先輩は人格破綻者でサディスト

 身体の自由が利かないと言うのは、なんと不便な事なのだろう。体の一部分が痒かろうと、そこをかきむしることは出来ない。不快感を紛らわせようにも、体は身じろぎぐらいしか出来ない。改めて普段、自由に体を操れることの素晴らしさに気付いた。


 「はーい……グサッと行きますよー」


 「ぐっぁ……がぁぁぁああ!!!」


 「うふふ……必死に歯を食いしばって、本当に可愛い。あなたの顔が苦痛に歪むところ、もっと見せて?」


 普段の幸せに気付いた、普通の幸せに気付いた、当たり前の幸せに気付いた、平生の幸せに気付いた、日常の幸せに気付いた。もう、十分すぎるくらいに今までの境遇を振り返ることが出来た。だから……だから、早くこの悪夢を終わらせてくれ。


 「じゃあ、次は右足に行っちゃいましょうか?」


 「や……辞めて……下さい」


 「え? どうして? あなたは私の眷属たべものなのに、なんで私の好きにしちゃいけないの?」


 イカレている。当たり前だ、こんな風に人間を扱っていいわけがない。お前みたいな化物には分からないかもしれないが、人間は傷を治すのに時間がかかるし、しょうもないことで体はぶっ壊れるのだ。だが、冷静になれ。蓬莱先輩は僕を殺すつもりは無い。僕で遊んでいるだけなのだ。


 「ほーら……何か反論してくれないと、もう一本刺しちゃいますよー?」


 「わ、分かりました! お願いだから少し待ってください!」


 「じゃあ十秒だけ時間をあげますね? はいっ、いーち、にー、さーん……」


 目隠しされていて、僕の視界は暗闇を帯びたままだ。けれど、先ほどの痛みは今も残り続け、僕の脳に訴えかけ続けている。何かが、僕の左腕を刺し貫いた。痛くて痛くて、今すぐにでもその傷を圧迫して、さすって、痛みを紛らわせたい。そんなことすら、出来ないのだ。


 「よーん、ごー、ろーく……」


 どうする? どうする!? このままでは、僕は蓬莱先輩の手によって、飛び出すことのない黒ひげ危機一髪と化すだろう。何としてでも、先輩の行動を止めなくてはならない。やけでもいい、何か言わなくては。


 「なーな、はー」


 「蓬莱先輩、聞いてくださいっ!」


 「はい、何でしょう?」


 「食べ物で遊ぶのは、良くないと思います」


 尊厳など知らない。今この瞬間だけは、僕は蓬莱先輩の食料であり眷属たべものなのだ。いくらそれを否定しようとも、恐ろしき吸血鬼である彼女はそれを認めないだろう。なら、利用するまでだ。


 「ぷっ……ふ、ふふっ……アハハ! 確かにそうね、食べ物で遊ぶのは良くないわ。励君も私の眷属たべものとしての自覚を持ってくれたようだし、ここは素直にあなたの意見を聞き入れましょう」


 良かった。相変わらず両腕は痛いし、この状況が好転したわけではない。それでも、目先の痛みを退けることが出来たことが何より嬉しい。何も出来ない僕にも、唯一蓬莱先輩を動かすことがで――


 「でも、それを励君に指摘されたことは恥ずかしいです。恥ずかしいから、照れ隠しでもう一本刺しますね?」


 「え? ぎゃああああ!!!」


 「何ですかその声……なんていうか、その……励君もそんな声が出せるんですね」


 半笑いでそう述べる蓬莱先輩。理不尽だ、きっと何を答えても刺すつもりだったんだろう。なのに、あえて希望をちらつかせて僕を煽って、後もう少しという所で絶望に突き落とす。なるほど、先輩は人を痛めつけることに長けているようだ。僕はまんまと先輩の良いようにされていた。


 「あぁ……楽しい。ね、もっと励君の悲鳴を聞かせて? あなたの叫び声を聞くと、背中がゾクゾクしてくるの! 肉をこんがり焼いてる音を聞いてるみたいに、私の食欲をどんどん高めていくの!」


 「はぁ……はぁ……蓬莱先輩って、変態ですか?」


 「いいえ? 私はごく一般的な、どこにでもいる普通の女子高生吸血鬼ですけど。女の子に変態だなんて失礼じゃないですか?」


 分かったことは一つだけある。それは、蓬莱先輩に何かを期待するのは間違っているということだ。僕の生死を簡単に決められる彼女にとって、僕の言葉ほど軽いものは無い。だから、僕がどんなに筋の通ったことを言おうと、先輩が面白がることを言おうと、無意味なのだ。


 だったら、僕は抗って見せる。僕がいなくなったのだから、白芽や霞は異変に気付いてくれるだろう。誠一や寛乃亮も僕の様子がおかしいのを見ている。ここがどこかは知らないが、解決は時間の問題のはずだ。耐えていれば、きっと助けは来る。


 「だって、僕を食べるだけなら痛めつける理由は無いじゃないですか。なのにやるってことは、それは蓬莱先輩の趣味ってことでしょ?」


 「……へぇ、さっきまで辞めてって泣き言を言っていた励君とは思えませんね。良いでしょう、あなたが私のことを正しく理解できるように、私のことを沢山教えてあげます」


 そう言って蓬莱先輩は、僕の目隠しを取った。傷の部分は見ない、見たら絶対痛くなるから。視界の端に細長い異物を交えながらも、僕は蓬莱先輩の眼をしっかりと見る。あの顔だ、表情は柔らかいのに眼は暗くて濁っている。悪魔が取り付いていると言われても納得出来てしまう、ちぐはぐさ。怖くてたまらない。


 「少し昔話をしましょう。励君は吸血鬼のお友達が多いようなのでまぁ知ってるかもしれませんが、私たちは迫害されます。昔みたいに、見つけ次第処刑されるとかじゃないですけど、それでも理由無く疎まれると言うのは心に来るものです」


 「それは……」


 「私にも、純真な時があったのです。私は皆と仲良くしたくて、遊びたくて、友達になりたかっただけだった。それなのに、誰も私を見てくれない。私を蓬莱凛子としてではなく、吸血鬼としてしか見てくれませんでした」


 蓬莱先輩の顔は悲壮に暮れていて、そこに嘘は無いように見える。きっと、彼女も辛い体験をしたのだろう。吸血鬼として生まれただけで制限され、抑圧され、矯正される。だから、そこに歪みが生じるのも当然のことなのだ。先輩も、その被害者の一人だと言うのだろうか。


 「それを見て、感じて、私思ったんです。あぁ、吸血鬼に生まれて良かったって!」


 しかし、続けられた言葉は自らの境遇を呪うような言葉では無かった。黄金のような金髪を振り乱しながら、彼女は熱弁した。


 「私は特別だって、周りが教えてくれたんですから当然ですよね。吸血鬼は誇らしくて、素晴らしくて、神様から送られた贈り物なんです。私は自分を自分で否定したりしません」


 やっぱりこの人はおかしい。どれか本心でどれか嘘か分からない。いや、たとえ全て本音だとしても理解が出来ないのだ。これでは本当に、化物みたいではないか。


 「だったら、それでいいじゃないですか。先輩は何と言われようと凄くて、素晴らしいって自分で信じられるなら。なのに、なんで自分からそれを否定するようなことをするんですか!」


 蓬莱先輩の言っていることはおかしい。吸血鬼の自分を尊ぶなら、それに付随した行動が伴うべきだろう。けれど、先輩のやっていることは非人間的で、彼女の言うような言葉とはかけ離れた行為に思えてしまう。


 「私は吸血鬼で、励君は美味しそうな人間。人間は私に奉仕するために居るんだから、それをどう扱おうが私の勝手じゃない?」


 「なっ!?」


 その理屈はおかしい。どうしてそんな結論にたどり着くのだ。そこに行き着くまでのプロセスが全く理解できず、答えも理解できない。全てが不可解で、不気味だ。


 僕は吸血鬼という存在を間違えていたのか? 白芽や霞が人間に偏り過ぎているだけで、吸血鬼というものは皆こんな化物たちなのか?


 「おかしいですよ……絶対おかしいです。蓬莱先輩は吸血鬼以前に、この国の国民なんですよ? ようやく手に入れた平穏な生活を、どうしてぶち壊すような真似をするんですか?」


 「それこそおかしな話です。私が、いつ平穏な生活を望みましたか? 人間じゃないのに、人間みたいに振る舞うことに何の意味があるんです? そんなことしたって、どうせ吸血鬼としてしか見られないのに」


 「人間じゃなくても、きっと分かり合えます! 実際、僕は白芽や霞と分かり合えました。だから、蓬莱先輩とだってきっと……」


 「私の前で、私以外の女の名前を出すな」


 鋭利な痛みが、僕を劈く。何度体験しても慣れることの無い痛みは、僕の口を強制的に閉じた。痛すぎて、声にならない悲鳴が出るほどだ。右足の親指辺りを貫いた細長くて鋭い何かは、先輩の手の中でぐりぐりとうごめていいる。


 「あああっぁぁぁぁああ!!!???」


 「きっと、何です? 私とも分かり合えると言いたいんですか? それは励君の思い上がりですよ。あなたには、私の眷属たべものがお似合いです」


 蓬莱先輩の言葉は冷たく、僕の言葉では一ミリたりとも揺らぐことは無かった。やはり、僕には耐える以外の方法は残されていないのだ。どれほど蓬莱先輩と問答をしようと、彼女には確立された持論が根深く備わっている。今の僕にそれを何とかすることは出来ないし、する必要もないだろう。


 「生意気な励君に、もう一つ良い事教えてあげましょう。君は、私を説得してここを出るか、助けが来るまで耐えようとか思っているでしょ?」


 「っ!」


 「それ、二つとも現実的じゃないから、諦めて」


 どういう意味だ? 前者は分かる。先輩を説得して、改心させるなど特別な力も何もない僕にとってはほぼ無理なことだ。けれど、助けが来るのが現実的では無いとは一体…


 「じゃあ、励君に最後の絶望をあげるね?」


 先輩は太陽のような笑顔を浮かべながら、僕に対する人間的な死刑宣告を出すのだった。


-------


 「私って、生まれた時から何でも思い通りになったんだ。それは例えば、嫌いな人が眼の前から消えればいいとか、欲しいと思ったものが手に入ったりとか…ね」


 私は語る。私が特別足りうる理由を、励君にも知ってほしいからだ。これを聞けば、彼も自分の役目を理解してくれるだろう。それが、運命だからだ。


 「そこに何の小細工も、工作も、努力も無い。ただひたすらに、私がそうあれと願ったら、その通りになる。私はね、運命に愛されているの」


 運命の強制、と私は呼んでいるが、私は生まれてこの方失敗らしい失敗をしたことが無い。だって、私が願えばその通りになる。失敗することを願わない限り、私は成功し続けるのだ。それはこれまでの人生で検証済みだ。


 私がこれが欲しいと思えば、どこからかそれを手に入れるチャンスが巡ってくる。私が勝ちたいと思ったのなら、準備さえ怠らなければ勝利は約束されている。逆に、負けたいと心から願ったのならどんなにあがこうが負ける。そういうものなのだ。


 「……そんなの、ただの偶然じゃ」


 「違うよ? これは吸血鬼たる私の特権、君の周りにいる吸血鬼たちにもそういう力、あるんじゃない?」


 励君の顔がピクリと動く。分かりやすい子だ、愛らしくてつい虐めたくなるのも仕方ない。さて、彼が絶望をにじませるまで、一体どれくらいかかるだろう。


 「要するにさ、私が励君のことを欲しいって思ったら、君は私の物になるんだよ。こんなに時間がかかるとは思わなかったけど、君は私の元に来た。この意味が分かる?」


 「……いいえ、分かりません」


 もう、本当は分かってるくせに。君は自分でも分かったはずだよ。もう、私の手に落ちるしかないってことが。


 「なら、分かりやすいように言ってあげるよ。励君がずっと目を逸らし続けている事実を、今ここできちんと見せてあげる」


 顔のにやけが止まらない。励君の顔が絶望に歪むところを想像して、思わず達してしまう。それはきっと、可愛くて愛らしくて、私が待ち焦がれたものだ。さぁ、その顔を私に見せてくれ。


 「励君の両親は今、単身赴任中だよね? 後二、三週間は帰ってこない。君のことを探してくれるのは、無能なあの吸血鬼どもだけだよ」


 「…………」


 あぁ、とってもいい。その顔をもっと見せてくれ。私に屈服しろ、跪け。二度と私に逆らえないように、その心をへし折ってやる。もっともっと、絶望しろ。


 「君の友達はさ、揃いも揃って君の両親とは仲があまり良くないよね。連絡とか、取れるのかな?」


 「……親が通報しなくても、誠一や白芽が警察に行けば済むことです」


 「ふーん? 明日から5日間休みだから学校も問題ないし、警察はそんなにすぐ動いてくれないよ。君は、ただ僕の家に泊まっているだけだからね」


 警察を黙らせる方法など、いくらでもある。たとえ問題になったとしても、私は捕まらない。実行犯として、車の運転者にでも罪を被せればそれで済んでしまうのだから。そうすると、彼は最低でも五日間は私から逃げられない。


 「流石に分かった? もちろん、五日間なんかじゃ解放してあげないし、君が私だけしか見れなくなるまで、徹底的に教育してあげる。毎日毎日こうやってあなたの血を啜って、肉を剥いで、悲鳴で耳を喜ばせることにするわ」


 とってもいい! その顔だ、それが見たかった! 運命の強制をもってしても、一年間もかかったのだ。その喜びも一層染みると言うものである。まだまだ、彼には私を楽しませてもらおう。その血で、体で、声で、顔で、その全てを持って私を喜ばせろ。


 これが恋、なのだろうか。彼のことを考えると体が熱くなる。彼が苦痛に顔を歪めているのを見ると、楽しくて仕方ない。空虚で結果だけが積み重なる毎日だったのに、今は明日が楽しみでしょうがない。


 世間一般の恋や愛とは違っても、これはれっきとした恋慕の心だ。私は彼を手に入れてもなお、その興味を失うことが無いのだから。愛している、これからも愛し続ける。だから、あなたも私のことを愛してね?

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