二番目に好きな人~恋心は薫る~

彪雅にこ

二番目に好きな人 ~恋心は薫る~

──知っている香りだった。



 新しく担当になった取引先の受付で、先方の担当者を呼び出してもらっていた小野田おのだ紗夜さやは、背後を通り過ぎた香りに振り返った。

 そこにあったのは、覚えのある香りを纏った懐かしい背中。


こう?」

 思わず呼びかける。

 振り返ったその顔が、みるみる驚きの表情に変わった。

「え、紗夜?」

 名前を呼ぶ、低くて良く通る声。

 久しぶりに聞いたその声と、忘れることのできなかったその姿に、色々な思いが込み上げてきて、なんだか泣きそうになった。



 鈴村晧すずむらこうは、中学、高校の同級生だった。

 中学では、奇妙な縁で3年間同じクラス。よく話すようになったのは、2年でも同じクラスになってからだ。

 縁はそのままに同じ高校に進み、3年生になり理系と文系に進路が分かれるまで、ずっと同じクラスだった。

 その後、それぞれ違う大学に進んだ2人が、最後に顔を合わせたのは高校の卒業式。


 あれから5年が過ぎていた。


 2人は付き合っていたわけではない。それどころか、中学でも高校でも、それぞれに相手がいた。

 お互いそれを踏まえての、仲の良い友人だった。

 しかし、高校3年生の冬、一度だけ2人の距離が急速に近付いた瞬間がある。


 受験を控えた紗夜は、自由登校になり生徒も疎な図書室で勉強をしていた。そこに、晧がやってきた。

「あれ、紗夜。久しぶりだな」

 クラスが分かれ、たまに廊下で見かけてもいつも彼女と一緒だったから声も掛けずにいた晧が、ごく自然に紗夜の隣に座る。いつもの晧の香水が、ほのかに薫った。

「本当、久しぶりだね。今日は彼女と一緒じゃないの?」

「ん、あぁ、別れたんだ。先月」

 予想外の返事に、紗夜は戸惑った。

「え、そうなの?あんなに仲が良さそうだったのに」

「まぁ、熱量の違いってとこかな。進路の話からそれが露呈して、修復不可能、みたいな?」

「あぁ、そのパターンかぁ。この時期どうしても多いよね…」

 かく言う紗夜も、同じような理由で1年近く付き合った彼と秋に別れていた。

「今は受験、頑張るしかないね」

「だな」


 それから2人は、しばらくの間それぞれの勉強に集中した。

 下校時刻を知らせるチャイムに、帰り支度を進めていると、晧が言った。

「コンビニ寄ってこうぜ」

 紗夜も笑顔で応える。

「いいよ。お腹空いちゃった」


 コンビニで肉まんを買い、2人してかぶりつく。

 白い湯気が舞う。2人の吐く息も白い。冷えた指先に、肉まんの温かさが染みた。


「去年、よくこうして一緒に帰ったよな」

 真っ直ぐ前を見つめたまま、晧が言う。

 澄んだ藍色の空には、ちらほらと星が輝き出していた。


「そうだね。去年の今頃は、前カレと付き合う前だったからなぁ」

「オレも、フリーだったしな」

「前カノ、3年になってからだっけ?付き合ったの」

「そ。受験だからそんなに構えないけど、それでもいいっつったから」

 背が高く、容姿も整った晧は、昔からよくモテた。いつも誰かに告白されては、タイミングが合えば付き合い、別れるを繰り返していたと思う。


 それでも紗夜との友人関係が切れなかったのは、お互いに一緒にいる時間に心地良さを感じていたのだろう。


「紗夜は、前カレのこと、好きだったの?」

 唐突に、晧が問いかけた。

 そんなことを聞かれたこともなかったから、紗夜はやや面食らいながらも、少し考えて真面目に答えた。

「それは…それなりに好きだったと思うよ」

「それなりって、思うってなんだよ」

 晧が破顔する。

「うーん、告白されて付き合ったけど、やっぱり温度差が埋められなかったのかも。好きになろうとはしたし、実際なれたと思うけど、相手の気持ちには追いつけなかった、みたいな感じ」

「そっか」


 並んで歩く2人の間に、しばしの沈黙が流れた。


 風にのって、再び晧の香水の香りが漂う。

「この香水、私が1年の誕生日にあげたやつだよね?ずっと使ってくれてるんだね」

「うん。紗夜もだよな。その香り、オレがあげたやつ」

「そう。気に入ってるんだ、これ」

 手首に僅かに残る香りを確かめるように、紗夜は鼻先に手首をもっていった。その手を、晧が掴む。

 そのまま自分の鼻先に近付け、くん、と鼻を鳴らす。

「やっぱ、この香り紗夜にぴったり。紗夜じゃない子がこれつけてても、なんか違うんだよな」

 握られた手の指先と、顔がかあっと熱くなるのを感じる。

「そ…う?ありがと」

 それだけ返すのが精一杯だった。なんで晧相手に、こんなことになってるんだろう?

 混乱しながら少し早足になる。2人の家への岐路が近付いていた。



「紗夜、オレさ…」

 少しの沈黙の後、晧が切り出した。

「うん」

「──あー、紗夜は東京の大学受けるんだよな?」

 晧は、言おうとした何かを飲み込んだように見えた。だが、紗夜もそれには触れずに答える。

「そう。晧は?晧もだったよね?」

「うん、オレも。お互い、合格できるといいな」

「そうだね。あと少し、頑張ろ」

「おう」


 2人はそのまま、分かれ道で手を振り、それぞれの家路についた。


 その後、お互い第一志望の東京の大学に無事合格し、卒業式には「向こうでも会おうね」と笑顔で別れた。

 けれど、それぞれに忙しい生活を送る中、大学時代に2人が会うことはなかった。

 このまま、もう会えないのかもしれないと思っていた。



「こんなところで会うなんてな。仕事か?」

 5年間も会わなかったことを感じさせないほど、昔と変わらない晧の笑顔。

──いや、笑い方が変わらないだけで、雰囲気は随分大人になった。


「そう。今度ここの担当になって」

「マジか。紗夜の会社って、丸藤物産?」

「うん。晧の部署はもしかして…」

「営業二課。丸藤の担当、オレ。よろしく」

「こんなこと、あるんだねー。信じられない」

「オレも信じられない。あ、会議室取ってあるから行こうぜ」

「はい。よろしくお願いします」

「ふ。よろしくお願いします」

 受付の人に頭を下げ、2人並んでエレベーターに乗る。またも、奇妙な縁を感じていた。


 打ち合わせを終えた2人は、晧の行きつけの店で飲むことになった。

 お洒落なのに気取らない雰囲気のカジュアルなバーのカウンターに陣取り、グラスを合わせ乾杯する。

「晧、いいお店知ってるね。大人になっちゃって」

「同い歳だろ。──そういや、飲める歳になってから会うの、初めてだな」


 美味しい料理とお酒に、話が弾む。

 お互いの大学時代の話や、会社の話、恋人の話…。話題が尽きることはなく、気が付けば終電の時間は過ぎていた。


「オレんち、近いから泊ってけば?」

「えぇー、いくら今お互いフリーでも、それはちょっと」

「じゃ、タクシー拾えるとこまで、ちょっと歩こうぜ」


 酔って火照った頬を撫でる夜風が心地良い。ほんのり漂う変わらない晧の香り。

「この香り、懐かしい。今日ね、受付でこの香りがして、振り返ったら晧だった」

「紗夜こそ。変わらない香りで、一気に昔に引き戻された」

「うん。他の香水は、なんか、違うんだよね…」

「そう。なんか、違うんだよ」


 突然、晧が立ち止まって、紗夜の腕を掴む。


「他のやつじゃ、違うんだよ。紗夜との関係を壊したくなかったから、あの時何も言えなかったけど」

「あの時…?」

「高3の冬。言わなかったこと、後悔した。まさか、卒業してからずっと会えなくなるなんて、思ってなかったから。紗夜はずっとオレの心の中にいて、どんなやつと付き合っても、消えてくれなかった。今日、同じ香りをさせた紗夜に会って、はっきりわかった。やっぱオレ、紗夜が好きだ」


──ずっと、自分に言い聞かせてきた。一番好きな人は、付き合ってる彼氏なんだって。

 だから晧は友達なんだ、って。二番目に好きな人なんだ、って。

 そして、私も晧にとって二番目でいられたら、それでいいと思ってた。


 だって、晧が一番って自覚してしまったら、苦しくて一緒にいられなくなってしまう。他の女の子と一緒に歩く晧に、笑顔が向けられなくなってしまう。

 そうしたら、友達ですら、いられなくなる。

 晧 の二番目でいられたら、きっとずっと一緒にいられる。この関係を崩してしまったら、2人でいられる時間が終わってしまう。


――だけど。

 臆病だったせいで、勇気が出せなかったせいで。私は5年も、晧との時間を失った。


 ぐいっと腕を引かれて、ぎゅっと抱きすくめられる。硬い胸板に頬が押し当てられると、心臓の音が近くてどぎまぎした。

 自分と同じくらい速い晧の鼓動に、少し安心する。どきどきしているのは、私だけじゃない。

「紗夜は?同じ気持ちってことでいい?」

「うん。同じ。私も晧が好き。ずっと前から」

「──よかった。これからは、いつでも会えるよな」


 紗夜を抱きしめる晧の腕に、さらに力が籠る。


「うん。いつでも会える」

 気がつけば、涙が頬をつたっていた。


 ずっと忘れられなかったお互いの香りが混じり合う。

 臆病な2人が、やっと踏み出した一歩。


 これからは、一番好きな人と一緒にいられるんだ。

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