先輩は、後輩の彼を味わいつくしたい

 本日の授業終了を告げるチャイムが鳴る。ほぼすべての学生にとって待ち望まれるはずのその音は、僕にとってはその限りでは無かった。これからの蓬莱先輩による呼び出しを考えれば、それもそのはずだ。急ぎながら帰り支度をする僕を見て、誠一が話しかけてきた。


 「お? 倉持を待ってなくていいのか?」


 「あ、あー……少し用事があってさ、白芽が来たら先帰ってて言ってくれる?」


 「いやっ、そりゃ無理な相談……!」


 「じゃ、よろしく!」


 誠一には悪いが、白芽の足止めをしてもらおう。直感だが、蓬莱先輩とは絶対に一人で会わなければいけない気がするのだ。指定すされた場所に小走りで向かうと、途中で誰かにぶつかった。


 「あだっ! ちょっ、ちゃんと前見て……って、励? どうしたの、そんなに急いで」


 「あ、あぁ……寛乃亮。ちょっと、野暮用でさ」


 「ふーん……そうなんだ」


 今寛乃亮に会うのは少し面倒だ。こいつは頭が回るし、気になったこと分かるまで調べるたちなのだ。今の蓬莱先輩を出来るだけ刺激したくない。何とか寛乃亮に不信感を抱かせずに、ここを立ち去ろう。


 「あっ! そういえば、誠一が話があるって言ってたよ! 教室で待ってるって!」


 「お、おう……急にどうした? 今日のお前なんかおか……」


 「そ、それじゃあ僕はこれで! また明日ね!」


 「あ、おい! 何をそんなに急いでんだー!」


 これ以上話している方がボロが出そうだったので、強引に話を切り上げる。寛乃亮、ごめん。今は僕一人で何とかしないといけないんだ。


 部室棟の方へ回り、そのさらに先の駐車場まで行く。普段は体育祭や文化祭などでしか使われない駐車場はがらんとしていて、より一層そこにある車の存在を強めている。そんな黒塗りの高級車らしき車の傍に、煌めく金髪を風に揺らす蓬莱先輩がいた。夕陽が彼女の髪を透かして、神々しさすら感じられるほどだ。


 「お待ちしてましたよ、励君。では、行きましょうか」


 「乗らなきゃ、駄目ですか?」


 「当たり前です。あなたに拒否権はありませんので」


 蓬莱先輩はいつものような笑みを浮かべている。だけど何故だろう、普段とは全くの別物に感じられる。その顔を見ていると背中がゾワッとしてくると言うか、少しづつ絡めとられてるような気分だ。それでも、僕には蓬莱先輩の指示に従うほかない。僕のためにも、霞のためにも。


 「出しなさい」


 車の中は外の空気と隔絶されていて、一種の別世界のようだった。後部座席に僕と蓬莱先輩が乗り込むと、車は何処かに走り出す。すると蓬莱先輩は僕を見て、こう続けた。


 「良かったです。ちゃんと約束、守ってくれて。来てくれなかったら、可愛い後輩を貶めなくちゃいけなくなりますもんね」


 「……先輩の目的は何ですか?」


 「あら? もう少し楽しいお喋りを続けましょうよ。こんな風に励君と長時間お話が出来る機会なんて、早々ありませんから」


 分からない。その顔に、どうして恐怖を覚えてしまうのか。僕や霞の問題行為が写された証拠を握られてるのはそうなのだが、それだけじゃない。もっと何か、恐ろしいものを隠しているような気がするのだ。それが分からなくて、分からないから怖い。


 「……どこで、僕と霞の関係を知ったんですか?」


 「どこからともなく、ですよ。私、知人だけは多いの」


 「それ、嘘ですよね?」


 「……へぇ? どうしてそう思うんですか?」


 蓬莱先輩がその表情の裏に、何かを潜ませているのかどうかは良く分からない。ただ、分かったことが一つだけある。蓬莱先輩の情報の出所がおかしいという点だ。僕だって、無意味に今日を過ごしていたわけではない。


 「僕と霞の関係を蓬莱先輩が知っているのは、おかしいんです。僕たちがあの場所に行っていたのは授業中のことで、しかも人の少ない別館です。一緒にあそこへ向かっていた訳じゃないし、誰かに見られていたって言う可能性は低いです」


 「それでも、無いって言いきれるの?」


 「言い切れません。ですが、蓬莱先輩にだけそれは分からないはずなんです。だって先輩の教室は、一階だから」


 別館への渡り廊下は二階で、三年生は殆ど二階に用事が無いのだ。そもそも人の少ない授業中に加えて、誰かに目撃されるような場所は無い。されたとしても、教師や一二年生なはずだ。一体、先輩は誰からその話を聞いたのだろうか。


 「だから蓬莱先輩、最初にその話を知ったのは誰からですか?」


 「……後輩の風紀委員の子です。男子生徒が授業中に別館に行っていると、話していたので。詳しく話を聞いたら励君に似ていると思い、気になったんですよ」


 一二年生は移動授業の関係上、別館の渡り廊下付近を通る可能性はある。忘れ物を取りに行くなどで授業中にそこを通るのもあり得るだろう。だから、この発言には矛盾が無いように思えてしまう。しかし、先輩はおかしなことを言った。それなら、今日あの渡り廊下で言っていたことが少し不思議なことになるのだ。


 「ならなんで、新入生の子が入り込んでいるってなるんですか? 蓬莱先輩は、僕が別館に行っていると知っていたのに」


 先輩は僕に写真を見せた後、確かに言った。「新入生がいたずらで入り込んでいるだけなら、注意するだけで済まそうと思っていた」と。どうして、新入生の霞の存在をカメラを仕掛ける前から知っていたのだろう。それはつまり、先輩は最初から……


 「ふふっ……アハハ! 稚拙ですが、期待以上です。頑張りましたね、励君」


 先輩は僕の頭を撫でると、にんまりと笑った。そこに先ほどまでの上品さは無く、ただ目の前の獲物を刈り取るような狩人の眼をしていた。背中に薄気味の悪さを感じつつ、やはり僕の勘は間違っていなかったと思う。蓬莱先輩は、まだ僕に見せていない一面があるのだ。それも、とびきり獰猛なものが。


 「確かに、あの時の私は少し舞い上がっていましたね。こんな杜撰なミスをするだなんて、どうかしてました。まぁ、あなたのせいでどうかしちゃったんですけどね」


 「……蓬莱先輩」


 「風紀委員の子に聞いたなんて嘘ですよ。あなたたちを目撃した人はあの学校に一人もいません。私だって、これが無かったら気付かなかったでしょう」


 取り出したそれは、黒い小型の何かだった。蓬莱先輩は、買ってもらったおもちゃを自慢する子供のように、それの説明をした。


 「これ、小型の盗聴器なんですよ。あなたの家から鞄にまで、至る所に仕掛けてあります。電池交換とか大変なんですよ?」


 「なっ!?」


 あまりに非現実的なもので、思考が停止する。それに、僕の家にも仕掛けてあるだなんてことを簡単に言った。それはつまり、随分前から蓬莱先輩は僕を狙っていた? いや、理由が分からない。白芽や霞と違って、蓬莱先輩との関係はここ一年ほどしかないのだ。それなのに、何故。


 「その顔、良いですね。どうして自分がこんな目に遭うのか分からないって顔。凄くそそります。それはもう、食べちゃいたいくらいに」


 蓬莱先輩の手が僕に近づいていく。その言葉には隠しきれない残忍さがチラついていて、僕の心臓を早くさせる。少しづつ、少しづつこちらに向かってくる手を注視していると、車がその加速を止めた。見ると、随分と緑の多い場所に着いていた。


 「ふふっ……励君、降りてください。話はそこでしましょ?」


 蓬莱先輩が指さす場所には、古いログハウスのような建物があった。ポケットに仕舞っていたスマホを見ると圏外で、助けも期待できない。どうやら僕は、この車に乗った時点で詰みのようだ。諦めて車を降り、蓬莱先輩の後についていく。


 「持ち物は全部預かっちゃいますね? ……はい、素直で大変よろしいです」


 持っていたリュックとスマホを渡す。これでもう、完全に助けは呼べなくなった。


 ログハウスの中は、それほど広くなかった。生活に最低限必要なものを置いただけの、簡素な建物。しかし、こんな山奥にあると言うのに埃一つない。そもそも生活をした痕跡が無い辺り、若干不気味に感じてしまう。


 「あの……何をしてるんですか?」


 「あぁ、励君には特別なお部屋に招待しようと思いましてね。少しっ、待ってください」


 蓬莱先輩は床下にあった取っ手を使って、ある一角を開けた。人一人がギリギリ入れそうなそこからは、ハシゴが伸びていてさらに下へ行けるようだ。


 「お先にどうぞ。少し暗いので気を付けてください」


 暗闇がぽっかりと口を開けて待っている。僕は唾を飲み込んで、ゆっくりと底に降りていった。暗く、じめじめとした空間。上からこぼれ出る光だけを頼りにして少しずつ歩を進める。靴の底で探っていくと、固い感触があった。上を見上げると蓬莱先輩が見ていた、ただそれだけなのに寒気が止まらない。


 僕が降りきったのを見ると、蓬莱先輩もこちらにやってきた。カンカンと、金属が軋む音を聞きながら状況を整理する。ここから先は、一つでも間違えてはいけない。しっかりと考えて行動しなければ。


 「励君をここに連れ込むのは、私のしたいことだったんですよ。今日、それがようやく叶いました」


 「ぅ……」


 蓬莱先輩が何かを押すと、視界が急に明るくなった。眼を細めて周りを見渡すと、そこは一面コンクリートで出来ていた。無機質な部屋に、様々なものが置かれている。そこに目を向けると、僕は思わず眼を疑った。だって、これは……


 「私の趣味なんですよ。使ったことは無いんですけどねぇ……」


 「蓬莱、先輩? こ、これって……」


 まるでコレクションのように並べたてられたそれは、現代ではおおよそ見ることのないものだ。だが、ここには確かに存在している。難解な形をしたものから、一目で分かってしまうもの。多種多様なそれは、僕の中の蓬莱先輩というイメージを完璧に吹き飛ばした。


 「はい、拷問用の道具です。でも安心してください。まだ、励君に使う予定はありませんから」


 鞭や重石、ギザギザとした何か、バネがついた丸い形のもの、多種多様なそれは新品ではあったものの、僕を威圧するには十分すぎた。自分にそれが使われる可能性があると考えてしまい、吐き気を必死にこらえる。


 「あらあら……可愛いですね。こっちに来て、ゆっくりとしてくださいね?」


 僕は蓬莱先輩に手を引かれるまま、そこに向かった、向かってしまった。既に彼女が、僕が知っているような人では無いと嫌でも分からされていたのに、僕はまだ楽観的だった。座らされたそれは大きな椅子で、そこに鎮座すると先輩はにんまりと笑った。


 「はーい。これで、励君はここから逃げられません」


 「え……?」


 一瞬のことだった。僕の右手はあっという間にベルトで固定され、反射的に離した左手も圧倒的な力で戻され、同じようにされた。バタバタと惨めに動く僕を、先輩はどんどん拘束していく。左足、右足、次は眼を隠して……僕の自由は簡単に奪われてしまったのだった。


 「くふっ……うふふ……アハハ!!! ほーんと、こんなに簡単ならもっと早くすれば良かった。あんなゴミムシ達に汚される前に……ね!」


 「がっ!?」


 右腕に熱い感覚が襲う。視覚が奪われたせいで、それがいつもより鋭敏に僕を貫いていく。熱は痛みに代わって、僕の脳を焼いていった。普段の白芽の吸血では考えられないほどの激痛、それが僕を襲ったのだ。


 「あぁぁああぁぁぁぁ!!!」


 「そう興奮しないで……? ちょっと噛みついただけでしょ? 男の子なら、これくらい我慢しなきゃ」


 「はぁ……はぁ……」


 「それにしても…なんて美味しいの! 一年間もあなたを待ち焦がれた、毎日毎日あなたを食べたくて食べたくて仕方なかった! でも……でもでもでも! こんなに美味しいなら待った甲斐があったというものよ!」


 声を我慢することなく、甲高い声をあげながら笑う蓬莱先輩。今更ながら、どうして誰にも蓬莱先輩に会うことを伝えなかったのか後悔する。予防はするべきだった。これが最悪の状況なのだから、もっと他の人を頼るべきだった。なのに、どうして僕は一人で行かなければならないと焦っていたのだろう。


 「ふぅ……でも、安心してください。あなたは絶対に死にませんから。それが運命、ですからね」


 「一体……なに、が……」


 「目的ですか? そんなの、単純な事ですよ」


 近くに蓬莱先輩の香りがする。良い匂いで、こんなに近いとドキッとしてしまうだろう。僕は、違う意味で心臓が跳ねるのだが。そんな彼女は、僕の耳元で蕩けるような声でこう言った。


 「あなたを、食べたいからですよ」


 あぁ、この人はとびっきりにおかしい。僕が理解できない、本物の吸血鬼だ。僕のことを、ただの食料としか見ていないのだから。僕は深い後悔に苛まれながら、蓬莱先輩の吸血を受けるのだった。もう、与えられる感覚に耐えるしかできない。


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 私の眼の前には、私がこの約一年間、または365日、それとも8760時間、やっぱり525600分待ったご馳走が目の前にあった。時間の割合なんてどうでも良い、それよりも今はこの美味を味わい続けたい。


 「や、めて……ほうら、い……せん、ぱい」


 「辞めませんよー。だって、こんなに美味しいの我慢しろなんて、私にはもう無理です。これから毎日毎日毎日まーいにち、あなたを味わってあげますからね?」


 「う……うぅ……」


 「泣くほど嬉しいんですか? 私もとっても嬉しいですよ」


 頬に流れでる涙も舐めつくす。しょっぱくて、少し苦い。けれどそれがまた、彼の血を引き立てるのです。涙すらこの血を引き立てるなら、この肉は、内臓は、骨はどんな味がするのだろう。私は久方ぶりに高揚していた。こんなにも楽しいのは生まれて初めてかもしれない。


 「し、ろめ……かす、み……」


 「は? なんで私の前で私以外の女の名前を言うんですか? 励君は今日から私の眷属たべものなんですよ? あぁ……そっか、私のものだっていう自覚が足りないんですね!」


 こうしちゃいられない。彼を私に、私の、私だけで覆いつくさなくては。今日から彼を徹底的に教育していこう。彼が私しか認識できなくなるほど、自分の生き方が食べられること以外無意味で思えるほどに。


 二人だけの個室。快適とは言えないそこは、私にとっては天国でした。だって、こんなにも焦がれた彼を堪能することが出来る。これからも彼を味わい続けることが出来る。彼は喉が潰れそうな泣き声を出しながら、私の愛を受け続けるのでした。夜は、まだこれからです。

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