正体不明の素人物書き

偶然の出会い。そして・・・

 ある春の日。俺は何をするでもなく、何かに導かれるように、満開になった桜の名所にいた。

 橋を渡り、真ん中まで行ったところで、足を止めて川を見た。

 風に舞い散った桜の花びらが水に流れていく。普通はそれを綺麗に感じるのかもしれないが、今の俺には無理だった。

(本当なら、今日はここで…)

 予定してたことが完全にパーになり、そのきっかけと出来事を思い出し、うつむいてため息をついた。

(あいつは、もうここには来ないのに…)

 来ないとわかっててもここに来たのは、あいつに未練があったからだ。

 俺は本気だったのに、ささいなことで運悪くあんなことになって…。

 180度振り向き、しゃがみ込んで橋にもたれた。

 立てた膝に顔をうずめ、何も見ないようにしていた。

 橋を渡る人たちの足音が聞こえる。

 きっとみんな、俺のことを奇異に思っていることだろう。

 いろんな足音が耳に入ってきたが、一つだけ違った足音がした。

 そっとゆっくり、でもはっきりと聞こえる。

 通り過ぎるのかと思ったら、俺のすぐそばで止まったのが分かった。

(ん?)

 気になって顔を上げて横を見ると、目に入ったのは明るい花柄の、桜と同じ色をした着物だった。

「どうしました?」

 着物を着た人はしゃがみ込んで俺と目線を同じにして聞いてきた。

「何でもない。一人にしてくれ」

 俺はそれだけ言って顔を伏せた。

 横で着物がすれるような音がする。

 ちらっと見ると、女性は俺の隣で橋にもたれてしゃがんでいた。

 何かはわからないが、他の人たちと違う雰囲気を感じた。

「…本当は今日、彼女とここに来るはずだった…」

 俺は細々と語った。一人にしてほしいなんて言ったが、本当は話しを誰かに聞いてほしかった。

 その彼女とは、2年ぐらいの付き合いだった。

 そして本来なら、彼女の誕生日である今日、この場所で結婚を申し込むつもりだったのだ。

「だけど、数日前に他の男に取られてしまった。それもイケメンな超大金持ちに」

 彼女はそんな男の魅力に惹かれ、俺は呆気なく振られてしまった。

 指輪を買う前だったのが、不幸中の幸いだった。

 しかもたった数日で入籍し、今日から新婚旅行でハワイだと二人で自慢げに知らせてきた。

「あんたにわかるか?数年付き合ったのに、数日会っただけの相手に寝取られる辛さが…」

「わかるよ」

 え?

「私も本当なら、彼と二人でここにいたんだから」

 女性も本来なら今日は、親戚の紹介で数年の付き合いがある彼と夫婦になってここにいたと言う。

「でもこの前、呆気なく振られちゃった。「お前みたいな高校を出たばかりの青臭いガキより、大人の魅力たっぷりの女が、自分にはお似合いだ」と言って…いつの間にか、その女性と入籍してた」

 自分の出来事と似てる。まさかと思い、自分の彼女の写真を見せると、

「あ、この女よ。まさか、あなたの元彼女だったなんて…」

 まさかだった。俺の元彼女を寝取った男が、女性の元彼氏だったとは…。

 何ということだ・・・。

 複雑な気分だった。お互いに同じ傷を持っていたことが・・・。

 しかもその相手が、自分が結婚するはずだった相手だったことも・・・。

「すぐには無理だけど、前を向かないとね」

 そう言って立ち上がった。

「ほら」

 この声を聞いて顔を上げると、女性は俺に手を差し出していた。

「行こう?」

 俺は差し出された手につかまり、ゆっくりと立ち上がった。

「わかっててもなぁ…ショックが大きすぎて…」

「しょうがないよ。それだけ本気だったんだから」

 俺は一息ついて橋にもたれた。だが、木でできた細い欄干が音を立てて割れてしまい、

「うわああああ!」

 俺は川に落ちてしまった。

 ザブーン!!

「た、大変!」

 橋が低かったこともあって、怪我をすることなく済んだが、溺れてしまうのかと思った。だが・・・。

(う…あれ?)

 足が川底についたので、変に思って立ってみると、膝より上ぐらいまでの深さしかなかった。

 俺は全身がずぶぬれになり、しかも桜の花びらが体中にいっぱいついた。

「何だこりゃ?」

「え?この川、浅かったの?」

 女性は着物が濡れるのもお構いなしに川に入ってきたが、俺が立っているのを見て唖然とした。

「ったく…一瞬でも、このまま死んでも構わないと思った自分が馬鹿みたいだ」

 独り言の様に言うと、女性は歩みよってきて俺を抱き寄せた。

「バカ…死んだら駄目よ。あなたの心配をした人が、こんな近くにいるんだから。生きてよ…私のために」

 俺はしばらく何も言わず、女性の温もりの中で、体の力を抜いて目を閉じた。

「…私は…卯月 咲良(うづき さくら)…18歳」

「…俺は…織部 雄太(おりべ ゆうた)…22歳」

 結婚したいと本気で思ったほど惚れた彼女に振られ、冷え切った心が徐々に温められていく感じがした。

「…和菓子は、好きか?」

「…うん…」

 俺が何気なく聞いたことに、咲良は優しい声で答えた。

 元彼女は洋菓子派で、和菓子には見向きもしなかった。

 俺は洋菓子も悪くはないと思ったが、和菓子のほうが好きだ。

 小さいころ、桜を模った練り切りという和菓子を見たとき、桜の形をした宝石のように思い、和菓子にハマってしまった。

「…桜餅…一緒に食べる気、あるか?」

「…うん…一緒に食べたい」

 俺はこれ以上は聞かなかった。が、今度は俺が聞かれる番になった。

「…桜餅を食べながら、私が淹れるお茶、飲んでくれない?」

「…一緒に、飲みたい…」

 しばらくお互いに何も言わなくなった。


 少しして体を離し、濡れた服を乾かそうということになった。

 が、今までのやり取りを大勢の人たちに見られてたことに気付いてはっとなり、お互いに赤面してしまった。

 この出来事で、さっきまでいた橋に、縁結びのご利益があるのでは?という噂が立ったのは余談だ。


 その場を離れ、咲良に手を引かれて向かった先は、屋敷のように大きな家だった。

 途中で寄った店で桜餅を買ったが、店員が濡れネズミな俺の姿を見てドン引きしたのは余談だ。

「今日は夜まで、家には私しかいないから。これを貸すから、着替えたら庭にある茶室に来て」

 そう言って咲良は俺に着物を出してきて、奥の部屋に消えた。

 俺は着物に着替え、庭にある茶室に行ったが、誰もいないみたいだったので、入り口で待つことにした。

 少しして、咲良がさっきとは違う着物で部屋から出てきた。

「早かったわね。さ、入って(あれ?…もしかして着慣れてる?)」

 そう言って茶室の中に入っていく。俺も中に入った。

 着替えた後、それまで着ていた服を洗うために持っていかれたのは余談ということにしておこう。


「作法とか気にしなくていいから気楽にしてて。本当はすでに沸かしてないとダメなんだけど、急だったから」

 そう言って釜の湯を炭で沸かし始めた。

「お湯が沸くまで、一緒にお菓子でも食べようか?」

 そう言って、箱から取り出した桜餅と菓子切(かしきり)を菓子器(かしき)に乗せて差し出してきた。

「いろいろ順番は違うけど、私も作法は気にしないから」

 言いながら、手元に置いてあるもう一つの桜餅が乗った菓子器を手に取り、菓子切で綺麗に切り分けながら食べていた。

「…茶道の、家元なのか?」

 自分も聞きながら、菓子器を手に取り、菓子切で桜餅を切り分けながら食べた。

「うん。でも姉がいるから、私は跡取りじゃないんだけどね。お茶が好きだから、姉と一緒に習ってたの」

 他の人たちと雰囲気が違う理由に、何となくだが納得できた。

 和風美人という言葉がぴったりだと思ったが、桜の花がよく似合う人だとも思った。

 しばらくは無言で桜餅を食べた。


「お湯が沸いたわね。お茶を淹れるわ」

 そう言って釜のふたを開け、柄杓(ひしゃく)で中のお湯をすくって茶碗に入れると、棗(なつめ)のふたを開けて茶杓(ちゃしゃく)で抹茶の粉を掬い取り、それを茶碗に入れた。

 抹茶の粉が入ったお湯を茶筅(ちゃせん)で丁寧に泡立て、きれいな緑色になった。

 その茶碗を手に取り、左手に乗せて右手で2回時計回りに回して差し出してきた。

「どうぞ」

「…お点前(おてまえ)、頂戴いたします」

 俺は茶碗を手に取り、咲良がやったように、左手に乗せて右手で2回時計回りに回した。

「え?」

 そして、お茶を3回に分けて飲み干した。お茶は不思議と、ホッとする味だった。

「…見事なお点前。感服いたしました」

 そう言って、茶碗の口をつけたところをハンカチで吹き、左手に乗せて右手で時計回しに2回回して、茶碗を返した。

「どこでそれを…?」

「いつかこうしてお茶をする時が来るかもしれないと思って、やり方をネットで調べて、動画の見様見真似でやっただけさ。咲良さんみたいにはうまくいかなかったけどね」

「…咲良でいいよ。私も、雄太って呼ぶから」

 いきなりどうかと思ったが、不思議と抵抗はなかった。


 しばらくお互いに無言になった。

 ふと気が付くと、咲良はいつの間にか俺の横にいた。

「…正直、元彼との結婚は大丈夫か?っていつも思ってた。親戚が勧めてきたんだけど、私はまだ高校を出たばかりの18歳だし、元彼は和のものに興味がないみたいで、しかも「いつか海外に住みたい」って言ってたから」

 本当なら進学か就職してたらしいが、結婚するなら必要ないと言われ、どちらもできなかった。

 だが、元彼に裏切られ、どうしようかと考えていたところに、橋で蹲る俺の姿を見つけて声をかけたそうだ。

「俺の元彼女も、同じことを言ってた。何とか説得して、日本に住んでもらおうと思ってたんだ」

 結局、振られたことで叶わなかった。

「おそらく、新婚旅行に行ったきり、日本には戻ってこないだろうな。まぁ会わずに済むなら、それでいいけどね」

「そうね」

 それだけ言って、もたれてきた。


「ねぇ、雄太」

「ん?」

「すぐには無理かもしれないけど、私と付き合う気、ない?」

 もたれた状態のままで聞いてきた。

 俺の気持ちはどこか沈んでいて、咲良の気持ちに応えられなかった。

「・・・・・・」

 今となってはどうでもいいことなのに、元彼女のことばかり思い出す。

 一緒にいろんなところに出掛けたし、食事したり、日帰りの旅行も行ったことがあった。

 ただ、ブランドバッグだけは予算オーバーで無理だった。

「十分綺麗なんだから必要ないだろ?」と言って引き下がってもらったが、納得してなかったのだろう。

 振られた日、元彼女は全身にブランド物を身に着けていた。

(よく考えたら、あいつは自分で自分のことをわかってなかったな)

「元彼女のこと、思い出してた?」

 体を離した咲良に聞かれ、ギクッとなった。

「結婚したいと思うほど惚れ込んだ相手だから仕方ないかもしれないけど、今はこうしてそばにいる私のことを考えてよ」

 言いながら、頬を膨らませた。

「すまん。今となってはどうでもいいことなのに、つい思い出してしまって…ん?」

 ふと、掛け軸の下にあったものに目が止まった。

「どうしたの?」

 目に止まったものに近づいて手に取った。

「これは…(…まさか…)」

「あ、その三味線?たまにだけど、亡くなった師範代の人がお茶を飲みに来てたの。うちの家元と仲がいいみたいでね」

「そうなんだ…」

 俺はその三味線を眺め、近くに小さなケースがあってそれを開けると、指すりと撥(ばち)があったのでそれを手に取った。

(…どうして、これがここに…)

「あ、勝手にいじったら駄目よ」

 咲良が止めたが、俺は左手に指すりをはめ、撥を右手に持ち、3本の糸巻きを回し、調子取りをして弾いた。

(この感じ、間違いない。この三味線は…)

「え?…この曲…」

 咲良が何かに気づいたみたいだが、俺は弾き続けた。

「さぁ~けぇ~はぁのぉめぇのぉめぇ の~むな~ら~ば~」

 俺の演奏に合わせ、咲良が歌いだす。

「ひぃのぉもぉとぉいぃ~ちぃのぉ こ~のやぁりぃを~」

 18歳とは思えない綺麗な歌声に魅入られそうになってしまった。

 そのまま三味線を弾き続ける。

「こぉ~れぇぞぉまぁこぉとぉのぉ く~ろだぁぶぅしぃ~」

 ここで俺は演奏を止めた。

「どうしてこの曲を…?」

「祖父ちゃんが、三味線の師範をやってたんだ」

 俺は小さいころから、祖父を先生に三味線を習っていた。さっきの「黒田節」は、祖父が好きな曲だ

 どんな失敗をしても、一度も怒ることなく、むしろ親切丁寧に教えてくれたから、今の自分がいる。

 その祖父は、去年の秋に亡くなった。(祖母は俺が生まれる前に亡くなった)

 実は両親は和風が嫌いで、それを理由に祖父と仲が悪く、しかも俺も両親より祖父に懐いたこともあって、俺を日本に残し、海外に移住してそれっきりだった。

 養育費の仕送りはあったものの、連絡を取ってないこともあって、どこに住んでるのかも知らないので、亡くなったことを今も知らせることができずにいる。

 知らせたとしても、きっと素っ気なくしてくるだろうから、このままでもいいかと思う自分がいる。

 ただ、遺品整理の時に、祖父が大事にしていた三味線や遺言状などがどこにもなく、そのせいで今も遺産相続ができないのだ。

「この三味線、ずっと探してた。ここに大事に保管されてたんだな…」

 三味線の太鼓には、祖父の名前が書かれていた。

 呟くように言うと、茶室の出入り口が勢いよく開いた。

「こら!その三味線に勝手に触るんじゃない!」

 高齢の男性が、怒鳴りながら入ってきた。

「お、お祖父ちゃん!?夜まで帰ってこないんじゃなかったの!?」

「わしの機嫌を取りながら胡麻をすって、うちにうまく取り入ろうとする魂胆見え見えのくだらん接待に、夜まで付き合えるか!それより、その三味線に気安く触れるでない!」

 驚きながら聞く咲良に、怒鳴りながらどすどすと音を立てて俺の前に来た。

「そのことに関してはお詫びします。ですけど、祖父の形見であるこの三味線を、ずっと探してたのです」

 俺は慌てて説明し、男性は三味線を取り上げようと手を伸ばしてきた。

「ええい!黙れ!…ん?…祖父の、形見の三味線、じゃと?…お主、まさか…」

 一瞬で男性の表情から怒りが消えた。

「そういえば、織部って…」

「挨拶が遅れてすいません。この三味線の持ち主、織部 甚(おりべ じん)の孫で、雄太と言います」

「え!? あのお師匠さんの!?」

 可能な限り丁寧に挨拶すると、咲良は驚き、咲良の祖父はゆっくりと座った。

「甚の、孫?…話には聞いていたが、そうか…わしはお主の祖父、甚の幼馴染で卯月 武夫(うづき たけお)。ここにおる咲良の祖父じゃ。なるほど…よく見ると、若いころのあやつの面影があるな」

 言いながら、俺の頭を撫でてきた。

「どうして、祖父の三味線がここに…?」

「預かっておいたのじゃよ。亡くなる少し前に頼まれてな。「わしには孫がおってな…その孫がいつか、これを取りに来るだろう。そのときに渡してやってくれ」と。あ、そうじゃ。もう一つ渡すものがある」

 そう言って茶室から出ていき、しばらくして戻ってきた。その手には白い封筒のようなものがあった。

 それは三味線と同時に探してた遺言状だった。

 俺はそれをそっと開く。綺麗に折りたたまれた紙には、祖父の字で自分が持つ財産のすべてを、孫である俺に譲ると書いてあった。

「祖父の遺産と言っても、住んでた家とこの三味線ぐらいしか…」

 でも、それでいいと思った。相続でもめることはないだろうと思ったからだ。

「それでよかろう。ここで会ったのも何かの縁じゃ。気が向いたときは、うちでお茶をするがよい」

「でも、作法とか知らなくて…」

「来た時に咲良に教わればよい。その代わりに、何をしてもらおうか…」

「なら、私に三味線を教えてくれない?すごく上手だったし」

 咲良がワクワクしながら言う。

「まぁこれでも、高校の時に師範になったから…」

 俺が三味線を手に取りながら言うと、武夫さんと咲良は驚いた。

「高校生で、三味線の師範って…」

 祖父は三味線に関しては公私混同は絶対にしない人だった。

 名取りや師範になるための試験を受けたとき、公私混同を防ぐために祖父は審査員にいなかった。

「なかなかの腕前のようじゃな?なのになぜ、甚の跡を継がなかったのじゃ?」

「…本当は、継ぎたかったです。でも…」

 実は祖父の葬儀の数日後に、教室に通っていた生徒はみんな辞めて誰もいなくなり、しかも自分には人脈がないこともあって誰も来ないと思い、生活の安定を考えて会社勤めを選んだ。

 今も休みの日には、誰もいない祖父の家で、三味線の練習をしてる。

「そんなことが…でも勿体ないよ。せっかく師範になったのに…」

「まぁ、仕方がないことなのかもしれんな…ところで、何か弾いて見せてくれぬか?」

 武夫さんに言われ、俺は何曲か演奏した。


「凄い…手元を全く見ないどころか、目を閉じても正確に…お祖父ちゃん?」

 咲良は感心したが、武夫さんは何も言わずに俯き、しばらくして涙をこぼした。

「…甚が…あやつが、空の向こうから、帰ってきおった…お主の後ろに…甚が、見えた…」

「…祖父ちゃん…」

 俺は俯いて呟いた。その俺の頭に、武夫さんは手を添えて言った。

「甚の遺志と腕を、立派に受け継いだな。お主になら、咲良を嫁に出しても大丈夫じゃな」

 これを聞いて、咲良はもちろん、俺も顔を赤くしてしまった。


 この後はいろいろ話し、夜になって咲良の姉や両親も帰ってきた。

 洗いに出した服を返してもらい、着替えてから挨拶すると、みんなで食事をすることになった。

 いつの間にか、咲良は俺の彼女になり、しかも結婚の約束までしていた。

 出会いを話したとき、桜の名所で橋から落ちたことを言ったら大笑いになったのは余談だ。


 俺の両親のことが気がかりだったが、数日後に祖父が亡くなったことをどこかで聞いて帰ってきた。

 遺産の話が出たが、家と三味線しかない上に、遺言で俺が全部受け継いだことを話したら、驚くと同時にガックリしたみたいだ。

 そしてまた、気が付いたら海外に戻っていた。

(自分の結婚が決まったことは、興味ないだろうと思って話さなかった)


 元彼女と、咲良の元彼のことも風のうわさで聞いた。

 元彼は親から継いだ会社の海外にある支社の社長になり、元彼女は社長夫人になったらしい。

 だが、仕事がかなり忙しく、お互いに相手にする時間があまりないことで、ぎくしゃくしてるらしい。


 俺は勤めてた会社を辞め、住んでいた部屋を引き払い、祖父の家で三味線教室を開くことにした。

 咲良を嫁にもらうことの条件として、武夫さんから祖父の跡を継いで教室を開くように言われたのだ。

 しかし、人脈がないのに大丈夫か?と思ったが、武夫さんが親戚筋や友人たちに俺のことを話して、三味線を習いたいという人が大勢押し寄せてきた。そして咲良も生徒になった。

 咲良の家の大広間で挨拶したが、祖父を知る人はみんな、俺を見たときに祖父と間違えたみたいだ。

(まさか、祖父ちゃんの本当の遺産は…金とかじゃなく、人脈と人望?)

「しまった。入会を希望したのはいいけど…私、自分の三味線がない」

「これを使えばいい。俺が使ってた三味線だ。許嫁の証として、これを咲良に譲る」

「雄太…嬉しい…」

 咲良は俺の三味線を受け取り、うっとりしながら言った。

 俺は祖父の三味線で師範をすることにした。

 親切丁寧でありながらも、間違いははっきり指摘し、難しいと言われた部分は、できるようになるまで徹底的に指導した。

 もちろん、上達したときは褒めることも忘れない。これが祖父の指導方法だった。

 余談だが、取られて困る貴重品などは全部、武夫さんと咲良に預かってもらった。


 1年後。

 俺は朝から咲良の家にいた。

「ほぉ…袴姿、武士みたいで似合っとるな。さすが、甚の孫じゃ。ま、今日からわしの孫にもなるがな」

 武夫さんが感心しながら言う。

「にしても、去年の今日に、橋から落ちてずぶ濡れになったのが、咲良との縁とはのぉ…甚も笑っとるじゃろうなぁ」

「でしょうね。でも、祖父にはずっと笑っててほしいです」

 俺が言うと、武夫さんは笑顔で何度も頷いた。

「…雄太」

 声に振り向くと、花嫁姿の咲良がいた。

 数分後、俺は咲良を家族として迎え入れる儀式を行う。

「式が始まるまで、二人でゆっくりするがよい。わしは向こうで待つとするかの。また後でな」

 そう言って歳不相応(?)に元気よく歩いてどこかに行った。

「ど、どう、かな…?」

「一瞬、和風の女神が降臨したかと思ったぞ」

 そう思えるぐらい、咲良の花嫁姿は綺麗だった。

「そ、そんなに褒めても、何も出ないわよ?」

 言いながら頬を赤くする。

「でも嬉しい。雄太にそう言ってもらえて」

 言いながら歩み寄ってきたと思ったら、俺の頬に自分の唇を当ててきた。

「…大好き」

「…俺もだ」

 この後、大広間で式を挙げた。

 俺の親戚も、咲良の親戚も大勢来ており、それでも余裕があるほどの部屋の広さには驚いた。

 儀式が終わり、運ばれてきた料理は美味かった。

(祖父ちゃんと、一緒に食べたかったな…)

 なんて思うのだった。


 この後、夫婦での共同作業をすることになった。

 結婚式でいえば、ケーキ入刀になるが、今回は和式ということもあり・・・。

「孫娘を、頼むぞ?わしだけでなく、みんなの願いじゃ。それをこの日本刀に、そして一家を代表してお主に託す」

 言いながら、鞘に入った日本刀を差し出してきた。

「わかりました」

 言いながら、俺は日本刀を両手でしっかりと受け取って腰に添え、鞘から抜いて咲良と二人でしっかりと持ち、1ホールケーキと同じぐらいのサイズに作られた桜餅に入刀した。

 刃に餡子がついた状態で鞘に戻せなかったのは余談だ。

(後で武夫さんが念入りに洗ったと聞いた)

 その後、俺が黒田節を三味線で演奏して、咲良が歌うことになった。

「のぉみぃとぉるぅほ~どぉにぃ のぉむなぁらぁば~あぁ」

 それだけならよかったが、親戚たちが酔った勢いで踊りだし、一気に賑やかになった。

 俺は気にせずに演奏し、咲良も歌い続けた。

「は~るぅのぉやぁよぉいぃのぉあ~けぼぉのぉにぃ~」

 だが、酔った状態だったこともあり、何人かが廊下から庭に落ちた。

 俺は慌てたが、すぐに笑って立ち上がったこともあり、心配ないみたいだった。

「面白い親戚たちだな?」

「私から見たら、面白いを通り越して騒がしいんだけどね。でも、私の理想の家族像なの」

 これを聞いて、俺は咲良の顔を見た。

「騒がしくも、毎日楽しく温かい家庭。これから、雄太と作っていきたい」

 咲良・・・。

「俺はずっと、祖父ちゃんと二人だけの静かな家だったから…結婚したら、賑やかで温かい家庭を作りたいって思ってた。咲良となら、叶いそうな気がする」

「うん…雄太…」

 呟くように言いながら、俺の首の周りに両腕を回し、顔を近づけてきた。

「あ…!」

 次の瞬間、俺の唇は、咲良の唇でふさがれた。


 しばらくして唇は離れ、咲良は俺の耳元で囁いた。

「よろしくね…あなた…」

 この一言で、咲良の想いの強さを知った気がした。

「こちらこそ」


 俺はこれから先、何があっても咲良と共に生きると強く誓った。

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正体不明の素人物書き @nonamenoveler

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