【彩愛】第七話「なによこれ」

 車を駅前近くのパーキングエリアに駐車し、私とヨーコは駅前の広場に向かった。空はしずみ始め、夜の闇が支配し始めている。


 ――ちなみに胃の調子は悪くはない。覚悟と慣れというのは重要だった。


 私とヨーコは駅前を一望いちぼう出来る駅の二階にある屋外フロアに来た。駅前、そしてそこから続く市街地はもの凄い人混みで、少しでも目を離したら追えなくなってしまいそうだった。


「――いました」


 ヨーコがそうつぶやくと、遠くには地上を歩く彼らしき顔が見えるが、遠すぎてよくわからない……。


「別に探偵たんていでもないし、人も多いからもっと近寄りましょう。隠れてても仕方ないですしね」


「えぇ、そうね……」


 私とヨーコは彼に向かって少しずつ近づき、二階の屋外フロアの最端さいたんまで来た。


 このまま彼に声をかけて一緒に出かけることが出来たらどれだけ楽しかったのだろう。一緒にイギリス観光を楽しんで、そのまま一緒に日本へ帰国したい。私はそんな衝動しょうどうを我慢していた。


「多分、あの一階部分にある噴水ふんすいで『彼女』と別れるから、そこから少し距離を置いて観察しましょう」


「彼女って……? 誰のことですか……? 呪いって……」


 私の背中を、赤く、黒く、冷たい、そんな手がいくつも触れてくる感覚に襲われる。


 ヨーコが彼女と呼ぶ存在はまだ私の視界にはうつらない。


「……レイラ=フォード。ユキナさんからすれば、それが呪いの名前です」


 隣にいるヨーコが冷たい声でつぶやく。


 人混みの奥から、少しずつ彼が近づいてくる。


 その横には白のロングTシャツ、そしてこんのボトムスを履いた金髪の女性がいるのが見える。


 私はその光景から眼が離せなくなってしまった。


「言い忘れてましたが、私はこの国の大学に通っています。そして、その大学の先輩が彼女……。彼女を見つけてから大学に入って、自然な振りをして近づくのには苦労しました……」


 少しずつ、彼とレイラ=フォードという女性がこちらへ近づいてくる。その黄金色こがねいろの髪は長く美しく、人混みの中でも一際目立って見えた。


 体型も私みたいに不健康なせ方ではなく、美しく健康的なせ方をしていて、バストも大きい。私に無いものを全て持っている才色兼備を体現するかのような存在だった。


 背中を触る赤く黒い手が私のほほうであしまで届き、優しく撫でるような感覚がした。


「レイラさんと【ルーラシード】が出会ったのは数ヶ月前、駅ですれ違った時に運命としか言えない感覚におちいって二人とも一目惚ひとめぼれ。そこから毎日のようにデートしています。私はその監視役なんです……」


 【ルーラシード】とレイラ、そして私とヨーコ、お互いの全身が見える位置まで近づいていた。


 仲良さそうに手を繋ぎ歩き、立ち止まったと思ったら少し会話をした後に、レイラは手を大きく広げた。


 レイラは【ルーラシード】をギュッと強く抱きしめ、【ルーラシード】と口づけをするのが見えた……。


 それに満足したのか、レイラはその場を走り去ろうとした。


「………ヨーコ、あなた私にこんなものを見せたかったの?」


 私はヨーコの方を振り向かずに問いかける。


 私は自分が今どんな顔をしているかわからない。きっと引きつり笑いでもしているのだろう。


 レイラがいなくなったにも関わらず、ぼーっと立ち尽くしている【ルーラシード】から目が離せなかった。


 頬まで来ていた赤く黒い手は、既に全身をで回し、私の心臓まで握りしめ、体内に吸い込まれていく。


 吸い込まれた赤く黒い手は私の中にある何かに、まるでパズルのピースのようにピタリとハマった。


「ねぇ? ヨーコ……聞いてるの……?」


 私がヨーコの方を振り向こうとした瞬間――。



「……ナインズアロー!!」



 パンッという軽い破裂音とともに、私の顔の近くを風が通り、私の後ろにあるコンクリートの壁がピシッと小さくひび割れるような音を鳴らした。


 すぐ隣にいるヨーコを見ると、拳銃けんじゅうを持って私の方に銃口じゅうこうを向けていた。


「な、なぜじゃ……。れた銃に能力まで付与して撃って……外れるわけが……」


 明らかに焦った様子のヨーコがこちらを見ている。


 ヨーコがなぜ私に向かって発砲したのかはわからない。だが、少なくとも今この瞬間から彼女が敵になったのは確定的だった。


「……ヨーコ、あなた何をしたの?」


 おびえるヨーコの胸ぐらをつかむ。


「殺すならあの女からでしょ!! なんで私を撃ってるのよ!!」


 ヨーコは私から眼をらす。


 くちびるを噛み、自らの失敗をやんでいるようだった。


 次の瞬間、私は腹部に重い痛みを感じ、胸ぐらを掴んでいた手をついゆるめてしまった。


 一瞬のことで見ることが出来なかったが、おそらくヨーコが全力で私の腹部を蹴ったのだろう。


 私は不意を付いた攻撃で地面にうずくまり、衝撃で呼吸ができず、鈍痛どんつうで身動きが取れなくなってしまった。


 私から解放されたヨーコが人混みをけて走り去っていく様子が見える。


 駄目だ! 今の状況が全て理不尽りふじんすぎる! ここでヨーコに逃げられてしまっては、彼を助けることができないどころか、その手がかりすら何も得ることができない……。


 私じゃなくてもいい……。誰でも良いからヨーコを止めて……。



 ――誰か!



 その瞬間、眼前が一瞬だけ真っ赤に染まった気がした。


 体内に収まっていたピースは隙間がなくなり、私の中で完全に一体化したのを感じた。



 ――誰でもいい、ヨーコを止めて!



 改めてそう願ったとき、私の周りにいた十数人が、集団となって一斉にヨーコに向かって走り始めた!


 老若男女ろうにゃくなんにょを問わず、一糸乱いっしみだれず、無言でヨーコに向かって全力疾走ぜんりょくしっそうしていく奇妙きみょうな集団であった。


「なによこれ……」


 願った自分が一番驚いていた。まるで私が願ったとおりに人が動いていたからだ。


 偶然でも奇跡でも何でもいい、使えるものは全部有効利用させてもらうわ……!


「私の声の届く範囲の人は、いますぐ全員ヨーコ=マサキを捕まえてください! 方法は問いませんが、必ず生きて連れてきてください!」


 私が大声で叫ぶと、駅の構内にいた人々のうち百人以上がヨーコが逃げていった方へ走っていった。その異様な光景に、何も事情を知らない人たちは唖然あぜんとした様子だった。


 そして、明らかに私の声が聞こえる範囲内にも関わらず、一人だけ呆然ぼうぜんとして残っている人がいる。そう、【ルーラシード】だった。


 彼には私のこの能力は効かないのか、それとも私が無意識で対象外にしているのだろうか。それならそれで良かった。私は何があっても彼の意志に反することを無理やりさせたりはしない。


 私は階段を降り、立ち尽くしている彼の元へ駆け寄って抱きしめた。


「ユキナちゃん……? これは一体……」


 【ルーラシード】は突然人がいなくなった空間を見渡して呆然ぼうぜんとしていた。


「私も詳しくはわかっていないんですが、どうやら私がやったことみたいで……。あとすみません、さっきあなたがレイラさんという方とここに来て別れるところを、ヨーコと一緒にのぞいていました……」


「見せたくないものを見せてしまったね……。うぅっ……!」


 彼が突然頭を押さえて苦しみ始めた。私は咄嗟とっさに彼から離れた。やはり私が近くにいると良くないのだろうか……。


「ヨーコからは、私があなたの状態を戻すための手段と言う風に聞きました。もしそれが本当なら、私はあなたの事を助けたいです。――ただ、もしそれがあなたを苦しめるだけになるなら、私はあなたの元を去ります……」


「ふふっ『もどす』か。ヨーコのやつめ、どういう意味で言ったのかは知らないけど、きっとアイツはアイツなりに使命を果たそうとしているに違いない……。今、ヨーコはどこにいるんだい?」


 彼はきっともだえるほど苦しいにも関わらず、無理をしながら笑顔で私に話しかける。


「……よくわからないのですが、私とヨーコであなた達のことをのぞいている最中に、突然私に向かって発砲してきて……。幸い当たらなかったみたいですが、その辺りから私に人へ命令することが出来る不思議な力が使えるようになったんです。それで、その力を使って周囲にいた人達にヨーコを追わせています」


 改めて状況を簡潔に説明したが、自分で喋っていて結構支離滅裂しりめつれつなことを言っている自信がある。


「なるほど……」


 彼は痛みをこらえ、苦しそうな顔をしながらしばらく思案しあんしていた。


「とりあえず、ヨーコを追うのは止めてもらえないだろうか……。君の命を狙った事に関しては釈明のしようがないとは思うが……。申し訳ない、彼女には彼女なりの考えがあったと信じたいんだ」


 私も彼も、自分が信頼する人間に対しての対応が甘すぎるのかもしれない。


 ただ、例え自分の命が関わっていようと、その彼と似ているという事実はいとおしく感じてしまう。


「……この際、許す許さないは別として、とりあえず追いかけるのは止めましょう。――それで、この力ってどうやって止めればいいんでしょうか……?」


 結局この力の事は何もわかっていない。何となく何故だか使えて、どこまで、どうやって使えるものなのか、まるでわかっていない。


「僕の考えが正しければ、力を発動させた方法と同じ手順で止めるか、あるいは逆の手順でスタートまで戻すかのどちらかで止まるはずだ」


 同じ手順……。さっき私が念じたのは『声が聞こえる範囲の人』へ『ヨーコを追いかけて、生きて捕らえる』という内容だった。今思えば頭に血が上った命令だ。


 戻すときは――対象者の指定は『ヨーコを追いかけるよう命じている人達』へ……。そしてその指示内容は『ヨーコを追うのを止めて元通りに戻って』ください――といったところだろうか。


 私が対象者への願いを込めた時、身体全体をおおうような赤い光の気配を感じた。


「……うーん。確証はないんですが、同じような手順で止めるよう指示をしたら出来たような気がします」


「感覚として上手くいったと感じたのであれば、十中八九じゅっちゅうはっく成功しているだろう。この能力ちからというのはそういうものなんだ」


「はぁ、なるほど……」


 私はこの力について何も知らないが、彼は色々と知っているようだった。自分のためにも彼のためにも、折を見て色々と教えてもらわなければ……。


「ところでユキナちゃん……」


 彼がガクリと崩れ落ち、ひざをついた。


「結構、僕も限界が来ているみたいでね……。君といると自由に動けるみたいだけど、その分だけ苦痛がともなうようだ」


 ――それが彼のためにならないのなら……。


 私は諦めなきゃならない……。


「ユキナちゃんの考えていることは想像がつくよ、僕は大丈夫だから。あとは……ヨーコは――駄目だ、これ以上心配はかけられない。レイラちゃんも僕の都合に巻き込むわけにはいかないし……。やはり僕は僕が出来る最大限のことをするしかないかな……。ユキナちゃん、お願いがあるんだ」


「はい……。なんでしょうか……」


 彼はまるで今生の別れをげるような瞳で私の顔を見る。



「――一緒に日本へ行ってもらえないだろうか」

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