第1話 人生最後のデートだと思っていたのに その2

 それから、また電話待ちの日々が始まった。新卒1ヶ月に、派遣事務3ヶ月の私に良い案件というのは振ってこない。

 ふと、ある日思ってしまった。たった3ヶ月だけ働いた、あの会社に行ってみようと……。

 あの優しかった社員の人達はどうしてるんだろうと、気になったから。連絡先を交換しておけば良かった、と思えるくらい仲良くなった、年が近い人もいたから。

 偶然を装ってお昼頃行けば、もしかしたらランチを一緒にできるかもしれない。

 そう思い、久しぶりにあの時期に来たオフィスカジュアルに袖を通した。

 最初はお気に入りだった、ボタンがついたおしゃれなシャツ。でも、サイズが合わなくなっていた。

 仕方がなく、ボタンがない服を選び直す。胸のあたりと肩のあたりが、なんとなくきついな、と思った。

 12時頃に、あの会社の付近まで行った。目的の人達は、すぐに見つかった。いつも一緒に行っていた店に、入って行ったのを見かけたから。

 声をかけようと、思った。けど、すぐやめて、私は建物の陰に隠れた。

 いつもと同じメンバーの中に、1人だけ違う人がいた。すぐ分かった。私の代わりに入った人だと。

 みんな、あの日のように笑っていた。何も変わらず、楽しそうに。そして、かつて3ヶ月だけ私の場所だったところにいた人は、おしゃれなシャツがとても似合う、綺麗な人だった。

 私は悟ってしまった。組織で働けば、おのずと「好き嫌い」の話になる。その判定軸として「見た目」は逃れられないのだと。

 では、どうすれば私は「必要」としてもらえる人間になるのか?

 ダイエットも頑張った。高い化粧水も使ってみた。でも、それだけではまだ、足りなかった。

 もう、私なんかダメなんだろう。人生を諦めそうになった、そんな時。

 偶然見た本が、私に希望の光をくれた。

『これから先は、スキルの時代。絶対的なスキルを持つことで、そのスキルで個人として戦える時代になる』

 そうか。必要とされるスキルを身につければ良いんだ。

 私にしかできない仕事がもしあれば、いつか私を必要としてくれる会社が、人が現れるかもしれない。

 強く決意した私は、派遣会社にまず相談してみることにした。派遣会社の人は、私の話を親身になって聞いてくれた。

「今、こういう仕事の需要がありますよ」

 この相談で、私は気になる仕事を教えてもらった。本当に私でもできるのか、と一瞬疑った。それくらい、とてもカッコいい仕事名。それでいて、自分が楽しめそうな仕事内容だった。

 それこそが、今私が生計を立てている、WEBデザイナーという仕事との最初の出会いだった。

 私は、電話をただ待つだけではなくなった。コツコツとソフトの使い方を覚え、自分でサイトのコーディングも始めた。

 そうしていつしか、自分の成果です、と言えるような作品が1つ、2つと増えていった。

 ただ待っている時とは違う、形が見える充実感が、私の心を慰めてくれた。

 一通りソフトの使い方として、色加工、画像の切り取りなど、基本的な業務を難なくこなせるようになった頃、ようやく1社から話がきた。

 ソフトが使えれば、未経験でも大丈夫という条件だった。

 私は、自分のスキルを証明するために作った、数多くの作品を提出し、その結果、私はこの会社の派遣として採用され、すぐに業務が決まった。自分の努力の成果が認められたことは、素直に嬉しかった。例え、その会社での業務が作業しかなくて、裁量権が一切与えられないものだとしても。周囲がどんなにその会社での待遇に不満を持ったとしても。それでも私は、嬉しかった。平穏な毎日を手に入れるためのコツを、ほんの少し掴んだ気がして。

 20代半ば。大学を卒業してからはだいぶ経った。

 ようやく、友人達の結婚式に呼ばれたときに、ご祝儀を払うことに躊躇わなくなった。唯一躊躇うとしたら、結婚式に参加する時の服装。この時の私は、日々のストレスと夜更かしによってコンディションは最悪。体重も、70キロ直前に迫っていた。

 この時期になると、全く連絡を取っていなかったかつての友人達からの結婚式の招待状が届き始める。

そういうのが積み重なると、つい勘違いしてしまった。私も結婚できる。友人達と同じように、時期が来たら……と。

 派遣とはいえ、職場で男性との出会いが全くないわけではない。行こうと思えば、飲み会にだって行ける。外を歩いて声をかけられる、という可能性も万が一でもあるかもしれない。ただ、今ではないだけ。

 服がLLサイズからMサイズまで落とせば、世界が変わるはず。今は本気を出さなくてもいい時期だ。痩せたら、頑張れば、いい。

 そんな風に思いながら、私は仕事帰りのコンビニで、新作のパンを探すという楽しみをやめられずにいたし、仕事帰りにカフェに寄りケーキを頬張る習慣は止められずにいた。

 仕事が終われば、スキルを磨くために自己研鑽。今は派遣更新はされているが、正社員登用されるまでは安心はできない。ニュースでは派遣切りのニュースも流れていた。その度に、新卒直後の苦い記憶が蘇る。

 だから、スキルで必要とされる人間になろう、と思った。社員様が望む仕事を、誰より正確に、速く、そして美しくこなそう。その為には、脳の栄養をしっかり入れて、夜遅くまで頑張る必要がある。

 今、痩せないのは、私にとっては今その時期じゃないだけ。今、そうすれば、私はいつだってそれなりに好きなケーキを食べられる。最近始めたソーシャルゲームに課金だってできる。かつて諦めていたことは、こうしてスキルを身につけることで諦めずに済むのだから。

 そうして私は20代を、甘いものとソーシャルゲーム、時々の女子会、そして自己研鑽だけで費やした。体重は80キロ台。服は黒か灰色を選ぶようになり、結婚式の招待状には、用事があっていけない謝罪と、代わりの結婚祝いを贈るだけで済ませるようになっていた。

 20代から30代に変わる頃に、派遣先は2回変わった。更新されず。でも派遣先が変わるごとに、どんどんやりがいある仕事にステップアップはできるようになっていた。

 この時期には、大学時代の仲間の中で結婚していないのが私だけになった。

 30歳になって間もなく、私は婚活のイベントに参加してみた。女性は0円で男性は有料。

 気楽に行けるからラッキーと思った。友達と外食に行くような、少しのおしゃれをして出かけてみた。この時は、化粧品も久しぶりに新調して、メイクも自分で頑張った。

 おしゃれをして、仕事以外で外出することは、とても楽しかった。甘い考えだったと、すぐに思い知ったけれど。

 高級ホテルの宴会場を貸し切って行うパーティーで、私はすぐに圧倒されてしまった。

 参加者は全員モデルか女優なのではないか、と思った。男性の容姿やバックグラウンドは様々いたが。

 可愛い人、綺麗な人に男性達は集まっている。まるで、花の蜜を集める蜂のように。

 私が唯一、強制的に男性と話すことが出来たのは、1分自己PRと呼ばれる時間だけ。

「料理が好きです」

「読書が好きです」

「猫を飼うのが好きです」

 周囲の女の子達が言っているセリフを私も真似をして自己PRをしてみたものの、それが無駄だとわかったのはすぐ。

 誰も、私の話なんて聞いていなかったし、誰も真剣に、私には自己PRをしてくれなかった。その人達は、隣の人には生き生きと自分の良さをアピールをしたのに。

 この年になれば、直接「デブ」と言ってくる人は、もういない。

 だが、言葉はなくとも、拒絶する態度もまた、鈍器で殴られたような衝撃を与えるのも事実。

 私は、自己PRの後に楽しみにしていた、ホテルの立食ディナーに参加せず、途中退室をした。受付の人も、私を止めてはくれなかった。

 一方で、私を頼ってくれる男性が増えた。仕事では。そのおかげで、少し昔よりはずっと、人との付き合い方は楽になっていた。

 私は、できる限り彼らの頼みを引き受けた。そうすると、彼らは私をもっと必要としてくれるから。

 でも、私を頼った男性達は、私ではない女性達と付き合い、結婚をしてしまう。

 淡い思いを寄せかけた、1番仲良かった正社員男性につい聞いてみたことがあった。

「どうしてその人と結婚するの?」

「彼女が、俺を頼ってくれるのが嬉しくて」

 皮肉だと思った。人に必要とされないと、仕事は手に入らない。仕事がないと生きていけない。だから努力をしたというのに。

 男性に頼ってみることを実践しようと思ったことはあった。

 その結果はすぐに別の形で出た。

 私は、WEBデザイナーという専門職の派遣を始めてから初めて、契約を更新されないという事態になった。

理由は

「分からないことをすぐに聞いてくる程無能だから」

だそうだ。

 一度、婚活パーティーに参加して分かった。

『婚活をしたければ、まず痩せろ。そうしないとスタート地点にも立てない』

 だったら、痩せてからまた頑張ろう。そう思って、私はまず簡単に痩せると言われるキャベツダイエットから始めることにした。

 スタート体重は、83キロ。まずは80キロを切るところから。希望を胸に、大量のキャベツを買い漁った。

 朝、昼、夜、とにかくキャベツだけ。ドレッシングは禁止で、塩少々とレモン汁だけで味付け。日で3キロ一気に落ちた。

 すぐに目標をクリアできたので、このまま頑張れば次60キロ台もすぐに目指せると思い、またキャベツダイエットを始めようと思った。

 ところがこの時期、私は仕事で小さなミスをするようになった。WEBデザイナーは細かい修正が肝の、集中力を要求される仕事。それにも関わらず、私は常に甘いケーキのことばかり、頭を占めるようになった。もちろん、正社員の人には心配をされた。怒られもしたが。

 このままでは、仕事で必要とされなくなるかもしれない。それは嫌だった。

「頭に糖分がいっていないから、ミスをするんだ……」

 こんなことを1度思ってしまったら最後。ちょっとだけ。ほんのちょこっとのチョコだけ。そう頭に念じながらコンビニに走ってしまった。

 気がついた時には、大量のお菓子を買って、封を全部開けていた。体重はたった半日で元に戻った。

 それからが地獄の始まり。

 痩せてはリバウンドする。そんな状況が数年間繰り返された。

 その結果、とうとう食事制限をしても簡単に痩せなくなった。

 私は、失敗がずっと続いてまで同じことを繰り返せる程、心が強い人間ではなかった。年齢はあっという間に39歳を迎え、仕事では派遣とはいえ、ベテランと呼んでもらえるようになった。

 私の周囲にいる独身の男性は、20代の男の子ばかりになっていたので、完全に恋愛対象外になっていた。

 現在体重88キロ。年齢39歳。

 派遣とは言え、安定した収入もあるし、副業もしているので貯金はまあまあある。

 最近ではソーシャルゲームで疑似恋愛体験も楽しめるようになり、推しに少し貢ぐという楽しさも覚えた。

 念願の一人暮らしを叶え、自由気ままにインテリアを変えたり、好きなものに囲まれるおひとり様を楽しんでいる。

 WEBデザイナーのスキルアップも、最初は努力だと思っていたが、今では趣味だと自信を持っていえるくらい、楽しめるようになった。

 苦しい思いをしてまで恋をするくらいなら、この自分で築き上げた生活を存分に楽しみ、老後はちょっと良い老人ホームにお世話になろう。そのために、これから人生設計をしていこうと、考えていた。

 そんな決意をした私が今いるのは、六本木にある有名な高級タワーマンションのエントランス前。

 現在の時刻は14時15分。待ち合わせ予定時刻は14時。相手は佐野さん。

「パーティーに行かない?」

 それがあの、チャットツールでの誘いだった。

「差出人間違えていらっしゃいませんか?」

「とんでもない。間違いなく、森山さんに話しかけてるわよ」

「そうですか」

「文字だからって、もう少し人間味がある話し方をした方がいいわよ」

 何故か佐野さんからアドバイスをされる。業務で使うチャットツールで人間味もないだろう、と思ったが、私は角を立てたくなかった。

「ご指導ありがとうございます」

 数分の沈黙が続いた。

 これだけで終わりだろうかと考え、与えられた業務に戻ろうとしたその時、また佐野さんからメッセージが送られてきた。ある場所の地図と共に。

「どうしても森山さんといっしょじゃないと嫌なの。来週の日曜日の14時に、この場所に来て欲しい。お願い、森山さん助けて」

 どういう風の吹き回しだろう、と私は疑った。これまで佐野さんが、私に対して「助けて」などと言ってきたことは一度もないから。

 私は色々仮説を立てた。

 例えば、広報用のSNS用写真の撮影要員としてかもしれない。それだったらむしろ、私の方が良いかもしれない。

 佐野さんがこれまで一緒に行った人達は、きっとパーティーを自分も思いっきり楽しみたい人達。実際私のところに加工依頼があったSNS用の写真素材も1〜2枚程度。それも佐野さんが半目になっているなど、佐野さんの容姿をきちんと写そうという気概は見受けられないものばかり。

 きっと今回のお誘いはそれが理由だろう。だから、私でなくてはならないのだろう。華やかな楽しみたいという気持ちは、私にはないのだから。

「承知しました」

 という言葉と共に、念のために

「休日出勤ということでしょうか」

 と聞いてみた。それに対する返答はなく

「日曜日よろしくね」

 としか返ってこなかった。

 それから当日まで、休日出勤に対する回答は得られなかった。本当なら、派遣会社に確認を取らないといけない事案かもしれない。だけど私は、佐野さんから必要とされた、という事実がほんの少し嬉しかった。なので、最後の最後まで行くかどうかは悩んだけれど、最終的には「休日出勤扱いされなくてもいいや」と、行くことを決めた。私の意思で。

 今は7月。ちょっと歩くと汗が噴き出る私にとって、1回の外出が億劫になる時期。今回は佐野さんの機嫌を損ねないようにするのが最大のミッション。

 佐野さんが普段行くようなパーティーにいそうだが、佐野さんよりずっと地味でいられる服装を考えた。選んだのは、かつてオフィス出社をしていた時代に着ていた、灰色のワンピースと黒いカーディガンを羽織ることで、脇汗対策もしやすい。メイクは汗でぐちゃぐちゃになるのだから、リップと眉毛だけしっかり。あとは日焼け止め代わりの B.Bクリーム。髪型はポニーテールを作ってからの、簡単なシニョンにした。こうすれば、汗対策が簡単だから。

 仕事であれば、それで十分だと思っていた。相手を不快にさせなければ良いのだから。

 ところが、そのパーティーは私が想像していたようなものではなく、「婚活パーティー」だった。

 知ったのは、エントランスについてすぐのこと。

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