第3話:非日常と言う娯楽

 イエシキが目の前に消えたことに、ショックを隠し切れない。

 やはりこの学校はおかしい。

 不気味な雰囲気も、暗闇に潜む影も錯覚ではない。校舎から出なければ。

 江刈内は服部をつれて廊下を走る。

「見たか? 影に飲まれて消えたぞ。邪悪な存在が、学校にいるんだ」

 服部が囁く。

 邪悪な存在……イエシキは『奴ら』と呼んでいた者たち。

 階段を降りようと差し掛かった所で、足が止まる。

 階下から何者かが上がってくる足音。

 さらに耳を澄ませば、その人物はブツブツと呟いている。内容まではハッキリと聞こえないのが想像を駆り立て余計に気味が悪い。

 

 嫌な予感しかしない。


 目を離せずに硬直している2人は、ついに『それ』の姿を見た。

 男性だった。ただ頭部は風船のように大きく膨れ上がっており、目や鼻などのパーツが正月の福笑いのように乱雑に配置される。大きな口は左右に開かれて不気味な笑みを浮かべていた。

 そんな頭を左右に振り子のように振って歩き、踊り場で折り返すと、2人を(江刈内は自分と目が合ったように感じた)見つけた。

 大きな頭の大きな口が大きく開き、耳障りな高笑いと共に言葉を発する。


「君はさ! 全然ダメだよ。何をしに学校来てるわけ? アハハハハハ……!」


 鈍く籠った声が、廊下にいんいんと響く。男はさらに大きく頭を揺らして、階段を駆け上がってきた。

 限界だ。

 自分の意思に反して、口から悲鳴を上げていた。

 隣接する棟に繋がる渡り廊下へと逃げる。

 ガラス張りの扉を閉じると、その前で男は相変わらず頭を振り、嫌味のような言葉を吐き続けた。鍵を開けて渡り廊下までくる気配はない。

「こいつは、何だよ?」

 服部の問いに、江刈内も答えられるわけもなかった。

 視線を外さずに後ずさると、ある事に気付く。

「え? 夜になってる?」

 廊下から見える景色が真っ暗だった。

「なんで夜?」

 講義は昼間だ。そんなにも長時間寝ていたのだろうか? 

「あー。もう分からねぇよ。さっさと逃げよう」

 何かが思い出されそうだったが、服部の言葉で消えた。確かに、今は逃げるのが優先だ。

 渡り廊下を抜けた先、そこは学食が広がっていた。

 いつも多くの学生で賑わっている場所だが、厨房には誰もいない。

 イートインコーナーに目を向けると、並べられているはずの机がなくガラリとした空間が広がっている。

 そして、その中央に、何人もの人影が蹲っているのが見えた。

 外見は特に一般人と違いはない。それに服装や髪形を見ていると、なんだか知っているようにも思えた。

「おい、大丈夫か?」

 声をかけてみるも応答はない。

 服部と顔を見合わせ、ゆっくりと近づくと、咀嚼音が聞こえてくる。

「何してるんだよ?」

 江刈内がそう訊ねる頃には、蹲る者たちの行動が見えてくる。

 床に転がる大量の何かを一心不乱に、食べているのだ。吐き気を催すほど、汚く、音を立て、脇目もふらずに貪り食っている。

 やはり、こいつらもまともな人間ではない。

 それに気付いた時には遅かった。

 江刈内の接近に気が付き、振り返った彼らの顔を見て、血の気が引いた。

 そこには目も鼻もない、ただ大きな口がクチャクチャと音を立てて咀嚼し、ニヤっと笑っている。

 悲鳴も出せなかった。

 もう何も考えることなく、踵を返し、ただ無我夢中で逃げる。

 息を切らせて階段を駆け上がると、そこは学生ラウンジが広がっている。

 待ち合わせや、読書、テキストを開くなど多くの学生が集まる。中央には流木を組み立てたような謎のオブジェがある。入学したばかりの時は、お洒落で物珍しい空間だと感動してものだ。


 ただし、階段を上がった江刈内の前には、別の光景が広がっている。


 影だ。

 大量の影。

 それが中央で燃え上がる流木のオブジェを囲むように、剣や棒のような物を持ち、真っ白な歯を見せて笑いながら意味の分からない歌を歌い踊り狂っていた。

 さらにガラス張りの正面を見ると、吸い込まれそうなほど漆黒に、見開かれる巨大な目があった。そして、その瞳の中にはさらに無数の目玉が蠢いていた。

 それらは学生ラウンジを覗き見ている様で、オブジェを見下ろし、そして江刈内を捉える。

 脳内が破裂しそうだ。

 自分が立っているのか、倒れたのかも分からない。沈黙しているのか、悲鳴を上げているのか。正気なのか、狂っているのか……。


 誰か教えてくれ。


『僕なら、その目は見ないね』


 微かに聞こえたその声が、江刈内を我に返らせ、視線を伏せさせた。

「江刈内。どうした?」

 服部の声が耳元で聞こえてくる。が、これではない。

『別に見てもいいけど、正気ではいられなくなるよ』

 微かに聞こえるその声には、覚えがある。

 そしてその声は、自分のパーカーのポケットの中から聞こえる。

「イエシキ?」

『いやはやだよ、いやはや』

「お前、大丈夫なのか?」

 おかしな奴だが、このとんでもない状況下では、その呑気な声は助かる。

 江刈内は壊れたラジオ(サイコラディア)に話しかける。

『僕はずっとここにいるんだがね。まぁ、ようやく君に聞く準備ができて良かったさ』

 また訳の分からないことを。

「おい、江刈内。何をイエシキみたいなことしてるんだよ」

 耳元で服部は慌てた様子だ。彼にはイエシキの声が聞こえていないらしい。

「このラジオから、イエシキの声が聞こえるだろ?」

「そんな声、聞こえないよ。どうしちまったんだ?」

「いや、だって……」

 どちらが正しいのか。どちらが狂気なのか。服部なのか、それとも自分なのか。

 サイコラディアが問いかけてくる。

『江刈内君。君は僕以外の誰と話をしているんだい?』

「は? そりゃ服部と」


『服部? はて。僕が見る限り、君はずっと一人だよ』

 彼女の言葉に背中から冷たい汗が流れる。

 そしてさらに続ける。


『服部君とは、本当に《大学》の友人かい?』


 言ってる意味が分からなかったが、次の瞬間には記憶が鮮明に思い出される。

 確かに服部は高校時代の友人だ。大学ではない。

 では、なぜ服部がここに?

 ゆっくり振り返ると、確かに服部がいる。

 だが、首だけだった。

 枝のような体が江刈内の背中に張り付き、その先端に服部の首を付けながら「江刈内。どうしたんだよ?」と事も無げに訊ねくる。

「どうなってるんだよ!」

 悲鳴に近い声を上げながら、服部らしき枝を払い除け、ついに地面にへたり込む。

 その時、また「モォ~」というあの不快音が聞こえてくる。

 これ以上は耐えられない。頭がどうにかなりそうだ。

 江刈内は自分を守る様に、頭を抱えこみ、蹲った。

「もう勘弁してくれ! 何なんだよ。ここは」


「そりゃ、ここは君の『夢』だよ」


 隣から聞こえる声に恐る恐る頭を上げると、そこにイエシキが立っていた。

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