も確認すればやることは決まっている。
きっと低位悪魔は場所を察知して追いかけてくるだろうから、その間に捕まえればいい。
弓の欲が溢れれば敏感に誘惑しにくるはずだ、代償を欲するなら余計に。
「しばらく弓の世話をみてみる」
「世話見ながら存も考えてみるといい、引き取るかどうか」
「……弓自体はきっと悪い子ではない、判るそれくらいなら」
存と疾風は部屋に戻れば、和やかなアルテミスと弓の様子。存はその中へ交じりに入る。
「おかえりなさいです。弓さんすごいんですよ、絵のコンクールで上級生に勝ったンですって」
「金賞取ったの。みんなね、消防署のコンクールで消防車しか描いて無くて、ボクだけ火事注意の絵だったの」
「着眼点が優れてるってことでしょう」
アルテミスが褒めるタイミングだと教えるように、存の背中をばしばしと叩く。存は面食らいながら、戸惑い。弓の柔らかな髪の毛をくしゃりと撫でる。
「素晴らしい」
「ぎこちないですね、存さん! そこはよくやったとか、頑張ったねとかでしょう!」
「ううん、ボク嬉しいよ。お父さんがボクを認めてくれるのとても嬉しい!」
存の一挙一動に綻ぶ弓を見て、存は少しだけ庇護欲を持ったのか仄かに微笑んで弓の髪をいつまでも撫でていた。
頭を撫でる行為に慣れていないから、手つきが女遊びをしていたときと同じ手つきのため疾風は呆れていたが。それでも弓にとっては充分だったようで楽しそうに笑った。
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