第2話 初めて選びたいと思ったのは、君だけだった その1

 彼女は、いつも何かに怯えていた。初めて会った時から。

 他人はつまらないと切り捨てた俺の話を真剣に受け止めてくれたのは、彼女だけ。

 だから俺は、心に壁を作ることなく、素直に色んな事を話すことができた。

 こんなことは、初めてだった。40年も、生きていたというのに。

 人は、俺に完璧を求め続ける。言葉も、態度も、仕草ですら、俺に選択の間違いは1つも許してくれなかった。血が繋がった人間でさえも、俺の選択に、1つでもミスがあったら、皆が俺を徹底的に攻撃した。まるで、鬼の首でも取ったかのように。

 優花。すまない。俺はまだ、君に話せないことが、たくさんある。

 いつか、話さないといけないことだと、分かっている。

 俺が抱えているたった1つの秘密が、君を傷つけるかも知れないことも。

 それでも俺は、もう君を手放したくない。君を、選びたいんだ。

 だから、お願いだ。

「釣り合わない」

 そんな他人の言葉で、俺を君の世界から排除しないで欲しい。俺に、君を選ばせて欲しいし、君に俺を選んで欲しいと、強く思っている。

 俺と君は、間違いなく平等。君が怯えるのと同じように、俺だって怯えている。

 君に、選ばれないかもしれないと考えない日はないのだから。


 アルコールの臭いが充満した、白い床と壁、そして機械に数えきれない医療用備品に囲まれている俺は、かつて青い戦闘服に身を包み、生と死の間にいる人間の体を受け入れていた。

 食事をする時間などは皆無。日々、次から次へと患者が押し寄せてくる。

「お願いします!!!」

 あの日も、ストレッチャーに乗せられた、血だらけの患者がやってきた。5歳の

男の子だった。

 彼は、頭に大きな怪我を負っており、顔は血で染められていた。

 意識はなく、心肺も停止状態。心臓マッサージを繰り返しても、機械は無常にも鼓動が戻らないことを伝えてきた。すでに、顎部分に硬直も始まっていた。

 これは、もうダメだ。このタイミングで、蘇生を諦めるという選択をした。

 その選択は、客観的には正しい。

 その場にいた、医学に精通している者なら誰でも同じ判断をした。

 だけど、患者の家族にとって、俺の選択は最悪の間違い。

 かつての俺は、大病院の救命救急センターの中心として働いていた。冷静にジャッジして、その場で最善を尽くし続けていたつもりだった。

 だけどある日、俺は急に体が動かなくなった。きっかけは、この男児の死を決めた日。

「どうして助けてくれなかったんですか!」

「先生のせいでこの子が死んだんです!」

 俺の選択は、生と死に直結する。

 正しかろうが、間違っていようが、重くのしかかる選択の重み。

 俺はいつしか、その重みに耐えきれなくなり、選択をすることから逃げた。選択そのものが怖くなった。

 あの日のことは、何度も繰り返し夢に見てしまう。毎日、欠かすことなく。

 もう何度この男児の死を見させられただろう。何度、この親に責められただろう。

 かつての俺は、そんな声すら気にも止めなかったはずだったのに。



——ピピピピ。

どこからか目覚めのアラームが聞こえる。気づけば、生活感溢れる寝室で意識が戻る。俺は、毎日アラームを止めながらスマホを確認する。今生きている時間軸が、夢の時間軸よりもだいぶ先にいることを確認する。汗だくになった体を無理やり叩き起こすためにシャワーへ向かう。

これが、今の俺の繰り返される日常。今日も、明日も明後日も、この日常が繰り返されるはずだと、どこか諦めていた。

そんな日常を救ってくれる存在と、この後出会うとも知らずに。

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