第3話 信じられると、ようやく思えたのに…… その3

お付き合い初めてすぐのカフェデートが、川越の日からちょうど1週間後の日曜。

 場所は、紅茶と昔ながらのパンケーキが人気だと、樹さんが教えてくれた喫茶店。

 本当は樹さんからは土曜日はどうかと提案されたが、私は断固として拒否した。どうしても土曜日はやりたいことがあったから。

「その服……」

「え……?」

「良いよ、すごく」

「あ……ありがとうございます」

 樹さんが、私の今の姿を見て、褒めてくれたことが、社交辞令だとしても嬉しかった。何故なら、この姿を作るのに、ゲームの課金用に貯めていた貯金10万円近くと、土曜日の私の体力気力の全てを注ぎ込んだから。。

 今までは「樹さんのことは恋愛対象にしない、ならない、勘違いすんなよ」がモットーだったので、わざわざでろんでろんになった服ばかり着るようにしていた。

 だがしかし、彼氏彼女として会う関係性の場合、それが許されなくなることは分かっていた。とは言え、今まで通りECサイトで服を買うのも憚られた。写真というものは加工ができて、実物よりずっと良く見せることができるものということを、私自身が知っているからだ。

 だから、土曜日に貯金を持って色々試すことにしたいと思った。普段行くようなショッピングセンターではなく、高級なデパートに行ってみた。わざわざ電車を乗り継いで。

 恥を忍んでお店のお姉さんに着痩せする服を選んでもらい、コスメカウンターでは化粧の仕方も習った。

 さらに、その日の最後には、高級エステの体験にも予約して行ってみた。

 細くて綺麗なお姉さんに自分の裸体を晒すのが地獄すぎて辛かったので、もう少し痩せてからにすれば良かったと後悔しっぱなしだった。最後にウン十万するコースにも勧誘されたが、そこは羞恥心もあったので、うまく逃げ切ることができた。ただ、改めて実感させられてしまった。綺麗になるということは、これだけ時間もお金も必要なのだということを。

 そんなこんなで、どうにか作り込んだ姿で日曜日に会うことができ、かつ樹さんに「良い」と褒めてもらえたので、どうにか安心した。

 ただ、困ったことに樹さんはそれだけでは終わらせてくれなかった。

「せっかくなので、その姿でどこか外を歩きますか?」

「外を歩くって……どこを?」

「君が行きたいところであれば、どこでも」

 私は、とても困ってしまった。

 必要であれば外出はする。でも、極力引きこもっていたい。誰の目にも、自分を触れさせたくないと思っているから。

 そしてそれは、こうして樹さんと一緒に楽しい話をしている今も、例外ではない。

 さっきから、こちらをチラチラと何人かに見られている。理由は間違いなく樹さんだろう。

「すごいイケメンがいる」

「ラッキー」

 まず、彼女達は色めき立つ。樹さんの存在にはそれだけのパワーがあるのだ。それからすぐ、女の子たちは、側にいる私を見てから、嫌悪感を隠さず私を睨みつける。「どうしてあんな奴が」と言いたげな視線を、痛いほど感じる。

 たかだか20人もいないカフェの中で、これだけ気になってしまうのだから、これで樹さんを連れて、人気のデートスポットに行ってしまったら、ぞっとする。たくさんの視線に耐えられるほど、残念ながら自分の心はやはり、強くは無い。

 だから言ってしまったのだ。

「外よりはまだ家の方が……」

 他人の視線が一切入ってこない自宅デートの方が、ずっとハードルが低い。私は本気でそう思っていたのだ。ところが。樹さんが急に顔を真っ赤にした。

「それ、本気?」

「あの……樹さん?」

 樹さんは、口元に手を当てて、狼狽えた様子だった。

「ど、どうしたんですか?樹さん。体調悪くなったなら、今日はもうお開きに」

「いえ、そうじゃなくて……」

「え?」

「つまり……家の方がと言うことは……」

「え?」

「つまり……そういうこと……?」

「そういう……こととは?」

 樹さんが、宙を見ながら目線だけキョロキョロさせている。

 何をそんなに心配しているんだろうかと一瞬考えたが、樹さんのあまりの狼狽えっぷりと、脳内に微かに残っていた少女漫画の知識のおかげで、自分が発した言葉の意味にようやく気づいた。

「あ、あの樹さん!そ、そんなつもりは……」

 確かに、男女交際の中に体の関係を持つことが含まれていることは、私でも知っている。

知識として。だけど、まさか自分が誰かとそういう関係になるなんて思ってなかったので、完全に頭から抜けてしまっていた。それこそ子供の頃、近所の友人に

「新しいゲーム買ったから一緒に家でやってかない?」

と誘うノリだったのだ。

 それから、お互い無言になり、お茶を啜っているだけの時間だけが過ぎていく。

 言葉は無意識に言ってはいけないということを教訓にしようと、私が決意した時に、樹さんがぼそりとつぶやいた。

「……いつなら……?」

 その真剣な声からは「ゲームをしに行きたい」というノリは感じられなかった。断る勇気もなかった私は、小さく頷くしかできなかった。

それから、気がつけば、お付き合いを始めて1ヶ月目を、私の部屋で祝おうということになっていた。

 どうして樹さんの部屋にしなかったのか、という理由だけはよく覚えている。

 開業した病院の2階が樹さんの家になっていて、よく看護師の人が勉強も兼ねて入り浸っているから、とのことだった。

「すごく勉強熱心なんですね」

「うーん……そうだな……」

 私の質問に、樹さんは歯切れが悪い返事をした。

 これは、深入りするべきじゃない。私はすぐに察した。なのでこれ以上は聞くのをやめた。

 何かを隠そうとする人に首を突っ込むと、ろくなことがない。秘密は秘密のままが丁度いい。これは、私がこれまで約40年ぽっち生きてきた中で培って来た、心穏やかに生きるための手法だから。

 そんなこんなで、あっという間に秘密基地のような、私のカオス部屋での家デートというものが、3週間後に確定してしまった。

「楽しみだ」

 と言ってくれた樹さんには大変申し訳ないが、カオス部屋をどうましにするか、ということしか考えられなかった。

 それから3週間は、「家デート攻略法」という検索ワードで見つかった記事や、断捨離方法を解説している動画を見ながら、試行錯誤し続けた。

 その結果、汚部屋改造はお家デートの2日前の夜、無事終わらせることができた。

 だが、労働の後のホットココアを嗜みながら、ほっと一息ついた、そのタイミングで私は、気づいてしまった。お家デートでするべきことに。

 どうして、それをすっかりと忘れていた自分!と、頭のToDOリストの最優先事項が「部屋片付け」しか書いていなかった自分を思いっきり殴った。グーで。

 お家デートは日曜日。時間は、正午を過ぎた頃。この曜日と時間を指定したのは、樹さんだった。

「次の日は平日だし……」

 と、樹さんが説明してくれていた。都合の良いように解釈するならば、この日はそういう関係にするつもりはない、という樹さんの意思表示だろう。

 私は勇気を振り絞り、今まで避けていた全面鏡の前に立って、自分を客観的に見てみることにした。

「……ま、まずい……」

 ムダ毛は生え放題。肌はボロボロ。顔も浮腫だらけ。肉の量は言わずもがな。そういうことを意識した自分磨きは、一切していなかった。

「ははは……考えすぎ……だよね……」

 そんな関係に、すぐなることはないだろう。

 だけど、万が一、そういう空気になったとしたら?

 期待をしているわけではない。あくまでも、リスクヘッジ。私は誰も聞いていない言い訳をしながら、昔買ったダイエット本を、引っ張り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る