たまには思い出してやってくれないか

菅井カワツゲ

第1話 明日へ

「こんな強いなんて……話が違うじゃねぇかよ」

俺は息を切らしながらポケットから小瓶を取り出した。

足元には坊主頭の厳つい男が倒れている。

その男を仰向けにした。

「収縛……」

左右で色が違う眼鏡を外し、左眼を見開いた。

倒れている男のヘソ辺りから薄青の光球が浮かび上がり、小瓶の中に入っていく。

蓋をぎゅっと閉めてポケットへ納めた。

「悪いね。アンタの生気、貰ってくよ。相当悪い事したんだから今後の人生は諦めな。じゃあな」

気絶してるから聞こえないと分かってるが、俺は毎回声をかける。

後ろめたい気持ちが、そうさせるんだろうか。

裏通りに停めておいたバイクのエンジンをかける。

「今日の出所帖は終わり、と。店に戻るか」

刑務所の高い塀を一瞥して、バイクを走らせた。


「マスター、ブラックをアイスで頂戴。それと源三さんいます?」

カフェにしては重いドアを開けてカウンターに立つ男に話しかけた。

ポマードでカッチリとオールバックにした髪と品の良い口ヒゲが男の誠実さを物語っている。

「源三様は上の事務所で寝ております」

「じゃあちょっと待たせてもらいます」

灰皿を受け取り煙草に火を点けた。

切れた唇に煙が染みる。

「どうぞ」

「ありがとう。頂きます」

カラカラだった喉に冷たいコーヒーが広がっていく。

苦すぎず、酸っぱすぎず。

フルーティーで華やかな銘柄だ。

しばらく煙とコーヒーを楽しんだ。

「おうハル、来てたのか」

カウンターの隣にある扉が開き、寝ぼけ眼の男が出てきた。

「源三さん、最近寝てばっかっすね」

源三さんは無精髭に寝癖頭、その割に高そうなスーツを着ている。

万年パーカーの俺は冗談めかして嫌味を言った。

「そういうお前は最近お疲れ気味じゃねーの?マスター、俺もこいつと同じもの頂戴」

マスターは畏まりましたと言うと豆を挽きはじめた。

確かに俺は最近疲れている。

それもこれも源三さんのせいだ。

「源三さんがアホみたいに仕事持ってくるからですよ」

「しゃーねーだろ。公安が仕事寄越すんだから。その分稼げてるだろ?」

「それはそうっすけど」

源三さんは公安と俺の中間管理をしている。

「今日の分、あるか?」

俺はポケットから二つ、小瓶を取り出した。

「これとこれっす。出所帖貼っておきました」

源三さんは中身を確認して小瓶から出所帖を取った。

「マスター、これ燃やしといて」

マスターに出所帖を渡す。

マスターは頷きながらフライパンの上で火を点けた。

いつもの光景だ。

「しかしこの中に本当に生気ってのが入ってんのかね。俺にはただの水にしか見えねぇよ」

「今の俺にもそうっすよ」

「あぁ、眼鏡ね。左だけサングラスとか生きにくくね?」

「もう慣れましたよ。眼帯よりマシっす」

俺の左目は生まれつき特殊だった。

人の生気、オーラの様なものが見えるのだ。

そのお陰で小さい頃は苦労した。

人に見えないものが見えるってのはおかしい事なのだ。

純粋ゆえにイジメにもあった。

「まぁ俺は信じてっけどな。あ、これ次の出所帖な」

少し嬉しい反面、出所帖を見て嫌な気分になった。

「やっぱりこの仕事キツイか?」

顔に出てたのだろうか。

「楽しくはないですね。食ってく為には仕方ないですよ」

自分に言い聞かせてるみたいだ。

「そらそうだけどよ。あぁ、そうだ。最近駅前にすげぇ占い師の店が出来たらしいんだよ。ちょっと行ってみてくんね?」

「占い師?何でですか?」

源三さんによると、その占い師というのは建前で本当は心理カウンセラーなのだそうだ。

カウンセリングで得た情報を占いと称しボロ儲けしているらしい。

「そういう事だからカウンセリングしてもらって疲れの取り方を授かってこいよ」

源三さんはニヤニヤしながら一枚のビラを渡してきた。

完全に面白がってる顔だ。

ビラには、駅前の母と書いてある。

「気が向いたら行ってみますよ。源三さんの名刺を渡しにね」

源三さんはハハッと笑ってコーヒーを飲み干した。

「まぁ冗談抜きで疲れは溜めるなよ。じゃ、またな」

俺の分の代金も支払って店を出て行ってしまった。

「どう思います?」

俺は呆れ顔でマスターに聞いた。

「そうですね。占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦と申します。が、カウンセリングとなればより明確な根元が見つかるかもしれませんね」

そっちか。

俺は源三さんのクサイ振る舞いについて聞いたのだが。

「ですね。考えてみます。ご馳走様」

ドアを開けるとすっかり夜だった。

出所帖の予定は数週間先だ。

カウンセリングねぇ……。

人に悩みを話してストレス発散みたいな感じなのかな。

俺は悩みながら家路についた。


翌日、俺は一枚のビラを持って駅前の雑居ビルの前にいた。

「ここまで来たら行くしかないよな」

駅前の母と書かれたドアをノックした。

「どうぞー」

やる気が無さそうな声が聞こえた。

ドアを開けると、そこは異世界だった。

ファンタジーな訳ではない。

まず暗い。

窓には暗幕を掛けているようだ。

そして光源は足元を照らす間接照明と無数の蝋燭。

換気は大丈夫なのか?

極めつけは内装だ。

古代インドっぽい文字や布がかけられていたかと思えば、十字架がそこらに並べられている。

入り口には真っ赤な鳥居だ。

「すいませーん……」

一歩目から雰囲気に飲まれていたが、思いきって声をかけた。

「そこに座ってお待ち下さい」

俺のすぐ右から声がしてビクッと身体を震わせてしまった。

どうやら受け付けの人らしい。

指定されたソファに座った。

衝立てで見えないが、奥では女子数人が占ってもらってるらしく騒がしい。

しばらくして、女子達は満面の笑みを浮かべながら奥から出てきた。

良い結果だったのだろう。

「次の人どうぞ」

静かになったフロアに凛とした声が響く。

恐る恐る足を進める。

衝立ての向こうには一人の女性がいた。

フードを被り、目元から下には白い布が垂れている。

ザ・占い師といった出で立ちだ。

前の占いの片付けだろうか。

紙束やら何に使うか分からない道具を箱に入れていた。

暗くてよく見えないが後ろに刀が二振り飾ってある。

俺は客用らしき椅子に座った。

「はいはい、初めまして。私になんの御用で……」

その女性は俺の顔を見て一時停止してしまった。

「あの……何か?」

挙動不審の俺とそれをじっと見てる占い師。

「いえ、もし差し支えなければ、その眼鏡を取って頂けますか?」

「構いませんが……」

まぁ左だけサングラスの眼鏡なんて珍しいよな。

俺は眼鏡を外し、女性と目を合わせた。

女性はしばらくの間、左目をじっと見たり、俺の身体の周りを見たりしていた。

「失礼ですがその左目の視力はどれくらいですか?」

「詳しい数字は覚えてませんが、目は良い方ですよ」

「では盲目という訳ではないのですね?」

質問の意図が分からないが、ここは正直に話してみよう。

「ええ、普通に見えています。右目も」

「なるほど。あ、失礼しました。私はここの占い師をやっておりますミコヒメと申します」

ミコヒメというのは偽名だろうな。

俺は本名を言うべきだろうか。

姓名判断で占うかもしれないし本名を言っておこう。

「桜坂ハルです。お願いします」

「はい。では改めまして、どういったご用件でしょうか?」

「最近疲れが取れなくて、知人の薦めでここに来ました」

「疲れというのは肩のダルさや偏頭痛ですね?」

「そうです。分かるんですか?」

「ええ。あなたの場合、眼を見れば分かります」

なるほどな。この人には俺の眼がどういうものか分かってるらしい。

「あなたのご職業は?」

どう答えたらいいものか。

素直に公安から仕事を貰ってますと言うべきか。

そうなると深掘りされた時に困る。

俺の仕事は出所してきた元重犯罪者から生気魂という生きていく為の気力を抜き取るものだ。

その生気魂はイジメや理不尽な理由で自殺手前まで行ってしまった誰かに注がれるらしい。

本当か分からないが源三さんの話を信じるならば良い事をしていると思える。

だが、刑期を終え罪を償ったと思われる人の気力を無理矢理削ぐのはどうかとも思う。

いや、今はそんな話ではない。

「この眼を使った仕事をしています」

濁して言ったが伝わるだろうか。

「なるほど。あなたの職業はその眼を使わないといけない事だと。となると、私と似ているのかもしれませんね」

ミコヒメが首を少し傾けながらニコっと笑った。

「そうなるとあなたの問題は簡単ではありませんね……人払い、いや場所を変えましょうか。外で待っててください」

ミコヒメはそう言うと、奥の扉へと消えて行った。

眼の話をするのに場所を変える必要があるのか?

それとも俺の仕事内容を察したのか。

いや、それは無いな。

こんな特殊な仕事なんて普通は検討つくはずがない。

受け付けに挨拶して外に出た。

太陽が真上にある。

もしかして何か食べに行くのか?

「お待たせしました」

ミコヒメの姿に驚いた。

当たり前なのだが普通の格好をしている。

お洒落なジャージにロングスカート。

ショートカットで可愛いリュックを背負っている。

中では暗くてよく分からなかったが、ミコヒメは意外と若い。

俺と同じ二十代前半くらいか。

「さ、行きましょうか」

リュックを一揺すりするとチャキチャキと歩きだした。

電車を乗り継ぎ、どんどん風景が田んぼだらけになっていく。

少し不安になってきた。

「どこ行くんですか?」

「安心してください。もうすぐです。明日は何か予定入ってますか?」

「いや、特に……」

「なら大丈夫です」

一体何が大丈夫なのか分からないが、大丈夫らしい。

それから一時間後、俺達はとある山の獣道を登っていた。

「もうすぐって言ったじゃないですか」

「私にとってはもうすぐです」

なんで俺は山登りなんてしてるんだ。

山頂でコーヒーブレイクか?

全くもってそんな気分じゃない。

「着きました」

終着点は唐突に告げられた。

「なんですか……ここ」

そこには大木に囲まれた古い神社があった。

「うちの本殿です。とりあえず中へ」

朽ちた外観とは裏腹に中は綺麗だった。

「そこへどうぞ」

でかい神棚の前の座布団に座らされた。

「さて、ここには私達しかいません。誰かが来る事もありません。あなたの仕事を詳しく話してください」

どうしたものか。

特に口止めされている訳ではないが、内容だけに気が引ける。

「分かりました。まず私の自己紹介をします。本名は卯月明日花。職業は表向き占い師ですが、本当は代々続く神霊師の末裔です」

神霊師?聞いた事がない。

「私には、ある能力があります。穢れを祓い、良き道へ導く。そんなものです」

あなたは?と問われた気がした。

「俺は人の生気が見えて、それを抜き取る能力ですかね。録なもんじゃないでしょ」

自嘲気味に言った。

言ってみればなんの事は無く、全てをベラベラと喋ってしまった。

「そうですか……。思ってたより事態は深刻ですね」

何がだ?

「ハルさん。あなたは自己嫌悪に陥りやすいんです。感受性が強すぎる。ゆえに重い鉄架が溜まっていく」

「テッカ?」

「はい。原罪の十字架とも呼ばれる罪の意識です。例えば人を殺して逮捕されたとします。何も感じず『ヘマしちゃったなー』程度で済む人もいれば、罪の重さに耐えきれず自殺する人もいる。後者は鉄架の溜まりやすい人です」

「元々の性格ではないんですか?」

「それは関係ありません。むしろ鉄架によって性格が変わる事もあります。重罪人が毎日遺族に手紙を書いたり、極悪ヤクザが堅気に戻ったりね」

確かに俺は元受刑者から生気を抜き取る度に嫌な気分になっていた。

そいつの第二の人生を終わらせているのが実感としてある。

仕事の後はベッドから出たくないくらい落ち込むのだ。

それでも食っていく為ならとやっていた。

「鉄架には二種類あります。自己嫌悪による鉄架。相手の怨みによる鉄架。あなたにはその二つの鉄架が重くのし掛かっています」

つまり俺は自己嫌悪になりやすく、人から怨みを買いやすい仕事をしていて二倍の鉄架が溜まる条件が揃ってるって事だ。

「そして、人は鉄架が溜まりきると逃禍という方法を選びます。自殺ですね」

「俺は自殺なんかしませんよ」

強がりじゃない。

自殺だけはしない自信があった。

「その気力すらも押し潰すのが鉄架です。イジメられ逃げ場が無くなり自殺する。それも自己嫌悪による逃禍です」

「そんなん、どうすりゃいいんすか……!」

公安の裏に手を貸してる以上、実家には帰れない。

仕事をしなきゃ一人で生きていけない。

だがこのまま仕事を続ければ死ぬ。

逃げ場が無い。

肩がずしりと重く感じた。

「その鉄架、私が祓います」

「祓うって……」

「その為にここに来たんです。駅前であなたを視ました。正直、尋常じゃない鉄架に怖くなりました。この人は何をしている人なんだろうって。でもその眼で分かりました。私と同じだと。それならばすぐにでも鉄架を祓わなければと思ったんです」

明日花はゆっくりと俺の目を見ながら言った。


準備は粛々と行われた。

明日花は巫女さんを派手にした様な衣装に着替え、神棚には蝋燭が灯された。

塩が入れられた水と注連縄で出来た輪っかを4つ渡された。

「輪を両の手足にはめてください。水は辛くなったら飲んで」

俺は言われた通りにして座布団に正座して待った。

「では始めます。何が起ころうとも、その座布団から出ないで下さい。難しいでしょうが私を信じてください」

「この眼は使った方がいいですか?」

俺は眼鏡を外しながら言った。

「ええ。恐らく『視える』と思うので使って下さい。でも変に抵抗はしないで下さいね」

何が視えるというのだろうか。

それにしても肩が重い。

「そして心の中で『荒儀刻、爆ぜる三日月、鉄の馬、白打黒撃、鎖門閉じたり』と唱えて下さい。では、いきます」

明日花は両腕を勢い良く開き、祝詞の様なものを唱え始めた。

なんと言っているのか聞き取れないが段々とボルテージが上がっていくのが分かる。

俺は左眼を見開いた。

明日花の周りが紫色に光っている。

今まで薄青の生気しか見たことが無かったが、人によって色が違うのだろうか。

その時、神棚に置いてある徳利がカタンと倒れた。

それと同時に部屋の左側の障子がゆっくりと破れていった。

まるで手を指先からゆっくりと入れる様に。

ガタッと後ろの扉が揺れた。

驚いて振り返ると扉がぼやけて見えない。

それがなんなのか分からなかった。

ゆっくりと上を見上げる。

それは薄ぼんやりした無数の顔だった。

俺の身体から出ている。

「え、なんすかこれ!?」

扉が大きく揺れる。

「いいから!さっきの唱えて!」

俺は心の中で唱えた。

でも眼はそいつらを追ってしまう。

これが鉄架なのか?

バケモノじゃないか。

「寄る辺寄る、降る辺降る、ゆるりゆる、くるりくる、呪葬業死鬼無、伊達の鋼に降りたまえ」

明日花が神棚の刀を手に取る。

「ちょ、おい!」

「絶対に動かないで!」

すらりと刀を抜いて鞘を足元へ落とした。

そのままこちらに向かって歩いてくる。

俺が斬られるんじゃないよな?

「一気に仕留めるわ!」

腰溜めに構え、俺の頭の上を睨んだ。

障子や扉がさっきよりもガタガタと大きく揺れてうるさい。

「はっ!」

空を斬っただけ、そう見えるだろう。

だが俺には視えた。

無数の顔が一文字に斬られるのを。

「月下還獄!」

肩がすっと軽くなった。

俺を纏っていた赤黒い光が身体の中に収束していく。

奇怪な揺れも無くなり、不思議な静けさが辺りに漂っていた。

「終わった」

明日花は刀を鞘に納め、神棚へと戻した。

ふうと大きく息を吐き、置いてあった水を飲み干していた。

「鉄架は無くなったのか?」

聞きたい事は山ほどあったが、まずはそれが先決だ。

「多分、失敗」

「失敗!?でも肩が凄く軽くなって気分も楽になったよ!?」

現に今までの疲労が嘘の様に身体は軽かった。

「全ては祓えなかったという意味。延命措置みたいなもんよ」

「そんな……繰り返せば全部祓えるよな!?」

「そういう問題じゃないの。半分、つまり怨みの鉄架は斬ったわ。残りの自己嫌悪の方は強かった。あなたの中に残ってしまった。多分これからも溜まり続けるわ」

それじゃなんの解決もしてないじゃないか。

俺は仕事をしなきゃいけない。

鉄架が溜まっていく仕事だ。

コップに溜まった水はいずれ溢れる。

「そうか。まぁそういう仕事してんだもんな。勝手に極悪人だと決めつけたやつの第二の人生奪って生きてんだもんな。その報いか」

「違うわ。あなたは能力を利用されただけ。あなたの意思でやってる事じゃないのよ。そんなに自分を責めないで。あなたは優し過ぎるのよ」

「同じ事さ。良い事してるって言い聞かせながらやってんだ。でも、ありがとな。明日花」

俺はこれからも仕事を続ける。

それによる鉄架からは逃げられない。

分かってしまえばなんて事は無い。

「利用されてるかもしれないけど、俺は仕事続けるよ。この世には刑務所を出ちゃいけない犯罪者もいるんだ。でも刑期を終えれば出れる。そしてまた罪を犯す。法律じゃ守れねぇ人もいるんだ。少しは人の役に立ちてぇしさ」

鉄架が半分無くなったからだろうか。

いや、終着点が分かったからだな。

晴れ晴れした気分だ。

「……強がり」

「強がりじゃねぇよ。明日花のお陰で目的がはっきりしたよ。それじゃ帰るか?」

「こんな時間に山を降りられる訳ないでしょ。布団があるからここで一泊よ」

外は真っ暗で腕時計を見ると午後十時を回っていた。

さっき、あんなに怖いモノ見て寝れるかな。

「備蓄の缶詰くらいしか無いけど食べる?」

そういや今日はなんも食べてない。

「食べる食べる!腹減ってたの今気付いた!」

明日花は苦笑いしながら奥の部屋へ行った。

すげぇ強がっちゃったよ。

本当は死ぬほど怖いよ。

そう遠くない余命宣告をされたようなもんじゃねぇか。

逃げ場の無い自問自答の中で生きていかなきゃいけないのか。

源三さんにはこれ以上頼れない。

公安とは直接繋がりは無い。

明日花には迷惑かけたくない。

結局一人で耐え抜くしかないんだな。

「好きなだけどうぞ」

「ありがとう。缶詰の種類多くない?」

「缶詰ならなんでも備蓄しておくのよ。食べられればいいでしょ?」

「合理的だけど。この熊の肉って美味いの?」

「意外とイケるわよ。これはどう?」

「開けんな開けんな!シュールストレミングだろそれ!」

「冗談よ。なんの付け合わせも無しに食べるものではないしね」

例え付け合わせがあっても食べたくないんだけど。

俺達は冗談を言い合いながら食事を済ませ、布団を少し離して寝る事にした。

正直凄く安心した。

破れた障子が目に入る度にさっきの恐怖が蘇る。

一人だったら寝れなかっただろう。

その安心感もあって俺はすぐ眠ってしまった。


朝起きると、もう隣に布団は無かった。

時間は七時。

何かが燃えてる匂いがする。

外に通じる扉を開けると明日花が焚き火をしていた。

「おはよう」

「おはよ。コーヒー飲む?」

「頂きますとも」

モーニングコーヒーと煙草は何故こんなにもマッチするのだろう。

明日花は煙草を嫌がったが、欲求には逆らえない。

熊肉の缶詰を灰皿に立て続けに二本吸った。

「焚き火の処理をしたらすぐ出るわよ」

「え?ゆっくりしようや。こんな自然の中で過ごす事なんてそうそう無いんだからさぁ」

明日花はかなり呆れた顔を隠そうともせず言った。

「何呑気な事言ってんの。早く連絡したい所があるのよ」

彼氏か?彼氏なのか?

「現代人め」

なんか知らないがジェラシー的な気持ちが湧き上がった。

アホか。昨日知り合ったばかりだぞ。

嫉妬するには早すぎるだろ。

「それとね、当分店を閉めるわ」

「え?なんで?」

「ハルの鉄架を消す為。消し方を探しながら、あなたの仕事を手伝うわ」

突然の提案に驚いた。

けど巻き込みたくない。

「これ以上迷惑かけらんねぇよ。危ない仕事だしさ。だから、大丈夫だよ」

本当は明日花の言葉に甘えたかった。

「あなたの為だけじゃないの。私の為でもあるの。力不足で祓えなかった事が悔しいのよ」

一言一言が心細かった胸に刺さる。

「何よりあなたを死なせたくないわ」

眼球の奥から熱いものが溢れてきた。

「俺、死にたくねぇ……」

拭っても拭っても止まらない。

「大丈夫。私が死なせない」

堰を切った様に溢れ出て俺は声を上げた。

「ありがとう……ありがとう」

ぎこちなく抱き締めてくれた。

頭を撫でられたのはいつ以来だろう。

握り締めた拳を、そっとほどいてくれた。

覚悟が決まった気がした。


俺達は身支度を整え、下山した。

明日花とは連絡先を交換して駅前で一旦別れた。

店を閉める準備があるのだろう。

「マスター、強めのブラックをアイスで」

「畏まりました」

なんとなく無理めな注文だがマスターは難なく答えてしまう。

灰皿を受け取り煙草に火を点ける。

「どうぞ」

いいタイミングでコーヒーが来る。

「ありがとう。頂きます」

「おや、ハル様。どことなく顔つきが変わりましたね」

「え、そうですか?」

昨日久しぶりに熟睡したからかな。

「ええ。男子、三日会わざれば刮目して見よとは言いますが、昨日とは別人の様な活力に溢れておりますね」

「いつ終わるか分からない人生を始めようと思いましてね。一大決心てやつです」

「そうですか。陰ながら応援させて頂きます」

マスターはそう言うと豆の管理に戻った。

コーヒーはオーダー通り。

エスプレッソの様に濃く、マサラの様にスパイシー。

一気に飲み干して店を後にした。


久しぶりに自分の家に帰った気がした。

俺も連絡を取らなければいけない人がいる。

冷蔵庫からお茶を出しながらケータイで電話を掛けた。

「私だ」

「母上、お久し振りです」

「昼間から何の用だ」

相変わらずぶっきらぼうだな。

「俺の眼について詳しく知らなければならなくなりました」

「瞳術は一つ教えただろう」

「できれば、もっと」

「電話で教えられる事なぞ無い。今度帰ってきたら教えてやる」

それは想定通り。本題はこれからだ。

「分かりました。母上、家族は皆元気にやっておりますか?」

「あぁ。この家には残ってないが、皆元気だ」

「母上も?」

「無論だ」

「それは何よりです」

それだけ聞ければ充分だ。

「何があったか知らんが、お前は小さい頃から少しぼやっとしてる所がある。しゃきっとして凛と生きな」

「はい。ありがとうございます。ではまた」

俺は大きく安堵のため息を吐いた。

やはり母上との会話は緊張する。

煙草をトントンとやり火を点けた。

「みな元気か。それは何よりだ」

大きく煙を吐いた。

凛と生きろ、か。

チラッと出所帖を見た。

次のターゲットは強い。

因果関係は分からないが、強さは罪の重さと比例する事が多い。

こいつは飲酒運転で数人轢いてるクズだ。

それにも関わらずたった五年半で出てきた。

抜き取る時に罪悪感を持たないよう、俺も強くならなければいけない。

俺は小さい頃から実家で李氏八極拳を習っていた。

フィジカルの強さには多少の自信はあるのだが、メンタルには自信が無い。

それに加えてこの前の鉄架だ。

あんなものが見えるのなら、そっち方面でも鍛えたい。

一発気合いを入れに行くか。

俺はもう一本、電話を掛ける事にした。

「はい、高乾院白刀寺です」

「桜坂という者ですが、白檀和尚はおられますか?」

「少々お待ち下さい」

白檀和尚は、ここに越してくる時に母上に紹介された坊さんだ。

八極拳をやっており、修験者としての過去を持つマッチョな老人である。

「はいはい、ハル君。どうしたのかな?」

「和尚、強くならなければいけなくなりました。稽古をつけて下さい。お願いします!」

「何か訳ありみたいだね。よし、明日から来なさい」

「ありがとうございます!」

二つ返事でオーケーを貰えた。

よし、後は明日花にしばらく留守にすると伝えて準備だ。

とりあえずメールしておこう。

明日から何泊するか分からない。

ある程度の着替えと現金にスマホ、後は煙草。

そんなもんで良いだろう。

大きめのバッグを探していると着信音が鳴った。

「ちょっと!何一人で抜け駆けしてんのよ。私も連れて行きなさいよ」

なんでちょっと楽しそうなんだよ。

舞浜のテーマパークじゃないんだぞ。

「いや、なんも楽しい事無いよ?寺で修業だよ?」

「私も強くなりたいわ。術師としてのジャンルは違えど学ぶ事はあるはずよ」

「分かった。明日出発だから荷物まとめて駅前集合な。詳しくはメールで」

「ありがとう、ハル。頑張りましょうね」

「あぁ」

なんだか少し気が楽になった。

無意識に緊張していたらしい。

俺は万全の準備をして早めに寝る事にした。


翌朝、俺は早めに家を出て駅前のシンボルの前にいた。

「おはよ。早かったわね」

不意に後ろから声を掛けられた。

相手は勿論、明日花だ。

「おはよう。明日花こそ早いな」

「当たり前よ。気合い入ってるもの」

昨日と、さして変わらない格好で気合いなるものが入っているのか甚だ疑問だったが黙って頷いた。

「それじゃあ行くか」

「ええ、行きましょう」

不思議なものだ。

昨日会ったばかりなのに、何十年来の親友のようにも感じる。

背中を預け合えるのはこいつしかいないと思える。

きっとそんな日が、いつか来るんだろう。

俺達はそれぞれの思いを胸に駅の改札をくぐった。

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