先輩と後輩は、幼馴染を説得したい

 霞が落ち着いたのは、それから一時間ほど経ってからだった。少し恥ずかしそうにする霞は、しかし僕の手を握り続けている。まるで、そうするのがごく自然の行為のように。僕もまた、それがいつも通りのように感じているのだから不思議だ。霞の手は、どうしてかとても安心する。


 「先輩……これからどうしましょう? 白芽さんを説得するのは、生半可な作戦ではいけません。どうやって彼女を懐柔したものでしょう」


 「うん、そうだね。白芽には今日中に、僕と霞のことを話そうと思うんだ。それまでに、何とか白芽を納得させるだけの理由を考えないと……」


 時間を空けず、白芽にこの話をするのに大した理由は無い。ただ、この事実をひた隠しにすることで何かいいことが起こるとは思えないのだ。僕は霞との関係を隠し続けるつもりは無いし、何なら隠し通せないだろう。白芽は僕のことに関しては勘が良い。一発で暗示ぐずぐずコース確定だ。


 「どうしましょう……先輩を何とかすることに夢中で、白芽さんをどうにかしようだなんて考えもしませんでした。あの人は先輩のことになると、途端に会話が出来なくなりますからね」


 「そこまでじゃないと……言い切れない。でも、話が通じない訳じゃないよ。白芽は、きっと分かってくれる」


 「全く、少し嫉妬してしまいますよ。そんなに信じているなんて、白芽さんのことが本当に大好きなんですね」


 「そうなのかな……幼馴染だったら、これくらい普通だと思うけど……」


 ただ事実を列挙しただけなのに、霞はその関係を羨ましそうにしていた。僕と白芽の関係は歪ではある。けれど、それはあくまで白芽の依存体質のことや、不機嫌になった彼女の添い寝などが少しおかしなだけだ。そこ以外は、ちょっと仲が良い幼馴染で済むだろう。


 「いやいや……普通におかしいですよ。どこに付き合ってもいないのに、添い寝や頭なでなでする幼馴染がいるんですか」


 「ここにいるけど……」


 「それがおかしいって言ってるんです!」


 というか、少し待って欲しい。どうして、霞は僕と白芽がしていることを具体的に知っているのだろう。僕は誠一や寛乃亮にも、白芽とどんなことをしているのか教えていない。二人も、血を吸われて大変くらいに思っているはずなのだ。


 「どうして知っているかって? そんなの、白芽さんが直接教えてきたからに決まってるでしょう。あの人は、先輩の知らない所で色々やっているんです」


 「それは……少し恥ずかしいな。後で白芽に言っておかないと」


 霞も、中学生の時に僕の知らない所で圧をかけていたようだ。いわく、「励は私のものだから、諦めて」だとか言って霞を僕から遠ざけようとしていた、ということらしい。


 しかし、僕と霞ではあまりいい案が浮かばない。後、話が脱線してまともに案を出していないのが良くない。霞はポヤポヤと幸せオーラを出して、頭がまだお花畑に行ったままだ。僕もそれにあてられて、全く議論にならない。こうなったら、奥の手を使おう。


 「霞、いい案が出ないときは誰かに意見を求める。これが一番だよ」


 霞は首を傾げていた。僕にはこういう時、頼りになる男がいる。そう、川瀬誠一だ。彼は、僕以上に頭が回る。きっと、彼ならいい案を出してくれるだろう。早速電話をかける。


 「……あ、もしもし、誠一? 今大丈夫?」


 「おう、急にどうした? 悪いが、今日は家でゆっくりするつもりなんだ。遊びの誘いなら、また今度に……」


 「霞に血をあげたって白芽に伝えたいんだけど、どうしたらいいと思う?」


 「……は? おまっ、何? 冗談?」


 「冗談じゃなくて、本当だよ。霞に、血を飲ませた」


 「なるほど、全然わからん。とりあえず、今すぐそっち行くから少し待ってろ。お前、今どこにいんだ?」


 「えっと……」


 電話をかけると、誠一はすぐに来てくれた。駅前で待っていると、彼は僕と霞が手を繋いでいるのを見て、思わず天を見上げた。


 「分かった。とりあえず、こうなるまでの経緯を話せ。まずはそこからだ」


 僕たちは喫茶店に入って、事情を説明し始めた。もちろん、午後も忙しそうな方ではなく空いている方である。そして、段々と顔色が悪くなる誠一は、今まで起こったことを全て聞き終えると机に突っ伏した。どうやら、彼をもってしても難しい問題のようだ。


 「あぁー……励は元々おかしいとは思ってたけど、まさかここまでとは……俺は、お前のこと可哀想な被害者だと思ってたのに、バリバリそっち側じゃねぇか」


 「そっち側ってなにさ。僕はただ、霞を死なせたくなかっただけで……」


 「その思考がおかしいんだって。普通、こーんなめんどくせぇ女と好き好んで関わるとかしねぇよ」


 「誰かめんどくさいですか! 川瀬先輩は、私のこと何だと思ってるのです!」


 「陰キャ拗らせためんどくさい女。それ以上でもそれ以下でもない」


 「ぐっ……! そんなの、私が一番分かってますよ……!」


 誠一はため息をつくと、僕と霞をしっかりと見定めてこう続けた。


 「励、それと橘。覚悟は出来てんのか? 倉持がこのこと知ったら、お前ら二人とも五体満足でいられねぇかもしれないってことをよ」


 その言葉は冗談や比喩ではなく、白芽ならそれくらいするという確信を持った言葉だった。僕も、概ねその通りだと思う。白芽は、僕を奪われるくらいなら四肢をもいででも束縛してくる。あの子はそういう子だ。


 霞なんてどうなってしまうのか分からない。僕は暗示で洗脳されるくらいで、命だけは助かる可能性は高い。だが、霞は白芽にとって僕を奪おうとする敵だ。彼女は敵に温情をかけるほど、他人に優しくない。僕よりも、霞の方が心配だった。


 「僕は大丈夫だよ。必ず、白芽を納得させてみせる」


 「はぁ……正直、隠しておく方が俺は良いと思うんだけどなぁ……」


 「私は先輩についていくだけです。どんなことになろうと、私は先輩と共にあります」


 「そう、か。なら、仕方ねぇ。俺も協力してやるよ。友達と後輩の頼みだ、いっちょ倉持にかましてやろぜ」


 ニヤッと笑いながら、拳を突き出す誠一。僕も拳を握ってそれに合わせる。三人寄れば文殊の知恵、というものだ。誠一という新たな協力者を得た僕たちは、白芽を何とかして説得する作戦を考えるのだった。


--------


 夕暮れ時、僕は白芽を呼び出した。要件はもちろん、今日のことについてである。少し表情が柔らかい白芽は、僕に近寄ってきた。


 「どうしたの? こんな所に呼び出すなんて」


 「懐かしいでしょ? 昔は、よくここで一緒に遊んだよね」


 「覚えてるよ。私の、大切な思い出だもん」


 白芽は少し笑った。そこは僕たちの家の近くにある、寂れた神社。管理人がいないのか、まともに手入れされていないそこは、独特の不気味さがあった。小学生の時は学校のグラウンドで遊ぶと、決まって野次や邪魔されることがあり、そういう理由で、誰も来ることのないここでよく遊んだのだ。


 「それで? 話……って……」


 「白芽?」


 僕に近づくにつれ、白芽はその顔をどんどん強張らせていった。まずい、想定より早く気付かれた。こういう時は焦らず冷静に対処しよう。僕は誠一と話し合った会話を思い出した。


 「倉持と一番付き合いがあんのは励、お前だ。だから、あいつの取り扱いに関しちゃお前の右に出る奴はいねぇ。最初はお前から説得しろ。それで解決すれば良いし、駄目なら次のプランに移行するだけだ」


 まず、僕だけで白芽と話をする。白芽は僕を殺すような真似はしないし、多少は耳を傾けてくれる。それで説得できるかどうかは怪しいが、先発として僕は最低限の働きをしなければならないのだ。


 「ねぇ……なんで、励の体からあの駄肉女の臭いがするの? しかも、どうしてこんなにこべりついてるの?」


 「白芽、聞いてくれ。僕は今日、霞と遊びに行ったんだ」


 「ふーん……それで?」


 僕の様子から何かを感じとったのか、白芽は一旦話を聞いてくれそうだ。だが、その顔は憎悪をにじませていて、下手をすれば大惨事になるのは免れないだろう。僕はゆっくりと言葉を選びながら、白芽に説明を始めた。


 「霞は大切な後輩で、友達だ。その霞のお願いを、僕は断りたくないんだ」


 「私を置いて、あれと出かけたのはまぁ良い。それよりも、励の体がどうしてそんなに汚されているのかが聞きたい。返答次第じゃ、お仕置きしに行かなくちゃならない」


 「これは……霞のお願いを聞いた結果だ」


 「そのお願いって何? 遊びに行ったことじゃないの?」


 怪訝そうな顔をして、白芽が僕を問い詰める。普段の機嫌の悪さとは比べ物にならない、本物の殺意。白芽は僕のためなら、犯罪だってためらわない。最悪の未来がよぎって、体が震えてくる。けど、これは僕のすべきことだ。僕は僕がした行動の、責任を取る。


 「霞に、僕の意思で血を飲ませた」


 「っ!!!」


 白芽の眼が一気に見開かれる。その鋭さだけで、人が殺せてしまいそうなほど恐ろしい眼力。それもそうだ、何しろ地雷などというレベルではなく逆鱗に触れたのだから。それほど彼女にとって僕の血は特別で、何人も触れさせたくなかった代物なのだ。


 『嘘が少しの間つけなくなる。もう一度、何をしていたのか言え』


 「っぁ! 霞と美術館に行って、帰り際に霞へ血を飲ませた……!」


 強制的に口から言葉が出てくる。白芽の暗示によって、僕は本心しか語れなくなったのだが、そこから出てくる言葉はほぼ同じものだった。それを聞いた白芽は、無表情ながらも静かに怒っていた。いや、怒るなどというレベルではない。憤怒と言っていいほど、彼女はブチ切れていた。


 「私の励を汚した……? いや、励は誑かされたんだきっと……そうだそうだ、きっとそうに違いない」


 「違う……! 霞に血を飲ませたのは、僕の意思でだ!」


 「嘘……嘘嘘嘘……! 私の励がそんなことするはずない。私を裏切るなんて絶対にありえない!」


 「白芽っ!!!」


 何処かに歩いていこうとする白芽の肩を取る。ゆっくりと振り返った彼女は、薄く笑っていた。その眼に、数時間前の霞と同じ狂気を宿しながら。


 『励は私を愛してる。励は私を裏切らない。励は私しか見れない。励は私だけのもの』


 「し、らめ……」


 頭がガンガン響く。白芽の声が何度も反響して、僕の頭を書き換えていく。動かなくなる僕の体を、白芽は軽く抱きしめて、止めの一言を放つため僕をじっと見つめていった。これは駄目だ。この暗示は、僕の思考を破壊しつくすものだ。しかし、僕の体は白芽を裏切れない。それを受け入れようとする。


 白芽の暗示の効果は、彼女の眼を見つめれば見つめるほど高くなっていく。それは、僕の意思を書き換えてしまうほどに強まっていくのだ。白芽は僕を暗示で縛るつもりだ。白芽のことだけを考え続ける、白芽に都合の良い人形にされる。


 『励は私に絶対ふく』


 「そこまでです!」


 白芽の言葉を遮って、誰かが僕の体を連れ去っていった。小さな体からは考えられない力を持つそれは、霞だった。近くで様子を見ていたのだが、僕が危ないと思って出てきてくれたのだろう。本当に助かった。


 「先輩、大丈夫ですか? 約束通り、これから先は私に任せてください」


 「ぅ……ご、めん」


 「良いんですよ。これは、やっぱり私がやらなくちゃいけないんです」


 実のところ白芽を説得するのに、僕たちは有効な手を考え付いていなかった。懐柔も買収も出来ず、話し合いも交渉の余地もない。それが、僕たちが至った結論だった。それでも、僕は何もせずにいることだけは我慢ならなかった。なので、僕が最初に説得を試み、それが駄目ならば秘策があるという霞に任せようということになったのだ。


 「じゃあ、先輩はそこで見ててください」


 霞は僕に笑いかけると、真剣な表情で白芽に向き合った。


ー--------


 「私の励に触るな……この盗人女」


 「盗んでなんかいませんよ。先輩の心は、未だにあなたのものです」


 それは心からの本心でした。先輩は私を白芽さんと同じくらい大切だと言ってくれました。しかし、先輩の奥底では依然として白芽さんが居座り続けています。そこに嫉妬はすれど、どうにかしてやろうだなんて気持ちはありません。私は、私を認めてくれた眷属かみさまと共にありたいだけでなのです。


 わざと視線を合わせながら、先輩を切りつけたナイフを取り出しました。後ろで見ていた先輩が息を吞みましたが、私はこれを使いません。使うのは、白芽さんです。


 『そのナイフをこっちに投げろ!』


 案の定、白芽さんは暗示を使って私を操りました。体が勝手に動く不快感と共に、ナイフは白芽さんへ投げられます。そして、それを掴んだ彼女は私の方へ走ってきました。殺気に満ち溢れたその姿は、まるで化物のようです。


 「死ねっ!」


 「はい、良いですよ」


 白芽さんはそのまま私を押し倒し、ナイフを首筋に押し当てようとしました。いくら再生能力が高いとはいえ、一撃で致命的な損傷を受ければ私も死にます。だというのに、何の抵抗もしない私を不審に思ったのか、白芽さんの手が止まります。さて、ここからが正念場です。私も腹をくくりましょう。


 「お前……私が人を殺せないとでも思ってるのか? お前如き、すぐに殺せるぞ」


 「分かっています。白芽さんは先輩のためなら、躊躇なく人を殺すでしょう。ですが、ここは法治国家です。たとえ先輩のためだろうと、人殺しは認められていませんよ?」


 「そんなの知らない! 励を汚した罪、その命で贖え!」


 「はぁ……そんなことして、先輩が喜ぶとでも思ってるんですか?」


 「は……?」


 白芽さんは一瞬、何を言われたか分からなかったようです。やはり、彼女は今冷静じゃありません。だからこそこのような突発的な行動に出るし、今だからこそ彼女を納得させられるのです。私は私自身の命をベットして、最後の賭けに出ます。失敗すれば、私は殺されるでしょう。その後、白芽さんも逮捕されて先輩は二重で悲しむことになります。そんな未来は、絶対に認めません。


 「取引、しませんか? 私と白芽さんで一緒に、先輩を守りましょう」


 「図々しくて笑える。私は、あなたと交渉するつもりなんて無い、お前はここで死」


 「先輩一人守れないのに、何言ってるんですか? あなたじゃ、先輩を幸せに出来ないって言ってるんです」


 白芽さんの顔が怒りで歪みます。いつも無表情で飄々としているのに、こんな顔も出来るんですね。いつもの人形みたいな顔より、こっちの方がよほど人間らしい。私は少し笑ってしまいました。それが自分を嘲笑するものだと思ったのでしょうか。白芽さんはナイフに力を籠め始めました。


 「お前の力なんて無くても、励はずっと私のものだ! 誰にも渡さない!」


 「いいえ、あなただけでは先輩を守れません。現に、私程度の吸血鬼にまんまとしてやられたじゃないですか。私が本気で先輩を攫ったら、どうするつもりだったんです?」


 「っ! これからは私の目の届く範囲に励をいさせる! 暗示で私以外の人物のかかわりを持たせない! 励には私さえいればいいの!」


 随分と身勝手な言い分だった。そこに先輩の意思は介在せず、ただ先輩を雁字搦めにして腐らせるだけの愚策。平常だったらもう少しまともだと信じたいですが、所詮これが白芽さんの本性なのでしょう。ただ束縛するだけじゃ、先輩を幸せには出来ないというのに。


 「それで? 私を殺して、先輩を壊して、それで満足ですか? そんなこと、先輩が本気で望んでいると思ってるんですか?」


 「うるさい! うるさいうるさいうるさい!」


 ついには頭を抱えて、その場でうずくまってしまいました。私も対人コミュニケーションは苦手ですが、白芽さんは小学生の頃から全く成長していないですね。でも、先輩を好きな想いだけは本物です。それが少し歪んだだけで、元はもっと純粋なものだったのでしょう。まだ、やり直せる。


 私は白芽さんをゆっくり抱きしめました。体は私の方が小さいですが、見た目に反してこの子はずっと幼いです。臆病で、依存体質で、ちょっと心配性なだけ。同じ人を好きな私たちは、きっと分かり合えます。


 「大丈夫です。先輩の心はあなたのものですよ。私はただ、先輩を守りたいだけです」


 「嘘……私から励を奪うんでしょ? 励はめんどくさい私のこと捨てて、お前に乗り換えたんだ……」


 「だったら良かったんですけどね……先輩はあなたを捨てませんでした。あなたは、確かに愛されていますよ」


 「っ!」


 悔しいですが、事実です。こんなにめんどくさいのに、先輩は白芽さんを大切にしています。それを聞いた白芽さんは、私の手から離れて先輩の元に向かいました。ここからは私がどんなに言葉を尽くそうとも、どうにもなりません。先輩の言葉だけが、白芽さんを救えるのです。


 私のためにも頑張ってください、先輩。

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