ホワイトレディの治療術

神無月もなか

第一話 ホワイトレディは依頼される

1-1

「――お、おい、どうしたんだ? 大丈夫か?」

「マスター、今日のロッティちゃんどうしたの? 具合悪そうじゃない?」

「さっきまでは平気そうだったんだが……。本当にどうした? 大丈夫なのか?」


 ざわざわ、がやがや。賑やかな喧騒が空気を震わせている。

 それに混じり、不安と心配の気配に満ちた声が聞こえた瞬間、シュユ・エデンガーデン・ルミナバウムの視線は自然とそちらに向いた。

 会話が聞こえてきた方角は、ちょうどシュユが利用しているカフェからだ。


 現在、シュユが座っているオープンテラス席から見て、店内とテラス席を繋ぐ出入り口の近くに数人の人だかりができている。人に遮られているためわかりにくいが、目をこらせばふわふわした毛並みの獣の前足がちらりと見えた。

 滞在先となる宿をどうするか考えることも、この町に滞在している間はどう過ごすのか考えることも忘れ、シュユは勢いよく立ち上がる。

 そして、迷いのない足取りでカフェにできている人だかりへ向かった。


「すみません、どうかなさいましたか?」


 シュユがそう声をかけた瞬間、その場にいる人々の目線が一斉にこちらへ向けられた。

 そのうちの一人は、このカフェを取りまとめているマスターだ。シュユが店へやってきた際に見せてくれた笑顔はどこへやら、眉尻を下げてひどく不安そうな顔をしている。

 彼のすぐ傍にはぐったりとした様子で床に伏せ、苦しげに呼吸を繰り返している幻獣――妖精犬がいた。


「え? あ、ああ……すみません、お客様。その、うちの相棒がどうも具合が悪いみたいで……」

「……失礼します」


 戸惑いながらも、不安と心配を滲ませた声でマスターが答える。

 彼の言葉に耳を傾けたのち、シュユは素早く片膝をついて座り、妖精犬の口元に耳を寄せた。

 苦しげな息遣いの中に、ぜーぜーと嫌な呼吸音もする。時折だが咳き込む様子もあった。

 次に、妖精犬の身体に触れる。ふわふわした被毛の感触がまず最初に伝わり、次に少し高めに感じられる体温が伝わってきた。

 最後に、妖精犬の唇を指先でめくり、歯茎の状態も確認する。……ピンク色。青白く変色していない。

 ほ、とわずかに安堵したかのように、シュユの唇から浅く吐息がこぼれた。


「この子に何らかの持病はありますか?」

「え? い、いえ。ロッティは特にそういうのはありませんが……」

「では、何かを誤嚥したと思われる様子は?」

「そういうのもありませんでした。あ、けど、最近なんかすぐに疲れてるようだなとは思ったことがありますが……」

「……なるほど」


 確認した症状と、マスターから聞いた妖精犬の状態を脳内に一つずつ書き留める。

 それらの情報を材料に心当たりがある病名を脳内で導き出し、唇を真横に引き結んだ。

 真剣な表情を見せたシュユの様子に、カフェのマスターが心配と不安がないまぜになった顔をした。


「……あ、あの……お客さん、うちのロッティ、大丈夫なんですか?」


 マスターの声が不安に揺れる。

 ちらりと横目で彼のほうを見たのち、シュユは口を開いた。


「肺炎です」


 病名を告げた途端、マスターが大きく目を見開いた。

 まるで、信じられないことを聞いたかのように。


「……ですが、幸いチアノーゼ……酸素が十分に行き渡っていないサインは出ていません。まだ重篤化はしていないようなので、早いうちに処置をしたいのですが、よろしいですか?」

「……! ぜ、ぜひお願いします!」


 マスターの了承を得た瞬間、シュユの手が動いた。

 指先で数回床を叩く。軽やかな音がわずかに空気を震わせた瞬間、シュユの足元に落ちていた影が不自然に伸び、トランクケースを加えた一匹の幻獣が飛び出してきた。


「うわっ!?」

「な、何!?」


 驚愕や戸惑いの声があがる中、シュユだけが落ち着いた様子で幻獣からトランクケースを受け取っていた。


「ありがとうございます、メディレニア」

「いい。気にするな」


 感謝を口にしたシュユに対し、幻獣は青年の声で短く返事をすると、首を左右に振った。

 白銀の被毛を持った幻獣である。姿形は大きな狼のように見えるが、額にユニコーンを思わせる一本角が生えている。被毛からは少し動くたびに細やかな光の粒子がこぼれ落ちており、幻獣を美しく輝かせていた。


 一角狼いっかくろうと呼ばれるその幻獣を優しく撫でると、シュユは受け取ったトランクケースを床に置き、片手でケースを素早く開けた。

 さまざまな薬や治療道具が所狭しと詰められたトランクケースを目にした瞬間、カフェのマスターがはっと目を見開く。

 長いミルクティー色の髪をした年頃の少女、一角狼、そして治療道具が詰められたトランクケースに白を基調とした衣服――これらの特徴を脳内で組み合わせたとき、ぴんとくるものがあったのだ。


「あの……あなた様は、もしかして……」


 おそるおそるといった様子で、マスターが声をかけてくる。

 シュユはきょとんとした顔で彼の顔を見たが、すぐにふわりと笑みを浮かべてみせた。

 不安や心配、驚愕――さまざまな感情で揺れる彼を少しでも安心させるため、柔らかく。


「もしかして、どこかでわたしたちの名前を耳にしましたか? もしそうであるならば、少し照れてしまいますね」


 そんな言葉を挟んで、トランクケースに詰められた数々の薬から一つ選んで手に取る。

 処置を進める手を止めることはなく、けれど穏やかな笑みと口調は崩さずに、シュユは片手を自身の胸に当てた。


「では、改めまして。わたしはシュユ・エデンガーデン・ルミナバウム。ルミナバウム領からこの地へやってまいりました。相棒の一角狼、メディレニアとともに流れの幻療士げんりょうしをしております」


 シュユが名乗った瞬間、マスターの目にわずかな希望が煌めいた。


「もしかして……あなたが、噂の『ホワイトレディ』……!?」


 マスターの唇から出た単語を耳に、シュユは少しだけ浮かべていた笑みを苦笑に変えた。

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