第2話 初めて選びたいと思ったのは、君だけだった その4

「……ない……か……」

 その日の夜のこと。いつもなら電源を切って書斎のデスクにしまっておくスマホを、わざわざ今日は寝室まで持ってきていた。寝る前のスマホは睡眠の質の確保の観点からも良くないと、分かっているのに。

 俺は、つい数時間前に手に入れた優花の連絡先を表示してしまう。何度も、繰り返し。

 やはり、俺から送るべきだろうか。

 次の喫茶店の約束は、どうにか手に入れることができた。だがそれだけでは、何となく物足りない。自然に話がしたかった。

 けれども俺は、目的もないのに話をするということを、本当に長い間していなかった。そのため、話しかける方法がそもそもわからなかった。

 いっそ、このまま喫茶店に行く約束の日まで待つべきか。そんなことを、何度も考えている内に、段々と瞼が重くなっていき——。

 ピピピピピ。

「ん……?」

 スマホからアラームが鳴り響いていた。液晶画面には6:00の表示。

「いつの間に、眠ってしまっていたのか……」

 中途半端に眠ってしまったせいか、酷く体が重かった。

 だが、もう1度スマホの液晶を見てからすぐ、そんな体の不調が吹っ飛んでいった。

 優花からのメッセージが届いていた。送られていたのは、深夜3時。

『昨日はありがとうございました。話をしていた喫茶店の情報を送ります。よろしくご査収ください』

 たった3行の事務的な文章と、喫茶店のWEBサイトのURLだけ。スタンプの1つも押されていない。でも、俺はたった3行の簡素なメッセージが彼女から届いたという事実に心が踊った。

 けれどその後すぐ、大きな壁にぶつかった。

「どう返事をすればいいのだろう」

 今までなら、特に考えずお辞儀をしているスタンプ1つを押して済ませていた。そういったスタンプは、これまでは意識的に押していた。もう、これ以上会話を続ける意思はない、と示すために。

 でも、今回その手は使いたくない。このままお辞儀のスタンプを押すだけで済ませるだけは、嫌だと思った。

 かと言っても、この流れで「いつにしましょうか?」と送るのも、急すぎるのではないかと、迷った。

 実際、かつて俺が女性達から誘いを受けた時は、興味がないという理由で既読無視をしていたから。

 まずは、会話を続かせたい。そのために何か、良いスタンプがないか、と自分のスマホのデータをくまなく探してみた。

 優花は、可愛いものが好きだということは、彼女のSNSの画面を見せてもらったお陰で察しはついた。

 そうであれば、可愛いスタンプを送れば、もしかすると会話を続けてくれるのでは、という甘い期待が膨らんだ。

 その仮説だけで、後先考えずに送ったのが、勧められて購入をした「ありがとだぴょん」

という吹き出しがついた、うさぎのスタンプだった。

 本当に返事が返ってくるだろうか。その日の午前中は、ほとんど仕事が手につかなかった。

「本当に氷室さんですか?」

 そのため、お昼休憩時に既読無視されずに何かしらの返事が返ってきたことがまず、嬉しかった。予定していた形ではなかったが。

 こうして始まった優花との交流は、俺にとって初めてのことだらけだった。

 何も考えずに会話が続いたこともなかったし、誰かと一緒にいることで気持ちが楽になったこともなかった。

 例えば、メッセージのやり取り。これまではどんな返信をすれば、やり取りを終わらせることができるかばかりを考えていた。それは、まるで将棋やチェスをしているように二歩先、三歩以上先を考えるゲームのように、言葉を組み立てていたのだ。

 女性と二人きりで会うというシチュエーションでも、今までとは違うと思っていた。これまで会った女性達は一目で高級ブランドと分かるものを、これ見よがしに身につけて、俺の横に立とうとしてきた。彼女達が外見を造れば造るほど、俺もまた、同じレベルで造るように言葉のない圧力を、女性達から感じることも少なくなかった。

「ねえ、あなたの隣に相応しいのは私よ」

「だからあなたも、私に相応しい人になってね」

 彼女達は自分の理想の関係性を俺に求め、俺に支配されたがるフリをして、俺を支配しようとしていた。


 だからだろう。俺にとっては、女性と何かを一緒にすることは、自分をロボットのように改造し、防御をする必要があるものだったのだ。

 だけど優花は違った。

 彼女とのメッセージは、頻度も内容も温度感が心地よかった。送りすぎず、受け取りすぎず、ちょうど良いやり取り。しかし、心の中では、あと1回だけ、あともうちょっとだけ、とメッセージのおかわりを求めるばかりいた。

 彼女とカフェで会った時もそうだった。彼女が自然体でいてくれたおかげで俺も気楽な気持ちでいることができた。

普段だったら、この話が出たらタイミングよく会話を打ち切って帰宅を促そう、など予め決めていく。けれど、彼女と会っている時は、そんな考えにはならなかった。それどころか、このまま返すのが惜しかった。

 もっと長引かせたい、帰りたいと言わせたくないと、必死になった。

 他人といるということは、俺にとっては間違いなくストレスフルなこと。だから、ありのままの自分で人のそばにいることが、こんなに楽だなんて知らなかった。

 彼女を、手放したくない。こんな欲が芽生えるのに、ほとんど時間はかからなかった。

 最初のカフェデートの日に、優花は言った。

「彼氏はいたことがないから、男性と二人でいる時のマナーがわからず……申し訳ないです」

 俺は、それが嬉しかった。初めての男が俺でありたいと、熱が身体中に広がった。でも、どうすれば彼女の初めての男になれるのかという、難題が同時に降りかかってきた。

 これまで俺が関わってきた女性であれば、恋愛関係に関する何かしらのワードを自分たちから匂わせてきた。

「ねえ、彼女にするならどんなタイプ?」

「恋人とも、こんな風に過ごすの?」

 このように、間接的に聞いてくるケースが多かった。中には

「私が恋人になるって考えたことないの?」

 などと、直接的に聞いてくる女性もいた。

 こういう場合は、相手の自分への気持ちが明らかなので、どうこの好意を無くしてもらおうかを考えるだけで済んだ。

 だが、優花は一向に、そういう匂わせはしてこない。それにメッセージでのやり取りでも、すでに分かってはいたのだが、優花は傾聴が上手い。ただ頷くだけではない。良いタイミングで頷いたり、欲しいと思う返答を返してくれる。だからなのだろう。彼女との会話はとても気持ちが良い。

 会話の内容は、俺の好きな映画や本の話が中心。話しやすい内容だったからとも言えるかもしれない。だけどそれだけではないのだ。優花の返答を聞くのもまた、心地よい。もっと俺は話題を作ろうと頭を捻る。彼女の声を、言葉を受け止める。このキャッチボールを、もし許されるならずっと続けたいと思うほど、俺はこの時間を楽しんでいたのだ。

 だからこそ、俺は焦りもした。

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