第20話 祝祭日
広間の壁際で主人のダンスを見守ったザフィアは、近衛騎士の礼装のまま控えている姉妹にそっと近づいた。
「ナート、どうしたのよ、そんな格好のままで。今日もご令嬢たちの王子様をする気なの?」
「いや、そういうつもりではなかったんだが、私はこれ以外の格好を知らないし、それに役目も……」
グラナートは歯切れ悪く言う。
「ああもう。ちょっと来て」
ザフィアは半ば強引にグラナートの手を引く。
「待て、私は役目が」
「なに真面目なこと言ってるのよ。行くわよ」
ザフィアは顎をしゃくる。
「アウゲ姫、お初にお目にかかります! カイでございます! 普段は辺境にて冥府の者どもを討伐する任に単身就いておりましたので、ご挨拶の機会がなく大変失礼をいたしました!」
アウゲの目の前で片膝をついて、嵐の日に崖の向こう側にいる人物に話しかけているのではと思うような大音声で将軍が言う。
「いえ……将軍の活躍は承知しています。文字どおりの千人力、まさに魔界の守護神と呼ぶに相応しいわ」
「勿体無いお言葉、なんたる光栄!」
将軍がカッと目を見開き、整っているが目も鼻も口も大きい迫力ある顔がさらに迫力を増す。アウゲは悟られないよう僅かに上体を引いた。
「申し訳ございません妃殿下将軍には音量調節機能が備わっておらぬのです。それから人間と話すのは久しぶりなので少々はしゃいでしまっているようです」
将軍の代わりに、傍に立った宰相がぼそぼそと早口で詫びる。
「お前はもうちょっと腹に力を入れてしゃべったほうがいい!」
将軍は立ち上がると、ぼすっと音を立てて宰相の肩に分厚い手を乗せ、宰相が迷惑そうに重そうにそれを払いのける。
「おふたりとも、今日はゆっくりと寛いでくださいね」
アウゲは柔らかく微笑んだ。
「姫さま」ヴォルフがアウゲの腰を抱き寄せる。「戻ったばっかりで休む時間もなかったしダンスもしたし、ちょっと疲れちゃいましたよね」
「いえ、私は……」
しかしヴォルフはアウゲにその先を言わせない。
「疲れちゃいましたね。それじゃ、おれたちは先に失礼するよ。みんなは気の済むまで楽しんで。じゃあね」
「えっ……?」
来た早々宴の主催者であり主賓が帰ってしまって良いものなのか、いや、おそらく良くはないだろうとアウゲは思い、礼儀作法に詳しくもうるさい蜥蜴型魔族の執事頭を見る。しかしメーアメーアは特に何もいうことなく、ただ僅かに頷いて眼球を舐めただけだった。問題ないということなのか、それとも呆れているのか、アウゲはその表情を読み解くことができない。
しかし周りの魔族たちも普段と変わらない様子で2人を見送っている。まだまだわからないことだらけだ。
「私たちがいきなりいなくなってしまったら……」
アウゲは半ば引きずられるようにして傍のヴォルフを見上げる。
「大丈夫ですって。みんな久しぶりの休暇で羽目を外したいでしょう。適当にやりますよ。どうせ城の酒蔵が空になったら宴は終わらざるをえないんだし」
「そういうものなの?」
「そういうものですよ。ここのところ冥府の者の活動が活発化してたからそれにかかりきりで、こんなふうに仲間とくつろぐ暇はなかったですからね。酒蔵を空にするもよし、大声で歌うもよし、花火を打ち上げるもよし」
広間の扉がひとりでに音もなく開く。ヴォルフは広間を振り返った。
「じゃあ、みんな、久しぶりの休暇を楽しんでよ」
アウゲはどう振る舞ったものかわからず、とりあえず礼の姿勢を取る。
「魔王陛下、王妃殿下に乾杯!」
カイ将軍の大音声が広間を震わせる。ヴォルフはひらひらと手を振った。
扉が閉まると、ヴォルフはアウゲの耳元に唇を寄せた。
「そしておれは、1秒でも早く姫さまと2人きりになりたい」
甘い感覚が背骨を駆けあがってきて、アウゲは小さく身体を震わせる。
「いいでしょう?」
ヴォルフがアウゲの顔を覗きこんで微笑む。
「だめとは言っていないわ。でも、確かに少し疲れているみたい。まず、ゆっくりお風呂に浸かりたいわ」
服越しに触れられているだけなのにもう身体が熱を帯びている。本当は、溶けあってしまいたい。早く。すぐにでも。
「それに、聞かなきゃいけないことも沢山あるし」
「そうね。私も何が起こっていたのか聞きたいわ」
いくつかある婦人用の支度室の1つでは、ザフィアの早業により1人の令嬢が完成していた。その名前と同じ、暗く深い赤に金糸の刺繍。襟足は背に流し、残りは後頭部に結いあげた金髪が映える。肌の露出を抑えた保守的なドレスではあったが、それが却って本人の魅力を引き立てている。見立てに狂いはなかったとザフィアは満足して頷く。
「あ、あの……これは本当にこれでいいのだろうか……。いや、普段アウゲ姫に身近に接しているお前からすれば、貧相なことこの上ないとはわかっているのだが……肌や髪の手入れも行き届いているとは言い難いし……」
王子様然とした近衛騎士から美しい令嬢に変身した姉妹は、鏡の中の自分に戸惑っている。
「何言ってるの。大丈夫よ、ナート。あなたはとっても綺麗。背中を丸めてちゃ勿体無いわよ。さあ、行って」
「あの、でも……」
「ぐずぐず言ってないで、さあ」
ザフィアが支度室の扉を開けると、そこにはオルド隊長がいた。
「オルド、どうしてここに……」
思わず身体を部屋の中に引こうとしているグラナートの背中を押し出し、言葉を失っているオルドに代わってザフィアが答える。
「呼んだからよ。じゃ、楽しんできてね」
「あの、ザフィア、お前は……?」
グラナートが不安げにザフィアを振り返る。
「私はほら、まだ仕事が残ってるもの」
仕方ないでしょ、とザフィアは肩をすくめて見せる。
「行こう、グラナート」
オルドが紳士的な仕草でグラナートに手を差し出す。
「あ……うん……」
グラナートは真っ赤になって俯きながら、そっとその手に手を重ねた。
ぎこちない恋人たちを見送って、ザフィアは自分の仕事に満足した。そうこうしているうちに、彼女の主人は離宮へ向かっている。本来であればグラナートに言ったとおり盛装を解く仕事が残っているが、ヴォルフはザフィアにだけ聞こえるように命を発していた。「2人にしてほしい、ザフィアも宴を楽しんで」と。
2人が今何を話しているのか、ザフィアは当然その内容を聞くことが可能だ。しかし彼女は「耳」を塞いだ。今宵は無粋なことはなしだ。誰も彼も皆、新しい魔王の誕生を祝い、久しぶりに訪れた祝祭日を楽しんでいる。ザフィアも祝祭を楽しむことにした。今日働いているのは、仕事中毒の彼女の上司くらいなものだろう。
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