10 謎の少女と勇者テロウス、そして僕

 道なき森の中を、少女は走っていた。

 息はとっくの昔にあがり、身体じゅうは泥だらけ。

 アザと血が滲んでいても、足を止めることは許されない。


「ぎゃははははは! おら、走れ走れぇ! でないと死んじゃうぞぉ~~~~っ!」


 蹄の音と下卑た笑い声に背中を押されてしまったかのように、前のめりに勢いよく倒れる。


「んふぅっ……! んふぅぅぅーーーーっ!」


 くぐもった声でいくら泣き叫んだところで、助けなどやってくるはずもない。

 涙はもう涸れていた。

 少女は立ち上がると、虎に弄ばれる小鹿のように、脚を引きずってよろよろと歩きだす。


 差し込む光、森の中に佇む打ち捨てられた塔へとたどり着く。

 少女は追い立てられるようにして、そのまま塔へと入っていった。


「おらぁ!」


 続けて入ってきた男は、馬に降りざまの蹴りで少女を蹴飛ばす。


「んうっ!?」


 小柄な少女は紙切れのように吹っ飛ばされ、塔の中央に積み上がっていた瓦礫に叩きつけられた。

 その衝撃で、天井から砂埃がパラパラと降ってくる。塔は老朽化のあまり、崩落寸前のようだった。


「ちょうどいい墓標があったじゃねぇか。鬼ごっこも飽きたし、そろそろフィニッシュといくか」


 少女はもう立つだけの力も残っておらず、逃げ場ももうない。

 腰を抜かしたまま壁際に身を寄せるだけで精一杯だった。

 男は腰の剣を引き抜き、切っ先で少女の太ももをひたひたと嬲る。


「なんだ、ツラはバケモンだが、こっちのほうは悪くなさそうじゃねぇか。おら、脚を開きな。そしたらもう少しだけ生かしてやってもいいぜ」


 しかし少女は「むーっ! むーっ!」とくぐもった声でいやいやをする。

 それだけで、男は不機嫌になった。


「おい……? てめぇ、何様のつもりだ……!? 俺様は、勇者テロウス様だぞ! 女なんてほっといても寄ってくるんだよっ!」


 がばぁと振り上げられた剣に、少女は生きたまま焼かれるように身をよじらせる。


「んんっ! んんっ! んんんっ! んんーーーーっ!!」


「ぎゃははははは! おら、もっと泣け、もっと喚け! 恐怖に歪んだ生首のほうが、ウケがいいんだ! それにいくら助けを呼んだところで、誰も来ませぇぇぇ~~~~んっ!! だって俺様は勇者で、お前はバケモノだからでぇ~~~っす! んじゃ、ばいば~~~~いっ!!」


 ビブラートのかかった蛮声とともに、凶刃は少女の首筋めがけ……!


「んんーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」


 少女は暗闇のなかで身を縮こませた。

 しかし、痛くない。

 目を閉じた直後、鉄のカタマリが轢き潰されるような、とてつもない衝撃音がしたはずなのに。


 少女はおそるおそる瞼を開ける。

 するとそこには、もうもうとあがる粉塵。

 その中には、明らかに勇者のものではない、小さなシルエットが……!


「ん……?」


 少女は目をぱちくりさせる。夢でも見ているのか、それともここがあの世なのかと。

 シルエットはゆっくりと近づいてきた。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



「大丈夫?」


 僕が声をかけると、女の子は「んんーっ!?」と目を剥いて叫んでいた。

 かなり怖い目に遭っていたようで、すっかりパニックになっている。


「落ち着いて、僕はなにもしないよ」


 微笑みかけると、瞳はまだ怯えていたけど、暴れることはしなくなった。


「僕はシーク、キミはなんて……」


 尋ねると、「んんっ……!」とくぐもった声が返ってくる。

 彼女は髪はぼさぼさで、顔は汚れで真っ黒。

 よく見ると、口をロウで塗り固められていた。


「あ、しゃべれないんだね。立てる?」


 しかし女の子はいやいやをする。

 立てないんだろうと思った僕は、彼女に寄り添って肩を貸してあげた。

 彼女は信じられないような目で僕を見る。でも嫌がっているわけではなさそうだった。


「コール・ゲート!」


 手をかざして呼ぶと、ほとんど間を置かずにゲートが上からどすんと降ってくる。

 女の子は肩をビクッと震わせていた。


「あ、ごめん、驚かせるつもりはなかったんだ。さ、入って」


 なにを言ってるんだろう? みたいな不安げな彼女を連れて、玄関扉を開く。

 目の前に広がった空間に、彼女は髪の毛が逆立つくらいに絶叫していた。


「んんーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


「ここは僕の秘密基地だよ。ここなら安全だから、少し休んでいこう」


 秘密基地の中は、このあいだ切り倒した大木で作った家具一式が揃っていて、だいぶ住まいと呼んでいい形になっていた。

 椅子やテーブルやベッド、棚にはできあがった干し肉が陳列されている。

 台所のようなスペースには木で作った調理台と水瓶、さらには石を持ち込んで作った簡易カマドもあった。


 秘密基地の壁は燃えないというのがわかったので、カマドの火は絶やさないようにしてるんだ。

 サバイバルにおいて、火は重要だからね。


 まるで異国に迷いこんだかのようにキョロキョロしている女の子を、とりあえず椅子に座らせる。

 サスペンダーの弾帯から、メスティンを取りだして実体化させた。


「んんっ!?」


 手品を見たみたいに目を見開く女の子。


「ああ、これはメスティンっていって、キャンプの時とかに使う飯ごうだよ。ちょっと小さいけど、鍋やフライパンとしても使えるんだよ」


「んんっ!? んんんっ!?」


 彼女は聞きたいのはそっちじゃない、とでも言いたげだった。

 疑問に答えてあげたいのはやまやまだけど、口を塞いでいるロウをなんとかするのが先決だろう。


 メスティンに水を入れようとしたんだけど、水瓶がわりにへこませていた床下にはちょっとしか水が残っていなかった。

 しょうがない、とりあえずこれでなんとかするしかないか。


 僕は水をいれたメスティンをカマドに掛け、お湯を作る。

 といっても、熱湯にする必要なないからすぐにできた。

 仕上げに、ぬるま湯にドライハーブを加えて完成。

 それを持って女の子の元へと戻る。


「口のロウを剥がしてあげるから、ちょっとじっとしててね。あ、痛くしたり熱くしたりしないから」


 それでも彼女はびくびくしていて、僕が口元に触れようとすると、ぶたれるのを怖がる子供みたいに身を引いていた。


「大丈夫、僕を信じて」


 彼女の目を見据えてしっかりと言い聞かせて、ようやく触らせてくれるようになった。

 ぬるま湯をロウのまわりに塗りつけて、しばらく待つ。

 すると、ひとりでに剥がれ落ちてくれた。

 薄汚れたロウの下には、花びらのような唇が。


「どう? もう喋れるはずだよ」


 彼女は口元を触り、まだ夢でも見ているかのように視線をさまよわせている。


「え……? う……うそ……? いくらやっても、ぜんぜん取れなかったのに……?」


 その声は聖鈴が転がっているみたいに、清らかで可愛らしい音色だった。


「固まったロウは、ぬるま湯に浸けたハクリ草の液を塗ってやると簡単に取れるんだよ」


「あ……ありが……とう……! ううっ! ありがとう……! ぐすっ……ありが……! ありが……ううっ! うううっ!」


 女の子は緊張の糸が切れたのか、急に泣き出してしまう。

 両手で顔を覆ってしゃくりあげながら、何度も何度も僕にお礼を言った。

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