第5話:目が醒めたら……
江刈内は自分のベッドの中で目を覚ました。
暖房が付いたままのせいで、室内は温かいがやけに喉が渇く。
そこは自分が下宿する7畳のワンルームだ。ベッドの脇に置かれたコタツの上には、まとめて置かれる酒の空き缶と、スナック菓子のゴミ。床には自分の集めているコミック、北斗の拳の完全版が積まれている。
そう言えば、昨日はゼミ生が全員集まる忘年会があった。あまり面識のない先輩に絡まれたのは覚えている。その後、2次会まで行ってから、1年は江刈内の下宿先で始発の出る時間まで3次会をしていた。
気が付けば寝ていたらしい。
誰もいない室内を見るに、他の連中は始発の時間に部屋を出て行ったようだ。祭りの後の静けさは、妙に物寂しさを感じてしまう。
しかし、何だか変な夢を見た気がする。
よくは覚えていないが、怖かったような、いや謎すぎる夢だったような。断片的だが覚えている。なぜか学校を歩き回ったような……。しかも、誰かと一緒に。
寝ぼけた頭をまったりと回転させていると、いきなり朝のアラームがなったので体がビクついた。いつもかけているものだ。切り忘れていた。
「うわ、ビックリした」
誰に言ったわけでもない。ただ、驚いた自分のバツの悪さを隠すように呟いてベッドから起き上がると、違和感があった。
何かいる……。
布団をめくると、彼の隣に体を丸くして寝ている人物がいた。
予想外の光景に、情けなく悲鳴を上げながらベッドから転げ落ちて距離を取る。
ベッドの上で寝ている人物は丸くなっているので顔は見えない。しかし、黒のフリースから伸びる長い手足に華奢な身体、癖のある髪の毛を見る限り、思い当たる人間は一人しかいない。
己己己己 己である。
確か、忘年会でイエシキとは、不思議系の話題からサブカル系の話題に代わり、意外に盛り上がった。そして北斗の拳を知らないと言う彼女を『人生損してるから、読みに来いよ!』と3次会に誘った。
あとはさんざんみんなでバカ騒ぎをして、覚えてない……。
一緒に寝てるって、どういうことよ?
よりによって、イエシキと?
いや、待て。2人とも服を着てるから、セーフだろ……。
理解が追い付かずにしばらく眺めていると、丸くなるイエシキの中から音楽が聞こえてきた。最近よく聞く、人気の曲。どうやら彼女の携帯から流れているようだ。
すると、イエシキは何の予備動作もなく飛び起きたかと思うと、ベッドの上に立ち、寝ぼけ眼をこすりながら踊り始めた。
「え? パニックなんだけど。今が一番怖い! 何してんの?」
目を覚ましたら、隣で同級生が寝ていて、そいつは起きた途端に曲に合わせて踊り出した。情報が多すぎて、江刈内は悲鳴を上げる。
「おや、江刈内君じゃないか。おはよう」
目が開き切った彼女は、ベッドから飛び降りると、変わらずドタドタとステップを踏んでいる。お世辞にも踊りがうまいわけではない。素人が適当に振り付けている感じだ。
「昨日は寝てしまっていたようで、すまないね。しかし、朝の運動はいいぞ。全身に血を巡らせ、脳の働きをよくしてくれる」
「う、うん。分かった分かった。分かったから、踊るのやめろ。下の階に響くだろ」
「大丈夫大丈夫。このステップは下に響きにくいものだから」
「俺が大丈夫じゃねぇんだよ!」
取り乱す江刈内に、イエシキは「やれやれ」と呆れ気味に首を振って動きを止める。
「君は朝から元気だね。僕は低血圧だから、朝はキツくて仕方がないよ」
朝一でダンスをする人間の発言とは思えない。
「しかし……おやおや。他の人たちは帰ってしまったようだね」
「聞きたいんだが……なんで一緒のベッドで寝てた?」
恐る恐る江刈内は訊ねる。
昨晩の記憶は曖昧で、よく覚えていない。どのような経緯でなったのか知りたい。
「君の持っている北斗の拳を読んでいたのだが、さすがに睡魔に襲われてしまってね。布団に潜り込んだ所まで覚えているよ」
「なんで俺のベッドに潜り込むんだよ?」
「コタツで寝たら、風邪をひいてしまうだろ」
「そういう問題じゃねぇんだよ!」
さも当然とでも言いたげに鼻を鳴らすイエシキに、食い気味に江刈内は言う。
ただ、過ちはなさそうで安心した。
昨晩の飲み会以降、やけにイエシキとの距離が縮まったような気がする。これまでは、こんなにも親しく話すこともなかった。
酒を飲み、共通の話題で盛り上がっただけとは思えない。親近感が湧いてきていた。
それが、昨日見た夢に関連しそうなのだが……ダメだ。思い出せない。
イエシキはノソノソと部屋の隅に置いた鞄の中からお茶のペットボトルと取り出し、残った中身を飲み干すと「ぷはっ」と息を吐く。
「では、僕もそろそろ帰るよ」
イエシキは鞄を背負うと、まだ夢のことを思い出そうとしていた江刈内に敬礼のようなポーズを取って玄関へ。扉を開けると、暗い玄関に明かりが差し込むと同時に、凍えるような冷気が流れ込む。
イエシキは悴む手を重ねて口元に当てながら、室内の江刈内に振り返った。
「そう言えば、まだ全巻読んでいないから、また読みに来るよ。それでは、江刈内君。良いお年を!」
大きな目を細め、ニンマリと笑うイエシキの表情は、何だか記憶に張り付いているような気もする。
「そうそう。あの最後の回答だが、それはやはり秘密、だよ」
イエシキは楽しげにウィンクする。
何のことを指しているのか分からないが、飲み会の時に質問でもしたのか……思い出せない。ただ、胸の奥がざわざわした。忘れている何かが思い出せそうな。
しかし、そんなことよりも気になるのは。
「早く玄関閉めろ。寒いだろうが!」
嫌がらせのように玄関を開けたままにされたことで、暖房の熱気が出て行ってしまった。イエシキは悪びれた様子もなく、「イ」とも「ヒ」とも取れない笑い声を出しながら、手をひらひらさせ帰っていった。
本当の静寂が部屋に流れる。
思わず大きなため息が漏れた。
ドッと疲れている。飲み会のせいだろうか。イエシキのせいだろうか。
ただ、体よりも精神的に疲労しているような倦怠感。
何か大きな存在にプレッシャーをかけられ続けていたような。
それでも、今はそれから解き放たれた感覚が心を満たしている。
悪い気分ではない。逆に清々しい。
「ふぅ」と再度ため息を吐いて、江刈内はベッドに腰掛ける。
パーカーのポケットに何か入っている。
中を探ると、そこから壊れたポケットラジオが出てきた。
「あ、サイコラディアだ」
江刈内の口から無意識に言葉が漏れた。
虚ろう『奴ら』は夢見て嗤う 檻墓戊辰 @orihaka-mogura
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