第15棺 はじめて その2
大瀑布による清めが終わり、長ったらしい黒髪を無理矢理纏め上げ十分に含んだ水分を一気に絞り出す。体に張り付いた水分については拭く物でもあれば良かったのだが、生憎と我が今いる場所は森林地帯の中心。ビバルの小僧に命令すれば布に近い何かを作らせることもできるが、先のエロガキにやった試練の影響で小僧のテリトリーを汚してしまった。さすがに人の家で勝手をした後に自分の頼みを聞いてもらうほど傲慢ではない。少しだけ飛び上がり、跳躍で余った運動エネルギーを回転に使う。高速で回転する様はコマのそれだがこれが一番手っ取り早く体に張り付いた水を吹き飛ばせる。
「よしっ」
「よしっ、じゃないですよ。何してるんですか」
着地と同時に出たガッツポーズを詰るのは大瀑布付近の大地から枝葉を束ねて這い出たビバルだ。奴は千年ほどこの森を繫栄、統括管理している働き者であり、千年前にこの森を焼かれそうになったところを我が救ってやった恩がある。
「なんだビバル、覗き見か?」
「あなた様の玉体を覗き見るなど、私には恐れ多くて到底できません」
「だが先に覗き見たガキンチョが一人おったぞ」
「もしかしなくてもナギですね。先に私と会っておりましたから」
珍しく感情を表に出すビバルに我は訝しむ。この森の番人でもあるビバルは人という存在を心底恨んでいる。何せ千年前に森を焼こうとしていたのは人だったから。だが奴から感じる感情の波は穏やかだ
「名前は知らんが我の玉体を覗いた罰として我の本当の姿を見せた」
「だから私の森が異常を起こしたのですね。いきなりとんでもない瘴気を感じたので何事かと」
「試練を与えたにすぎん。どうにもあのエロガキ、あやつの
「お試しで私の森を滅茶苦茶にするのは勘弁願いたいですが、あやつ、と申しますとあなた様の」
「ビバル。その先の言葉は慎重にしろよ。お前でも我は何の躊躇いなくその魂を刈り取るぞ?」
「……仇敵」
「うぅん、まぁいいだろう。それでいい」
ビバルは感情を押し殺して我の機嫌を伺いながら話を続ける。
「ですがあなた様と良好な関係を築けたのなら私も安心しました。あの子があなた様の手にかかるのはどうも」
「待てビバル。貴様今なんと言った?」
「ですからあの子があなた様の手に」
「そこではない。そのもっと前だ」
ビバルは心底不思議そうに再度口にする。
「あなた様と良好な関係を築けたのなら、私も安心したと」
「何故そのような発言を?」
「何故も何も、あなた様の使役するモノたちがあれほど彼に懐いているのですからあなた様との関係も良好だと」
ビバルの最後の方の言葉は聞かずに我は大瀑布から一息にエロガキがいた地点まで空間を移動した。見る者が見れば瞬間移動と言う者もおるが、正確には空間に無理矢理出入り口用の穴を作り、トンネルをくぐるイメージで進んでいるに過ぎない。だが凡人には一瞬で移動したように見えるので結果として瞬間移動になる。
エロガキのいた地点に降り立つとそこにはありえない光景が広がっていた。
「なるほど、この世界で起こった大きな戦争で成果を上げたくて」
「なかには たんじゅんにちからをしめすために たたかっていたものたちもいた」
「だがおれたちは ちがう」
「かぞくが いたんだ あいしていた つまとこが」
「くにを かぞくを じぶんをまもるために けんをふるった」
「おれたちは すきでてきこくのへいを ころしたわけじゃない」
「たのしむために おんなこどもを てにかけたわけじゃない」
「そう するしかなかった」
数千の古強者どもがよりにもよってたった一人のガキに説き伏せられていたのだ。中には「おれのはなしも きいてくれ」とせがむ者もいる。大蛇どもといえば群がる死兵どもの周りをおとなしく寝そべっていて、そのうちの数匹はエロガキの傍らで「なでろ」と言わんばかりに首を差し出す。
「お前たち、何をしている?」
我の声を聞いて大蛇も死兵も飛び上がるように立ち上がり、一気にエロガキとの距離を取る。今更戦っていましたオーラを出しても意味はないが。
「貴様らは後で仕置き決定じゃ。地獄の炎の中無限マラソンの刑に処す」
大蛇と死兵の嘆きが聞こえたがそんなことはどうでもいい。我はエロガキの目を今一度見る。何の変哲もないただのガキ。力もなければ異能を持っているわけでもない。神の加護は微かに感じるが本当に微かだ。風の前のろうそくの火に等しい仄かで脆弱な加護。だがその弱く儚い力の前に我の僕たちは拳を剣を牙を下ろした。力でなく別の何かで戦意を削がれたのだ。
「何者だ、エロガキ」
「何者というほど偉そうな感じはないと思いますけど、名前は
「貴様がどれだけ偉かろうが我の前では無意味だ。そういうことを言っているんじゃない。貴様はなんのためにここにいる? そう聞いたのだ」
なるほど、とエロガキこといさみなぎは納得し、咳払いの後答える。
「僕はあなたに会いに来ました」
「我に? なんのために?」
「えぇと、その、恥ずかしながら理由に関してはよくわかっていないんです。信じられないと思いますけど天のお告げ、的な感じですはい」
後半は早口で言い切ったが、表情にも心根にも嘘偽りはないようだ。あやつの臭いがすることも踏まえて、おそらくあやつとなんらかの約束事を取り決めさせられて我に会うよう図られたのだ。あやつと出会った記憶は丁寧に消されて。
「会ってどうするのだ? 貴様も他の人と同じく我の力を欲する蛮族なのか?」
「力、ですか?」
とぼけているようにも見えるがこれも知らないようだ。本当に何の情報もなしに会うことだけを目的にしてこのガキを寄越したのだとしたらあやつもとうとうボケ始めたと見える。謝罪のつもりかそれとも何か別の思惑があるのか。
「まぁいい。我に会うことだけが目的なら貴様の旅は終わったことになるが、貴様はこれから何をどうするつもりなのだ?」
「あぁ、そう言われると」
「……お前本当に大丈夫か?」
つい我が心配してしまった。このガキは人としての大事な何かが決定的に欠落しているようにも思える。
「この世界は貴様のような半端者から命を落とす。そのような気の抜けた様ではあっという間に寝首を狩られるぞ?」
「その点はご安心を」
するといさみなぎの右隣あたりの大地からビバルが顔を出す。いさみなぎはどこか安心を覚えた表情を露にする。
「この子の身の安全はこのビバルが保障いたします」
「ビバル。お前それは人の子だぞ? 森を焼き、お前の同胞を死に追いやった人どもの末裔かもしれん。そんな悪の種をお前が守るのか?」
「確かに。成長し己の欲に際限がなくなれば我々に害なすこともありましょう。だが今はそうではない。こういう子がいるなら人の可能性も捨てたものではないと実感できますしね。せめて成人するまではこの子のそばにいても良いと思えます」
ビバルの人への怒りは本物だ。つい500年ほど前までは人の街を襲い一族が滅ぶ瞬間まで人を殺し尽くそうとしたこともあったくらいだ。今はそんな青い感情は落ち着いているがゆえにこそ我はビバルにこの森を守らせた。万が一のことを考え、我の力が落ち込んだ時、安住の地として根を張るために。だがそんな苛烈すぎる人への恩讐を抱える森の番人がエロガキ一人の命に大分固執している。
「我と、拳を交えることになってもか?」
「その時が来るとしたなら、私も全力でお迎えする覚悟です」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
急に慌てながらいさみなぎは我らのじゃれ合いに割り込んでくる。どうやらいつも我らが行う言い合いを本気の喧嘩と勘違いしたようだ。
「僕がビバルさんのお世話になることでお二人が争うなら僕はここから出ます」
「ナギ、お前この森を出れば即座に死ぬぞ⁉ そのことはあの方の言う通りだ」
「だとしてもお二人が争う理由は消えます」
いさみなぎの生きていた世界は度が過ぎるほど平和な世界だったようだ。過剰なほど目の前のガキは他者の諍いに敏感のようだ。だが己の生命には呆れるほど鈍感でもある。一体どんな生き方をすればこんな歪な死生観に育つのか。
「もういい、騒ぐな。別段ビバルと争うつもりはなかったからな」
頭を無造作に掻き我は深く溜め息を漏らす。いさみなぎもビバルも緊張の糸を限界まで張りつめさせているが、我自身の気分は酷く落ち込んでしまった。
「じゃあガキ、貴様に我から新たな生きる指針を与える。これでも我は神だからな。人の子に人生の指針を与えることには慣れている」
人では決して到達できない試練を与えよう、我はそう考えた。この森の近くでも標高3000メートル級の山々が連なる山脈がいくつもある。その山のどこかにある幻とされる草花を持ち帰れというのはどうだろうか。我には10秒とかからない小事だが、目の前のガキには己の人生をかけた大事だ。ビバルは自分の森を守る役割があり手出しはできないし、万が一ガキの方から断っても神と人との約束事は口約束でも契約となり、神側からの破棄がなければ決して人側から違えることができない
「では教えよう。貴様は」
「⁉ 危ない‼」
ガキが駆け出し、我に触れる。強く押し出された我は怒髪天を衝いたが直後、ガキの胸を一本の矢が突き立てられた。
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