第24話 秋の雨より温かく

 スマホにはひっきりなしに着信が入ったが、オイスター先生を一時的に着拒して収まった。


 俺はおのが顔をぱんぱんと叩き、それから机に向かう。

 オイスター先生の失策につけこむ。俺はそれを非道だとは思わない。

 なぜなら、これはまだ俺が不利な戦いだからだ。


「さっそく新アカウント立ち上げか……切り替えが速いな」


 チュイッターで確認すると、オイスター先生は急きょ臨時のアカウントを作成していた。


『凍結しちゃった! みんなーぼくをフォローして! おねがいします!』


 その呼びかけとともに新アカウントのフォロワー数が、数十秒ですでに24人に達している。


 絵描きがフォロワー数ゼロから一万に到達するのは難しい。だが、それは実績のない新人の場合だ。

 オイスター先生にはもともと七十万人のフォロワーがいた。

 そして描きためた無数のイラストもある。

 イラストをチュイッター上に放出していくだけで、一万人程度のフォロワーはすぐに戻るはずだ。


 もちろん、あいつもすぐにまた凍りたくはないだろうから、多少投稿の間を空けるだろう。

 

「さてと、やるか」


 俺は液タブのペンを手に取る。


 ネット上の絵の利点は、“物語”をひと目で他人に伝えられることだ。


 文章を読まない人は多い。だが、チュイッター上で流れてきた絵を一瞥することにみんなさほど抵抗はない。

 鑑賞から評価まで一瞬で消費されるのが絵。

 漫画にすると一瞬の消費ではなくなるが、それでも文章よりは圧倒的に読まれる。

 だからチュイッター上で“物語”を伝えたいとき、漫画という形式は強いのだ。


 もちろん、弱点はある。

 ひとつ。漫画は強いが、出力に時間がかかる。

 これは工夫でどうにかするしかない。


 ――タイムリミットまで二日間。

 ――ここからは、一時間で一作描いてやる。


 素材集を使う。コマを減らす。複雑な構図や背景はなし。キャラの手足末端をなるべく書かない。自分の過去作のトレスだってやる。

 これまで培った「速く描くための手抜きの技術」。


 弱点、ふたつめ。漫画は物語として複雑なぶん、ネタを切らせば頭をひねって考える必要がある。

 いわば機関銃ガトリングガン。殺傷力は高いがすぐ弾切れを起こす。


 ――これが、その問題の打開策になる。


「使わせてもらいますよ、緋雨先輩。俺たちのノート」


 俺は机の端に置いたアイデアノートに手を伸ばす。緋雨先輩の部屋から持って返ってきたそれを手に取る。

 さながら、これは弾薬庫だ。


 俺はノートから使えそうなネタをピックアップする。

 即座にそれを漫画のネームに直す。イメージが固まるや清書のために手を動かし始める。


 チュイッター上でフォロワーを、短期間で一気に増やすためには「バズる」必要がある。

 バズる――すなわち大衆に受けて、広く拡散されること。

 「質が高いネタなら必ずバズる」……わけではない。

 はっきり言って何がバズるかなど創り手には読みきれない。


 確実にバズるための戦略はひとつしかない。

 バズるまで描く、だ。

 数撃ちゃいつか当たる。

 だから手の速さとネタの確保が重要なのだ。

 描き、描き、描き、描くしかない。

 投稿してすぐ次の作品にとりかかる。


『細部を妥協してでもつぎつぎ作品を送り出せ。その中のどれかが人気出ればいい』


 ――小説家だったころはいちばん嫌ってたな、そういう創作のやり方。


 描きながら自分の変わりように笑いがこぼれた。自嘲ではなく、ただ単純に面白みを覚えて。


 幼馴染同士が試しに付き合ってみる話を描く。


 意に沿わない結婚だったはずが互いにいろいろ相性が良すぎて別れられない話を描く。


 好きな子に告白するはずが間違えて美人だが厳しい女教師に告白した話を描く。


 男装少女にそうと知らず惹かれる少年が「俺はゲイなのか」と悩む話を描く。


 気がつくと日付が変わりそうになっていた。

 まだ、目立ってバズった漫画はない。どれもぼちぼちの評価。ぼちぼちのフォロワー増加数。

 一日座ったままぶっつづけで作業して、体の節々が凝っている。脳がへとへとだ。


「30分だけ休むか……」


 俺は伸びをして作業を中断した。栄養補給に菓子パンをがっつきながら自分とオイスター先生のアカウントを確認する。


 俺のアカウントのフォロワー数、7032人。

 オイスター先生のアカウント、フォロワー数5493人。


「うわ迫られてる。オイスター先生、かなり戻してきたな……」


 このペースなら明日にはオイスター先生のフォロワー数は一万を超すだろう。

 対して、俺のフォロワー数増加はいまひとつ。いや、これでも急速に伸びているほうなのだが、このペースだと24時間以内に確実に抜かれる。


 ――やはりバズを叩き出すしかない。


 この24時間で勝負が決まる。

 そわそわしてまた机に向かおうとする自分を抑え、布団に倒れ込んで目をつぶる。休息は大事だ。

 ……神経が興奮して眠れない。15分で切り上げて立ち上がる。

 血糖値を高め、目をつぶっていたことで多少の回復にはなった。


 液タブのペンを取る。

 アイデアノートの数行ときには数文字の文章からイメージを膨らませる。


 ――俺は小説家上がりの絵描きだ。

 ――だから文章から映えるイメージを組み立てるのは得意中の得意だ。

 ――ましてやこれは、先輩といっしょに練ったアイデアだ。


 ケモ耳エルフを拾った冒険者が獣人と間違えて首輪をつける話を描く。


 プールで男水着チャレンジしている貧乳後輩を見つけてしまう話を描く。


 結婚の約束をして、くわえた花と花でキスをする子どもたちの話を描く。


 口から卑語しか出てこない奇病にかかった深窓の令嬢を介抱する話を描く。


 眠気はない。過集中で脳が冴えている。いわゆるハイになった状態。

 これまで培った技術のすべてが手とペンに宿り、液タブの画面で踊る。


 パース、アイレベル、遠近法、

 ショットとアングルとフレーミングのカメラワーク

 骨格と脂肪と筋肉の解剖学アナトミー

 コントラポストに重心移動、

 表情とポーズとアクションとリアクション。


 ここにある道は先人が辿った道。

 綺羅星のごとき数多あまたの絵描きたち。

 ストーリーの伝達、エンターテイメントの一要素としての絵を送り出した者たち。

 いのまたむつみや藤島康介、アラン・リーにフランク・フラゼッタにアダム・ヒューズ、しらびやlackや松竜やももこ。


 夜が朝に変わり、朝が昼に変わり……

 ……………………





「十郎くんっ!」


 緋雨先輩の声が背後から聞こえた。

 振り返ると、先輩が部屋の入り口にいた。ひざに手をあてて息を切らして汗をにじませ、こちらをにらみつけている。オフショルダーのブラウスにデニムのロングパンツで、走りやすい服装を選んだのだろうかと思ってしまう。今日は酒は飲んでいないようでよかった。


「あー……先輩、こんばんは」


 もう日が沈んでいた。賭けの刻限まで数時間だ。

 緋雨先輩は歯をくいしばり、ととのった眉を寄せていた。怒るに怒れないが怒りたいという表情。怒り半分、我慢半分。


「もう会わないって言ったのは撤回してくれたんです? そうだったら嬉しいなあ」


「……! き……君は……君はねえ……」


 あ。怒りが八割くらいになった。肩がわなわなしている。


「君がっ……私を呼んだんでしょう! こんな、こんなことになっていると知らせてきて!」


「ちょっといま液タブの前を離れられないんですよね。

 着信拒否まではされてなくて助かりましたよ。おあいこということにしませんか。こないだは俺が呼ばれましたし」


「おちゃらけた態度はやめてっ……なんで!

 なんで私のアイデアをチュイッター漫画にして、しかもそれをバズらせてるのよ!?」


 そう。俺はバズった。

 試行回数二桁を越え、投稿し続けた中から、バズった作品がついに出ていた。

 結局、バズったのは幼馴染もの漫画。ひねりすぎず王道を直球で投げたのが受けた理由かもしれない。

 チュイッターから届く「いいねされました」「RTされました」「~さんがあなたをフォローしました」通知は高速回転じみてきている。


 俺はバズったのを確認するとその場で先輩に電話をかけ、「先輩の考えたネタ、チュイッター上で人気ですよ」と伝えたのだ。


「使っちゃ駄目でしたか? ノートごと渡されたから好きに使えってことかと」


「だ――……駄目、とは言ってないけど!」


 もどかしそうに先輩は言いつのる。


「漫画にするなんて聞いてない……てっきり小説に使うものとばかり、私は……」


「いまの俺は絵描きですよ。そりゃ絵にするに決まってるでしょう」


「そ、そうなんだけど……こんな……予想外なことされたら動揺するじゃない」


 少しずつ先輩の声が弱々しくなっていく。

 ややあって、


「……そうね。使い方にいまさら口を出せるわけないわね。もう君に委ねたんだもの。私には関係ない話だった……好きなようにしてくれればいい」


 寂しげに身を抱きしめ、先輩はそうつぶやいた。

 俺は首をふった。


「先輩のアイデアを俺のものにするつもりはないですよ」


「え?」


「事後承諾になっちゃいますけど、先輩の名前を『原作』として入れさせていただけませんか? 『西仲しずく』のペンネームでもいいですし、他のペンネームを作るならそれでもいい……

 だめならバズった絵ごと消します」


 緋雨先輩があっけにとられたように目を見開く。

 俺は椅子から立ち上がり、先輩に近づく。


「でも消したくはないんですよね。

 考えてたんですけど、これからは漫画作品をいっしょに創りませんか?」


 陳さんが送ってきたメールには、作家をリタイアした創作者たちの「その後」が記されていた。

 ほとんどの人はそのまま筆を捨てて創作の世界から消える。

 けれど一部、残り続ける人たちもいる。

 脚本家、シナリオライター、そして“漫画原案・原作者”。


 固まった先輩の手を取り、かきくどく。


「ラブコメや恋愛系のアイデアをひねり出すのは先輩のほうが得意だったでしょ。俺がひとつ思いつくあいだに先輩は三つも四つも考えてた」


「わ、私は……いまの私はなにもできない……」


「プロットから先は無理でも、アイデアは出力できるんでしょう。

 俺は描くのは速いほうだけど、ネタの量産が追いつかないんです。

 だから先輩がネタ出しをやってくれるなら……補ってくれるなら、助かるんですけど」


 絵は物語を伝えるツールだ。

 伝える役は俺がやる。いまの俺ならそれができる。

 物語そのものを、先輩と創りたい。語って、議論して、はぐくみたい。

 高校のころの、輝く時間のように。

 いいや、あのころを越えて、その先に。


「先輩、ひとまずはそこから始めませんか。ふたりで、書けない状態がいつか治ると信じながら、物語を創りましょうよ。

 だから、あの……俺といっしょに来てくれませんか。

 もう一度、創作の道に」


 俺の手のなかで、細く白い先輩の手がわなないている。

 とりあった手にひたいがつくほど先輩はうつむいている。

 ぽつぽつとそこに、しずくが落ちる。

 それはしだいに量を増して手を濡らしていく。

 秋の雨よりずっと温かく。

 嗚咽が伴奏かなでる、涙の雨滴。




 最終結果。

 日付変更時点。

 俺のフォロワー数、13171名。

 オイスター先生のフォロワー数、12947名。


 誕生日おめでとうの電話を入れたらキレられた。

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